alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

解けない方程式

2016年06月27日 | 女の生き方


もう何年前からだろうか、私はスーパーウーマンを目指してて
あれもこれも、それもこれも!だけど時間は限られている、
その時間の中で、なんとかそれらを手にしたい・・・と
悲しい努力を重ねてきた。フランス語力も必要だ、しかも
かなり高度なフランス語。でもそれだけではこの先が怪しく
やっぱり英語も必要だ。どんな英語力かといえば、TOEIC840点以上
(そうすると英語の通訳案内士の資格がとれる)
そしてBBCを聴いててすらっとわかる程度の英語力・・・

最近ではフランス語と英語をほぼ交互に聴いて
どちらの時間もないままに、英単語、仏文法、
BBCにフランスのラジオ、ともはやごちゃまぜになっている。
なんとかそうして目の前の仕事をこなして生きる中、
帰ってくるともう一つ、目の前には我が息子。
それはまた仕事とは全然別の存在で、少しでも
手をかけないと 露骨に反応が現れる。
その反応がよくわかるのが恐ろしき「授業参観」で
同じような年月に生まれ、たいして変わらぬ場所で育ち
同じ授業計画表でほぼ変わらぬ授業を受けているはずの子達が

いかに違ったものであるか

それを目の当たりにする場所だ。

明らかに育ちのいい子
明らかに手をかけて育てられている子
ノートの取り方の美しい子
授業で颯爽と発言できる子
いろんな子供たちがいて・・・・

授業参観に行くたびに 私は痛切に反省をする。
確かにね、お母さんがいけなかったよ・・・

なんでもただやればいいってもんじゃない、
漢字もただ書けばいいってもんじゃない・・・
わかった・・・じゃあ今度からはこれをやろうね?

そしてまた数日努力をしてみた後で私も問いたくなってくる。
私だってかなり一生懸命ご飯も作り
朝ごはんだって豪勢だ。週末はいつもピクニック。
お菓子だってなるべく手作り、電子レンジはもうやめた。
でも そんな全部はできないよ・・・
子供と遊び、しっかりと学習につきそって、
ご飯もきちんとしたものを食べさせ
平日は仕事をきちんとこなし、自分の将来も見据えて生きる・・・

私はいつも思ってしまう。
解けない方程式を解いているのだ と。

もともと無理な話ではないのだろうか。
だって東大に行かせる親の6割は年収1千万で、したがって
かなりの母親は専業主婦で 就学前からみっちりとした
手厚い教育を息子のために行って・・・そんな人たちと
私の状況を比べたら どう頑張っても そう
ガラガラガラと、階段を転げ落ちていくのが目に見えている。
だからこそ、普通にしててはいけないと、私も
それなりに頑張ろうとはするのだけれど、
もう体力だってもたないよ・・・
(息子を東大に行かせたい!というわけではないけど
私のまわりには何故か子供が東大とか目指しているという人が多く
実際学費だけを考えたら費用対効果はめちゃくちゃ高い学校だと思う)

そして時々、母は涙を流してしまう。

私の人生、一体何だったのだろう?
もちろん私にだって夢があった。
息子と同じクラスに在籍している半数を占める女子たちも
同じように今では夢を抱いているだろう。
「大きくなったら何になりたい?」
「パン屋さん!」「お花屋さん!」
お母さん!という人も中にはいるだろうけれど・・・

女子だって、今の教育の中では当たり前に夢をもつ権利が
与えられている、けれど。

結婚して子供を産み、いざその子供と自分の目の前の仕事、
そして自分の未来と子供の未来とで板挟みになってみると
もはや何を優先したらいいのかわからない。
専業主婦だった母たちはすぐさま私にこう言うだろう
「子供の将来に決まってるでしょ!(あんたなんかどうでもいいのよ)」
でも私は思ってしまう。生まれた子供が女の子だったなら?
その子をいい大学にいかせるために、親はずっとやっきになって
自分の人生はどこかにおいて、それでその子が卒業して数年たったら
娘も専業ママなのか?そして彼女はまた同じことを繰り返すというわけか・・・

ママだってね、と私は息子に泣きながら訴えてしまう時がある。
ママにだってママの人生や将来があるんだからね。
お茶の先生は先日お稽古に来た私にこう聞いた。「生まれ変わったら
何になりたい?」先生、生まれ変わったらって、私まだ
人生の途上なんですが。まだ30代半ばで、夢を諦めていないんですが・・・

女にだって、手にしたかった夢はある。でもこの国でそれを
手に入れること、かつ子供の人生もそれなりに成功に導くことは
至難の技だ。もともと資産があってお手伝いさんや家庭教師を
雇えるか、20代の早いうちに成功して保育園の書類を書けなければかなり難しいだろう。
お金もない、それなのに夢も諦めきれず、目の前には子供もいるという状況で
向かうべき先はどんな選択肢なのだろう。

私ももっと研究がしたい。研究にも、書くことにももっと時間を費やしたい。
世界中で起きてることをフランス語と英語を使ってしっかり理解していきたい。
世界の人たちを取材し、議論し、それらを日本の人たちに伝えたい。
東大の先生方に会うたびに、私は心底羨ましい。そんな知的で
国際的な世界で普通に暮らしていける、いつでもそんな状況がある
そんな人たちが羨ましい。少しでもそんな世界に近づくために
まずは語学力を相当に上げることかと思い、私は今日も
ラジオに耳を近づける。
文字通り喉から手が出るほどに羨ましい!と思ったら
いつか手にすることができるのだろうか。
イメージの力は相当大事らしいから、たまには大好きなカフェを訪れて
しっかりこの先を見据えよう。

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言うことを聞かない子供

2016年05月31日 | 日仏子育て事情
「子供を虐待する親の気持ちがわかる」
私が妊娠中に通った産婦人科の先輩ママたちの集まりで
そんな話を聞いた時 私は耳を疑った。
「子供を虐待する人の気持ちがわかる?!」
まだ子供がいなかった私にはとても衝撃的だった。
なんてショッキングなことを言ってしまえる人たちだろう・・・
でも目の前にいた先輩ママ二人くらいはその言葉に
うんうん、と深い同意を示していたのを覚えてる。

北海道で「しつけのために」山に置き去りにされてしまった
子供のニュースが流れている。彼は我が息子と同じ小学2年生。
ニュースを見ながらいろんな気持ちが駆け巡る。きっと
子供がいない人には「ありえない」としか思えないだろう。
私だって、そりゃやりすぎだと正直思う。しかも車で去るだなんて
その時の状況はなんとなく想像がつくわけで、もちろん
親は「5分たったら戻ってくるからそこでじっと反省してなさい」なんて
ことは言わずに、怒りとともに暴言を吐いてその場を去ったのではないかと思う。

日本ではもはや日常茶飯事のように虐待のニュースが流れている。
あれ、また今日も?おとといもなかったっけ?そんな感じで
もはや電車の人身事故に対するような感覚だ。そして多くのニュースが
同じことを告げている。「しつけのつもりで・・・」

さて、まともな感覚があると自負している人からすると
おそらく「そんなしつけはありえない!」となるのだろうけど
私個人としては、そんな対処方法を実際に選んでしまうか、
しかもやってすぐに後悔しないのかどうかは別として、
そういう状況に陥ってしまった親の気持ちはわかる気がする。
いうことを聞かない子供、それが自分をどれだけ腹立たしい気持ちに
させるものかはやられてみないとわからない。
誰だってちょっと子供と接しただけなら「まあかわいいのに・・・」
というだろう。でもその子供にすごいエネルギーで怒鳴られ
全身全霊で睨まれ、本気で蹴られ、めちゃくちゃ責められ続けたときに、
初めの数分は我慢できでもどこかで堪忍袋の尾が切れる。
そんな経験はないだろうか?(たぶん大抵の母親はあるのでは・・・)

そんな時の親の気持ちはもはや理性とは程遠く、
子供と同じくらいいろんな感情がうずめいている。
そして思う「このクソガキ!!」それから後に起こることは、
人それぞれだろうけれど、ろくなことが起こらないのは確実だ。

子育てにはいろんな感情がある。子供を可愛いと思う瞬間、
ふざけんなと思う瞬間、悪かったなと思う瞬間、ああまたかと
思う瞬間、幸せだなと思う時・・・いろんな感情が時間ごとに
変わっていくから、100パーセントいつでも我が子が大嫌いという人は
あまりいないのだろう。きっと我が子が手に負えなくなってしまったときに
どうしていいかもう途方に暮れて、なんでもいいから言うことを聞かせるために
強行手段に出るのだろう。

ところでそんな強行手段を先述の”100 façon de se faire obéir”の著者で
精神科医のアンヌ・バキュスがどう思っているかというと
結論としては「しつけとしては全然ダメ 効果ゼロ」という感じだろう。
彼女が言うにはもっと効果的なしつけの方法はある。そのためには
行き当たりばったりでは全然だめだということだ。

「このやろー!」と思って息子に対する怒りとやるせなさが
まんまんのとき、私はまたこの本を熟読する。この本でも
フランス式子育て一般でも力説されるのは
親の断固たる態度 一貫した態度。

だめなものは絶対だめ、一度許したら子供はその
「例外」がわからない。今ここで許されるなら、
今度だってもっとねだって泣き喚けばそれが通るという証拠になる。
一時の状況の悪さをどうにかするために飴やおもちゃを買いたあたえたら
子供は2度目、3度目もそれを手にいれるために必死により激しい行動を
繰り返す。しかも子供は生まれながらの役者だそうで、あえて
親が嫌な気分になっていうことを聞きそうな場所をしっかり選んで
その役を演じるという。スーパーマーケットの店内、駅の構内、
バスの中でみんなが彼らに注目してしまうところ・・・

彼女は本の中で何度も「モデリング」についても力説する。
小鴨が親鴨の動きを真似して生きることを学んでいくように
人間の子供も親の行動を真似して生きるのだ。
つまり、子供にとって大切なのは親の言葉よりも親の態度ということだ。
親が嘘をついていたら?子供も嘘をついていいと思うだろう。
なぜなら子供にとって親こそが世界を代表するような絶対的存在であり、
小さな子供は親もまた他の人とそう変わらない人間の一人だと
相対的に考えることなどできないからだ。その親がやっているのなら、
なぜ僕がしちゃいけないんだろう?
親が怒って子供を殴る。子供も喧嘩をしたとき友達を殴る。
親は学校から呼び出しをくらい、子供に殴るな、というかもしれない。
でも家庭で子供が殴られていたら、子供はそれが「あり」だと思う。
親が子供にキレて暴言を吐く。子供はそれを経験しながら
対処できない事態が起きたらパニックになってもいいと思う。
そうして子供は癇癪を起こす。癇癪を起こした子供に親が
ヒステリックに怒鳴っていても、なんの解決策にもなりません・・・

と、フランスで日々「子供がいうことを聞かない!」という保護者の
相談を受けている著者は冷静に解説する。

じゃあ、どうすればいいのよ?と思いたくもなるだろう。

だから、冷静になればいいんです・・・。

子供はあえて、わざと親を怒らせようとする。
それは親の気を惹きたいからだ。
子供にとって愛情というのは注意をひくことを同意語らしく、
愛されていようが怒られていようが、同じ注意をひけたという点で
子供は(わりと)嬉しいらしい。だから
親の注意が足りない、もっとかまって、と思っている子供は
怒らせてでも親の注意をひこうとする。ここがポイントで、
この本の始めにもとうとうと書かれているけど、
子供に言うことを聞かせたかったらまず親がちゃんと
子供に向き合い、一緒に楽しい時間を共有して絆を作ることが大切だ。
これは(というか全て)耳の痛い話だけれど、確かに
親として他の保護者とも接する中で、突出して問題が
ありそうな子供の親は、親子で集まりがあった時も
その子がすぐ近くで問題行動を起こしていても全く気付かず話に夢中で、
ようやく他の子や他の親にその子が注意されたときに(5分後とか)
「ちょっと、アンタ!何やってたの!!」と登場することが
けっこう多いように思う。

さて、大変な事態が起きた時、怒鳴る、叩く、暴言を吐く、
ヒステリックになる、くどくど言いつづける・・・(どれも効果ゼロらしい)
そんな対処法以外に何があるかというと、
フランス式の場合はまず断固たる口調で「いけません!」といい、
どうしてもきかない場合は子供と別の空間にいく、または
子供を子供部屋など、別の空間に話して数分間「関わらない」
ということだった。子供はいつも親の出方を気にしている。
かまってくれたら僕の勝ち。たとえそれが怒られてたって。
親が感情的になったらもっと勝ち。僕と大して変わんないじゃん。
何か親がしゃべってる?ちょっと耳をふさいでおこう。そんな風に
思ってその場をしのいでいるらしい。だからそんな時に
説明しても怒鳴ってもくどくどいっても効果はないので、
「子供のゲームに関わらない」つまり、自分からゲームを降りる。
そして自分も子供も、別々の空間で気持ちが落ち着くのを待ち、落ち着いたら
その悪いことについては1回くらいきちんと説明してもいいけれど、
また何事もなかったかのように普通に接するのがよいそうだ。

さて、これは先述のモデリングでいえば、大変な事態があったときに
親は落ち着いて行動をとり、動じなかったことになる。
親は怒りを引きずるのでもなく、子供の存在事態を否定するのでもなく
あなたのその行動をピンポイントでよくないことだと示している。
なのでその問題行動が終わったら、子供として普通に接してあげる。
よいことはよい、悪いことは悪い、それを態度でしっかり示す。
悪いことをやって大人が構い過ぎたら、気をひくために子供は
もっとひどいことをしでかすだろう。そんな風になるよりは、
子供がしくれた日常のよい行いにもっと目を向けてあげたら
どうでしょう?子供はいつも親を喜ばせようとして何かしているものなんです・・・

なるほど・・・

なかなか全てうまくいくわけではないし、怒りがゼロになる日が
来るのも遠いかもしれない。それでもこの本は伝えてくれる。
実際には(認めたくないけれど)お子さんのそんな態度を
つくっているのはあなた方両親なんです、と。だから
子供により厳しく接するよりも、あなた方の接し方を見直してみたら
どうでしょう?子供は驚くほど親の行動や態度を熟視していて、
そこには言葉の弁明は通用しない。「本当はダメだけどちょっとだけ・・・」
昨日と言ってることが違う。親がしっかりしてないと、子供は
その隙を思いきり激しくついてくる。親になるのは大変だ。
自分の人生だってうまくいってなんかないのに、そう思うなら尚更だ。
人の目、ではなく親自身が自分の軸をもってそこから
ぶれずに歩んでいくこと。その大切さを伝えていくこと。
ある時はよいけど、今日はだめ、ではなくて、貫いた生き方を
子供に背中で伝えていくこと。それが本来のしつけでもあり、
子供に効果的にいうことを聞かせる方法なのかもしれない。

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子供に言うことを聞かせる方法

2016年05月24日 | 日仏子育て事情
 息子とパリに行った時、何度か気になる本を見かけた。
素晴らしい科学館のお土産屋さんで平積みになっていた本を
手に取り、私は興味を持ってしまった。
“100 façon de se faire obéir, sans cris, ni fessées”.
(叫ばず、叩かずに子供に言うことを聞かせる100の方法)

 気になる・・・でも難しそう。そしてわりと高い。
興味はあるけど、やめておくか。うちの子はそれなりには
言うことを聞くとも言えるし・・・
そんな折、横から我が子がこう言った。
「ママ、その本買えばいいじゃん。もうちょっと
言うこと聞くかもよ~」
息子が勧めるというのも変な話だが、結局その後
数日間、言うことを聞かずに困ったことが続いたので
えいやっと購入することにした。

 とはいえフランス人向けに書かれたその本は
かなり難しく、なんとなく読めるようなものではない。
帰国して忙しい日常の中、また忘れそうになっていたけれど。
子育てに疲れ果て、私の人生どうにかしたい・・・
そう思う度にすがりつくように1ページ、また1ページと読んできた。

 そしてゴールデンウィークに一気に読み進めた結果。

 あれから2週間くらい経つけれど、もはや子育てに
そんなに困っていないように思う。
あれほどすがるように読んでいた本も、8割方読め、
できる限り実践し、初めの数日間は息子の抵抗が続いたけれど
今では(そういえば)怒鳴ることもほぼなくなり、
もうやってられない!と思うことも、二人きりでの
閉ざされた空間での恐ろしい喧嘩のやりとりもなくなった。
つまり私たち親子にどうやら平和が訪れた・・・

 これまでは「こら!いい加減にしなさい!~しないと
もう~しないからね!!」「だから~だって言ったでしょう!」
の連続だったけど(全て消え去ったわけでもないけど)
この本には耳が痛いことが沢山書かれており、これまでの
やり方がいかに子供にとって無意味かつ、有害なだけかが
よくわかり、方法を変えることにした。

 もしかして実は鞭を使えとか書いてある?と思っていたこの本の
始めの1割は子供をしっかり愛することがいかに必要かとか、
子供がどれほど大人と違い、かつ親からの愛を得たいと思っているかが
とうとうと述べられていた。やっと至った最後の1割には
いかにお尻叩きなど、子供を叩くことが有害で教育として
意味がないかがとうとうと述べられている。どちらも
「じゃあどうしたらいいのよ?なんでこんなことするの?!」
と思っていた私にはとても耳が痛い話・・・。

 この本で強く主張されているのは親の心の平静さが
いかに重要かという話。子供はあえて親を怒らせ、
そこで気をひこうとする。気さえひければ子供の勝ちで、
親が優しく対応しようが怒っていようが関係ないらしい。
子供はただ親の注意を引きたい。それが愛情だと思うから。
怒られてでも愛情が欲しい。だからこそ、普段から
あなたをちゃんと愛していると伝えなさい・・・

 そして大人を怒らす天才の子供が何かをしかけてきたら?
この本で驚愕だったのは「無視」ということ。
ゲームは二人以上でしか成立しない。そのゲームから
できるだけ即座に「降りる」つまり、構わない。
相手にしない。他の部屋に行く、子供を自分の部屋に
行かせて、おとなしくなったらまた普通に構う、ということだった。
子供は大人が怒って冷静さを失って、自分と同じような
状況になったことも喜んでいる。ほら、お母さんだって
同じでしょう?そして自分のルールに引き摺り下ろす。
「僕の勝ち!」

 子供にとって大切なのは言葉ではなく親の態度で、
「だから~だっていったでしょう。だいたいあんたは
いつも~なのよ・・・」と続けるのも全く意味がないという。
わかりやすく、ごく簡潔に。しかも態度で示すこと。
親が子供を殴ったら子供も誰かを殴ってしまう。
「そんなことしちゃダメって言ったでしょ!」と言ったって
子供には「なぜ親がしているのに自分はしてはいけないのか?」は
わからない。それに子供を叩くのは弱い子供にとっては
大人が弱いものいじめをしているように映るらしい。
それは6年生が1年生を叩くのと同じように見えるらしいから
とにかく避けたほうがよく、効果のなさはすでに立証されているらしい。

 結局(私のように)自分がしっかりしていない親は
子供に何かをされるとうろたえ、オロオロしてしまい、
子供が(わざと人前で)親の嫌なことをしでかすと
そのうち堪忍袋の尾が切れたりしてしまう。
そういう姿を子供はわざと引き出そうとするらしい。
ほら、お母さんだって僕と同じじゃん・・・
いつも大人ぶってるくせに。そして制御がきかない土俵に
引きずり込んでいく。(よく母親の打明け話にあるけれど、
一度怒り出すとそのスパイラルに入ってしまい、
自分でもどうしていいかわからなくなるという状況がある。
ちなみにこの本によるとそれは最悪な状況で、そこで言っていることは
子供は何も聞いておらず、「早く終われ」と思っているらしい)

 だからこそ、大人が率先して問題に対処するときの
冷静な姿勢を見せること。問題があっても
うろたえ、パニックになり、ヒステリーを
起こすのではなく、深呼吸して頭を落ち着かせ、
良いものはよい、悪いものは悪いと断固たる態度を
冷静に貫き、解決策を見せること。そのことで
子供は「なるほど、こうやって対処するやり方が
あったのか・・・」とまさに後ろ姿で
学ぶことになるという。(そして子供にくどくど言わない)

 つまり、まず親自身が大人になること。
ぶれない自分をしっかりもって、断固たる姿勢を
貫くこと。子供のその行為に対してほめたり叱ることはあっても
子供の存在や性格自体をどうこうは言わないこと。

 僕がやったこの行為はどんな意味をもっているのか?
他者に対してどんな感情を与えるものなのか?
子供はそれを知ろうとする。うんち、おしっこ!!と
いって喜ぶ子供に、「そんなこと言わないの!!」と
毎回かまっていたら子供はそれを繰り返す。
そんなこと言われていないくらいな気持ちでいたら、
自然と子供はそんな行為をやめていく。
「なるほど、これはやってもまるで意味がない・・・」
「なるほど、これは言うだけ無駄か・・・」
子供は大人がどこまで自分のゲームや要求に
応じるかを隙をみては探っている。
子供のことはちゃんと構うけど、それと
わがままを聞くのは別だ。
あなたのことを愛しているけど、だからといって
全てが通るわけじゃない。それをきちんと教えていくこと。
それが教育なんだなあ・・・

 言うことの聞かない子供を育て続けるのは大変だ。
もう無理!!と思った時に、女性はついヒステリックに、
男性は力に頼りたくなってしまうのかもしれない。
だけど本当に強硬手段に頼らなくても子供が
自然と言うことを聞いてくれる方法はある。

 教育の経済学や一流の育て方、息子を三人東大に
入れる方法の本・・・「受験に勝てる子に育てる方法」の
本は巷に溢れているけれど、ただ普通に子供を育てたいだけで
途方に暮れている母親だって多くいるように思う。
道端で泣き叫ぶ子供たち、バスでわめく子供たち、
その横には大抵疲れた顔をした母親がいる。
そんな疲れと恥ずかしさから逃れるために、
私たちはつい子供のいいなりになり、アメやガムを与えてしまう。
そしてまた1週間後、その悪循環が繰り返される・・・

 この本には耳が痛い話もゴマンとあるけど、
きちんとその理由が書かれているからなるほど、と納得できる。
フランスで子供たちの親からの相談を受け続けている
心理学者が書いた、子供に言うことを聞かせるための具体的な方法論。
世の中に困っている母親が沢山いるのなら
私は是非この本を翻訳したいと思う。

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夕飯断食

2016年05月20日 | 私の人生
 5月に入ってからなんとかして自分の体調不良を
克服しようと試みて 新聞の広告をみてすぐに
「これだ!」とピンときた『血流がすべて解決する』を買い
まさにこれだよこれ、この症状、そうか血が足りなかったのか・・・
ということで、書かれていることは全て実践しようと決意した。

 この本には血がつくれない、だから血がうまくまわらない
という流れが書いてあり、兎にも角にも、はじめは
血をつくれる身体になること!その順番だけは間違うな、と
書いてある。さて、いろんな方法論が述べられている中、
だれでも熟読すればよくわかるのは、この本の著者が
一番すすめているのは「1週間夕食断食」だということだ。
そのことによって胃腸がしっかり休まり、本来の力を
発揮できるようになり、血もつくられ、身体全体が若返る。
実際にこれを実践してから46歳、47歳で妊娠した人までいるという。
この本の理論はこうだ。血をつくらないと流れない。
血がちょろちょろとしか流れていない状態で、どんな改善法を
試みてもうまくはいかない。そして血をつくるには・・・
鶏肉がよいとか、朝ごはんがいるとか、ちょこまか書いてはあるものの、
「だからつまり、1週間夕飯断食に挑戦してください」
と読者に訴えていると思う。

 ところが必死な思いで島根県のこの漢方薬局まで訪れた人ならともかく、
千円ちょっとの本を購入しただけの読者にとっては
「1週間夕食断食」のハードルはあまりに高い(と私は思う)
主治医に勧めらたわけでもないのに断食か。しかも1週間。
病気でご飯が喉に通らないというわけでもないのに・・・
(でも朝ごはんと昼ごはんは普通に食べていいんですよ~と書いてある)

 うーんと思いながら立ち寄った本屋で平積みにされている
健康関連の本を読んでいくと、とどのつまりは、現代の
多くの病のもとは「食べ過ぎ、とりすぎ」だというのがわかる。
過食による病、それを直すための抗生物質、そしてよけいに
腸がダメージを受け、原因不明の不調がつづく(そしてまた医者に行き
抗生物質を渡される・・・)
そんな状態でヨーグルトやらサプリやらをとってみたって
もとの腸内環境が最悪な状態に陥ってるならば、効果もなにもないでしょう、と
こうした本を書いた先生方は強く訴えたいようだ。

 とはいえただそれらの本を手に取った、つまり
必死の思いでその先生とコンタクトをとり、何がなんでも
実践します!という人ほどの勢いがない読者にとっては
「えー、そんなこと言われても・・・」になってしまう。
それでもそれがないとすすめないなら、健康のために
とにかく頑張る、と決意したではないか・・・と
昨日は2日前からの夜ご飯ヨーグルトのみに続き、
ついに本格的な夕飯断食に挑戦することにした。

 何かを断つ、というのは本当に簡単じゃない。
私は砂糖断ちもお茶を極力減らすのも、小麦断ちもしたことがある。
お茶は中毒性はないかもだけど、砂糖と小麦はしっかりと
中毒性があるらしい。
(気づかないけど結構すごく、禁煙できない人や清原さんを笑えない)
砂糖断ちをはじめてしたとき、2日間はかなり辛かった。
甘いものが欲しい!!欲しい!と思った時に
とにかく水を飲んで我慢。ああこんな時に飴が食べたい、
そこも口寂しいだけだ、と水を飲んでただ我慢。
砂糖より中毒性が強いのは小麦なのかもしれない。
小麦は本当に禁断症状があり、パンを食べてわりとすぐ
お腹が減り、また食べたい!と思ってしまうのは、
パンの腹持ちが悪いからではなくって禁断症状によるらしい。
そしてその禁断症状の時はいわゆる「お腹がすいてイライラ!」がある。
でもこれも小麦をやめてみると、お腹が減ったからといって
必ずしもそうならないことがわかって驚いてしまう。

 私が小麦をやめたとき、本当にそれは辛かった。
クロワッサンにパンオショコラ、パスタにラーメン、
焼きそば、クッキー、成城石井に行った時、どれほど
愕然としただろう。この店にあるもののほとんどは
食べられないのかと思っってしまった。(実際はそんなことはない)
食べれない!と思うほど、食べたい!食べたい!
こんなに全てを我慢して一体何が幸せなのか?と思ってしまい
結局2日目くらいに家族にピザの食べ放題の店に誘われて
つい自分を許し、あれよこれよと食べてしまったら
頭をガツンとなぐられたようにそのあとなにもできなくなった。
そして小麦やグルテンの恐ろしさを身をもって知り、
もう絶対にピザ屋だけは行くもんかと決意した。
(ピザやパスタを食べた後の午後にフランス語の翻訳なんて
絶対できないほど頭がまわらない。ちなみに私は
小麦を極力さけることにしたのは健康のためではなく
脳みそが働かないと実感したからで、仕事の効率のためだった)

 そんな禁断症状は、あまり笑えるものではなくて、
はじめてやめた人にはつきものなのだろう。
そして昨晩。私の頭の中はこれから食べられないご飯のことで
いっぱいだった。漢方の先生は書いていた「別に
一生食べられないわけじゃありません。一生のうちの
1週間だけのことです。それに朝と昼は普通に食べていい・・・」
でも私の頭の中はまたしてもパスタやらケーキやら
子供のころに絵本で憧れた美味しそうなものたちで
いっぱいだった。どうして私、一人だけ食べられないんだろう・・・
みんなは普通に食べているのに?
そしてついにその「激しい空腹」は訪れて、しばらく
まともに激しい空腹を感じたこともなかった私は途方にくれた。
肉が食べたい!ステーキが欲しい。
こんなにも私にとって食べるのは大事だったのか・・・
なんだか何かに別れを告げるような深刻さだった。
たった一食、我慢するだけなのに・・・

 それでもなんとかやり通し、仕方がないので
いつもより早く寝ることにして朝を迎えた。
朝は夕飯をぐっと減らしてからずいぶんと楽になり、
朝日のおかげもあって最近5時半すぎに自然に
目がさめるようになってきた。身体が軽いのは
夕飯がヨールグトだけのときからかわらないけど、
こんなことして、何かいいことあったのかしら・・・・?

 朝はわからなかったけど、今日1日いつものように朝から
晩まで働いて、あれ、なんだか金曜の晩なのに身体が軽い、
と不思議に思った。いつもならもうグデグデで、帰るころには
相当疲れ果てているのに。なんだか今日も
チカチカする信号を見ながら走れそうな気分になった。
人生がこんな軽かったなら・・・絶対人生は違うはず・・・
今週私の仕事量はいつもより少なかったのだろうか?
それはよくわからない。でもなんだか軽やかに終わってしまい、
帰ってから着替える間もなく、明日のご飯の準備もできた。
これが断食効果だろうか?
「断食とはメスを使わない手術である」
「断食で治せない病気は何をしても治せない」
そんな言葉もあるらしい。

 断食はとてもこわかった。でも2日目の今日は
なんだかそこまでこわくない。何かを断つのに
一番つらいのは初めの2日。あとはだんだん慣れてくる。
もっと軽やかに、もっとミニマムに、生きていけたらどんなに
人生が違うだろう。何のおかげかわからないけど、
今まで気になっていた他人の目やどう思われるかも
だんだんどうでもよくなってきた。
いくら人に「もっと自信持ちなよ!」と力説されても
そういう類の本をいくら読んでもできなかったのに、身体に入れるものを
断っていくことでこんなに気持ちが変わっていく。
どう頑張っても子供にイライラしてしまう、
優しい気持ちになれないというお母さんに
是非一度小麦断ちやら砂糖断ちやら夕飯断食やらを
試してみて欲しい。薬局の薬よりはよっぽど早く
驚くような効果が現れると思う。(しかも全部タダ!)

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人生を変える

2016年05月18日 | 私の人生
 人生を変える、と言ったって、実際にはとても難しい。
『人生がときめく 片付けの魔法』を読んで毎年やる気になってみたって
私の部屋はリバウンドの繰り返し。本に登場するような
「一生リバウンド知らず」の部屋とは程遠く、
年末に大掃除をしようとするたびげんなりしてしまう。

 頭でわかって、それを行動に移して変えること、
それも意志力でなんとかなるのかもしれない。
もしくは大金をはたいてワークショップに参加するのも
一つの大きな変化になるのだろう。
でも意外と身体の中を先に変えてしまう、そんな手だってあるのかも。

 小麦断ち&砂糖断ちをダブルで開始し、ついでに
夕食の量も多いに減らすことを実行してからもうすぐ
1週間が経とうとしている。その間おそろしいくらいに
ウエストは細くなり、髪の毛は日々しっとりを重ね、
パサパサしてボリュームがあった髪はどこへやら。
ちょっとドライヤーをしただけで「えっ?こんなにまとまる?」
という具合になってしまった。こころなしか爪までツヤツヤしてきたように思う。
なるほど、人間きちんとした生活をしていればこんな状態だったのか・・・
昨日からは夕飯断食に挑戦し(といってもヨーグルトを食べてしまうけど)
朝起きたらずいぶんすっきりしており、目覚ましより先に起きてしまった。
最近はできるだけ駅までも歩くように心がけているけれど、
今日は帰りに歩いてみたらやたらと身体が軽くて驚いた。

 何かを断ち、数日で劇的な変化が訪れるたびに私は思う。

 今まで自分だと思っていたもの、あれは何だったんだろう・・・・

 今まで自分だと思っていたもの、あれはむくみだったのか・・・

 今までお腹だと思っていたもの、あれは水分だったのか・・・

 あれが辛い、これが辛い、その痛みから逃れるために
また何かを探し、不安から逃れるためにやたらとハーブティやら
お菓子を持ち歩き、荷物も支出も膨らむ一方。
私、何してたんだろう・・・

 人生がもしこんなに軽やかだったのならば、
つい走りたくなってしまうような身軽さならば、
人生はもっと違っただろう。

 身体が急に軽くなる、マッサージのあとそんな経験を
した人もいるかもしれない。私の場合は母乳マッサージを
してもらった後がそんな感じで、母乳育児中に美味しい何かを食べたせいで
乳腺がつまり、桶谷の先生に怒られながらも、つまった
母乳をピューっと出してもらう。その帰りの軽かったこと!
まるで羽根が生えて天にも昇れそうな心地だった。

 桶谷の先生はいつも言っていた。「おっぱいを噛むのは
子供が悪いんじゃありません。おっぱいの味がまずくなっているからです。」
そして自分の母乳を何度も舐めた私は経験でよくわかっていたはずだ。
ちょっと焼きすぎたサンマを食べた後の母乳は焦げた匂いがすることを。
母乳というのは白い血とも言われ、今でこそ子供は飲んでいないけど、
その血が私の全身をかけ巡っている。今目の前に噛んで訴える子はいない。
でも私の血は同じ状況を繰り返す。バターたっぷりの美味しいケーキを
食べた後には母乳がつまり、美味しくて涙すらでるような桃を食べた
後にも私の母乳は変化していた・・・その変化は本当にわかりやすかった。

 妊娠中も、母乳育児をしていた時も、私はけっこう辛かった。
アメリカ映画を見てその暮らしぶりに憧れたあと、帰りに立ち寄った
明治屋で私が変えるものといえば胡麻油。ひじき、それに高野豆腐?
嫌になる程子供のころからそんなものばかり食べていた。
だからこそ西洋風の食事に憧れたのに、また禁止か・・・
子供の頃の我が家は食事内容には非常に厳しく、箱入りのお菓子
(ポッキーやプリッツなど)も遠足の時しかダメ。
お祭りがあっても飲食禁止。もちろん炭酸飲料はダメ。
お正月のかまぼこは、いとこがピンクのかまぼこを食べていても
我が家の子供は厳しく禁止。普段のおやつはせんべいか干し芋という有様だった。
図工の時間に「お菓子の箱を持ってきてください」と言われても
そんなものが存在しない。あるのはティッシュの箱くらい。
そんな家庭で育ってきたから、もう嫌という程煮物は食べた。
お弁当の色は茶色く、友達の冷凍食品とよく交換してもらっていた。
それなのにやっと自立して自分の家庭を持っても、また食べるのは
これなのか・・・・こんなにヨーロッパが好きなのに・・・

 そう思いながら妊娠中も玄米食を心がけ、そうとう食事に
気を使い、母乳育児中も誘惑に負けては母乳がつまり、
桶谷の先生に怒られていた(何を食べても全然平気な人もいる)
それで、それでやっとその時期が終わったのに。・・・またか・・・

 母は正しかったのかもしれない。確かに私は小学校も1日しか
休んだことがない。中学は多分皆勤賞だ。高校時代や大学時代、どれほど
エネルギッシュだったかは友人たちがよく知っている。
それで、なんでこんなに今は元気がないのだろう?
フランスに留学して、一人でカフェに行き始めたから?
それは疑いたくないけれど・・・

 正しい食事、というのは確かに存在するのだろう。
それはかなり質素な食事で、はじめは味気ないだろう。
ご飯の時間とお茶の時間しか楽しみがないと思っていた私にとって
こんなにも少しの間しかものを口にしないというのはかなり寂しい。
でもその代わりに時間ができた。なんだかずいぶん暇だなあ、
最近立て続けにそう思う。なんであんなに忙しいって言ってたのかな?
なんだかそれも不思議に思う。子供に対して行為に怒ることはあっても
そのままイライラし続けることはほぼなくなった。
この3日ほど、ようやく食後の気分や体調のジェットコースターの
ような変化がなくなり、食事をとるのが怖くなくなってきた。
食後も疲れることがなく、午前中のコンディションのように午後も
働けたならどんなに時間があるだろう?それに夕飯が
重要でないのなら(夜はとにかく胃腸を休めたほうがいいらしい)
思ったよりも自分の時間があるでは?


 ないない、足りない、やっぱりできない。


 そういう思考を生み出していたのは時間でも仕事でも現実でもなく
自分が食べてきたものだったのかもしれない。
人生を変えるために口にいれる何かを断ってみること。
そしてその変化を自分で体感し、それからもう一度自分で選択すること。
こんまりさんは言っていた。どこまでマイナスにしても大丈夫なのか、
そのラインを確かめること。そこまで捨て続けてみるといつかストンとわかるらしい。
食もそれに近いのかもしれない。

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