通訳のひとりごと

フリー通訳のフリーな日記

通訳の存在意義

2010年08月03日 | Weblog
皆さんは、仕事や日常の場面で通訳を介して外国の方と話をしたことがおありでしょうか?ある方は、きっと通訳の「存在」なるものがいろいろな意味で気にかかったことと思います。

例えば、
・この通訳さん、すらすらと外国語を話せてすごいな
・本当に私の言っていることを正確に伝えてくれてるのかな
・本当はこんな知らない人を通じてでなく、直接、外国の方と話したいな
・通訳さん、自分出し過ぎ!ただ会話の仲介だけして、などなど。。。。

この中で、通訳として一番NGなのが、最後の「自分出し過ぎ」だと私は思います。
通訳は歌舞伎などの舞台でいうと「黒子」的存在。本当は存在しなくていいのだけど、言葉が通じないので必要とされる存在。

ですから、話者が「私は」と発言したら、通訳も「私は」と訳します。そこをあまり心得ていない通訳さんは「彼は・彼女は」と訳します。これは通訳が自分を「存在するもの」として出し過ぎている一例です。

会話の内容を正確に、分かりやすく、迅速に訳すという語学面でのクオリティーはもちろんのこと、クライアントに「またあの通訳さんにお願いしたいな」と思っていただけるのは、自分を出しすぎないで場の雰囲気を和ませてくれるような、そんな通訳じゃないかと思います。