明治の文豪・夏目漱石は、文章を飴細工に例えて書いている。
「文章は飴細工の如きものなり、延ばせばいくらでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし」(愚見数則)
:名字の言
ドラッカーの観点から読むと、この漱石の文章は間違っているように思う。
「文章は飴細工の如きものなり、延ばせばいくらでも延る、正味は変わらないかもしれないが新たな顧客を創造できる」が正しいように思う。
言いたいことは同じでも、表現は人の数だけあっていいと思う。
漱石の気持ちはわかるが、文豪から言われるとメンタル的に耐えられないと思うし、漱石を含め多くの文豪がメンタル不全を起こす要因になったような気がする。
この漱石の言葉には嫉妬、焼きもちを感じる。
これがドラッカーのいうところの、自らを仕事の外におかなければ焼きもちを焼くようになるということのように思う。
2020.4.12のメモ
漱石の例えが間違っていたのではないか?
漱石の思いが文章は簡潔に書けというのであれば、風船にでも例えて、限界を過ぎると割れてしまうという感じが良かったのではないか?
2021.4.12のメモ