「井の中の蛙、大海を知らず」

ガンボチローズリーダー、アラヤのブログ。知名度はそこそこあるが、ライブに人が来ないのが悩みの種。

異色のカントリー歌手「チャーリー・プライド」

2016-11-11 01:25:59 | 日記
古い音楽話を中心に、私アラヤが好き勝手に綴るこのブログ。

まあ、自分のストレス発散だったり、自己満足的な要素が大きいですが(笑)
しばら〜く、サボってたんで(笑)
またチョコチョコと、つたない話題でも出していこうかな?と思います。

いつもの様に長いんで、おヒマな時にでも(笑)お付き合いの程、よろしくお願い致します。

今回のテーマはこれ。
カントリー歌手、チャーリー・プライドについての、個人的な想いなどを、、、



チャーリー・プライド

こういう音楽を好まない方々にとっては、サッパリ馴染みが無いと思われるが、
実は、本国アメリカでは’60年代から、ビルボードNo.1を30曲以上!!
大ヒットを飛ばした、音楽業界ではかなり成功した部類の人。

こんだけ売れりゃあ、カントリーだけでなくポップスやロック等、いろんな音楽に影響を与えるんだけど。

実際、僕自身がチャーリー・プライドを知ったのは、
ダグ・サームという、メキシコ土着の音楽やアメリカ南部の音楽を、ゴチャ混ぜにして最高な音を奏でる、イカしたテキサス野郎がチャーリー・プライドの曲をカヴァーしてたから。

ダグ・サーム
ダグ・サームという人も、いつかブログで取り上げたいくらい、色々な音楽の要素が入り混じった、一筋縄ではいかない人。

んで、チャーリー・プライド(早くも話が脱線 笑)

1番上の写真を見て「アレ?」って思う方々もいらっしゃると思う。
そうなんです。今だに、保守的な傾向にある米国カントリー業界において、唯一成功した黒人歌手なのです。

簡単に経歴を追ってみると、

1938年(昭和13年)、ミシシッピ州スレッジ出身とある。

うーむ、ミシシッピ州。
まあ、いわゆるディープサウスと呼ばれる、南部の中でもキッツい土地。しかも'30年代なら、kkkとかも暗躍してる、まだまだ差別が強い時代。

そんな幼少時代。周りに散々溢れていたであろうブルース等の黒人音楽を聴かずに、カントリー専門のラジオ局、グランド・オール・オプリなんかを愛聴して育つ。

まあこれは、ジャズやブルースで歌われてるような、俗的な文化を嫌った、厳格な父親の影響もあるようだけどね。

でも、こういう話。よく聞くけど、僕はいつも面白いなぁと思う。

黒人のチャーリー・プライドやレイ・チャールズなんかも、少年時代から白人カントリー音楽を聴き込んで自分自身の糧にしてる中で、
エルビス・プレスリーやジョニー・キャッシュ等の白人達は幼い時から、ブルースやゴスペル等の黒人音楽を自分の血と肉にしてる。

結果、どちらもジャンルを超えた音楽として、後に皆んなから愛されるミュージシャンになるんだからね。

そんな幼少期を経て、生活の為に働き始めるチャーリー青年。
苦労しながら、様々な仕事を転々としては挫折して、ナッシュビルに移り歌手活動を細々とスタート。
そこで作ったデモテープが、とある大物人物の耳に届く。

その大物人物こそ!
RCAレコードという、当時のアメリカ全国区の巨大レーベルで、プロデューサー兼ギタリストとして活躍する、チェット・アトキンスという人物。
今でこそ、スーパーギタリストとしての認識が強いが、

僕自身は、プロデューサーとして手掛けたアーティストの曲だったり、ヒットシングルの曲で裏方として、センスを発揮するチェットが大好きなんです。
(いや、ギタリストとしても勿論好きなんですが)

もっと言ってしまえば、メンフィスの地方レーベルだったサンレコードから、全国区のRCAレコードに電撃移籍したエルビス・プレスリーの件だって、
舞台裏では、チェットの画策や采配が絶対あったはず。実際、エルビスの移籍第一弾シングル「ハートブレイク・ホテル」のギタリストはチェットだったし。

はい、また話は脱線(笑)

チャーリー青年のデモテープを聴いて、
「素敵やん、、?泣けるやん、、?」と、紳○風にチェットが言ったかどうかはさておき、すぐさまRCAレコードと契約。が!ここで大問題!

「君、黒人だったの!?」

音楽業界の中での差別、特に先程名前を挙げたような、エルビスやチェット等のミュージシャン達は
「良い物は良い!色で決めるのはナンセンス!」と、決して人種に対して偏見や差別は無かった。

でも実際、商売として音楽を売る場合になると、話は別。しかも時代は’60年代。公民権運動真っ只中

音楽業界に差別は無いと言ったが、プロモーターやレコード会社の一社員には、偏見を持つ人間も少なからず居ただろうし(実際、レイ・チャールズは地元ジョージア州のライブは、’80年代まで禁止だった)

今でもカントリーチャート、R&Bチャートと明確にカテゴリされてしまってる中で、当時はもっと風当たりの強かったこの時代のミュージシャン達は、本当に大変だったと思う。

さて、どうやって売ろうかと頭を悩ませた、プロデューサーのチェット・アトキンス。
結果、デビュー曲は一切人種を隠しての慎重な方針で、音源のみラジオ局で流すという異例の売り方。
それでも、デビュー曲がいきなりの大ヒット!!

でもこれは「良い物は良い」と、確信してたチェットのプロデューサー感覚と、
何より!名の知られてない匿名の新人であっても、人々を魅力するチャーリー・プライドの才能があってこその話。

それでも、その後もテレビ出演やライブといった活躍は行わず、やっとテレビ出演するようになったのは、’70年代手前くらいから。

僕の所有してる「ジョニー・キャッシュ TVショー」という、’69年〜’71年まで放送してた音楽番組に、1曲だけチャーリー・プライドが歌う映像が残されてる。


うまくリンク貼れるかな?

Charley Pride - "Able Bodied Man"

ここでは、プライズマンという堅実な演奏力で定評のある、チャーリー自身のバックバンドを従えて、
チャーリー・プライドの人柄がにじみ出たような普段の労働者の生活の歌を、飾らずにシンプルに歌っている。

この映像にはカットされてしまってるが、大歓声の中。歌い終わって、ホッとしたチャーリーがバンドの方を向き、
バンドマン達もチャーリーに微笑み返す、というシーンがあってね。

いや〜、いいですねぇ(笑)バンドはこうでなきゃね(笑)

と、長々と書いたが(汗)、最後に歌詞の一部を。



ミズーリ行きのバス停から電話してる

ホントは一緒に連れて行きたかったけど

送った封筒に少しだけど、お金を入れたよ

こんなに早く職を失うなんて、二人の計画を変えなきゃね

でも今度はきっと大丈夫さ、うまくいったらまた電話するよ

身体つきの丈夫な男を探してるらしいから



人種や文化、宗教の壁を越えて、その後も皆に愛され続けたチャーリー・プライドも今年78歳。

今も、まだまだ現役で歌い続けてます。

僕は文学的でもない、難解でもない、恨み節でもない、
カッコつけない、シンプルな言葉とメロディの労働者の歌が大好きなのです。

カントリーとは、そういう音楽。みなさんも機会があれば是非、触れてみては如何でしょう?

長々とお付き合い、ありがとうございました。