東京医大被害者遺族ネット

東京医科大学病院で医療被害を受けた患者・遺族の情報交換と相互理解を目的とする任意団体です

ついに給与を差し押さえた! (シリーズ28)

2011-12-06 12:00:00 | 寄稿
当サイトに寄稿して頂いている「もとくんのお父さん」の「シリーズ28」(下記↓黒字文 )です。尚、この事件は東京医大の医療事故ではありません。

自分の事ばかり考え、被害者を騙して逃げ回る医師。被害者遺族の思いや心の痛みを踏みにじる医師。彼の行動は裁判で負けてからの行動に限った話ではありません。事故発生後の隠蔽工作、開き直り、公判での虚偽証言・・一事が万事なのです。
世の中には起こしてしまった医療事故で被害者や遺族と向き合い、共に悔やみ、自ら反省する医師もいるのに、彼のように誠意を欠く一部の医師が医療の信頼やイメージを損ねてしまいます。
人の命を預かり、高学歴で社会的にも信頼される立場にあるからこそ、社会性、人間性の欠如が厳しく問われるのです。先ずは被害者・遺族と真摯に向き合うべきでしょう。その機を逃すと関係修復は難しくなります。

勤務先で給与差し押さえになったらどうしますか?
30万人にも満たない、免許提示を求められる狭い医師の世界で、且つこれだけネットが普及した社会で隠れて医療行為ができますか?
それでは医師を辞めて何が出来ますか?新たに何を生業に出来ますか?


[emoji:e-36]参照 「もとくんのお父さん」のホームページhttp://www.geocities.jp/mhr3129/

[emoji:e-258]http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231282667


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「ついに給与を差し押さえた!」


被告の勤務先が判明したので、私は即、弁護士に給与の差し押えを指示した。 それから数日後、被告の元院長が、「給与を差し押さえられると勤務を継続できなくなるので(差し押えを)取り下げて欲しい。 その代り、今後、毎月15万円から20万円は支払う。 もし、差し押さえを取り下げなかったら退職して、また他の所に転職するしかない」と言ってきたと弁護士から聞いた。

私はもう、呆れてものが言えなかった。 判決後、被告の元院長からは謝罪の一言もなく、賠償金さえ支払わずにずっと無視していたので、半ば強制的に弁護士事務所に呼出し、話し合いの結果、最後は握手までして、「今は賠償金を一括で支払えないので、これから毎月30万円ずつお支払いさせてください」と念書まで書いてきたので、最後のチャンスを与えたのに、その約束も最初の数か月で破って逃亡した卑劣な元院長。 そして、秘かに転居し、職場を変えて潜んでいたところを1年がかりでようやく見つけたら、今度はまた「毎月15万円~20万円支払ってやるから差し押さえを取り下げろ。 さもないと、また転職(逃亡)するぞ!」と言わんばかりの高飛車な返答をしてきた被告の元院長。 もう誰がこんな卑怯で卑劣な人間を信じるであろうか? 私は弁護士に「もう、奴が何を言ってこようが完全無視し、差し押さえを続けるように」と指示した。 被告の元院長は、その後も弁護士に同じ内容を懇願してきたようだが、私は(これまで奴が私にやってきたように)完全無視してやった。 「お前、いい度胸しとるやんかい。 また逃げるなら逃げてみろや! どこまで逃げても、俺は必ずお前の居場所を見つけ出し、徹底的に追い詰めてやるぜ! それより、お前の悪い噂はかなり広がっているらしいから、お前が転職して入れる病院は、もう他にないんじゃないのか? 自業自得だな!」 私は、私の意識の中の被告の顔を素手でぶちのめしながら、何度も何度も繰り返していた。

今回は、たまたま私のホームページに立ち寄り、ご同感頂いた方からの情報から被告の院長の勤務先等が判明し、彼を追い込み、給与の差し押さえをすることができた。 もし、インターネットが未だ現在のように普及していなかった10年前であったならば、このように被告の逃亡先を容易に知ることはできなかったであろう。 そういえば、尖閣諸島の中国船衝突事件にしても、九州電力のやらせメール事件にしても、インターネットがここまで普及したからこそ、事件の真実が明らかになったのである。 ならば、これまで悪事を隠してきた人達は覚悟した方が良い。 何故ならば、どんなに隠してみたところで、神様はちゃんと知っている。 いや、誰かが必ず現場を見ている。 そして、いつか必ず真実が公表され、その隠し続けてきた人達の家庭や人生は一瞬にして奈落の底に堕ちるだろう。 たとえ死ぬまでその悪事を隠しきれたとしても、その人達は死の直前まで真実の公表に怯え、苦しみ続けなければならないだろう。 そして、もし、死後の世界があったならば、もっと悲惨な苦しい目に遭うだろう。

もちろん、死後の世界が在るのか無いのかは分からない。 しかし、「霊魂の存在なんて、科学や数式で実証されていないから、単なる迷信にすぎない」と言われる方に、私は「では、実際に存在している私のこの意識や心を、科学や数式で証明してください」と言いたい。 つまり、「目に見えるもの、手に触れられるもの」以外に、幸せや悲しみを与え、または受け取ることができる非物理的、非科学的な不思議な力を人間は持っていることは確かなのである。 しかし、ここでその存在の有無をいくら議論しても意味が無いと私は思う。 何故ならば、その答えは、みな平等に「死」という必然性によって、いつか必ず明確になるからである。

もとくんの父(非会員)

http://www.geocities.jp/mhr3129/