alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

まちがもっと気持ちのいい場所になるために必要なこと

2018年01月21日 | パリのカフェ的空間で


投稿がご無沙汰しているのにイベントの案内で恐縮ですが、
昨年から必死になって研究を形にしようとしている
インフォーマルパブリックライフの活性化の方法と、
そのためにオープンカフェが果たす役割について
1月28日に胡桃堂喫茶店さんでお話させていただきます。


以下案内文になります。うまくいくまちづくりや空間づくりには
セオリーがあります。そのセオリーをしっかり活かしていく上で
カフェは欠かせない存在なのです。それをなんとか今年は
本にしていこうともがいています。
ご興味があれば是非どうぞ・・・・
(申し込みは一番下のフェイスブックイベントページからお願いします)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「まちがもっと気持ちのいい場所になるために
必要なこと 〜インフォーマル・パブリック・ライフとカフェ〜」

みなさま、どうもこんにちは。
クルミド出版の今田と申します。
 
この度思いがけない機会が実現しましたので
みなさまにご案内させていただきます。
 

カフェ文化研究家・飯田美樹さんをお招きし
----------------------------------------
パブリックライフとカフェの関係性
----------------------------------------
ということ考えてみたいと思います。


飯田さんとの出会いは、
クルミドコーヒー店主/クルミド出版発行人である影山が
2009年に飯田さんの著作『caféから時代は創られる』
を読んだことがきっかけでした。
 
ピカソ、モディリアーニ、レーニン、ヘミングウェイ、サルトル……
20世紀の初頭、パリのカフェが
いかに「時代を創る」役割を担ったかについて
実証的に語ってくださるこの本に
スタッフ一同、今も勇気づけられている本です。
 
昨年、そんな飯田さんとお話しする中で
現在の関心が
「インフォーマルパブリックライフにおける
 カフェの重要性」にあるということをお聞きしました。

"informal public life"
直訳すると
「気取らない公共生活」でしょうか……。
なんだかいまいちピンと来ませんね。

もともとはアメリカの社会学者
レイ・オルテンバーグが"the Great Good Place
(邦題『サードプレイス』)"の中で語っている言葉で
飯田さんが
「老若男女が行き交い、ちょっとした時間を過ごし、
なんだか楽しそうな雰囲気のある場での過ごし方」と説明してくれました。
こうなると、なんだかちょっとイメージが湧いてきませんか。
 
ただ一方で、
先ほど"public life"を上手に訳せなかったことが示すように
日本ではまだまだイメージできないのが現状。
「ヨーロッパは進んでいていいなぁ」
なんて思う方もいるかもしれませんね。
 
しかし、ヨーロッパの多くの都市も昔から変わらずに
"public life"が存在し続けてきたわけではありません。
それらを獲得してきた歴史があるのです。
 
ではどうすれば
インフォーマルパブリックライフを豊かにしてくれる
心地よい公共空間をつくることができる のでしょう。
  
飯田さんは
研究や実践を重ねてきた先人たちの知恵を学びつつ、
その質を高めるのは
カフェにあるのではという仮説を持っています。
 
当日は飯田さんの発表を聞き、
来ていただいた方と一緒に
ディスカッションができるといいなと思っています。
 

また、実は
クルミド出版から
飯田さんによる上記のテーマの本を出版予定です。
 
出版は英語ではpublishing。
文芸作品や情報を製作し、周知するプロセス。
すなわち、情報を公にするという意味合いが含まれます。
 
出版と日本語に訳してしまうと
どうしても物質化するイメージに固定化されますが
「知を公にし、その先討議して、知を深めていく」
ということも出版社の役割であると考えます。
 
また、カフェからはじまった出版社である我々が
カフェというメディアを通じて
情報を公にしていくのは
自分たちの役割なのではないかとも考え
今回の企画を着想しました。
 
カフェという場に興味のある方
都市社会学/サードプレイスに興味がある方
まちづくり/パブリックライフ学に興味がある方
なんとなくピンと来た方
ぜひ、お越しいただけたらと思います。 
 

< プログラム>
1.ごあいさつ
2,飯田さんより発表(50分)
3.クルミド出版発行人・影山から飯田さんへ質問(30分)
4.質疑応答(30分)
 

日時:2018年1月28日(日)9:00~11:00
   ※この日は11:30〜の営業となります
場所:胡桃堂喫茶店
参加費:2,000円(ワンドリンク込み)
定員:30名
お申込み:このイベントページの「参加/Going」ボタンを押して
     いただけたらOKです。 
また、メール:info@kurumido2017.jp
   お電話:042-401-0433
店頭でも受け付けております。
定員に達し次第、受付終了となりますので
よろしければ、お早めに。

■ゲスト:飯田美樹(Miki Iida)

カフェ文化研究家、東京大学情報学環特任助教。
専門は20世紀前半のパリのカフェ文化。
高校時代からエコ・リーグという環境NGOに関わり、
数々の宿泊型イベントに参加、企画。
その体験から人生が変わる場、社会変革の発端となりうる場
について興味を抱く。学生時代にフランスに留学し、
パリのカフェに足繁く通っていた頃、
カフェが社会変革の場であったと知り、研究を開始。
著書『caféか ら時代は創られる』(いなほ書房)では、
「天才達がカフェに集ったのではなく、
カフェに通うことで天才になっていったのでは」という視点で、
カフェとい う場のポテンシャルについて考察。
出版後各地でカフェという場の力について講演。
現在はパリのビストロ、カフェ文化を紹介するサイト”Paris-Bistro.com”
日本版代表として記事の執筆、翻訳等を行っている。
ワインエキスパート。フラン ス語講師。フランス語通訳ガイド。

 
みなさまのお越し、お待ちしております!

申し込みはこちら
https://www.facebook.com/events/553243441714479/

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カフェイン中毒

2017年10月07日 | 私の人生


カフェイン断ちを始めて1週間が経過した。その間
地獄のような苦しみにさいなまされつつ
なんとかして継続してこれたのは、ひとえに
肌のトラブルが日ごとに改善されてきたからだ。

私が本気でやばい、と思ったのは3週間ほど前の週末で、
その日は朝お腹が痛くて起きられず、トイレに
行こうと思ってもその距離が遠すぎて動くことさえ
できなくて、ようやくまともに立てたのが午3時という
経験をした時だった。そして顔には吹き出物。
顔を洗っても洗ってもなんだかベタベタした
不快感が続いてた。・・・これはまずい、身体が何かを訴えている。
だから改善しなければ。

そこでまずやってみたのはすでに経験したことのある
砂糖を(できるだけ)断つことだった。これでもだいぶ
改善されたとはいえ、顔にある吹き出物には
どれほど効果があったかわからない(髪の毛は
2日でツヤがでた)その他いろいろ試したものの、
他に思い当たる節もない。わりと健康的な
食生活をしているはずなのに・・・
それでもまだ、顔のブツブツは治らない。
ひとつだけ思い当たることがあるとするなら、私から
切っても切り離せないお茶やコーヒーなのだろう。


そこでなんとかカフェイン断ちをして1週間。
たった1杯のエスプレッソによるその後の
禁断症状はまさに拷問のような苦しみで、
エスプレッソを飲んだ1日後だけかと思いきや
2日目にも同じような、脳みそ全体を真綿で
締め付けられる続けるような頭痛、目を後ろから
ひっぱられるような痛み、背中から首にかけての
激しい緊張感などが続き、もし頭痛薬を
持っていなければ倒れていたのではというほどに
その症状はひどかった。カフェイン、本当に恐ろしい・・・!!

カフェの研究をしている私の本棚には
『カフェイン大全』という本があり、基本的には
コーヒーの効用をほめているものの、最後に
カフェイン中毒についての項目もある。それによると

「カフェ人を突然やめたときに頭痛が起こることは
何百万人もの人が日々の生活で経験しており、カフェイン
禁断のもっとも典型的な特徴の1つである。またこれはカフェインが
身体的依存性を持つ直接的な証拠でもある。カフェイン禁断の
一般的症状としては、毎朝のコーヒーを楽しめなかったときに
経験した読者が多かろうが、次のものが含まれる。

・眠気ーー嗜眠、あくび
・仕事上の支障ーー集中力の欠如、倦怠感、労働意欲の喪失
・いらいらーー満足感、幸福感、自信それぞれの減退
・社交性の低下ーー親密感やおしゃべりの減少
・流感に似た症状ーー筋肉の痛みと凝り、一時的な熱っぽさあるいは寒気、吐き気、目のかすみ

ほかの症状としては抑鬱の増大、不安感、精神運動能力の低下といった
例が報告されている。」
(ベネット・アラン・ワインバーグ、ボニー・ビーラー『カフェイン大全』p.482)

まさにその通り!っていうか全部しっかり当てはまる。

この1週間、私には感情がなかったかのように
のっぺらぼうで過ごしていた。
普段だったら怒るような出来事も、ふーん、と
通過してしまうのだ。なぜだろう?頭痛と
戦っていて、そんなことに構っている余裕が
なかったからなのか。不思議なことに
感情の揺れ動きがなくなっていく。でもその分
子供には随分と優しくなって、今までだったら
つい怒っていたようなことにも怒らなくなり、
随分と優しくなったと思う。
(子育て始まって以来の優しさかも?)

カフェインのせいか、砂糖のせいか、
特に夕飯後にお茶とお菓子をとった後
急に血糖値が上がったためか、イライラすることが
多かったけど、カフェインとともに砂糖も極力
とらないようにしていたために、背後からこみ上げてくるような
どうしようもない怒りというものがスーッと消えた。

もちろんカフェインの良さには頼れていないので
カフェインが与えてくれる「自己肯定感」は
減ってしまった。私って意外とできるんじゃない?
おーこんなに仕事が早く終わった!という気持ちには
なれなかったけど、カフェイン断ちを実行した人たちの
言うように、そうまでして頑張らなくてもいいのでは、
と思えたのは発見だった。

そもそもカフェインというのは
産業革命以降の労働者たちを働かせる格好の
道具だったのかもしれない。(もともとは
どちらかというと聖職者や限られた人の儀式用の飲み物だった)
産業革命では労働者たちは朝の5時から夜20時まで働いていたという。
そんな彼らを本当に元気づけるものは、栄養のある食物だろう。
たんぱく質にビタミンや色の濃い野菜とか?
でもそれがとれないならば?おそらくカフェインは一番
安上がりで元気がでる飲み物だったのだ。

「カフェインは「仕事をつまらないと思う気持ちを
おさえるような注意深さをもたらす中心的な働き」として
非特異的に作用する。この考えは、30分以上の継続的な
行動を対象とする多くの研究によって裏付けられている。
この行動とは実験心理学者の言う「ヴィジランス・タスク」で、
長時間にわたる注意力と反応性が要求されるが肉体的な
活動はほとんどないものを指す。(・・・)
カフェインは疲労した人を「元気にさせる」から
長時間の作業に対するカフェインの向上効果は、
繰り返しが多く単調で継続的注意を要する仕事なら
何にせよ見られるだろう。」

(『カフェイン大全』p.463)

イギリスの労働者たちは紅茶を飲み、現代の
労働者たちは仕事の合間にコーヒーを飲む。
そして覚醒された気分になって、よし頑張ろう、と
また仕事に戻る。それは自分の選択なんだと思っていた。
コーヒーを飲むのは自由な女の証、そんな風に
今でも雑誌のモデルはコーヒー片手にポーズをとっている。
でももしかしたら違うのかも、とカフェインから
離れた私は気が付いた。

カフェインには依存性がある。特に栄養がある
というわけではない。頭の働きをよくしてくれて、
自分はできる、という気持ちにさせてくれるのは
とてもいいことだ。でも一方で身体はどんどん
疲弊しており、頭と身体の乖離は進む。
そしてカフェイン中毒の私のように、日中は
エネルギーがフル回転で、気が付いたらバタンと倒れる、
そんな風になってしまう。
私はちょっと思ってしまう。「このハゲー!」
発言のあの女性議員も、実はカフェイン中毒だったのでは
ないだろうかと。カフェインは人を頑張らせ、
また頑張らせ、中毒だからまた摂取して、またまた頑張らせてしまう。
でも本当は身体はとても疲れている。栄養で
元気になったのではなく、その元気はちょっとした
まやかしなのだ。コーヒーにも紅茶にも
非常にポジティブなイメージがあるから、
それらを飲むことは自由な自分の選択なように
思ってしまう。でも本当は禁断症状に
耐えられずにコーヒーを探しにいっているだけかもしれない。

自分の意思でコーヒーを飲む、
それはとてもいいことだ。私だって早くそうしたい。
ミルクティや中国茶だって楽しみたい。
せめて1日2杯くらいは。でも
依存症になると身体がおかしくなっていく。
私の身体は7日間で見違えるように変わっていった。
身体全体にハリがある。爪だって磨いていないのに
まるで磨いたかのようだ。とにかく今までと
肌の様子がまるで違って、日増しにピンと張っていく。
それは顔から爪、足の感触に至るまで、
すべてが本当に違うのだ。
お茶やコーヒーのない人生なんて本当に
つまらない、それは人一倍自覚しているけれど
カフェインはけっこう恐ろしい。
それをよく自覚した上で1日何杯くらいにとどめておくのか
そうしないと、どんな健康志向も高級化粧品も
水の泡になるかもしれない。
そんなことを、特に女性に伝えたい。

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カフェイン断ち

2017年10月04日 | 私の人生
カフェがなければ生きられない
お茶がなければ生きられない

そんな風に生きてきた私にとって
カフェインを断つなんて もっての他のことだった。

砂糖断ちはやってみた。
小麦断ちもやってみた。
どちらも2日で目に見えるような効果があって
それほど「禁断症状」は強くなかった。
いや、小麦断ちをしたときは、目の前にはパスタやピザ、
美味しそうなパンに焼きそば、そういうものと永遠に
別れなければいけないのかと死ぬほど辛くなったけど。

それでもカフェインを断つのは無理だ。
ずっとそう思っていた。
なぜなら禁断症状が他よりずっと苦しいからだ。
タバコがやめられない人を多くの人はバカにする。
そんなのやめたらいいじゃない?と軽くあしらい
本人の意思が足りないだけだと白い目で見る。
でも私は禁煙した人をかなり尊敬してしまう。
だって禁断症状というのは 本当に恐ろしいものだから。

小麦依存にも禁断症状があり、その一つは確か
食べて数時間後にすぐお腹がへってもっと食べたい!と
思うことだった。そんな程度ならいいのだけれど
カフェインの慢性依存の禁断症状はもっと怖い。

まず頭痛が訪れる。それも1日で終わるといわれればまだましだ。
ところがそれが2日から7日ほど続くと多くの記事に書かれている。
実際に私は思い切って5日ほど前にカフェイン断ちを決断し、
昨日までは一切のカフェインを断ってきた。
ところが砂糖や小麦と違って翌日から目に見えてわかる
ありがたい効果というのはほとんどなく、
かわりにかなりの苦しさがやってくる。
その頭痛というのはまず脳みそ全体に1センチくらいのもやが
かかった感じ。(初日は特にひどい)放っておくと後頭部や首、背中にかけて
筋肉がやけにこわばった嫌な感覚が襲い、3時間以上は続く。
あの頭痛がいやだからそうなる前にコーヒーを飲む、
そうしてるうちに慢性依存になるわけだ。

カフェイン断ちについて書いた記事の中には
「頭痛がしたら割り切って頭痛薬を飲みましょう。
背に腹は変えられない。」という一節も。
確かにそうだ、背に腹は変えられない。
ではいつになったらこの頭痛がおさまり、普通の状態に
なるのだろうかと思っても、5日間ずっと朝になると
ぼんやりとした頭痛におそわれる。これでは仕事にはならないではないか。
どんなにハーブティで代用したって、コーヒーや
エスプレッソのシャキッとした頭にはかなわない。


そうして昨日、もうだいぶ我慢もしたし、
もう頭がまわらないのは耐えられない!と
ついにエスプレッソに手を出した。
大金をはたいてネスプレッソを買い、フランスに行けば
いつだってエスプレッソを飲んでいる私は
大のエスプレッソ好きなのだ。エイ、もう、仕方ない・・・


それが地獄のはじまりだった。


そういえば最近ハーブティなしでもよく眠れるようになっていたのに
昨日は変な夢をみた。エスプレッソを飲んだのは昨日の朝だ。
それから24時間も経っているのに、なんだか頭がやっぱりおかしい。
仕方がないからまた頭痛薬に手を出し、気持ち悪い頭痛は
収まったものの、今度は背中に何かが乗ってる感じで
目も後ろからずっとひっぱられるように痛んでくる。
目薬がないともうダメだ・・・でもそんなのこの場所には存在しない・・・
だめだ、頭もまわらない・・・
たった一杯のエスプレッソで、こんなにも1日がダメになるとは思わなかった。
これがカフェインの力だったのか、これをおさえるために
コーヒーを飲めばいいけど、そしたら元の木阿弥なのだ。

カフェインをやめてみたら
数週間前から気になっていた肌のブツブツが日をおうごとに
すーっと肌から引いていった。そして歯が本来の白さを
とりもどしつつあるように思う。肌や髪には弾力がでて、
つまりハリ、ツヤ、それに透明感もでてきたようだ。
(いつもよりまつげに弾力があり、抜けにくい気がする)

カフェインは体のカルシウムや鉄分をすーっと外に流してしまい、
シミを増やす可能性もあるという。カフェインで頭が働くのは
素晴らしいけど、それは壊れかけた車に無理矢理ハッパをかけて
高速道路を飛ばそうとしているようなもので、身体は
悲鳴をあげてるかもしれない。でも慢性的に依存していると
そこに気づける暇がない。

カフェインをやめてみたら
なんだか息子に優しくなった。背中から沸き起こるような
恐ろしい怒りも最近は感じない。このやろー!というような
子供に対する怒りというのは、もしかするとカフェインと砂糖や小麦の
産物なのかもしれない。

私はカフェが大好きだ。もちろんお茶も大好きだ。
でも今日身をもって経験した。カフェインはとても恐ろしい。
たった一杯のエスプレッソが丸一日を破壊するほどの威力を持っている。

私のように知らないうちに、慢性的なカフェイン中毒になり
どこに行くにもまずコーヒー、と思ってしまう人はいるだろう。
(そういう人はコーヒーがないとイライラしてくる)
カフェインは一度断てたら後は身体が楽になるらしい。
私もそんなことを語れる日がくるのだろうか。
慢性的な疲労はようやく回復し、驚くほど元気になんて
なれるのだろうか。

コーヒーにドーナツだとか、美味しいケーキセットを
カフェでというのは、カフェ好き女子にはたまらない。
でもそれは実は健康的にはトリプルパンチで恐ろしい。
知っていてあえて注文するのと
知らずにとり続けるのとではのちに相当な差が出るだろう。
朝ごはんにまず一杯、職場でもまず一杯。ランチの後に。
来訪時にコーヒーが出て、そんな感じで人々はコーヒーを
さくさく飲んでいく。でもカフェインはもともとは祈祷者たちの
薬であった。彼らだって、毎日使っていたわけではなく、
大事な時に眠ないでいられるように使っていたわけだ。

この厳しいカフェイン断ちを、どこまで続けらるかはわからない。
けれども自分の身体でなるほどな、カフェインってこういうものかと
納得するまで、もうちょっとがんばるしかなさそうだ。
(それに再びカフェインをとるのが怖すぎる)

コーヒーは確かに近代以降、頭脳明晰な哲学者や芸術家に欠かせない
存在だった。彼らはそれとともにカフェで議論をしていたわけだ。
一方で産業革命以降に過酷な環境で働く労働者が飲んでいたのも
コーヒーや紅茶だったのだ。何のため?無理矢理自分を
働かせるために。カフェインと近代型の思想というのは
切っても切り離せないのかもしれない。

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日本の美

2017年09月16日 |  カフェ的な場で考えたこと
 女性の美とはなんだろう?
最近美しくなることを目指そうと決意して、そういうことを考えていた。
そしていざその世界に入ってみようとちょっとでも調べてみると
エステに美容整形に、高級化粧品やらなにやら
いくらでも女性の美を応援し、そこにお金をかけさせるシステムがあるのに
この年になって今頃気づく。そしてもう一つやっと気づいた。
ちょっとでも美しくなるために、みんなそこまでお金をかけていたのかと。

 それでもある時モデルさんたちが集まるイベントに参加して
彼女たちを眺めながら私は考えさせられた。
努力してお金をかければある程度の美は手に入るといえるだろう。
うまくお化粧することも、肌質改善することも、
脚をキレイに見せることも、髪の毛をふわっとさせるとも
技術とお金があればなんとかなる部分は大いにある。

 でも だけど 気品だけは別なんだ。

 そしてその場で痛感していた。気品はお金では買えないのだと。


 今日は日頃からお世話になっている茶道の先生が
教授に昇格されたとのことで、そのお祝いの茶事が
帝国ホテルの茶室で開催された。あの帝国ホテルで
お茶会をするというのは誰にとっても特別なことであり、
先生も相当に気合いが入っていたのだろう。
今日の先生はいつものお茶会ともまた違い
びっくりするほど美しかった。
まるで「日本の美」というのをイメージ化すると
それがそのまま先生の姿になるかのように
立ち居振る舞いからお点前、ちょっとした笑顔に至るまで
先生は美しさそのものだった。

 その美の姿は私が最近近づこうと試みていた女性の美とは異なっていた。
これまで私が見てきたもてはやされるような女性のよさは
スタイルが良く、胸も大きく顔は派手で背は高く、ハイヒールを履き
もちろんセクシーな魅力があって、外見的な魅力を武器に
男たちの目を惹きつける、そんな感じの女性像が「うまくいく女性像」として
様々なメディアに映っていた。

 ところが先生の美は圧倒的だが、前述の美とは全然違った分類なのだ。
そしてそれを言い表せる言葉が見つからない。
皆先生の立ち居振る舞いやお点前に(後ろ姿しか見えなかったという
人でさえ)あまりの美しさに驚いていたというのに、
それを表現する言葉がでてこない。私は人間国宝のようだと言って
先生はそれを笑っていた。他の人は身も心もしびれたと言い、
なんて言い得て妙なんだ、と私はその人の表現力に驚いていた。
でも他に言葉が見つからない。あの美しさは一体なんといったらいいのだろう?

 ひとつは引いた美学のようだった。
雑誌をきらびやかに飾るモデルのように
「私を見て!キレイでしょ!」という、息子に言わせると
「自分をスターだと思ってる感がハンパない」感じとは全然違う。
謙虚さ、控えめ、でも動きに一切無駄がなく、選んだものにも
一切の迷いやノイズがない。茶道の動きは計算されたマイナスの
美学だという人もいる。ややこしいように見えるお点前の順番も
実際にはそれが一番理にかなっている、無駄のない動きらしい。

 先生には飾り立てたところが一切ない。着物も遠目で見ると
非常にシンプルで、振袖の真逆といえそうなほど柄がない。
白シャツを着こなせる人が少ないのと同様に、あれほど
シンプルな着物をきてこんなに美しく見せられる人も
本当に珍しいだろう。そういえば柳宗悦が言っていた。
井戸茶碗の美しさはその飾り立てない素朴な姿勢にあるのだと。
美を追求し、名声を求めていった茶碗のいかに醜いことか。
先生の姿はそれに通じるものがある。
きちんとした暮らしの積み重ね、きちんとした生き方の積み重ね。
そこからにじみ出るものがある。だから存在そのものが美しい。

 飾り立てる美しさにはいつか飽きる日が来るかもしれない。
京都の街中によくある、お寺の財力を示す飾り立てた人工的な美しさも
数日見ているとだんだん疲れてくるものだ。
それに対して京都周縁部にあるお寺だと、もっと自然で
人の心を打つ美しさに出会いやすい。
雄大な自然と溶け合った奈良のお寺や、時とともにより味わいの増す
わびさびを感じさせる寺院のように、気をてらわず、落ち着いていて
来る人を包み込んでくれるような優しさと余裕がある
そんな美は美しいのにあたたかい。

 美 というのは一体どこから来るのだろう?
世の中の多くの情報は外見を飾り立て、変えることを訴えている。
けれどパッと一瞬人の目をひく派手な美しさと
じんわりと人の心を打つような、いつまでも心に残り
また来たい、会いたいと思わせるような美しさは全然違う。
そしておそらく先生が茶道の先生であることからも、
それが日本文化が本来持っており、ジャポニズムの頃に
世界を震撼させた美なのだろう。

 それは浅草の多くの土産物屋の嘘くささとも異なっている。
飾り立てて白く塗りった舞子さんの美とも異なっている。
茶禅一味。茶は本来は禅と切っても切り離せない関係だ。
禅は本来多くのものを所有しないし、身体とともに魂を鍛えていくわけだ。
だから茶の美、というのは禅寺の美に通じているのだろう。
観光客向けでない真の禅寺は、きっと真実を追求しているから
美しい。噓いつわりでもその場かぎりのごまかしでもない、
先生の口癖である、「きちんと」大切なことをごまかさずに
「きちんと」日々を重ねていく。そのことで生まれる
人ととなりの美しさが、服から滲み出ているのかもしれない。
気品だけでなく 美しさとは きっと存在そのものから
滲み出るものなのだろう。小手先の美でも気をてらったものでもない美
日本にその伝統があるのなら それを失ってはいけないと思う。
私は本当に驚いた。こんな美がまだあるのなら、
それは守り伝えなければいけないだろう。
先生の美は日本の職人さんの美に通じるものがある。
真実を追求し、自分が本当にいいと思ったものに
一心にどこまでも向かっていく。
メディアにもてはやされるのでも、パッと華々しく人目をひくのでもない
日本の独特の美しさ。もっと大事にしたいと思う。

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2017年09月06日 | 私の人生
 久しぶりに号泣した。
きっと泣きたかったのだ。
いつかそんな時が来て欲しいと
心のどこかで 思っていたのかもしれない。

 女は泣いて強くなる、男は涙をこらえて強くなる・・・
昔読んだ小林よしのりの漫画にそう書かれてた。
私は自分の子供の前で何度も泣いた。
泣くたびに、その後何かを手に入れてきた。
お母さんだって美術館に行きたいと、
本気で涙を流したことがある。それが今では笑い話に思えるほどに
もうお腹いっぱいというくらい、この数年で行ってきた。
 
 でもその時点では到達したくても到底できない、
そう思っているから涙が溢れてしまうのだ。

 私は一冊本を書いた。そのきっかけとなったのは
トイレで号泣したことだった。子供を妊娠し、
よき母を目指す人たちが集う産婦人科に
遠くまで見学しにいった日の夜、私は打ちひしがれていた。
私は母になるために生まれてきたわけじゃない・・・

 私にもやるべきことはあったはずだ。
どうして母になるからといって妊娠時代のすべてを
薪割りや散歩に費やさなければならないのだろう?
子供がいないからこそできる何かを必死でやってもいいではないか?
どうせ子供が生まれてきたら 自由なんてなくなると
皆口を揃えて言うのだから。

 私はそれが怖かった。自分の人生がどうなるのだろうと思っていた。
その不安は的中し、先輩たちの助言通り
私に自由なんて存在しなかった。当時の私にできた
唯一の抵抗といえばお茶を飲むこととブログを
書くことだけだった。そして洗濯物をたたむ気力もないままに
子供をあやし、気づけば1日が終わっていた。

 セルジュ・ゲーンスブールと結婚し一世を風靡した
ジェーン・バーキンは最近のマリークレールのインタビューに
こう答えてた。「自分は年をとったなんて全然思っていないんです。
中身は若い時のまんま、でもあるとき鏡をみて愕然とする瞬間が
くるんです。そういえば母も言っていたけど、そんなことは
自分には起こらないと思っていた・・・」

 特に子供を産んだ女性はあっと言う間に時が経ち
自分でもそれ以降何を成し遂げたのかもよくわからないまま
ジェットコースターのように月日がたって、ふと正気になって
振り返れば 自分は年老いてしまっている。
目の前の仕事、目の前の子供、目の前の家事、
必死になってこなしているだけで3年も4年も経ってしまう。
そして何が残ったのだろうと自問自答してみると

 美しい思い出なんて本当に残っているのだろうか?

 上手にバランスをとれている優れた人はそうかもしれないけれど
ジェットコースターのような日々を過ごしてきた人たちには
慌ただしく、子供に小言を言いながら、わたわたと
過ごしてきた日々しか残っていないのかもしれない。

 そんな人生でいいのだろうか

 子供は自分の子供とはいえ、いうことを聞いてくれるわけでもない。
大金をかけて海外の美術館に連れて行っても つかれた
やだ もう行きたくない で、予想していたものの
10分の1もわかってくれないかもしれない。
よく自分の作品を我が子のようだという人がいるけれど
この言葉を聞くたびに、私はこの人は子供がいないんじゃないかと思ってしまう。
本当の我が子と作品は全くもって別物だ。
我が子は自分のお腹から出たとはいっても別人格で
自分と感情も感覚も物の考え方も違う。
理解しようと思ったって 本当に違うのだ。
でも作品は違う。作品は自分の考え、自分の想い、
それを自分が思うように手を加えて具現化したもので、まさに自分の分身だ。
だから私は自分の作品を作りたい。
そう、もう書くべき時なのだ。

 妊娠中にトイレで号泣した後私は強く決意した。
子供が生まれる前に本を書こう。
そして私は実際書いた。原稿をすべて提出した後
息子は予定より1ヶ月早くこの世に生まれおちてきた。
あれから9年、信じられないほどの月日があっという間に
経ってしまった。その間私は書けなかった。
何度も何度も書こうともがいた。
だけど形にならなかった。それはおそらく
子供がいるとか 時間がないとか そういう理由ではなくて
結局のところ書けなかった その一言に尽きるだろう。

 だから私はきっと心のどこかで待っていたのだ。
あの時のように号泣する日がやってくるのを
自分に何の言い訳もできないくらいに
やるしかないと思わされる日が訪れるのを

 私には夢があった
子供がいるからといってそれを諦めたいとは思わない。

 夢を諦めたくない 

 溢れる涙の中で噛み締めていた想いはそれだった。


 高校の図書館に並んだ文学選書
哲学選書に偉人伝。 世界には素晴らしい作家たちがいた。
世界に名前を残し、影響を与えた作家たち。
ボーヴォワールもサルトルも、ヘミングウェイも
今私が読んでいるジャーナリストの本もそうだろう。
日本という遠い異国で、今でも誰かが読んでいる
そんな本を書いた人たちがいた。
私が彼らの研究をしていたのは、結局本心では
彼らのようになりたいという想いがあったからなのだ。
気づけば年老いてしまった今でも その気持ちは諦められない。
だってジェーン・バーキンのように 気持ちは高校生のままなのだから。
いつか私も本を書きたい
そしてヘミングウェイの本のように
パリのシェイクスピアアンドカンパニー書店に
普通に置かれる そんな本が書けたらいい

 本当にそう思っていた。

 その夢は諦めるべきじゃない。

 死んだような顔をして生きるくらいなら 
死ぬ前にやりたいことをやったほうが
よっぽどましだ。いつ死ぬのかわからないなら
本当に死んでしまう前に きちんと書き残したほうがいい。

 私はボーヴォワールに憧れていた。
あんな風に私もカフェで議論がしたかった。
フランス語や英語を必死になって身につけたのは
いつかそんな場所が現れた時 私もそこで議論に加わりたかったからだ。
その場所はやはりパリなのだろうか
それとも実はイタリアなのか
それはまだわからないけど

 書くべき時がやってきた。
それは確かなような気がする。
9年間の集大成。辛かったこともすべて含めて
書くための経験だったのならば

 もう諦めなくてもいいように
私は前に進んでいこう
書くための時がやってきたのだ。
子育てをして郊外に住み辛い経験をした女だからこそ
書ける言葉があるはずだ。

 夢見た世界がまだ頭の中にあるのなら
今度こそ
そこを目指して進んでいこう

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フランスに行くなら

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