石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

3世紀前半、最大規模の建物跡-奈良

2009-11-13 22:09:36 | 趣味
 本日の東京地方の天候は曇後雨でした。午前中は曇で14時ぐらいまでは、パラパラと雨が降る程度でしたが、その後、徐々に雨が降り始め、18時ぐらいになって本降りへと変わったようです。それにしても今日は寒かった。都心部の最高気温は13℃、最低気温は10℃。三多摩地域の最高気温は12℃、最低気温は9℃でした。明日はBBQの予定があるのですが、どうも雨天の中でと言う事になりそうです。しかし12時ぐらいに寒冷前線が通れば気温が上がり、急速に天気は回復するのではないかと淡い期待を持っています。ただ明日は最高気温が都心部で23℃の予報なので、今日よりは遙かに暖かい一日となると思われます。週間天気予報によれば明日と来週火曜日に雨マークがありますが、それ以外の日には晴れマークが付いています。

 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半の大型建物遺構を確認したと、同市教育委員会が10日発表した。女王卑弥呼が活躍していた時期と重なり、当時の建物としては国内最大規模という。市教委は「遺跡中枢部の居館域で、中心的な人物がいた建物」と説明している。
 邪馬台国の所在地は「畿内か」「九州か」で長年議論されてきた。卑弥呼の居館とみる専門家もおり、今回の確認は畿内説に大きな弾みをつけそうだ。
 市教委によると、大型建物は柱穴などから東西12.4メートル、南北19.2メートルと推定される。高床式で、東西いずれかが正面とみられる。纒向遺跡で大型建物跡が見つかったのは初めてで、出土した土器などから3世紀初頭から半ばごろまで存在した可能性が強いという。
 これまでの調査で、西隣には小規模な建物跡が3棟確認され、一部は柵で囲われていたことが分かっている。 

 邪馬台国の話題が出る度に、中国は偉大だなと毎度思います。
 邪馬台国の話が載っているのは、魏志倭人伝、中国では三国と呼ばれていた時代の事が書かれた魏書の一部だそうです。
 日本人が、中国の歴史の中でもっとも好きな時代が、この三国時代でしょう。この時代の物語が三国志演義で、正史は三国志、三国志は「魏書」「呉書」「蜀書」、通称は「魏志」「呉志」「蜀志」で、この魏志の中に東夷伝がある。
 Wikipediaには以下のように書かれている。
 倭人伝にえがかれた時代は、後漢の終わり頃から三国鼎立の時代。同時代の王沈の書『魏書』に東夷伝がなかったのにも関わらず、また『三国志』は中国の皇帝の歴史を書くべき史書なのに、陳寿の『魏志』倭人伝だけが約二千字という膨大な文字を使ってこと細かく邪馬台国のことを書いている。そこには、特別な政治的事情があった。また「倭人は鉄の鏃を使う」との記述がある。

 魏志倭人伝を残してくれた事はなにより尊敬に値するが、それよりも素晴らしいのは、西暦220年から280にすでに文字があって、正確にその時代の事を書き残そうとしていると言う事である。280年以後に書かれたとされており、西暦3世紀の事なのである。
 
 日本でのこの時代は、弥生時代から古墳時代へと移行する時期とされ、弥生人と縄文人の争いが、激化していた時代と考えられます。
 古墳時代の次がやっと大和朝廷が生まれる時代で、大和朝廷はやがて統一国家へと発展して行くわけですが、この時代はまだその礎が築かれはじめた頃合いです。
 日本のもっとも古い物語は古事記でその成立は700年代ですから、魏志が書かれた時代から実に400年近い時間が過ぎて後の事なのです。
 日本における文字は、それ以前、古墳時代には中国から導入されていたようです。

 邪馬台国が九州にあろうと近畿圏にあろうと構いませんが、その国があった場所が特定される事は喜ばしい事であると言えましょう。

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