alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

ミッドナイト・イン・パリ!

2012年05月26日 | パリのカフェ文化


 「あ、そうだ 飯田さん 今度パリのカフェに関係する
映画が公開されるらしいんですけど知ってますか?
アカデミー賞も受賞したっていう、、、」
「え?なんですかそれ?」
「なんだったかなー また名前がわかったらお知らせします!」


 と 普段はあんまりそういった話をしないクルミドのスタッフに
突然控え室で呼び止められるという経験をして なんだか変だ
妙な匂いがする、、、これはどうもそこには何かはあるってこと?
と感じていたら また別の人からもこの映画についての話をされて
これは運命的な匂いがする、、、と思ってた。


 さて そんなミッドナイトインパリの関連書籍に
わが『caféから時代は創られる』を選んでいただいたとのことなので
さっそく公開初日の一番始めに行ってきました、久しぶりのルシネマに!

 なんとか時間に間に合って ルシネマの小さな座席に座ると
妙な感慨が押し寄せてくる。ここに座ったのは一体何年ぶりだろう?
最後に観たのは?「フレンチな幸せの見つけ方」だっただろうか
変な映画!と思っていたけど 結局あの映画にはかなり影響を受けてしまった。。
いろんなことを思い出しながら映画の予告編を見て、2つもパリに関する映像を
見ていると なんだかそれだけで泣けてくる。そうして今日も随分泣いた。
なんで私は泣いたのだろう?それは、、、多分パリに対する想いのせいだ。



 世の中には2種類の人間がいる と 人はよく言ったりもする
この映画を観た私が世の中に2種類の人間がいるとするならば
「パリが好きでたまらない人間」と「パリなんてどうでもいい人間」
もちろん圧倒的に後者が多くて世界の95%以上くらいはそうだろう。
だから「パリが好きでたまらない人間」には多くの侮蔑の言葉や
いい加減にしなよという言葉が浴びせられる。
「もっと現実をみたら?パリは汚いよ」
「そんなの夢想だよ」
「パリなんて犬の糞と渋滞の街」
「世界を色眼鏡でみちゃいけない、、、」


 沢山の人たちが(特に最近はフランス人)私に歯止めをかけてきた。
「パリに行ってどうするの?」そう 知ってますとも
そんなんじゃいけないと どれほど痛い目にあうかというのも
でも世界を広く見渡すと パリが好きで戻りたくて仕方のない人たちも居る。
でもそんな人たちは自分の国では頭がおかしいと思われている。
だけど居たのだ!映画の中に。私はこの主人公となら絶対に友達になれると思う。


 頭の中はパリで昔のモンパルナス?それって私のことじゃないか
それならば関連書籍に選ばれるのもうなづける。そして私は
この主人公と同じくらいある意味頭がおかしいのだろう。
でもしょうがないじゃん、サルトルだって時折幻覚の伊勢エビに追いかけられたし
ボーヴォワールは「あなたは精神分裂病だ」とサルトルに言われたりもしていたわけで
作家とか 何かを創作する人たちは 多少は頭がおかしいからこそ
創作ができるのかもしれない。だって強い思い入れや他の世界への
夢想がなければ 物なんて書く必要性が生まれない。
現実に満足してたら?やっぱり書けない。だって強い力が働かないから。





 この物語の中には現代のアメリカで脚本家としてそれなりに
売れているけど昔のパリがいいと思っている人が主人公で、
他にも1920年代のアイドル的存在だけど19世紀末のベルエポックに
住みたいと思っている人もいる。そしてベルエポックに行って
ロートレックやらに会ってみるともっと昔の時代がよかったと言うそうな。
まあそんなのいつの時代も変わらない。
結論としては仕方ない、僕がいるのは現代なんだという感じだったけど
結局彼はアメリカを捨ててパリに残ることにした。
現代でも美しいパリ 雨の日が美しいパリに。


 パリの夜には奇跡が起こる。
たとえ奇跡までいかなくっても パリの夜はきらきらしている
それは夜がふける程 に その美しさを増していく
そんな都市があるということ ピカソはパリが嫌いだったらしいけど
それでも彼も夜のパリを散歩していた 夜のパリには
フェットがあった ワインやシャンパン そしてダンス
眩い光に出会える街、、、





 「もしきみが幸運にも 青春時代にパリに住んだとすれば 
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも パリはきみについてまわる 
なぜならパリは 移動祝祭日だからだ」

(ヘミングウェイ 『移動祝祭日』より)



 パリには今でも美しい時代の名残が残ってる。
ガートルードスタインのサロン?現代だって
ミッシェルの家のサロンはそれではないか?映画の中で
ガートルードは何カ国語かをしゃべってた。
そこはとても国際的なサロンであった。ミッシェルの家だって
今でも3カ国後はスタンダードで ロシア語やスペイン語や
ドイツ語だったり いろんな言葉が飛び交っている。
そして即興ではじまるダンスの時間 アメリカからやってきた
哲学者たち 世界中からやってきている学生達、、、




 みんな 元気にしてるかなあ

 みんな 元気だろうなあ


 また 私がパリにいったら 「やあミキ いたの?」と
そんな感じで言われるだろう 「あなたはパリのどこに住んでるの?」と
また普通に聞かれるだろう ウッディアレンの愛している街
パリという街には今でも 世界中からその空気を愛してやまない人たちが
なんとかビザを取得して そこに住み着いているのだけれど
お金を稼ぐのは大変だ。。。



 それでもいつか やっぱり私はパリに住みたい。
映画の主人公の彼のように 売れっ子の作家になったら
「じゃあ僕は帰らないから。パリに住むことに決めたんだ」なんて
言えるかな。フランス人たちは日本こそ素晴らしい パラダイスだよと
言うけれど たしかにパンもおいしいし 地下鉄では眠れるけれど
最近では素敵なカフェも増えて来たし そりゃラジオクラシックも聴けるけど、、、
やっぱりいつか パリで仕事がしたいなあ。
「何しに来たの?」ではなくて それなりの仕事を持って
いまでもまだ 外国の人から見たら キラキラしてまぶしさの残る
そんな街 で 私も一緒にワイン片手に笑いたい。
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不思議な出会い

2012年05月18日 | フランスへの道


 先日いつものように電車の中で なんとなく
ため息まじりの気分になって 何かいいことないかなあ、、
とぼんやりとフェイスブックを見たりしていた。
フェイスブック?もうほとんど自分に禁じたはずなのに?
でもその時はとても疲れてた。なんでもいいから
見たい様な そんな気分の時だった。


 その時私はこんな言葉を見つけてしまった。。。


 「東京の日仏文化センターでアシスタント募集中」

 なにそれ!それは面白そう!どういうこと?と
飛びついてみると なにやら目にする言葉の一文字一文字が
私のためにあるみたい。女性、大卒、文化、翻訳
しかも場所はどこかというと二子玉川の近くらしい。


 なんと、、、そんなとこ あるの?
知らなかったけどこれはなんだか面白そう!と
早速連絡をとってみて 代表の方とやりとりをしてから
昨日はそこに行ってみた。

 11時45分に待ち合わせ、、、と言われたものの
到着すると「はて?」という顔をされたけど
約束はきちんとあったようで そこから代表の方と
色んなお話をさせてもらって なんだか思いがけない日になった。


 昨日も相変わらず頭が痛くて でも今日ばかりは仕方ないと
何年か手を出さなかった頭痛薬にも手をのばし えいやっと思って
行ってみたら 最後には元気になっていた。
それはやっぱり?フランス語に触れていられるからなのかなあ?


 
 その学校はかつて私がふらふら歩いた上野毛の高級住宅街の
一角にあり 一見するととても高級な印象も受けるのだけれど
意外にもそこに関わる人はみんななんだか感じがよくて
代表の方はここは「リトルフランス」だとおっしゃてったけど
本当にそんな感じ。なんと建物の奥にはサンルームみたいなところがあって
そこでティータイムができたりするのだ。しかもこの学校、
食事や料理をしながらフランス語を学ぶのをウリにしていて
まさに壁にかこまれた教室でつまらないフランス語、の反対で
楽しみながらやってくうちに身に付いて行くという
私がやろうとしてたフランス語講座そのものじゃない?
(もちろんちょっとハイクラスな感じですが)
知れば知る程やっていることは面白そうで
なんでこんなとこ 今まで知らなかったのかなあと思う。
こんな画期的なとこ 東京にずいぶん前からあっただなんて、、、


 さてそこではバロックダンスというのもやっていて
「はあ?バロック?」という感じだったけど
そういえば、、、とおずおずと あの バロックってヴィバルディも
そうでしたっけ?そういえばそれは毎日聞いているんですと話をし
代表の人に「ラジオクラシックは毎日聞いてます!!」と言ったら
「君は僕の友達だー!!」(彼はフランス人)と言ってもらえ
本当にうれしくなった。


 ラジオクラシックとフランス語。


 それだけは毎日ずっと触れて来ていた。頭がいたかろうが
風邪だろうが寝込んでいようが この1年間フランス語に触れないという日は
おそらくなかったように思う。それはラジオクラシックがあったから?
一日3時間以上耳にしている日さえあった。
電車の中でワイファイを使いはじめてラジオクラシックを聴いた日は
天にも登る様な心地になった(でも結局よく途切れるので聴けない)
そんなラジオクラシック。日本で愛好家は一体どれほどいるのかわからないけど
私の趣味だったラジオクラシックとiPadのフランス語の子供用アプリを
集めるという ほとんどだれとも共有できないけど自分にとって大事なことが
ここでやっと認められ「それは素晴らしい!!」と言ってもらえて
私は本当に心の底から嬉しくて なんだか報われたような気になった。


 そしてどういうわけだかこの日はテレビの取材があってね
まあせっかくだからバロックダンスを見て行きなよ と誘われて
みなさんが準備をしている時に暇そうにしていたら
ダンスの先生が「あなたもどうですか?」というので
まあ準備体操やステップくらいなら という気持ちで参加して
そのうちやれ人数が足りないだとか まああなたも着替えてくださいとかで
ドレスを着ることになり ステップを何度も練習し
結局テレビの取材がそこにやってきた時 運悪く私は
先生の隣にいたので照明をばっちり浴びてしまった。
さて どうなっていることでしょう、、、


 ダンスの終了後にテラスに用意されていた席には焼きたての
フランスのお菓子が2種類も運ばれて来て コーヒーを飲みながら
仮面をかぶって昔の衣装をきている人たちの前で
私もドレス姿でお菓子を一緒にいただいた。となりには
一緒に踊っていたフランス人。撮影陣が帰ったあとは
なんだかほっとした雰囲気になり、この人はどんな人なのかなと
話をすると「僕はねえ日仏関係の貿易をずっとやっててねえ
大使館でも働いていたんだよ」という。生徒さんには
大学教授もいるらしく さすが世田谷?すごい人たちがいるものだ。
でもみんな そんなこと言われなかったらわからないような
ずいぶんと感じのいい人たちで 私ははじめて東京で
感じのいいフランス人たちをやっと見つけた そんな気がした。



 あれは、、、 夢だったのだろうか


 あれは 幻?


 私が見ていた 目の前にいた 中世の衣装を着た人たちに
テーブルに飾られたピンクのバラたち。そしてまるでミクニに
いるかのようなテラス。日本ではじめて目にしたチーズのプレート、
しかもそれを食べてもいいのだなんて、、、 あれって ほんと だったのかなあ?



 先日玉村豊男さんが新聞に 友人が自分の家を訪れたとき
畑仕事を手伝ってから ご飯ができてもいつまでたっても来ないので
どうしたのかと思ってそっちにいったら彼に「お前はいつも
こんな暮らしをしているのか」と尋ねられたと書いていた。
「まあ いつもたき火をしている訳ではないけれど
まあいつもといえばいつもかもしれないなあ」
「なんかなあ 都会にいても達成感がないんだよなあ、、、
達成感が、、、」とその人はもらしたらしい。


 「お前、、、いつもこんな暮らしをしているのか、、、」

 私もそう尋ねたかった。いつもこんな昼食なの?
こんなのありなの?「まあだいたいいつもこんな感じだよ」


 な なんてうらやましい、、、!!


 そんなところが 東京にあるんだなあ

東京にも素敵なフランス人がいるんだなあ


 私はいつかフランス語の学校を創りたいと思ってた。
それはこんな学校だった。きっとそう、なのだろう。
言葉?言葉だけじゃない 言葉は入り口なだけなんだ
ちょっと違う文化を学ぶ ちょっと違う生き方を知る

 なんだかここは 本当に奥が深そうだ。
昨日から頭がなんだかボーっとしている。
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天使の微笑

2012年05月13日 | 子育て

 「まあ あなたは天使ねえ」
「蓮太郎君の笑顔は天使みたいですよねえ」


 そんなことを 何度か言われることがあるほど
蓮太郎の笑顔というのは独特で 今日は久々に
保育園もなく1日ずうっと息子と過ごしてゆったりとした
時間の中で 沢山のことをぼんやりと考えていた。


 3年と8ヶ月。その間蓮太郎は保育園には行けなくて
一時保育に預けられたのも週2回が限度だった。
そんな中 私は私なりにがんばってきたとは思うけど
周囲の人から言わせると私の努力は足りないらしく
「蓮太郎の笑顔?それはあんたが放任してるからじゃない?」と
家族に言われたりもする。だけど本当に笑顔は放任から来るものだろうか??


 さて 蓮太郎が笑顔な時はどんな時かと考えてみると

 一番は 悪いことをしてる時
それからママとふざけあっているとき。
だいたい普段はあまり許されないようなことまでも
大人が面白がって許してくれて対応してくれると調子にのって
ギャハハと笑い ゲラゲラ笑い続けてる。
(息子の大好きワード うんち おしっこ おならも
禁止にしないで逆手にとって使って遊ぶと大ウケしている)
たたかいごっをしたりとか アホなことをしたりとか
ゴロゴロ遊びをしているときに蓮太郎は嬉しそう。

 それから「どう?こんなことできるんだー!やっほう!」という感じの時。
高い滑り台の頂上にいる時や、先日コーヒーを淹れられるようになった時、
ママと競争したりしてたいてい勝つ時、サッカーのボールを蹴るのがうまい時
そんな風にプライドを刺激されて得意になっているときは嬉しそうな顔をしている。

 あとは美味しそうなお菓子を発見してそれが食べられるらしいとわかった時。

 それに保育園のお迎えの時?れんたろうは駆け寄ってくる。


 では逆にひどい顔をしてる時は?
インフルエンザの時の「あれもだめ!これもダメ!」時は最悪だった。
しかもこの頃はちょっと放射能のことも気にしたりしてたから
禁止令がやたらと強くて「マスクしなさい!」そういうことを続けていると
3日目くらいには眉間あたりに変なしわのようなものができ、
目の下はなんだかへんなくぼみができたりする。
一見「言うことを聞くいい子」ではあるし大人のプライドというか
世間体?はちょっと満たされるけどどうみてもこれはやばい、、、
という顔をしているようにみえる。なんというか生気がない。


 だから私は2月の最悪なインフルエンザの後からいろんなことをもうやめにして
(まずマスク。でもあれからおかしいことに一度ものどが痛くなってない。
甲状腺痛いと思っていたのは何だったのだろう?)もういいやどうせアホだし!と
思うことにした。


 私が思うに蓮太郎の笑顔というのはアホなことを認めていることに
関係性があるんじゃないかと思う。蓮太郎の笑顔はすごい。
そして蓮太郎は本当にあほだ。それを自他ともに認めきっているので
本人は何度アホと言われようが全く気にもしない。「だって僕アホだもん。」
「そっか あんたのママもアホだしねー 僕たちアホ親子だねー」というので終わり
私の方も家でバカ遊びをしてる分にはもういいわどうせバカだし
あんた頭おかしいんじゃない?と言われたとしても自分でもそうじゃないか
と思っているので特に言い返せるような言葉がない。

さてそんな2人がまったりと布団の上やらでアホな遊びをしていると
家中に大笑いが響き始める。そんな時間が大切だった
そこに気づいてはいなかったけど そんな時間がいかに貴重だったのか を
理解したのは保育園がはじまってから。


 「僕ねえ 疲れてるんだよ!」と時折叫んでは眠そうに抱っこされて
ご飯を食べる息子はちょっと可哀想。「そうだよねえ最近ママとバカなこと
する時間もないしねえ」と 今日は「急ぎなさい!」というのをやめて
まったりのんびり、道草をしながら大きい公園まで行って来た。
すると息子の笑顔の輝いてること!何度母は胸を打たれたことだろう。
あんた、、、本当にかわいいねえ。なんでそんないい笑顔なの?
そんないい笑顔を私に向かって見せてくれるの?そんなにお母さんのことが好きなの?
好きでいてくれてありがとう、、、!!

 やっぱり命令なんかするより こうやっていい関係を築いていたい
沢山笑って過ごしていたい。まあ そう思ってはいるものの
何時間か2人っきりで過ごした後にはだんたんと嫌になってきて
「もー行くって言ってるでしょう!!」になってくるわけだけど。
それでも息子はやっぱりかわいい。笑顔の元?それはスキンシップとか
愛情表現だとか一緒にアホなことをすることにあるんじゃないか?
大変な3年8ヶ月だったけど 2人で孤独を山ほど感じては来たけれど
それでもいろんな変化があった。もう行かない!とかいいながら
山ほど色んなところに行った。ケーキもつくった、餃子もつくった、
パリでは散々ピクニックした。デパードの試食もうろついた。。。
そんな変化のある日々が当たり前だった息子にとっては
保育園はやっぱりある意味ちょっと単調に感じるだろう。
それはそれで面白いけど ちょっとしんどいだろうなあ、、、

 ママのことを邪魔もするけど 大好きでいてくれている蓮太郎
もっと一緒にたくさんの世界を見てわー素敵だね!って感動をして
沢山発見していきたい。沢山の花を見て匂いを嗅いで 密を吸って
芝生でごろんとねっころがって、、、そういうのって
意外と大事なことだったんだって 今になってようやく知った。
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モンパルナスのカフェの時代

2012年05月12日 | 想いをカタチに



 「ちゃんとやっていればねえ、誰かが見てくれてるものなのよ」

 それが母の口癖だった。今はうまくいってなくても
誰か見てくれている人がいる。捨てる神あれば拾う神あり?
それが私が去年の夏から体験してきたことなのかもしれない。


 先日ひょんな偶然から久々に通りがかったBunkamuraの
本屋さん。そこで私は自分の本を目にとめた のだと思う。
あれが幻でないのなら。だけどあの時私はちょっと
頭が混乱していてもしかすると あれは幻だったかも。
一度ちゃんと確かめなくちゃ だとしたらすごいことなんだ。



 そう すごいことなのだ。



 「私が美樹さんだったら卒倒しています」というコメントを
くれた人がいたけど そう そのくらい クラクラするくらいに
本当か?と思うような 場所だと思う。文学やら美術やらに
多少なりとも憧れのある人だったら きっと一度は目にする本屋。
そんな場所 が  Bunkamuraのドゥマゴの隣にあるわけだ。


 今日こそは、、、と フランス語講座の帰りに
またしてもふらふらした頭で足を踏み入れてみる と
あれ 私の本はない。 先日置かれていたような場所は
なんだか入れ替わっていて 2階にも行ってみたけど
シュールレアリスムの本とか美術書だとか 「マンレイ写真と
恋とカフェの日々」とか そんな本の隣らへんに いつか置いてほしいなあと
思ってあの本をつくったわけではあるけど そのあたりにも本はない。


 あれは、、、幻だったのか。



 さすがにないか。ドゥマゴの隣の本屋さんだもん まあ 仕方ない。


 でも諦めてはいけないことは 今日はルシネマに行くのであった。


 2人も別方向から教えてもらった「ミッドナイト・イン・パリ」という
5月末から上映予定の1920年代パリを舞台にしたウッディアレンの映画は
私の本とかなりイメージがリンクするらしい。それならばぜひ売り込みに行かないと!
これは運命かもしれない、、、そんなことさえ思ったりして
とにかくル・シネマには行くことにした。するとこちらで扱う本は
下の書店が全て決定していて、もう関連書籍も決まっているとのこと。
とにかく余地もあるかもしれないのだからもう一度書店に行ってみよう。



 今度こそはと 勇気を出してつかつかとカウンターへと向かってく。
「あの、ミッドナイト・イン・パリに関連するような本を書いている著者なんですが、、、」
「カフェから時代は創られるという本なんですが、、、こちらでももしかしたら
扱っていただいていたかもしれませんが、、、」

「ああ あの本ですね!」と


 私に応対してくれた人は 本を読んでくれていて
なんとこう言ってくれたのだ。


 「関連書籍に入れさせてもらっています。」


 ほ 本当ですか!!!?


 「あの時代のモンパルナスのことを書いた本ってあんまりないんですよね、、
あっても絶版になっていたりして、、、」そして彼女は私の本について
話してくれた。私は飛び上がるほど嬉しくてもうシャンパーニュ!という
気持ちで一杯だった。



 店を出て 用意して来たおにぎりを食べながら
私は喜びをかみしめていた。小さな頃から憧れていたBunkamura
ル・シネマ?なんど来たことだろう。ただ「ル」がつくという
それだけで その響きがなんとかっこよかったことだろう
「モンパルナスのことを書いている本はあんまりなくて、、、」





 そうだってそれは難しいから。カフェ好き女子がカフェの研究をしようとしても
フランス語の壁は果てなく厚い。日本語ではなんとか読めてもモンパルナスについての
文献がやたら少ないのはこんがらがった上にフランス語じゃないと
研究ができないからだろう。カフェについてなんて書く人たちは
たいていおじいさんだった。もう自分の研究は終わってて
相当な語学力があり ちょっと余力でやってもいいか だって面白そうだもんなあ

 でもカフェに興味をもつようは若い女子にはあまりに壁が扱った。
その上カフェはやたらめったらバカにされてきた。
鷲見洋一さんの『翻訳仏文法』には始まりからこう書いてある。

「文学が好きで仏文科を志望する者はほとんど見あたらず、
わずかにフランスという国が日本でまとわされている幻想の
ヴェールを信じて、「カフェ」や「サロン」や「ロココ」や
「ポンパドゥール夫人」などという、ろくに参考文献もなく、
また、正直いってそれほど取り組みがいがあるとも思えないテーマに
ついて、「研究」とやらをしたがる学生が多い。」p.29


「正直いってそれほど取り組みがいがあるとも思えない」とは
悪かったね!!と言いたくなるけど 実際アカデミズムの中で
カフェというのはそんなものだった。今では「カフェの研究したいんです」とか
「卒論でカフェを、、」と言っている人がちまたに増えて来たけれど
私のころは「カフェ?はあ?バカじゃない?」と言われるのがオチだった。


 それでもカフェは絵本で学ぶフランス語と同じくらいバカにならない。
だってじゃああんたやってみろよ?と言いたくもなるほどに
わからないことが多すぎる。なんでそんなに沢山の人たちが集ってたのか
どうしてそんなにいろんな動きが交差するのか それらに関係性はあるのだろうか、、、?


 そりゃあるよ だって 人間だもの。。。


 本当は答えはとってもシンプルなのだろうと思う。

 だってカフェは面白かった。面白い人は面白い人を求めて動く。
面白い人は面白い人がいないと死んでしまう。だから磁石のように
人を集め 手紙を出しては呼び寄せる。
そうして沢山の衝撃を受けた 時には目の前が真っ白になった
彼らはそんな生活の方が好ましかった。
真面目くさった生き方よりも。。。。


 藤田はきっと とっても楽しかったのだろうなあ
マン・レイも本当に 心底楽しかっただろうなあ
あの時代には沢山の人たちが交わっていた
その拠点はカフェ?誰かの家?それとも本の友書店?
あのころ パリはキラキラしていた それは今でも残ってる?
今のモンパルナスは そんな場所ではないけれど
時折パリは美しい姿を見せてくれる。
フロールの前でタバコ片手に語る人々
サンジェルマンデプレの広場で即興で踊りだす人
セーヌ川の夜 クルージングの船の上で叫んでいる人
パリにはまだ 少しばかり あの時代の余韻が残ってる。
それは自由な街だから?多様性を認めてくれるから?


 1920年代のパリのカフェ。最近触れてなかったけれど
あの時代にはクリエイティブシティのヒントがあると思う。
これを機に もう一度触れていこうかな。
(一番上の写真は1920年代のドームです)
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サードプレイス育ち

2012年05月02日 | サードプレイスとしてのカフェ

 昨日は東大山内研の森さんという方が持っている
専修大学の質的調査法 という インタヴューをする授業に
呼ばれて行って 自分とカフェとの関わりだとか
カフェに関して学生さんからいろんな質問を受けていた。


 なんだか大学院の時みたい、、、

 ああなつかしい こんな質問 そういうのが沢山あった。

 Q メイドカフェやマンガ喫茶についてはどう思いますか?

 A  日本の喫茶店の歴史をたどるとナントカ喫茶というのはかなり
初期からあるものなので、それもある種の日本の文化なんじゃないかと思います。
女給喫茶、ゲーム喫茶、同伴喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶etc
その時の流行に合わせていろんなジャンルの喫茶をつくる一方で
本流の、コーヒーを飲むのがメインの喫茶店もちゃんと続いていますからねえ(純喫茶など)


 Q  お話の中でカフェだけでなく図書館、街あるきなどが好きだったと
おっしゃってましたが、それらに共通するものは?


 A  それはインフォーマルパブリックライフだと思います。第一の場所、
家庭、第二の場所の学校や職場でもなく、第三の場所として閉ざされたハコ、
身分証明書をもったり強い関係性がないと入れないようなハコではなく、
誰にでも開かれている場所というのが共通点だと思います。
小学生でも、高校生でも、お金がなくても、おじいちゃんでも
インフォーマルパブリックライフというのは誰でも気軽に足を運べる
公共の生活というような感じで、カフェもあまり高いカフェは別ですが
300円くらいのカフェだったら誰にでも開かれていて気軽に入れると
言えるのではないかと思います。


Q カフェと喫茶店の違いとは?

 A しいていうなら喫茶店はアルコールを出さず、コーヒーがメイン、
カフェはアルコールもありというのかもしれません。定義できる程の明確な差はなくて、
年代の問題なのでは?70年代くらいに建てられたのが喫茶店、2000年代ごろに
つくらたのがカフェという、、、(でも喫茶店を模倣してつくった新しい店も
ありますね)あとは喫茶店はご飯は軽食だけというところが多いかもしれませんね。


 などなど、なんだかちょっと懐かしくて あーもっと深めないとなという
質問が一杯でした。日本とフランスのカフェの違い、小宇宙的喫茶店、
街路を向いている席があること、横並びに座る、またはカウンターで
横並びになることの会話のしやすさ、気楽な出会いのあるカフェをつくるには?
スターバックスはいいものなのか?(素晴らしい!と私は思います。
だってスタバが人の流れを作り、素敵な街路樹を眺めていられるテラスを
沢山の人たちに安い値段で提供してくれるようになったのだから。これがあることで
どれだけの人たちが嬉しそうな顔をしていることか、と賑わいのある街の
スタバを見る度に思います)


 大学院のころはこうして沢山質問を受け カフェ研究会を開いたりして
友達と考察を深めていたんだなあ。大阪と京都で開催していた3人だけの
カフェ研究会は11回程開催されて、カフェを巡ってはいろんなことを
考察していて面白かった。あんなことがまたやりたいなあ。
一人では答えのなかなかでないこと も 誰かといるとすぐに
出て来たりするものだから。それにああしてカフェを誰かと一緒に
巡れたというのは大きな財産だったと思う。


 さて、この講座には自分とカフェの関わりの年表を
つくるという時間もあって 今までは「カフェの研究をはじめた
きっかけは?」と聞かれることはあっても「カフェとの出会いは?」
と聞かれたことはなかった。はて、それっていつ どこにさかのぼる?
小さい頃美術館のカフェに行ったこと?美術館は嫌いだったけど
ケーキだけが楽しみだったこと?私はよくカフェに行ったのだろうか
いつか二子玉川のフーケッツという素敵なカフェで、ナイフや
フォークのカチャカチャいう音を聞きながら 私はカフェなんて
嫌いだと思ったことがある。その時はまさか自分がこんな風に
なるなんて想像もしていなかった。小さいころの私は
美術館も石庭もカフェも嫌いだと思ってた。
でも結局 小さい頃に触れたものは 強く残るものなのかなあ?


 これを主催した森さんが書いてくれたブログを読んでいて
うーん私はどうだったかなともう少し深めてみたら
ああそうだ 質問されたときは忘れていたけど
私には雑貨屋さんが重要だったのだ!と思い出す。
森さんが小学生の時からカフェに通っていたおませな子なら
私には雑貨屋さんがあったのだ。多分それは似ている気がする。
一人で行っても決してガラスの食器を割らないように
私は十分気をつけていた。大丈夫だよ、そんなことくらいできるから!と
いつだったかお店の手伝いを少しさせてもらったのが
本当に嬉しかったのを覚えてる。
そこはフランス雑貨が売られてたお店で
私はお店のお姉さんが大好きだった。そんな店 で 私は育った。


 中学に入ってからは自由が丘をめぐり続けた
寄り道をしないで家に帰ったのは金八先生の再放送を見たときだけで
それ意外はいつも7時頃に家に着いていた。それは家が好きじゃ
なかったから?そう おそらくそうなのだろう。
じゃあセカンドプレイスは?私は馴染めなかったのかなあ?

 
 ファーストプレイスにもセカンドプレイスにもいつも
馴染めないでいた 私は結局サードプレイスで育ったらしい。
雑貨屋さん、東急の百貨店、安い値段でみれる映画、
自由が丘からはじまった東京の街歩き それにボランティアが
加わった。保育園でのボランティア、九品仏生活実習所での
ボランティア、中学のおわりには森の学校というのに出会った。
そこで中高生と一緒に山を歩いて沢山のことを教わった。
あれは楽しかったなあ!高校のときも山を歩いた
そして散々東京の街を歩いた。今日はどこに行こう?と
暇をつぶしに一駅ごとに下車していった。


 そんな私をようやく認めてくれたのは エコリーグだったのだろうか
高校でなんとか活動していたけれども環境活動は疎まれていた。
でもそんな私に大学生たちが目をつけて面白がってくれたから
そういえば京都会議にも行ったなあ その頃東大の文化祭の
手伝いもして 東大やら京大に憧れた。京都会議の時は
吉田寮に泊めてもらった。そこでいろんな出会いがあった。
なんだかとても懐かしい。



 こうやって探って行くと インフォーマルパブリックライフ
サードプレイス育ちの私は 長いことファーストプレイスにも
セカンドプレイスにも馴染めなかったらしいけど
そんな私をサードプレイスは救ってくれた。だから
こうしてカフェのことやら街のことを研究して
カフェでものを書いたりするのもきっと自然な成り行きなのだろう。
だって私を救ってくれたのは 雑貨屋さんや街やカフェだったから。
そこにはゆるい出会いがあった。それでもいい、それでもいいよと
誰かが認めてくれたのだろう。それは京都の喫茶店?
「どうせ誰もいないから使っていいよ」と長居させてくれた
喫茶ゴゴのマスター。馴染めなかった大学院で論文を提出し終わった時
かけつけていったゴゴのカウンターでマスターはお酒を出してくれた。
子供が産まれて密室育児とあまりの猛暑に気がおかしくなりそうだった私に
しぼりたてのオレンジジュースをごちそうしれくれたゴゴのお姉さん。
沢山の辛いことがあったけど「みきちゃん あなたはねえ
今は取材をしてるところなのよ」と言ってくれたお姉さん。


 街やサードプレイスは懐が深い。


 他の場所では馴染めなくっても 街に出たら 一カ所くらい
自分を認めて居させてくれる そんな場所があるかもしれない。
カフェは誰かの居場所になって 人を成長させてくれる場所
気づいてはいなかったけど そんな体験を自分もしていた
そっか 私 サードプレイスで生きてきたんだ。
都市はそれでも懐が深い。懐の深い街には 沢山の人たちが
何かを求めてやってくる。



 森さんのブログはこちら
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