いけふくろう通信(発行人=ムッシュ)

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乘富秀人氏『「音のない青の世界」デフアート展』(いけふくろう通信第485号)

2008-01-30 22:41:35 | イベント・お祭
今号は、東京サンケイビルで開催された
乘富秀人(のりとみ・ひでと)さんの個展
『「音のない青の世界」デフアート展』を紹介します。

乘富秀人(のりとみ・ひでと)さんは、デフアーティストで、
これまでに何度となく個展を開催。

今回は、ビルの地下一階の通路にある場所での開催となり、
開放的なスペースでの開催となった。



それでは、個展の様子を紹介する。



「手話を奪われても
  手話の心まで奪われることはない」

それは聞こえない自分が自分らしくありたいという魂の叫びです。




「自由に羽ばたかせて」

手話は一瞬も一生も輝いていたいからです。




「ろうの姉妹」

ド・レペ神父(1712-1789)は、ろうの姉妹との出会いを
きっかけにフランスのパリに世界で最初のろう学校を建てる。





「I have never forget 29,1, showa 8」
(翻訳)我々は昭和8年1月29日を忘れられない。

文部省(当時)から全国のろう学校に口話教育導入のために
 「手話教育を全面的に禁止」という命令が下された。




「手話を奪われて」

手話を使わせないという事が、どういう事か分かる?
その人のこれからの人生を全て奪ってしまうという事だよ。
私は使われなかった側の人間だった…。
その苦しみはよくわかっている。

手話を全面廃止するのではなく、手話を土台にし、
口話はそれぞれの子どもの適性に応じて使う教育になっていたら
時代はずいぶんちがっていたのかもしれません。




「虐げられた手話」

手話を使わせないなんて、間違っている。
絶対に間違っている。




「見えない心」

冷たくひえた心をあたためてくれたのは
言うまでもなく手話だったのです。




「旅」

自分自身にふさわしい言語を探し、文化を探し、
生きることの意味を知るために旅に出る。




「手話の存在」

自分の中に手話で話したがっている
もう一人の存在を知る。




「守る」

手話は命がけで守る。私が倒れたら君たちが…。
君たちが倒れたら君たちの子どもが…。
だから私は手話を守ってみせる。




「夢見る」

手話を排除されて70年。
それでも手話は未来を見据えながら歩いていく。




「手で話す」

手話は「手で話す」と書くんです。
だから、いつも手で話そうと決めたんです。




「手話と共に」

いつまでも輝ける自分のために
手話と共にあるということを知ってほしい。




「運命」

生まれながらにして手話を
運命的な出会いをしていた私たち。




「日本・富士山・手話」

日本人ろう者は日本手話が誇りです。



<乘富秀人氏・プロフィール>




私はいずれのアートそしてコメントに、驚いた。
そして、今回、記事にするにあたって、久しぶりに見たが、
とても感動した。

ぜひ、乘富さんの活動を応援したいと思う。

そして、3年前からはじめた手話を続けていきたい、
いや、続けていかなければ、強く感じた。

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~ムッシュ・いけふくろう~

2007年・秋「東京国立博物館・秋の庭園開放」(いけふくろう通信第484号)

2008-01-30 21:36:43 | 四季折々
個人的な事情でいろいろとあったため、記事の配信が大幅に遅延してしまい、
申し訳ありませんでした。

今回は、2007年の秋に開催された東京国立博物館の秋の庭園開放の
画像集をご覧ください。































ここからが、期間限定の庭園公開時の庭園内の写真です。





















































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~ムッシュ・いけふくろう~

祝・復活!「東池袋大勝軒」(いけふくろう通信第483号)

2008-01-05 23:37:59 | 地元(池袋・大塚・巣鴨)
さてさて、今年の第一号は!昨年3月、惜しまれつつも
再開発の影響で閉店をした「東池袋大勝軒」の復活(新装開店)の様子をレポート!



東池袋大勝軒は店長・山岸一雄さんの手によって、1961年6月6日に開店。
「もりそばは、「食べ物を粗末にしてはいけない」という、山岸一雄の幼少のころから教えられた
知恵から生まれた。当時、中野「大勝軒」で、茹で上がった面をザルからどんぶりに移す際、
ザルに残った麺を1本、2本と集め、それを器にとっておき、それをスープ、唐辛子、ネギ
などを入れた湯飲みに入れて、ざるそばの様にして食べた職人の「まかない」から考案された」
とのことだ。
その後、繁盛するも再開発の影響で惜しまれつつも2007年3月20日に閉店していた。
ところが、今日(2008年1月5日)、旧店舗から約100メートルという立地に
装いも新たに開店したのだ。

新店舗の店長は、山岸一雄さんのお弟子さんの飯野敏彦さん。
当初は、山岸さんが店長もという声もあったようだが、体調面から、
飯野さんが店長となることになった。

なお、山岸さんは毎日、開店前にお店にきては、スープの味見を欠かさない
ようにするという。

では、新装開店当日の様子をどうぞ!

開店は、午前11時。私はちょうど11:30頃に到着。
お店の前には、多くのお客さんがすでに並んでいました!





そして、待っていると振る舞い酒とお茶のサービス。
ちなみに、真剣にラーメンの味を確かめたかったので、お酒は飲みませんでした。
でも、あとで考えれば、こんな縁起物を飲まなかった私ってオバカさんでした…。


さぁ、そうして待っていると、報道各局の取材陣が大勢やってきて、取材をしていました!
私が見ただけでも3局以上。確認できたのは、フジテレビとテレビ朝日でした。
ちなみに、下の写真は、テレビ朝日の村上祐子アナウンサーの取材の様子です。





こうしてみると結構、取材っていうのも大変そうですねぇ。

さらに、待って並んでいると、開店お祝いの花の数々。
どの名前も見かけたことのある名前が書いてありますねぇ。













さあ、あと少しでお店に入れそうです。



すると、お店の前には、キャノンの御手洗会長の花も!
そうそう、以前、通っていたらしいですよねぇ!



そうこうするうちに、約45分後、お店にはいることができました!

私は、特製つけ麺にゆで卵を足した、「ゆでもり」を注文!

数分後、慌ただしい厨房から私の分がきました。









どんぶり一杯に盛ってある麺とおなじくたっぷりのつけ汁。

麺は、モチモチッとした食感で、甘酸っぱいつけ汁との相性は抜群。
メンマはシャキシャキ、チャーシューは食べ応えのある厚さと大きさ、
たまごは黄身に火が通ってちょうど良い具合でした。

ただ、普通盛りなのに食べても食べてもなかなか減りません。
でも、これがお店からの心遣いなんでしょうかねぇ。

お腹いっぱいに食べ終わったときに、周りからスープ割りなる言葉が……。
どうやら、つけ麺のつけ汁をそのまま飲むとちょっと濃い味なので、
そこにお湯を入れてもらうことがスープ割りらしいのです。

そこで、私もお願いしてみると、熱くなったスープからは魚介系のだしの香りが、
ほんのりとしてきて(これがきつすぎない)、とっても良い香り!

満足感に浸りながら、無事、完食いたしました!

ちなみに店内は、こんな感じ。



さらに、店員さんのシャツには、山岸一雄さんの「東池に旨いものあり 特もりの忘れられない味」
という言葉が書いてありました。

食べ終わって外に出ると、山岸一雄さんがいらっしゃったので、思わず、
写真を撮らせていただき&「美味しかったです」と感謝の言葉を述べ、握手をしてきました!



さらに、「近くに住んでいるので、また、きます」というと、
「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」とのお言葉を。感激です!

ちなみに、行列はまだまだ続いていました。











お店の場所は、地下鉄有楽町線東池袋駅から歩いて1分、都電荒川線東池袋四丁目駅から歩いて3分。
なお詳細は、下記をご覧ください。

URL・http://www.tai-sho-ken.com/main.htm
住 所・豊島区南池袋2-42-8

<編集後記>
ちなみに、株式会社ラーメンデータバンク 代表取締役・大崎裕史さん、
ラーメン通の立石憲司さんも来店されていました!

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