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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

フランスの大規模デモ

2015年01月12日 | フランスあれこれ


 昨日、日本時間の深夜、フランスで空前の規模の
デモ行進が開催された。参加者はフランス全土で
400万人程、パリだけでも150万~200万人が参加したという。

 デモが始まったのは日本時間の夜12時頃で、
私は前後1時間くらいのニュースをずっと聴いていた。
ラジオからですらものすごい興奮が伝わってくる。
後ろから聞こえるフランス国歌、時折流れる拍手の渦。


 今回のデモはもちろん反テロであり、17人のテロ犠牲者の
追悼集会でもあって、デモの先頭には犠牲者の家族、
それから40カ国余りの首相たちが並んでいた。
オランド大統領と共にサルコジ元大統領の姿もあり、
ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相の姿もあった。
連帯、まさに連帯だった。様々な国の国旗に様々な宗教が交じり合う。
その中でスローガンのようになっていたのが
"Je suis Charlie" (私はシャルリー)というものだった。
この言葉を掲げ、フランス全土で空前の規模のデモが開催された。


 フランスにおける9.11と言われる程のこの事件は
フランス社会に相当なショックを与え、迷いや戸惑いを
抱えながらもこのデモに参加した人たちもいたという。
今回シャルリーエブドが「表現の自由」の象徴として
国中が"Je suis Charlie"に染まる一方で、シャルリーエブドの絵に対して
今でも批判的な気持を持っている人たちもいる。
イスラム教徒の人の中には、彼らの絵をよしとする
人もいれば、それはいまだに許せないと思っている人もいる。
「けれどもそれは裁判にかけるべきで、あんな殺され方を
するべきじゃない」という意見がルモンドに載っていた。


 フランスにおいて風刺画というのはマリーアントワネット
以前からあるらしく、1つの伝統文化といえるらしい。
だがその文化的背景が異なる人にはどこまでがユーモアで
どこまでが行き過ぎて辛辣なのか、簡単にはわからない。
(ちなみにアメリカにも風刺画はあっても宗教の批判はないそうだ)
同じフランス人でフランス語のニュアンスを解する人でも
信仰が違い、自分が信じているものを侮辱されるような描き方をされると
よく考えたりする前に、まず腹が立ってしまうのは当然だろう。
それでも、まあ言われてみたらそうかもな、とふっと笑える
心の余裕があったらいいのだけれど、必死な状態で生きている人には
そんな余裕なんてない。もし自分が江戸時代の武士だとして、
面白おかしく描かれた「腹切り」の絵を見せられたとしたら?
こちらにはその世界と選択肢しかないわけで 好き好んで
そうするわけでもないのに それを他所の世界の人から笑われたなら
どんな気持になるのだろう。 


 今回私がラジオで一番印象に残った言葉は
サンドニというパリ郊外で劇場をしているフランス人の話で
「私はこういう日がいつか来る、いつか来るって10年も前から
言っていたのよ。本当にそうなってしまったわ。私がサンドニで
劇場をしているっていっても、皆サンドニをフランスだと思っていない。
一緒に仕事をしているのは皆フランス人よ?」
サンドニは移民問題で知られるパリ郊外で、言ってみれば
荒れてしまっている郊外だ。フランスにはきらびやかな
イメージの一方で、移民問題とかなりの格差が存在している。
シャルルドゴール空港からRER(電車)でパリ市内に入って行くと
なんだか殺伐とした郊外が目に映る。こうしたいわゆる
「パリ郊外」は目の上のたんこぶのようなものだった。
だから栗毛色で白人の生粋のフランス人たちは そういう場所を
目にしないように、あまり考慮しないように、対策を
きちんととるというよりは、「取り締まり」ふたをしてきたように思う。

 その問題がいつかひどい形で噴出するわよ!と彼女は
言っていたのだろう。そしてそんな日がやってきた。
曲がりなりにもシャルリー・エブドを襲撃した2人はフランスで
育った人たちだった。同じパリ、とはいえど、恵まれた境遇の
ブルジョワフランス人と移民の子とでは置かれた境遇が全然違う。
それをほとんど放置してきた、その結果としてこんな事件が
起こってしまった・・・そう考えた人もいるようだ。
そのショックというのは「関係のない他国のテロリスト」から
襲撃されてしまったアメリカ、とはまただいぶ違うものだろう。
だからこそ、この先の教育をどうするか、"Quartier défavorisé"
(恵まれない地域 移民の多い郊外など)をどうするかが
これから重要になってくる。この日を境にフランスはきっと変るだろう。
サルコジだってどちらかというと郊外に対して手厳しい対策を
とってきたけど、あのサルコジがオランドに呼び出された日、
ものすごく元気のない声で「こうやって呼び出されたらもちろん
行かない訳にはいきません・・」と言っていた。
郊外に住んでいたって、移民の子だってフランス人だ。
「私たちはイスラム教徒である前にまずフランス人だ」と
ルモンドのインタヴューに答えた人がいた。
移民対フランス人なんて構図はとっていられない。
移民がいなくなってしまったらフランス人の母たちは
働くことすらできないだろう。

 私は移民の多い19区に息子とともに3ヶ月滞在していたことがある。
はじめはドキドキだったけど、ある時ふと気がついた。
この人たちも私も同じ境遇なんだ。子供がいて、お金を
なんとか稼がなきゃならず、毎日を必死な思いで生きている。
ただそれだけのことだった。彼らはとてもあたたかかった。
道を歩いていたらパンを配達中の車が停まり、息子に
バゲットをちぎってわたしてくれたことがある。
歩かない息子を抱っこしていたら何度もアフリカ人に
声をかけられた。「オレも抱っこされてみたいなあ!」
パリで一番くらいに安いマルシェには強いアクセントの
フランス語を使う商人たちが溢れてた。「△△€!」
よく考えたら1,5€ということだった。彼らはものすごく
力強くて、でも温かみがあふれてた。
ラビレットの公園ではしょっちゅうアフリカ人たちが
太鼓をたたく。この人たちも、本国にいるよりも
それでもパリの自由さがいいと思ってここにいるのかもしれない、
ふとそんなことを思ってしまった。
公園に行くとフランス人の母親なんてほとんどいない。
乳母車にのった白い栗毛色の子供をあやすのは
大抵アフリカ人の乳母たちだ。彼女達は携帯電話を片手に
音楽なんかを聴きながら 時折となりの乳母としゃべっては
適当に子供に目をやっていた。それがフランスの現実だった。
彼らには彼らの生活がある。ブルジョワフランス人とは違う。
食べものだって自分の国の料理を作り、着る服だって異なるけれど
それでもフランス語をしゃべってる。中国人でもアラブ人でも
イタリア人でも、自分の言葉や文化がある中で それでも
他人と出会う時にはフランス語を使うのが フランスの
「アンテグラシオン」なのだった。誰しもがフランスの恩恵を受け
自国と比べてやっぱり尊敬する点があり、だからそこに留まっている。


 この数年、フランスは分断されていたという。
フランスが1つになることなんてかなり長いことなかったそうだ。
今これを機に、「以前」のフランスと「以後」のフランスが
生まれていこうとしている。確かに「以前」のフランスは
悪い点も沢山あった。移民政策や郊外に対しても、どちらかというと
冷たく見放している感があったけど、このデモで本当に、
どんな宗教でどんな肌の色であれフランスを思うフランス人だと
いう一体感が生まれたように思う。
二度とこんな事件を起こさぬように変えていく点はきっと大いにあるだるだろう。
そのためにも下の階層に置かれた人たちの声に耳を傾けること 
それが需要だと思う。フランス人は本気になったらすごい。
きっとこの国は変るだろう。
1月11日という日は歴史に残り、21世紀にむけたフランスの
大きな転換期となるだろう。

(写真はデモに参加したParis-Bistro.comの代表の友人が撮ったもの)

追記

パリではその後、亡くなった警官3人の追悼式が行われ、
オランド大統領による26分間の演説がありました。
「彼らは我々が自由に生きるために亡くなった」とのことでした。

ユダヤ系商店で人質となったユダヤ人4人は犯人に殺されており、
それがもとでフランスにおけるユダヤ人の立場も再び問題として
取り上げられています。彼らはイスラエルの一番大きな墓地に埋葬されたとのこと。
パリにおけるユダヤ人の立場の悪化を恐れて即座に家を売り、イスラエルに向かった
ユダヤ人女性の話もラジオで流れていました。

シャルリー・エブド誌は水曜日に300万部を販売されましたが、
発売当日の朝10時にはフランス中で売り切れました。
これから計500万部刷ることにしたとか。500万部というのは
フランスのメディア始まって以来の記録だそう。
表紙にはまたしてもマホメット・・・またイスラム社会で
さすがにやり過ぎ、「挑発だ」などと物議を醸し出しています。
フランスでも「じゃあどこまでが表現の自由なのか?」という話題もあがっているようです。
表紙には"Tout est pardonné" (直訳すると全ては許された)と書いてあり
涙を流したマホメットが「私はシャルリー」と書かれたプラカードを持っている・・・
私にはこれをどう判断したらいいのか正直わかりませんが、
ここまでするかという気持はあります。
(まだフランス人の意見は聞いてきません)

1月15日、フランソワ・オランド大統領はパリの「アラブ世界研究所」で
テロ以前から開催予定だったイベントにわざわざ出向き、自ら演説を行いました。
テロを非難するようなことは言わず、原理主義によって一番被害を受けているのは
アラブの人たちだと語り、これからヨーロッパとアラブ世界でともに
ルネッサンスのような新しい時代に移行しようと演説しました。
大統領としての器の大きさ・・・私は関心してしまいました。
本当に頭が下がります。

デモが終わり、彼らの話題は"On fait quoi?" に移りました。
今からどうする?ということです。テロに対して、表現の自由に対して、
これからの教育に対して、課題は山ほどある中で、一人一人が
「じゃあ私たちは、これからどうする?」と問いかけ、小さな一歩を踏み出すこと
それが大切なのではないでしょうか。

今回のフランスのテロは移民2世の兄弟が主犯となって起こしたものです。
彼らについてはまた今後書きたいと思っていますが(よく知ると普通の人に近い感じ・・・)
今の状況を知るのにとてもおすすめしたい本は内藤正典さんの
『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』です。
新刊に『イスラム戦争』もありますが、上記の方がフランスのテロを
理解するのに役立つのではと思います。岩波新書。

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