ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

ケネディスクール一年目を終えて

2007年05月21日 | 日々の思い

  午後4:30、2時間半に亘ってとにかく書き続けた統計学の答案を提出し、鉛筆の跡で真っ黒になった左手のヘリを眺めながら教室を後にした僕は、心の中でこう叫んでいました。

 「ようやく終わった!」

 そう、ケネディスクール1年目が今日をもって終わったのです。クラスメートの大半も今日の統計学の試験が最後という人が多く、晴れやかな表情の仲間に大勢出会います。中には既に飲み会モードのヤツらも。

 自分がこれまで培ってきた問題意識をぶつける場として、そして自分を鍛え高める場として選んだケネディスクール。この1年間で自分はどう変わったのか。何を学んだのか。昨年末、「秋学期の終わりに思うこと」のタイトルでつづった記事を改めて読み返してみると、この自問自答に自分が納得ゆく答えを出せすことができず、焦りといら立ちの中で必死になってもがいている姿が浮かび上がってきます。

 では、春学期の終わり、ケネディスクールの一年目の終りの今日、僕は何を思うのか。春の陽ざしにキラキラと輝くチャールズ川の流れに合わせて思いを巡らせてみました。

    

 面白いもので、昨年末に支配的な感情だった焦りや苛立ちは殆どないことに気付かされます。一方で、別に達成感や感慨に満ちている訳でもありません。要領の悪い“ポンコツ機関車”ながら、一年間、無事走り切ることができたというほっとした気持ちがあることは確かですが。

 この心境の変化はどこから来るものなのだろうか。

  一つ明らかなのは英語で学ぶ環境に少なからず自分が慣れたこと。ただ、残念ながらこれは自分の英語力が秋学期の終わりと比べて飛躍的に向上したという訳では必ずしもありません。

 ただ、MPP(Master in Public Policy)コースで75%を占めるアメリカ人を常に比較の対象とし、彼らと同じ土俵で、同じ基準で競い合うことに拘っていた秋学期と異なり、今学期は、自分なりのやり方で課題と向き合い、クラスやグループ・ワークに貢献することができたという静かな満足感が自分の中にあるのは確かです。

 また、秋学期には無数の「やらなければならないこと」「やるべきこと」「やりたいこと」達に“取り囲まれた”ような心境にあったようですが、今学期は、取り囲む連中の数は相変わらず変わらないものの、僕のほうから標準を合わせて、優先順位をもって“倒す”ことができたような気がします。これは、別に秋学期よりも飛躍的に多くのターゲットを“倒す”ことが出来たという訳では必ずしもなく、むしろ、多くのことを潔く切り捨てることができた、といったほうが正解かもしれません。

 残念ながら限られた時間と能力の中で、自分が取り組めることは限りがある。よって、低い優先順位をつけたものに対しては、そこそこで切り上げて次に進む一方、優先順位の高いものについては妥協せず、徹底的に取り組む。こんな風に自分が納得して付けた「メリハリ」が、精神衛生の向上と、結果として全体としてのパフォーマンスの向上に貢献したようにも思います。

 パフォーマンスの向上といえば、この一年間はまるで「知的筋トレ」のような日々でした。特にMPPの一年目は必修のコア・コースが殆どで、どのような政策分野であっても必要となる思考の枠組みやツールである経済学、経営学、統計学、会計学、倫理、リーダーシップ論について、毎週100ページにもわたるリーディングと怒涛のProblem Set(経済学・統計学の宿題)、次々と課されるライティング、そして、これらの理解の上に立ったクラスでのディスカッションを通じて、自分の知的足腰が大分鍛えられたように思います。

 また、Korea Caucus、Japan Caucusの仲間たちとKorea Japan Tripを企画・実行したことを通じて、リーダーシップを発揮できたこと、表面的な挨拶だけではなく、色々腹を割って話せる友人が数多くできたこと、そして何より、ケネディスクールに付加価値をもたらすことができたことが自分に喜びと自信とを与えてくれているのも確かです。

      

 一方でこの1年間の反省点は何か。

 ・・・

 全部を書くとスクロールバーが針ほどの細さになってしまうので(汗)、来年どのようにケネディスクールと、そして自分自身と向き合うかという視点で、今年取り組むことの出来なかった、あるいは解を見つけることの出来なかった課題を、自分の中で反芻してみました。

 まず、自分がJapan Caucusの一メンバーとしてではなく、個人としてケネディスクールに付加価値をもたらすことが、残念ながら殆どできなかったこと。この一年、ケネディスクールから、あるいはクラスメートから多くのことを学ぶことができたとして、果たして自分はケネディスクールに、あるいはクラスメートに何か新しい価値を個人として与えることができたのか?来年の今日にはこの答えに自信を持ってうなずける自分でいたい。

 もう一つ重要な課題。この一年間で培った分野横断的な「知的足腰」をもって、具体的にどの政策分野、専門領域に切り込むのか?これまで5年間の職務経験を通じて、あるいは一年間のケネディスクールでの日々の中で、未だ把むことのできない、自分の「軸足」となる政策分野はどこにあるのか?

 必修科目がなくなるケネディスクール二年目は、この長年の問に一定の答えを出し、そして自分の軸足となるその分野を、様々な角度から掘り下げていく時間としなければなりません。

 自分をどう高めるか、高めた自分をしてどこに向かわしめるのか・・・こうした課題に対して自分の納得いく答えをつかむための自己研鑽、自己探求の夏が今、始まりました。 

       


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