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台湾の友人のベトナム工場について

2006年05月15日 | アパレル放談
アパレル生産の海外依存の現状は、一部の商品の国内回帰は期待できるものの、空洞化はいまさら避けられない状態となっています。。

その海外依存の中心が80%中国となっていますが、これも急激に低下するとは思えませんが、ここにきて、為替の問題、中国の人件費や諸物価の値上がりなどの問題が懸念されます。
またヨーロッパやアメリカのへのシフトチェンジは中国の有力メーカーや日系の商社、日系工場でも散見されます。
中国の国内事情や国際情勢も少しづつ変化が出つつあります。

緊急を要する問題ではなく、過剰反応をする事は得策ではないかも知れませんが、ポスト中国といった大掛かりでは無くても、何らかの対応はしておく必要はあると思います。

リスク管理の面からも、リスク分散の対応をしておく必要があると思います。

この点、昔から華人はリスクを分散化したり、リスク管理能力に先天的に長けていると言われています。

私の台湾の友人のK氏のベトナムの工場進出の経緯を見ていると、このことがよく理解できます。
私と台湾のK氏との付き合いはもう15年以上になります。
私の前にいたアパレルの会社のお得意様でした。

K氏は私より10歳若く52歳だと記憶しています。

26歳のときに独立し、日系百貨店中心にハイミセスの自社ブランドを20店舗ほど展開しています。

台湾は日本のような卸型のアパレルは少なく、製造小売型のSPAが大半です。
K氏の会社も製造小売型のSPAです。
全ての商品は自社の企画⇒製造⇒小売です。

自社ブランド以外に、私が前に在籍していた会社のブランドを、台湾の日系百貨店の中でインショップ展開してくれていました。

日本のショップと同じスタイルで展開し、日本上代の1.5倍以上の価格で販売していました。
売上も順調でワールド、レリアン、ヒロココシノ等の日本の有力ブランドと遜色なく15年以上の長い間、頑張ってくれていました。

K氏とは家族同士の付き合いです。
昨年の夏に家族旅行で台湾に行った時に大変お世話になりました。

私が彼に日本のアパレルの経験を教え、K氏からは若くして独立し成功した華人の経営術を頂戴するという、所謂ハーフ&ハーフのお付き合いの関係でした。
正確には、私の日本人的考え方とK氏の華人的な考え方を、お互いに交流しあい、影響しあっているということになると思います。
(K氏を華人と呼ぶのは適当ではないかも知れません。台湾人と呼ぶべきだとは思いますが、広い意味で華人と使いました。問題あれば、私の浅学とご容赦ください・・・)

10年程前に多くの台湾のメーカーが中国進出を挙ってしたときに、K氏も中国生産に興味を持っていました。

自社のブランドの生産が台湾では価格的に難しくなり、中国生産を計画していました。

再々上海に出張して、現地事務所を設立するところまでいっていました。

ところが上海での工場を取り止めて、急遽ベトナムに工場を作ることに計画変更しました。

その理由は多くは語りませんが、彼独特の直感だったようです。

K氏は他の台湾人が多く進出している福建省ではなく、上海へ計画していましたが、現地の上海で自分とフィーリングが会うパートナーが見つからなかったようです。

彼もやはり信頼できるローカルのパートナーが重要視しています。
共通の言語をもったK氏でも、ローカルのパートナーを重要視していることで、パートナーの重要性を再認識しました。

K氏はベトナムホーチミンで工場設立をし、その商品を台湾の百貨店の自営のインショップで販売をすることを考えました。

それからK氏のベトナム出張が多くなりました。

遠くて不便でその上、上海なら言葉が通じるのに、言葉の通じないベトナムなのかという認識でした。

K氏のベトナム事情は次回に・・・








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