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ニート脱皮

日蓮正宗信徒。信仰を糧に日々書いてゆきます。

7 学会版の経本で抹消した二座の観念文のうち、「久遠元初自受用報身如来の御当体」の意味

2008年07月28日 | 創価学会員であるあなたへ
 「久遠元初」とは、単なる時間的な「宇宙の最初」という意味ではなく、実には一切の現象の究極・根本という意味で、時間・空間を超絶した絶対的な状態をいいます。

 また、「自受用報身如来」について説明しますと、まず仏教において仏という場合、法界の一切の真理としての法身(ほっしん)如来、その真理を照らす智慧身たる報身(ほうしん)如来、大慈悲によって一切衆生を救済する応身(おうじん)如来の三つの側面があります。

 この三身如来の中でも、特に悟りの智慧を中心として、そこに法身、応身の二身を兼ね備えた仏を報身如来といい、この報身仏が自ら悟られたそのままの境界を「自受用」といいます。

 すなわち「久遠元初の自受用報身如来」とは、「絶対的な究極の仏」ということです。『御義口伝』には「自受用報身」を「ほしいままにうけもちいるみ」(新編 1772頁)と解説されています。

 この久遠元初の自受用報身如来こそ「末法の法華経の行者」たる日蓮大聖人であり、そのお悟りの当体そのままを、本門戒壇の大御本尊として建立されたのです。

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