十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

澤木興道老師の言葉2

2008年11月15日 | 佛教

 tenjin95師は破戒僧でも布施の対象、在家が僧侶を差別すべきでないとの主張でした。


 しかし、破戒僧っていかなる者か考えてみると・・・。
 帰依すべき三宝、つまり仏法僧の僧とは本来サンガのことであり和合衆といい仏教の教団を指す。後世、中国や日本で教団に属する出家者を僧と呼ぶようになったのである。
 破戒僧というのは煩悩に負けて罪を犯しサンガの秩序を乱す者で、罪状深き者はサンガ追放となるのである。

 道元禅師や夢窓国師のような厳しい人の下に破戒僧なんているわけはないのである。たとえ在家に対して破戒僧であれ布施すべしとの教えがあったとて、僧に対しては布施を好きに受け取っていいとは決して言われない。己の徳行が布施を受けるに相応しいかの反省を求められるはずのものなのである。


 在家が僧を批判するのが相応しくないということなら、師家であった澤木興道老師に登場いただこうと思う。


 『禅に聞け』(内山興正聞き書き、櫛谷宗則編 大法輪閣)より澤木老師の僧侶批判の言葉を紹介する。


 大谷句仏は大正時代、芸者に一万円のポチをやったというので有名だった。それでいて「モッタイナヤ祖師は紙衣(カミコ)の九十年」(紙衣とは紙でつくった衣服)という句をつくった。句はいいが、一万円のポチを芸者にやる人間のつくる句か。
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 金閣寺でも法隆寺の金堂でも、みんな坊主が修行するためにあるのじゃない。ただ坊主が遊んで食えるというだけの話じゃ。
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 明治初年に法隆寺の五重塔は五十円で売りに出たが、とうとう買手がつかなかった。興福寺の五重塔は三十円で買手がついたが、その買手は、下から火をつけて焼いてしもうて、金具だけとろうと言う。-「そんなこと、してもろたら奈良の街が危い」と言うんで、「そんならションペンじゃい」と言うて、今にのこっているんじゃ。
 だいたいあんなものは相場が変わるんじゃ。そんな相場の変わるものなんか、どうせ大したことはないんじゃ。 - そんなものあってものうてもいいんじゃ。
 それより大切なものがある。坐禅こそ大切なんじゃ。
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 住持とは元来、仏法に住し、仏法を任持してゆくということ、つまり仏法をうけたもってゆくことであった。ところが今の住持ときたら、寺にかじりついて食ってゆくこと--お寺に住し、自分の生活を保持してゆくということだけになってしもうた。
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 金をためねばならぬような坊さんは不徳あることは言うまでもない。昔、武田信玄の時は「城は人なり」と言うて、人民を大切にして城を築かなかったが、隣国からおかされることはなかった。
 勝頼の代には立派な城を築いたが、かえって信長から亡ぼされてしもうた。坊主が金をためねばならぬようになったら、それだけ欠点がわが身のうちにあるからじゃ。
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 坊主は金のないのが自慢である。良寛さんが死んだ時、金をためておったというウワサがある。それに対して「そんなことはない。死んだ時の帳面にも、これこの通り」と言う人がある。
これは良寛さんを庇った言葉である。してみればやはり坊主に金のあるのは恥なんじゃ。 
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 良寛さんが亡くなって金を遺したかどうか、- やはり何も遺していなかったというのでホッとする。
 ところが娑婆の奴はそうは思わぬ。そこで出家者と娑婆の考えが正反対であることが、ようわかる。
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 どんなプロから見ても「見劣りせぬ」のが出家者であらねばならぬ。しかるにブルぶろうとする坊主や寺の嬶のあるのは、これまたどういうわけか。
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 今の坊さんのは出家ではない。ワラ小屋から瓦小屋に家移りするだけだ。菓子屋の息子が火葬場のオッチャンに商売替えするのと同じじゃ。
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 お授戒の戒師さんにでもなると、いちいちお袈裟を着かえるので「坊さんと芸者とあんまり違わんですな」と言うた人がある。いやウッカリすると坊主自身すっかりそのつもりになってしまっておる。
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 出家とは「大なる放棄」である。グループ呆けの放棄じゃ、--今の坊主は拾うておるからダメなんじゃ。
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 猫でもうまいもの食わしておけば鼠をとらぬようになる。犬でもあんまりかわいがられた奴は番もせぬ。人間だって金もってヌクヌクしておれば働きもできぬようになる。
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 徳川三百年、徳川政策は坊主を飽食暖衣させて飼いならしてきたので、イノシシがブタになったみたいに、すっかり骨抜きになり、牙もなければ爪もないようなものができあがってしまった。
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 徳川時代、仏教者はまったく徳川政策の手先となって満足し、自ら宗教者という感覚がなかったのが、こんにち仏法の衰亡する原因となった。
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 徳川時代の仏教は、宗教に似た役人であったから、明治の廃仏毀釈に遭うて仏教がいっぺんにダメになったのである。
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 今の坊主が坊主の服装を恥ずかしがるのは、明治のころの廃仏毀釈に敗けてヒガンデいる姿だ。- そんなヒガンダ姿を、世間の人も、バカにしておる。
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 今の坊主は敗け戦さしておる。ナギナタをさかさまに持って、ヒョロヒョロと逃げてゆく姿じゃ
 落武者や鳴子の音も身にこたえ
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 今の坊さんは坊さんであることを卑下しとる。なるたけ坊主と思われたくないと思うてコロモやケサさえも、商売以外の時にはつけない。--だが坊主以外には食えん。- そこに往復のナヤミがある。
 カトリックの神父さんは法衣をいつも着ている。これを着ることに誇りをもっているので、これまた是か非か。
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 商売でなく坊主をしているということは容易ではない。ふつう坊主は商売とどこでやらツギメなしになっておるが、商売としたら坊主ぐらいパカバカしいことはない。人間は本来のネライに向かって勇敢に進まねばならぬ。仏教者としての人生観をハツキリしておかねはならぬ。
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 社会はみな日々試験しておる。それを一生落第せんようにしなくてはならぬ。それが第一「度衆生の心」じゃ。
一度でもムカッ腹たてれば衆生はよりつかぬ。一度でも欲深おこせば衆生ははなれる。その点、社会意識というものが、よおく頭に入っておらねばならぬ。

コメント
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