「この場所にはまだインスピレーションを与えてくれる雰囲気が残っているのよ。
偉大な画家たちがこぞってこの場所に住んだのも決して偶然ではないわ。」
私が初めて映像翻訳をさせてもらった「パリで逢いましょう」という
番組は パリ9区からの担当だった。初めてその映像を観た時に
なんて素晴らしい場所なんだろう、絶対住みたい、でも、ここは一体どこだろう?と
私は首をかしげてしまった。パリは結構知っている。
モンマルトルも知ってるはずだ、だけどマルティール通りというのは?
その後で地図を見てやっとわかった、ああ、あの雰囲気のいいとこだ・・・。
私がたまに通るところをうまくすり抜けるようにマルティール通りは
存在していて、その一帯は他とは違うあたたかい空気を放ってた。
番組に登場していたアーティストの女性はその周辺に自宅アトリエをもち、
彫刻のアトリエに通い、マルティール通りのカフェにも通ってた。
そんな彼女が発した言葉。「決して偶然ではないわ・・・」
残念なことに私はそのあたりを何度かすり抜けただけであり
映像を見て絶対住みたい!と思ったものの、前回渡仏した際も
時間切れでそこには行けずに終わってしまった。
私が知ってるモンマルトルは 丘のあるモンマルトルで
彼女が住んでるモンマルトルは丘の下の、騒々しい大通りを下った
ピガールやクリシー広場の南側。
1月になって急に研究をしたい気持ちが高まって
手つかずだったモンマルトルの本を開いた。今まではモンマルトル、といえば
ピカソに洗濯船だと思ってた。それはとんでもない思い込みで
モンマルトルにはもっと大切な前史が存在してたのだ。
彼女がそう語ったように、モンマルトルにはまさに
そうそうたる「偉大な画家」が住んでいた。
ロートレックにマネにドガ、それからゴッホも住んでいた。
そして彼らはカフェを愛し、カフェやキャバレーを舞台に絵を描いた。
それらのカフェはフロールやシャノワールほど名前は知られてないだろう。
けれどもそんなカフェがあった。ゴッホが展覧会をしたカフェ、
ゴッホの「ひまわり」が掛けられていたカフェ。
南仏の「夜のカフェ」で有名なゴッホはやはりカフェに愛着があったらしい。
クリシー大通りにあった「カフェ・タンブラン」でゴッホは
ロートレック、ゴーギャンとともに展覧会を開催したという。
ゴッホは弟に向けた手紙にこう書いている。
「パリにいて、僕はずっとカフェに自分の展示場が欲しいと思ってたんだ・・・」
あのゴッホがパリのカフェの壁に絵を飾り、偉大な芸術家達がこぞって
飲み物を前にした誰かの絵を描いていた。オルセーで眺めていた
印象派画家たちの絵の中に カフェのような、カフェじゃないような
暗い雰囲気の絵があった。それらはモンマルトルのカフェであり
かつジャポニスムの影響も受けている・・・
モンマルトルの時代はラパンアジルからでも洗濯船からでもなくて
もっと前から 丘の麓に人が集った。
モンマルトルの歴史を調べてみると、そこにこそオルセーがあって
しかるべきじゃない?と思う程だ。モンマルトルには
小さな美術館があるけれど、あんなちっぽけな美術館からは
想像もつかないような作品が溢れるように生み出された場所だった。
1910年くらいには もうそんな時代が終わってしまうけど
それでもまだもしモンマルトルやその麓 に
芸術家たちを呼び寄せたような空気感があるのなら
今度こそその場所に足を踏み入れたい。
今でもまだ 少し風情の残るモンマルトル、ただの観光地じゃなくて
あの場所にあった歴史をできる限り学びたい。