ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

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2017年07月15日 | がんばれデジタル侍
しばらくぶりに「ほっとかれても楽しい」遊びを見つけてしまったので
格闘中です。


家入一真さんの本「さよならインターネット」
で同意する部分は幾つかありました。
例えば、「見たくない情報が流れてくる」こと。
あなたの好きなその漫画、私も好きでないとダメ?
なんてね。
(ブロックはしたくなく、ミュートはその人を消すことに。
RTを非表示にしてもいつ誰が何を流してくるかまで予測できない)

で、その反面「全くつながらない種族がいる」こと。
それから、アカウント凍結などで何人もいなくなっても
「あ〜そう」で終わったりすること。
なにそれ。ゴーストみたいな人が大量に消えた、のなら
その数をカウントして自慢していた人らは…何。

合わないなと思ったのはやはり
「ネットで成功体験」の人が、リアルではぼっちからスタートしているところでした。
別にその古い言葉でいう「リア充」ではない、正真正銘のオタクですが
ネットの無い時代、同人誌即売会をメインにして多くの人(そりゃあネットほどの数はありませんが)
と話したりしてた自分は
「誰かと付き合うのは自分の肥やし、不要な人はガンガン切り捨てろ」というさらっとした砂漠のような関係
しかも「数字」メイン、相手はオブジェクト見たいな考え方は、
「ネットとはそういうものでそうしなきゃダメなのか」と思いながらも
どこか違和感は抱えていたと思います。
「これならまだ、即売会で知り合った人と掲示板でチャットしてた時の方が良かった」
と思ったこともあります。

つまり「リアルで知り会ってネットでオン会」だった私
彼らは「ネットで知りあってオフ会」がメインなのだから真逆です。

そして結局、新しいやり方や構造、人間構築の方法がメインになっていき

いつぞや「SNSのせいで同人誌をやめました」ってブログが話題になったように
もともとオフラインでうまくやれていた人は、オンでもオフでもうまくやれなくなってしまったし
オンラインでうまくやっていたと思っていた人も、実はそんな上手くいかないと思った
…もしそうなら、ある程度の確率で

「つながらなきゃダメ、アピールしなきゃ自分は消える」と脅迫めいたものにつつかれながら
でもやっぱり自分なんか、と冷たい空気を吸った方、いたのでははないでしょうか。


古参のやり方であるそれに固執するのは時代遅れかもしれません。
でも、アナログ盤レコードのように、古い方法は
それが「間違いだったから悔い改めるべき」ものかどうかはわかりません。


そこで、一致するのは
「熱が一段落した時」「新たな方法を模索」すると言うことです。
寂しさと否定ばかりもたらすものが関係であるはずがないし
行き場の無さから自分をカッコよく見せるために、批判や監視をするもんでもなかろうし。

私はIT企業家ではないのだけど、
「かなり楽しくやれて、より自分で納得できる活動」を
個人サイト再考から探しているのは確かです。
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