石垣島の美味いどころ 琉球割烹 司(つかさ)

美味しい料理と 美味しいお酒で 極上の一時を! 

竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要民族無形文化財・・・見に行きました(その1)

2013-01-04 | 竹富島

竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要民族無形文化財・・・見に行きました(その1)

2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。

娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。

娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して昨年(2011年)の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。

 

竹富島の種子取祭(たなどぅい)が、今年は80年ぶりに12月に行われるそうで、12月の1・2日に開催されました。

今回3度目の石垣島訪問のタイミングで、見られることになりました。

3度目の石垣島訪問10日間で、竹富島へは3回通いました。 

竹富島で、観光コースをバスで観光・・・小回りの効くバスと運転手兼ガイドさん

小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その13 竹富島の町並み 

小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー に関する記事

 

 石垣市の石垣港離島ターミナルに、竹富島の種子取祭(たなどぅい)展・・・国の重要民族無形文化財・・・の展示がありました。

写真家の大塚勝久氏が取られた素晴らしい写真が展示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

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竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要無形民族文化財・・・見に行きました(その2)

2013-01-04 | 竹富島

竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要無形民族文化財・・・見に行きました(その2)

2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。

娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。

娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して昨年(2011年)の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。

 

竹富島の種子取祭(たなどぅい)が、今年は80年ぶりに12月に行われるそうで、12月の1・2日に開催されました。

今回3度目の石垣島訪問のタイミングで、見られることになりました。

3度目の石垣島訪問10日間で、竹富島へは3回通いました。

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竹富島の種子取祭(たなどぅい)は、農作物の豊じょうと島民の繁栄を祈願する祭で、1977年に 国の重要無形民族文化財に指定され、約600年の歴史を持つそうです。

旧盆と節祭の巳亥(ツチントイ)の日が重なったため、80年ぶりに12月に入っての開催になったそうでした。

 

会場に到着すると、生憎の雨模様の中で、庭の奉納芸能が繰り広げられていました。

真剣な勇姿に圧倒されました。「ンマヌシャ(馬乗者)」と言う踊り・・・

 

現在公民館長をされている上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんのご挨拶を聞きながら…

 

前回竹富島に来たとき、   竹富島に、日本最南端のお寺、喜宝院(きほういん)があり、

そこに蒐集館(しゅうしゅうかん)という民族資料館があるので観ていこうと案内されました。


Image864.jpg

入り口で館長の上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんに「どちらからお越しになりましたか?」と尋ねられましたので、「高知からです!」と答えると

突然、嬉しくてたまらないと言う表情で、話し出しました。

「私は高知には何度もお伺いしています・・・」と、戦争末期、竹富島に来た高知の大石隊長ほか200名の陸軍兵士と竹富島住民との、当時では考えられないまれに見る、心温まる生活があり、その後沖縄が本土に復帰してから始まった交流が、今なお続いているとのこと。

喜宝院の境内にある、病気や事故で亡くなった9人の大石隊戦没者の慰霊の塔へ案内されました。

住民が日本兵の慰霊の塔を建立したり、慰霊祭をしたりすることは、他に例を見ないことだとか・・・

全員で合掌した後、館内を見物させていただきました。

沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その3  今も続く高知との交流

 

竹富島にはこんな方たちがいる!!

自分の年金を抵当に入れてお金を借りて、あかゆら(デイゴのことを島言葉で)を守った!! 浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その13 竹富島の町並み

民俗資料館の「蒐集館(しゅうしゅうかん)」の館長・上勢頭芳徳さんから直接聞けました・・

現在公民館長をされている上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんのご挨拶に続いて、功労者への感謝状の贈呈がありました。

公民館長から、贈呈される一人一人の功績が具体的に紹介されて、聞いていて実に心温まる思いがしました。

みんなで竹富島を大事にし、伝統を守っていこうという島を挙げての取り組みのリーダー役を務められている皆さんの様に思いました。

 

「舞台の芸能」では、

ファーマー(子や孫)を引き連れたミルク(弥勒)・・・の場などで、かわいい子ども達も登場していました。

最後まではおれませんでしたが、舞台の芸能だけでも36演目が披露されるとか・・・伝統に裏打ちされた思いと、随所に質の高さを感じることが出来ました。

いまどきこんな素晴らしい民俗芸能が、よくも残っているものだと…うれしく思いながら楽しませていただきました。

12月1・2日と2日間の日程で行われる奉納芸能に、観光客など島内外から大勢の観客が詰めかけて、年間でも一番賑やかな島の伝統行事のようです。

 

 

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竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要無形民族文化財・・・見に行きました(その3)

2013-01-04 | 竹富島

竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要無形民族文化財・・・見に行きました(その3)

2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。

娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。

娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して昨年(2011年)の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。

 

竹富島の種子取祭(たなどぅい)が、今年は80年ぶりに12月に行われるそうで、12月の1・2日に開催されました。

今回3度目の石垣島訪問のタイミングで、見られることになりました。

3度目の石垣島訪問10日間で、竹富島へは3回通いました。

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小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その13 竹富島の町並み

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竹富島の種子取祭(たなどぅい)は、農作物の豊じょうと島民の繁栄を祈願する祭で、1977年に 国の重要無形民族文化財に指定され、約600年の歴史を持つそうです。

 

当日、竹富島の埠頭で購入した本「竹富島文庫Ⅰ 種子取祭」が、手元にあります。

その本の はじめに のなかに・・・・ 竹富島の集落は、古琉球の風景を想わせる。白砂の道に、黒い石垣と赤瓦の民家。その景観を礎にして、琉球のさまざまな伝統文化が伝承されてきた。

なかでも、毎年行われる秋の種子取祭、豊かな芸能や歌が繰り広げられ、訪れる人々を圧倒する。

種子取祭に参列した人が経験することは、心の底から湧きあがる感動と、参加した仲間との連帯感である。親から子へ、子から孫へと、先祖代々受け継いできた種子取祭のエネルギーが、我々を人間の歴史的共同体的な営みの輪の中に包み込んでくれるからである。

そして、種子取祭の日は、竹富島全体が自然と人間の調和した劇場と化す。・・・

種子取祭は、奉納芸能の2日間だけではなく、9日間の取り組みがあるようです・・・

交わされる言葉や踊りの内容はほとんど分かりませんでしたが、参加者の心に伝わる感動は素晴らしいものがありました。

また竹富島を訪れたいと思っています。

 

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2012-08-19 | 竹富島

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竹富島で、観光コースをバスで観光・・・小回りの効くバスと運転手兼ガイドさん

2012-01-23 | 竹富島

2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。

娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。

娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して昨年(2011年)の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。

これまで2回 石垣島に行った時は、娘夫婦が石垣島や西表島・竹富島を案内してくれており、特に竹富島は印象に残り、今回も石垣島10日間の滞在期間中に3回訪問しました。

竹富島で、観光コースをバスで観光しました。

フェリーを降りると、埠頭には数台の観光バス(画像のように10人乗り?のジャンボタクシー)が停まっており、運転手兼ガイドさんがこの女性です。

数人集まると出発します。観光時間は1時間足らずで、お一人様1,000円。竹富島の概要をガイド説明しながら運転して、町並みから離れた観光コースに案内してくれました。

   

私たちが乗った観光バスは、旅行者が6人でした。小回りの効くバスと運転手兼ガイドさんの女性の丁寧な説明とで、周りの旅行者もうちとけて楽しんでいました。

 

写真を撮ってくれたり、この辺で良く見つかるようですよ・・・と、「星砂」探しのアドバイス・・・リピーターが多いこともうなづけます。

海の美しさが目に焼きついて、もう一度来ようと思ったのは私たちだけではないのでは・・・

 

 

 

 

島民の8割が観光で生活をしています・・・と言う説明がありました。ネット上で調べると竹富島を訪れる観光客数は、平成元年の約86,000人から、平成17年には約416,000人に!

生活の中で育まれた文化遺産を観光資源として生かしていること・・・

日本最南端のお寺「喜宝院(きほういん)」と、併設する民俗資料館の「蒐集館(しゅうしゅうかん)」の館長・上勢頭芳徳さんのお話によると、2011年10月現在、世帯数165戸、人口357人(5月比11人増で、4人の赤ちゃんが生れた)、1955年より100人増えているとのこと。

町並みを彩る風景には、家の周りにきれいに積まれた石垣や年間を通して咲き乱れる花々・樹木などもあり、また何よりも島民挙げて、この風景を大切に守ろうとする心意気が、大きい事を知りました。

 「竹富島フィールドミュージアム」として、島全体を博物館と位置づけ、様々な取り組みをされている事は、私たちの高知にも”吉良川の町並み”をはじめ、県下には素晴らしい町並みや自然があるので大変参考になり、先進的なモデルとなります。

 

 

 

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沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その2  町並み保存

2011-12-07 | 竹富島

沖縄・石垣島に行ってきました・・・その1 の続きです。 

竹富島の町並み保存と持続可能な観光スタイル!

竹富島は、石垣島から6キロのところ。 

観光客を乗せた複数の会社の高速艇が1時間おきくらいに運行されているようでした。

それだけ観光客が多いようです。 

竹富島は、珊瑚礁で出来た平べったいお盆のような島で、山も川もなく、直径は約3キロ、周囲わずか9.2キロ。 


Image873.jpg赤山公園の丘の上に立つ展望台(なごみの塔)の高さが24mあり、島の最高地点とか。 

平均気温24度、平均雨量2400ミリ。 

 

世帯数169戸、人口345人(今年4月比4人増)、民宿・旅館13軒、土産品店9軒、食堂・喫茶9軒 

島全体が国立公園、集落部分が"町並み"保存地区。 

120以上の舞踊・狂言、300以上の歌謡伝承、種子取祭には二日間で約80点もの芸能を奉納すると言う芸能の島。 

天然素材を植物染料で手染めして、手織りするミンサー・芭蕉布・麻布など民芸の島。

 

Image889.jpg345人中65歳以上は92人、いたって健康・元気という長寿の島。 

古い沖縄の良さを一番残していると言われる竹富島です。 

島に着くと、港には観光客送迎用のミニバスが何台か待ち構えており、予約をしていない人も自由に選んでおり、私たちは婿たちの知り合いのバスに乗車。 

まず30分の「水牛車観光」(一人1、200円)に出かけました。


 Image854.jpg

  10メートルくらい(20人乗り?)の荷台車を大きな角の水牛がゆっくりと引いていくのです。 

水牛は、町並みの狭い四つ角もロングボディの荷台車を塀にこすらないように、実に上手に回っていきます。私たちの運転よりはるかにうまいねーと話していました。

のんびりと動く水牛と、たずなをもつ案内人のおじさんの呼吸はぴったり。 

その案内人のおじさんは、現場を見せながら町並み保存の取り組みを説明するので、臨場感があります。 

"町並み"保存地区では、屋根は赤瓦以外はダメ、サンゴの白い砂を敷き詰めた道以外はダメ、もちろん舗装はダメ、塀もコンクリートはダメでサンゴの小石を積み重ねたもの。 


Image876.jpgサンゴで出来た島なので材料は沢山あり、昔からやってきた風に強い家づくりとか。 

防風・防火対策に、フク木・ガジュマルなどの亜熱帯植物を庭に植えています。 

婿は、昔から"福木の花が咲いたらフエフキダイが釣れる"と言われている、と話していました。 

塀の周りには、真っ赤なハイビスカス、年中咲き乱れるブーゲンビリア、パパイヤなど。 

案内人のおじさんは、屋根で大口を開けて目玉をむいで力んでいる魔除けのシーサー(唐獅子)、役人が見初めたとクヤマと言う娘さんの話など巧みに語ります。 


Image884.jpgそして、三線(さんしん)片手に荷台車の天井に歌詞が手書きされている竹富民謡「安里屋(あさどや)ユンタ」を歌います。 

実に調子が良いので「サーユイユイ」の合いの手が、観光客から自然に出てきて、見知らぬ同士が盛り上がります。 


Image855.jpg降りるときには、一人1、200円(送迎付き)の乗車料金満足で、又乗りたいと思いました。 

二台の水牛車は、水牛を入れ替えて、またお客さんを乗せてゆっくりと出て行きました。 

 

休憩がてら立ち寄った民宿をやっている喫茶店では、年配の人懐こいおばあさんが話し相手で、もっと話して居たいなと思い、泊まるのだったらここにしたいと思いながら店を出ました。 

話では、一泊2食付で5,200円、組合ではそのうちに値上げをすることを話しているとか。 

3泊4日で、のんびりと滞在していくして人が多いですよ!と話していました。 


 私たちも1日ではもったいないと思いながら、あちこち急ぎ足で回りました。 

滞在するとなれば、国立公園でキャンプは禁止の島ですから、民宿・旅館に泊まります。でもこの値段なら滞在しやすいと思いました。 

夕方私たちが竹富島を後にするとき、2艇の高速艇からはかなりの人が降りてきました。 

食堂・喫茶も沖縄そばなど種類も豊富で、"よその釜の飯は美味い"だけでなく、しかも安いと思いました。 

サンゴの白い砂を敷き詰めた道は、住んでいる人が毎朝掃いているとか。あちこちにほうき目が残っていました。 


Image882.jpg 

お金をかけるのではなく、あるものを保存し受け継ぐ(町並みや文化・芸能を守る竹富町民憲章)、また訪れた人と人との心の交流(絆)が、持続可能な観光資源となり、 

地元にある食材を活かしたオリジナル料理は安くておいしく、手頃な料金は長期滞在を生みやすく、のんびりとした交流が絆となりリピーター作りの条件ともなるのでは・・・ 

"癒しの時代"注目度は一層高まるのではないかと思いました。 

高知にも、おいしい料理やおもてなしの心があり、よさこい踊り、優れた歴史上の偉人や文化が沢山あります。 

高知らしい"持続可能な観光スタイル"をみんなで紡いで行けたら良いなーと思いました。 

 次回は、今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の話です。

 

  HN: 龍馬 (2008年11月27日 07:57)

HN:龍馬 さんの記事(その1) 


沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その3  今も続く高知との交流

2011-12-07 | 竹富島

沖縄・石垣島に行ってきました・・・その1 

沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その2  町並み保存の続きです。 

今も続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の交流 

竹富島に、日本最南端のお寺、喜宝院(きほういん)があり、 

そこに蒐集館(しゅうしゅうかん)という民族資料館があるので観ていこうと案内されました。 


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入り口で館長の上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんに「どちらからお越しになりましたか?」と尋ねられましたので、「高知からです!」と答えると 

突然、嬉しくてたまらないと言う表情で、話し出しました。 

「私は高知には何度もお伺いしています・・・」と、戦争末期、竹富島に来た高知の大石隊長ほか200名の陸軍兵士と竹富島住民との、当時では考えられないまれに見る、心温まる生活があり、その後沖縄が本土に復帰してから始まった交流が、今なお続いているとのこと。

喜宝院の境内にある、病気や事故で亡くなった9人の大石隊戦没者の慰霊の塔へ案内されました。 

住民が日本兵の慰霊の塔を建立したり、慰霊祭をしたりすることは、他に例を見ないことだとか・・・ 

全員で合掌した後、館内を見物させていただきました。 

 


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竹富島で使用された約4000点の資料が展示されており、沖縄県第一号として、国の登録有形民族文化財に指定されているようです。 

人頭税関係、染織、儀礼用具等、特に研究者の来館も多いワラサン(結縄)や"町並み"保存の資料も残されています。 

お話を聞く中で、慰霊の塔の建立から民俗資料の収集保存など、先代の喜宝院院主・上勢頭亨さんの「うつぐみ」(心をひとつにして力をあわせるという意味)の強さと先見性を感じました。 

院主・上勢頭亨さんの没後、喜宝院を継いだ一人娘の現院主・上勢頭同子(うえせどともこ)さん、高知との交流や地元の子どもたちの"心の先生"(その1で記した「大塚勝久写真集」に紹介されています)など実に幅広く活躍されていることを、婿たちが教えてくれました。 

高知に帰ってから、 

館長の上勢頭芳徳さんに教えていただいた「高知竹富会」の事務局(高知市上街2-2-3 ㈱鍛造連内TEL088-822-2470)に連絡を取り、長年事務局を担当されている六久保衣佐さんにお話を聞くことが出来ました。 

そのとき、「うつぐみは時を越えてー沖縄・竹富島と高知の絆ー」という本をいただきました。 


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 この本は、鍋島寿美枝さん(高知市生まれ、高知大学教育学部終了後、小学校教員として28年間勤務、第一回大原富枝賞受賞、日本児童文芸家協会会員)が、友人に誘われて竹富島に旅行した時、これらの話を聞いて感動して、書かれたものでした。 

鍋島寿美枝さんは、この本の巻末に「小さな竹富島にかかわって三年。この間に私の人生はずいぶん広がりました。多くの魅力的な方々に出会いました。」と記されています。 

挿絵は八百川久須子(やおかわ)さん(高知市生まれ、高知師範学校卒業、小学校教員として35年間勤務、高知県美術家協会会員)が担当されています。 

子どもにも読んでもらうために、実にやさしく表現されており、一気に読ませていただき、 

戦争末期の厳しい状況下でも、先にたつ人の考え方や行動によってこんなにも違いが出るものかと、痛感させられました。

 

もう直ぐ99歳になられるという大石喬さん(大石隊長)たちと住民の取り組みなどは、国の指導者の政治姿勢や経済的にも厳しい状況下にある高知県で、どのようにして活性化を図るのか!ヒントになるのではないかと思われました。 

沖縄・高知・東京を結ぶ うつぐみの会事務局を担当されている六久保衣佐さん、長時間に渡り丁寧にお話をしてくださいました。 

その中に、"竹富島には不登校の子どもは一人も居りません。島の全員が子どもにとっては先生ですから・・・歌や踊り、マナーなど教えます。高知の不登校の子どもなら全員引き受けますから、竹富島へよこして下さい。"といった話も出されましたと紹介されました。

 

  HN: 龍馬  (2008年11月28日 00:14)

HN:龍馬 さんの記事(その1)