ポポロ通信舎

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合併を止めた大泉町(3)【史学】

2009年05月27日 | 地域・合併問題
「過去の町村合併の歴史に学びたい」

 
 大泉町長選を受けて、大泉、太田の任意合併協議会は
解散になりました。首長間で先行約束した合併話を大泉
町民の多くが拒否反応を示したことによります。

 大泉町が旧小泉町と旧大川村とで合併し発足して半世紀
以上になりますが、当時も小泉町と大川村では住民感情に
かなりの差があったと聞きます。

 商業中心の小泉町に対して、大川村は農業主体ながらも
中島飛行機の後は、米軍キャンプの所在地で財政源は確保
されていました。村内では小泉町合併派、太田市合併派、
存続派と三つ巴。
なかなかまとまらず住民投票で決したと記録にあります。

しかし町名は双方から一字とり「大泉」。大字は残す。
議員数は同数など対等合併に当時の人たちが随分苦心した
跡がみてとれます。

 それに比べ、今回の市町合併は対等とはいうものの出
された項目をみると太田市に準ずるもの多く、大泉町民には
どうしても「吸収」としか映りません。

 新市の名称にしても「太泉市」や「泉田市」にするという
ような検討さえ町民には聞こえていませんでした。
 当時は連合国軍のシャウプ勧告、それ流れで県の強い要請
で合併は避けられ状況でした。
今はそのような外からの圧力はありません。

町の将来は、ここはじっくりソロバンでいう
「ご破算で願いましては~」で良いと思います。

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以上、
本日の上毛新聞「ひろば」欄に掲載の同主旨の拙稿原文です。


(写真説明=旧大川中学校の文字)
今も大泉町立南中学校 南門に残る懐かしい旧校名。

筆者は、中学1年の2学期に前橋一中から同校に転校しました。
母に連れられ、不安な気持ちでこの門を通ったことが
昨日のように思い出されます


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