ピアノのサークルに入って2月でまる一年になる。
あっという間の一年だった。
一昨年の夏、娘のピアノの先生をネットで探していた時に偶然に検索にかかりこのサークルの存在を知り、何故だかわからないが、HPや主宰者さんの持つ雰囲気に妙に惹かれて、四半世紀の間ピアノに触れることがなかったのに「絶対ここに入る!」と思いたったのだった。
その時はまだメンバーが5人ほどで、まだまだ入りやすそうな感じがしたし、人数が少ない事もあって「大募集!」といった感じであった。
「ここに入る!」はいいのだが、何しろピアノを弾いていなかったので、指が動かない。
決心をしたその日から、毎日毎日、ピアノに向かう日が続いた。
たどたどしくはあったのだが、とにかくがむしゃらに練習した。
そんなにたやすく指が動くようになるわけではなかったが、早くお仲間に入りたかった私は数ヵ月後には主宰者さんにメールをして、翌年の2月が最初の練習会の参加となった。
知らなかったのだが、その時にはメンバーがすでに倍以上に増えていて、かなり本格的な腕前の方が多数入会されていたのであった。
おまけに私はママさんサークルと思っていたら、意外なことにママさんは少数派なくらいであった。
そして運命の2月のある土曜日の午後、少し遅れて会場に着いた私はドアの向こうから漏れてくるショパンの「スケルツォ2番」に頭が真っ白になっていた。
「…。」
会場に入った後もショパンのソナタやら英雄ポロネーズやらリストの超絶や何やらと次々と大曲が流れ、私は心の中でオロオロと10も100も言い訳を考えるという大ピンチを迎えることになったのであった。
「ひょっとして場違い?」
でも、まぁ、今になったらその時に入り口で回れ右して帰らずに良かったとは思うが、その日の私のお粗末な演奏を振り返ると一人苦笑いするというか、今でもちょっとブルーにはなるのであった。
あっという間の一年だった。
一昨年の夏、娘のピアノの先生をネットで探していた時に偶然に検索にかかりこのサークルの存在を知り、何故だかわからないが、HPや主宰者さんの持つ雰囲気に妙に惹かれて、四半世紀の間ピアノに触れることがなかったのに「絶対ここに入る!」と思いたったのだった。
その時はまだメンバーが5人ほどで、まだまだ入りやすそうな感じがしたし、人数が少ない事もあって「大募集!」といった感じであった。
「ここに入る!」はいいのだが、何しろピアノを弾いていなかったので、指が動かない。
決心をしたその日から、毎日毎日、ピアノに向かう日が続いた。
たどたどしくはあったのだが、とにかくがむしゃらに練習した。
そんなにたやすく指が動くようになるわけではなかったが、早くお仲間に入りたかった私は数ヵ月後には主宰者さんにメールをして、翌年の2月が最初の練習会の参加となった。
知らなかったのだが、その時にはメンバーがすでに倍以上に増えていて、かなり本格的な腕前の方が多数入会されていたのであった。
おまけに私はママさんサークルと思っていたら、意外なことにママさんは少数派なくらいであった。
そして運命の2月のある土曜日の午後、少し遅れて会場に着いた私はドアの向こうから漏れてくるショパンの「スケルツォ2番」に頭が真っ白になっていた。
「…。」
会場に入った後もショパンのソナタやら英雄ポロネーズやらリストの超絶や何やらと次々と大曲が流れ、私は心の中でオロオロと10も100も言い訳を考えるという大ピンチを迎えることになったのであった。
「ひょっとして場違い?」
でも、まぁ、今になったらその時に入り口で回れ右して帰らずに良かったとは思うが、その日の私のお粗末な演奏を振り返ると一人苦笑いするというか、今でもちょっとブルーにはなるのであった。