通訳のひとりごと

フリー通訳のフリーな日記

葉隠れ通訳

2011年05月04日 | Weblog
「通訳は忍者である」。
最近読んだ英語通訳者の松本道弘氏の本「同時通訳」で見つけた言葉です。通訳はよくその役割から、歌舞伎などの「黒子」に喩えられますが、「忍者」というのはなるほど納得のいく比喩です。

著者によると、「通訳者という忍者が、表の世界のサムライと闘うには、サムライ以上のインテリジェンスが必要」だとか。
すなわち、通訳者は言葉だけを操っているのでなく、通訳するにあたって、対象の情報(インテリジェンス)を広範囲に調べ準備します。いわゆる諜報活動ですね。

また、「通訳者は透明人間。表の人間には見えない。しかし裏の人間からは表の人間がよく見える」とも。
通訳の準備をする時に、担当するテーマの専門用語・関連知識のみならず、話者のバックグラウンドもできるだけ調べ上げます。ですので、話者には通訳のことが分かりませんが、通訳からは話者のことがある程度分かっている状態で通訳に臨みます。

さらには、「忍者には『法』はない。しかし『掟』はある」と。
掟とは、例えばエージェントの頭越しにクライアントと直接仕事をしないということ。エージェントをすっ飛ばせば、そこで抜かれているマージン分を取り戻すことはできますが、それを行うと通訳業界の秩序が乱れ、さらには通訳サービスの安売り競争にも発展しかねず、結果的には通訳自身のマイナスになるということです。

通訳が忍者なら、この業界には女性が多いので、「くの一」が活躍する世界ですね。そして、話者に存在を感じさせず、その人になりきるための通訳訓練の極意は、さしずめ「忍法 葉隠れの術」の習得でしょうか。

「通訳学」というアプローチ

2011年04月04日 | Weblog
学生時代、勉強が苦手だったせいでしょうか。心の片隅にいつも「大学の先生が研究していることなんて崇高すぎて私の生活とは無関係なものだ」という気持ちがありました。

通訳の仕事でも、もちろん通訳養成学校で学んだことや、また現在講師として生徒さんと練習している「通訳訓練スキル」は多いに役だっていますが、こうして20年近く首も切られず通訳の仕事を続けて来られたのは、むしろ現場で多くの経験を積んできたからだと自負してきました。

でもその一方で、「自分の通訳のクオリティーは本当のところ、どれ程なのか?」ということを把握する基準がなく、モヤモヤした気持ちがいつも付きまとっていたのですが、最近ようやくそのモヤモヤを晴らせそうな出会いがありました。

ご縁があって関西でご自身も通訳もされながら大学で教鞭を取られている小西咲子さんのお話を聴く機会に恵まれたのです。その通訳養成における学術的なアプローチは、とても斬新で刺激的なものでした。

その後、通訳学に関する書籍に少し触れてみて、学術的なセオリーや手法が自分の現場における通訳クオリティー評価の指針の一つとして役立つのではないかと思いつきました。学術書というとどうしてもアレルギー反応を起こしてしまう私ですが、高い岩山をよじ登る覚悟でこれからも少しずつ読み進んでみようかと思っています。

通訳と翻訳

2010年11月29日 | Weblog
翻訳と通訳。よくごちゃ混ぜになりますが、業界では音声で他言語へ変換するのを「通訳」、文字で行うのを「翻訳」といいます。それだけの違いですが、実際やってみると勘どころが随分と違います。

私はずっと「通訳」を中心にやってきましたが、「通訳」の勘どころは何と言っても「迅速性」です。一方、翻訳は締め切りまでの時間内でじっくり校閲を加えながら文章を完成させていきます。

そこで通訳をやっている中で思うことは、ちゃんと相手には正確・迅速に伝わったけど、「もう少しあそこの文章はこうすれば良かったかなぁ~」ということです。
限られた時間内に正確に相手に伝えていかなければならないという通訳の使命の中で、ときどき荒削りな文章になってしまうことがあるのです。

『短い時間内でも完成された文章に訳せる』
これが通訳の目指すところですが、そのためには「翻訳」をもっとこなして行かなければならないのではないか…と考えていたところ、今年はその思いが天に通じたのか翻訳の依頼が多く舞い込んでくるようになりました。

「通訳」と「翻訳」は車の両輪のような関係だと思います。きちんとした翻訳ができてこそ完成度の高い通訳ができる。すらすらと通訳できる技能があってこそ締め切りに間に合うよう翻訳業務がこなせる。これからも両輪のバランスを上手くとって精進して行きたいものです。

通訳と時間の相関関係

2010年08月26日 | Weblog
通訳の仕事は集中力との勝負です。スピーカーの話す内容を理解し、記憶し、目標言語で表現する一連のプロセスは、集中が途切れると、理解できなかったり、途中で忘れてしまったり、訳出ミスをするなど失敗に繋がります。

ですので、長時間の仕事の場合は通訳が2人付くことがあります。(最近、予算がないところが多いので、少なくなりましたけど)その場合、2人で交替で通訳をおこなうのですが、自分が当番でないとき、すごく時間の流れが遅いように感じます。そして、2つの言語で同じ内容を聞くので疲れます。

一方、自分が通訳をしているとき、集中してますから時間があっという間に過ぎます。また、声をお腹の底から出して通訳しますので丹田に力が入って血行が良くなり、自然とテンションも高くなって気分も良くなります。

結果、集中力を維持するのは大変なものの、集中しているからこそ時間の流れを速く感じ、かつ、心身ともにプラスになっているのです。これを「ストレス」と感じてしまえば一転マイナス要因になるのですが、プラスの面を見ると、集中力をフル活用する通訳という仕事は、健康に良い職業なのではと思います。

通訳のココだけのホンネ♪

2010年08月12日 | Weblog
好きでなった通訳ですが、時々、「あ~っ。もう嫌だ!やめてしまいたい!」と思うことがあります。何故なら、いつも他人のことばかりを話すからです。(って、通訳ってそれが仕事でしょ?と言われればそれまでですケド)

思うように通訳が進まない時、自分の準備不足が原因なら自業自得ですが、中には何が言いたいのやら文意、文脈、ロジックが日本語でさえ意味不明のスピーカーがいます。

そんな時、「わたしゃ、あんたじゃないんだ!ちゃんと理解できるように話しくれ!!」と、お腹の中で怒りの炎がメラメラと燃えあがります。(でも、顔はできるだけ涼しげに自分の理解の範疇で通訳をしてます)

しかし、歯がゆい。他人の事をわが事のように理解して外国語にしていくのが通訳の使命ですが、しょせん、他人の事は「他人事」なのです。その人の人生、経験、考え方、性格までわかる筈がない。

うまく通訳ができるかどうか。その大部分はスピーカーの「話力」にかかっていると言っても過言ではありません。言葉は「垂れ流すもの」ではなく、「相手に伝えるもの」。
ですから、「いかに相手に正確に伝わるように話すか」を意識して話すことが重要です。

でも、それは意外と難しいことなのかも知れませんね。人間それぞれ生まれた環境・価値観も違いますし、正確に伝えているつもりでも、受け手が違う解釈をしているということもありますから。

ましてやそれが外国語ということになると、さらに意思疎通を阻む壁は高くなります。
通訳だなんて、もしかして私はとても恐ろしい所に身を置いているのかも知れません…。








通訳の存在意義

2010年08月03日 | Weblog
皆さんは、仕事や日常の場面で通訳を介して外国の方と話をしたことがおありでしょうか?ある方は、きっと通訳の「存在」なるものがいろいろな意味で気にかかったことと思います。

例えば、
・この通訳さん、すらすらと外国語を話せてすごいな
・本当に私の言っていることを正確に伝えてくれてるのかな
・本当はこんな知らない人を通じてでなく、直接、外国の方と話したいな
・通訳さん、自分出し過ぎ!ただ会話の仲介だけして、などなど。。。。

この中で、通訳として一番NGなのが、最後の「自分出し過ぎ」だと私は思います。
通訳は歌舞伎などの舞台でいうと「黒子」的存在。本当は存在しなくていいのだけど、言葉が通じないので必要とされる存在。

ですから、話者が「私は」と発言したら、通訳も「私は」と訳します。そこをあまり心得ていない通訳さんは「彼は・彼女は」と訳します。これは通訳が自分を「存在するもの」として出し過ぎている一例です。

会話の内容を正確に、分かりやすく、迅速に訳すという語学面でのクオリティーはもちろんのこと、クライアントに「またあの通訳さんにお願いしたいな」と思っていただけるのは、自分を出しすぎないで場の雰囲気を和ませてくれるような、そんな通訳じゃないかと思います。





通訳のミカタ

2010年07月15日 | Weblog
スペイン語は世界で話されている言語人口ランキングから見ると、第4位だそうです。
中国語、英語、ヒンディー語に次いで約4億人強の人々が母国語として使用しているそうです。

では、日本国内でのメジャー度はいかがなものでしょうか?
それは電子辞書の発売のタイミングを見ればわかります。もちろん、一番最初に電子辞書に載せられた外国語辞書は英語。スペイン語は7年ほど前にようやくシャープの電子辞書の「コンテンツカード」という形で発売されたのが最初だと記憶しています。

でも、私たち通訳にとってスペイン語辞典の入った電子辞書は救世主でした。
それまで、日西、西日とお弁当箱ほどの辞書を2冊ももって通訳現場に行っていたのです。それが、小型の軽い機械ひとつでOKとなった日にはいっぺんに肩こりが飛んでしまったほどです。

この電子辞書、どんどん進化しています。今、私が使っているのはCASIOのEx-wordですが、最新モデルでは経済ビジネス用語辞典まで入っているのです。




こうして大変便利な電子辞書ですが、簡単に単語がひける分、ついつい頼ってしまって単語が覚えられないということになります。これでは通訳として失格ですね。

なので、私は分からない単語があってもすぐに電子辞書をひかないようにしています。とりあえず、思い出す努力をする。う~んと考えても出てこない時は、その言葉を説明文としてスペイン語で思い浮かべる。実際、通訳の現場でも瞬時に単語が思い出せない時は説明的な語句に置き換えてその場を凌ぐこともあります。

それから、ようやく電子辞書を引く。
そうすれば、簡単に電子辞書に頼ってしまった時より単語の覚えが良いように思うのです。ただの気のせいかも知れませんが…。

通訳のカバン

2010年07月13日 | Weblog
通訳って、けっこう荷物がかさ張るのです。
その日の通訳のための資料、単語帳、辞書、通訳用ノート、ペットボトルetc…。
辞書はスペイン語でもようやく電子辞書がでましたので、ずいぶん楽になりましたが、以前は日西、西日とお弁当箱サイズの辞書を2冊も持ち歩いておりました。

ペットボトルは、お察しの通り喉を潤すためです。通訳は、しゃべってナンボですのでとても喉が渇きます。以前は、飲み物を出してくださる現場が多かったのですが、最近はどこでも経費削減ででないところもあるので持参してます。

あれこれと必要なものを入れると結構かさ張り、必然的に持ち歩くカバンはA4サイズで収納力優先、デザインは二の次となります。

それに通訳資料などは重さも半端でないので、私はずっとリュック派です。
でも、A4かつリュックとなると、どうしてもオジサマ用のビジネスリュックか、はたまた登山にでも行くの?タイプのリュックと、デザインがほんとうにトホホなものばかりなんですねぇ。

以前、やっと見つけたサザビーのリュックで収納力バツグン+デザインOKなのもすでに在庫切れで新しいのに買い替えられず、オジサマリュックで我慢してましたが、ようやく最近おしゃれリュックをGETしました。

下の写真のリュックですが、軽くて収納力もバツグン。それにまあまあオシャレでお気に入りのアイテムです。

緊張を強いられる通訳の現場ですが、お気に入りのカバンでちょっとお仕事に楽しみがプラスされました。




あなどるなかれ サイトラ

2010年05月21日 | Weblog
「サイトラ」…この言葉を聞いたことがあるでしょうか?
通訳訓練をされている方には馴染みの用語ですが、sight translationの略語で、外国語の文章を目で追いながら、即時にそれを他の言語(多くは日本語)に通訳していく訓練手法のことです。

私がUPしている『デイリー通訳訓練』サイトも、通訳能力向上をめざす参加者の皆さんと共に、このサイトラ訓練をおこなう素材を毎回掲載しています。

通訳というと、外国人が話した「音声」を日本語に「音声」で訳する(あるいはその反対)のプロセスのことをいいますが、目で見て、読んでみて理解できない単語や文章は音声で聞いても分かるはずがありません。ですので、「サイトラ」は通訳訓練の基本中のキホンと言っても過言ではないのです。

また、音声による通訳訓練(シャドウイング、リプロダクション)などはそれなりの訓練用の音声素材が必要なので、大ガカリでつい面倒になって続かないものですが、サイトラですとインターネットで外国語のニュースサイトや検索サイトから簡単に材料がゲットできるのでとっても簡単です。

ということで、サイトラ大好きな私は、ぜひ仲間を増やそうと日夜コツコツ練習素材を自分のホームページに掲載し続けているわけですが、なんと本日ようやく第100号を達成しました!(祝)

「どれどれ…」と思った方はブックマークをポチっとして覗いてみてね。





背中のバッグはナンデスカ?

2010年04月09日 | Weblog
今日も「和服」つながりで一筆。

外国の方の通訳をする中で、ときどき出会うシーンが茶道体験です。
茶道は日本文化を代表するものとして広く海外に知られていますので、歌舞伎、相撲などに並んで来日する外国人の「見てみたい」ベスト3に入っています。

お茶やお菓子のいただき方や、お点前の動作、お茶の道具などは外国人にはとても珍しいようですが、とりわけ奇妙(珍妙?)に見えるのがお点前をされている和服姿の女性のお太鼓帯です。

どうも外国の方にはお太鼓の帯はカバンに見えるらしく、「彼女が背中に担いでいるバッグには何が入っているのですか?」とよく尋ねられます。

和服の帯の結び方にはいろいろありますが、蝶々や花のような結び方は西洋のリボンに通じる装飾形式ですが、お太鼓結びはただ四角い布が折りたたまれているだけなので、「飾りでないのなら何か実用的なもの、う~ん、きっとバッグなんだろう。」という発想なのかも知れません。

私自身も和服を着るようになるまでは、お太鼓結びは今ひとつパッとしない地味な印象でしたが、このごろ「移動式の額縁」なのではと思うようになりました。

「移動式の額縁」とはヘンな日本語ですが、いわゆる絵画などの美術品を額に入れて壁に掛けておくのでなく、着物とコーディネートさせて外に持ち歩ける額縁のようなものがお太鼓結びなのではないでしょうか。

お値段も油絵の一枚や二枚、簡単に買えてしまえそうな高価な帯もありますし、十分に「美術品」としてのステータスが帯にはあります。(もちろん、私にはそんな高価なものは手が届きませんが…)

季節を先取りして、例えば、春先のまだ少し寒いときに桜の花が描かれた帯をお太鼓に結んで街を歩けば、それを見かけた人も「あぁ。もうじき桜が咲く季節だなぁ。」など心がウキウキしそうです。

桜が満開の今となっては、5月の菖蒲の花などの帯が粋なのかも知れません。
帯の絵柄にはそれぞれ季節があって、着る時期を間違えればとてもダサクなってしまうという危険をはらんだ奥深いアートの要素が帯にはあるようです。

こういう季節を愛でる感覚は、茶道体験の外国人にはなかなか伝わらないようです。
「背中のバッグはナンデスカ?」の問いに、今度は「移動式の額縁デス」と答えてみようかな。きっと、さらに混乱してしまうだけでしょうけど。


きものLife

和服でダイエット

2010年04月02日 | Weblog
通訳の仕事でお付き合いする相手はもちろん外国の方。私はスペイン語通訳ですので、スペインか中南米の人です。

この仕事を始めて分かったこと、それは言葉・文化・風習は違えども人間の喜怒哀楽はみな同じなんだなぁということです。

でも、長年やってますと感情は万国共通とはいえ反動がくるのでしょうか、最近、「和」にとても惹かれるようになり、オフの日は自宅で和服ですごすようになりました。

着物は紬がほとんどですが、きりりと帯をお太鼓に結んで、お香を焚きながらまったりと読書などをしていると心もカラダもリラックスできます。

ところが、最近、副次効果があらわれ始めました。
なんと体重が少しずつ減っていくではありませんか!さらに、ズンドウだった体にクビレらしきものがあらわれ出したではありませんか!!

「もしや、これは和服効果?」と、いろいろと心当たりを探ってみると次のことに気づきました。(あくまでも私見です)

・帯でお腹を締めているのでドカ食いができない。
・帯でお腹が温められるので脂肪が燃焼する。
・姿勢がよくなるので腹筋・背筋が鍛えられウエストが絞まる。
・和服だとゴロゴロ昼寝ができないので、そのかわりに家事をこなし運動になる。

その他にも、和服というと「きゅうくつ」というイメージがありますが、着なれると実はとてもラクで、「肩で着る」と言われる洋服と違って和服は帯が中心になりますので、特に肩まわりがラクで長年の肩こりも治ってきました。

最近、ひそかに和服ブームと言われていますが、明治維新以来ずっと西洋を見てきた日本人もふたたび「和」の良さに気付き始めたのかも知れません。

今度、通訳の現場に和服ででかけてみようかしら…


京都きもの市場

自由業に「期末」はカンケイない?

2010年03月31日 | Weblog
今日は3月31日。世の中の企業は「期末」で大きな区切りの日です。
でも、自由業の私には「期末」といえば「バーゲンセール」!ネットショッピングなどで「期末セール、○%OFF、送料無料!」などを見つけると要らない物でもつい右手が勝手にクリックしてしまいます。

とはいえ、期末はフリーの私にとってもまったく無関係ではありません。
通訳の需要も期末に向けて予算消化の関係で増加することが多く、今月までは怒涛のごとく仕事が来ました。でも、4月からは、クライアントの来年度予算の始動前で今のところ予定表は真っ白。5月ころからポツポツと増えていくのが例年の傾向です。

で、この機会に今年度を振り返ってみますと、仕事のオファーも順調にきましたが体力を過信して頑張りすぎ、途中でダウンしてしまってちょっとガッカリな一年でした。

企業にお勤めの方と違って月給もボーナスもないので、仕事のオファーが来たときに引き受けないと、その先の仕事をいつもらえるか分からないという不安からついつい無理をしてしまうのですね。

それでも若い時は体力で乗り越えられたのですが、だんだんそういう無茶もきかないトシになってきました。。。とほほ。

通訳には「定年」がないので、体力と知力と仕事のオファーが続く限りやっていけるのですが、一方で、退職金もないし厚生年金もありません。働けるうちに無駄遣いをせず貯金をしないと、おこずかい程度の国民年金だけでは老後は厳しそうです。でも、この無駄遣い…してしまうんですねぇ~。

これから通訳をめざす方。どうぞ、老後も視野にいれた長~いビジョンで通訳という職業(フリーランス)を選択するかどうか考えてくださいね。。


メニエール病??

2009年11月17日 | Weblog
今年は波はありましたが、結構順調に仕事も入って、ちょっとリッチにお正月が迎えられるかと喜んでいたら人生はそう単純ではなさそうです。

あと1週間でハードな通訳の仕事も終わろうとしていた時、突然、片耳が聞こえなくなり、そうこうしているうちに世界がグルグルを回り出したではありませんか。

ひどい眩暈と吐き気で仕事どころではなくなり、急きょ他の通訳さんと交代の羽目に。

病院に行くと「メニエール病ですね」と言われました。初耳のこの病気をネットで調べるとなんだか大変そう。突然、眩暈に襲われると、もうどうしようもなくなって、このような事が頻繁に起こるようだと今後の仕事も不安になります。

今は薬で落ち着いているものの、吐き気と眩暈の辛さはもうゴメンです。
ストレスが主な原因だそうですが、仕事でストレスを感じないようなそんな悟りの境地の自分になればいいのかなぁ。

人に何を言われても動じず、仕事がどんなに大変でもエンジョイしちゃうような、そんな自分にはなかなかなれそうにありません。

嫌なことは意識した段階で顕在化するということをどこかの本で読んだことがありますが、どうしても意識しちゃうんですよね。

良いことだけを意識し顕在化させるとハッピーライフなんでしょう、ね。
きっと。

自由か 安定か

2009年09月09日 | Weblog
通訳になって良かったと思うこと。
それはいつも仕事の終りが見えていること。
辛い現場でも、「あと2日で終わる」とか思えば乗り越えられます。
それからいろんな事が学べます。
毎回テーマが変わるので、通訳の準備段階や現場での通訳を通じて
見識が広がります。
それにいろんな所に行けます。
それは一般人としては立ち入れないような所とか、海外とか。

OL時代の方が良かったなと思うこと。
それは何といっても安定した収入です。ボーナスもあったし。
通訳のお仕事は依頼があっても実際その日になるまで確定ではありません。
昨日も10月から2ヶ月間の入っていた仕事がキャンセルになりました。
今年も無事にお正月が迎えられると思っていたのに・・・がっかりです。

自由を取るか、安定を取るか。
人生の選択には「両方」というのはないようです。


遥かなるグアテマラ

2009年09月02日 | Weblog
月日の流れるのは早いもの。それも年齢とともに加速度が増していくようです。
前回のブログから3カ月近くも過ぎてしまいました。その間、翻訳や通訳の仕事、そして家事に追われ…、気がつけば、「えっ?もう9月?」
でも、仕事があるということは有難いことです。私のようなフリーランスの場合、仕事が途切れたりすると世の中から置き去りにされたような不安と寂寥感に襲われ、精神的にもよくありません。

7~8月は久しぶりに通訳の仕事でグアテマラに滞在していました。オフの日には世界遺産にもなっているアンティグア、そしてアティトラン湖を訪れしばしのリフレッシュ。通訳に没頭している時間は外国にいてもさほど感慨はないのですが、週末の散策では異国情緒を満喫することができます。グアテマラの風景、人々、食事、などなど。 貧困、犯罪、自然災害など抱える社会問題も多い国ですが、それらを含めすべてを肌で感じられる瞬間です。

それにしても海外での仕事もだんだんキツく感じるようになってきましたねぇ~。グアテマラは中米にありますので、日本からは16時間くらいのフライトです。南米への出張に比べるとずっと近いのですが、それでもだんだん遠く感じるようになってきました。
あぁ、遥かなるグアテマラ…です。