我が国の安全保障政策の今後にとって、集団的自衛権の問題は、避けては通れない最重要課題の一つである。当然次の自民党総裁がいかなる態度をとるかは大いに注目に値することである。これに関して、次期総裁最有力候補の安倍官房長官は、「個別具体的な例について、もう少ししっかりと検討、研究すべきだ。我が国や地域の安定、安全、国際社会の貢献に資するなら、研究すべきだ」と5日の記者会見で表明した。政府による集団的自衛権に関する憲法解釈の原則自体は維持しつつも、個別に憲法上可能とできる部分的解釈変更が可能かどうか研究、検討することを表明したわけである。
現行の政府解釈は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止する、集団的自衛権は、国際法上保有しているが憲法上認められない」というものである。このブログでも何度も取り上げている通り、政府解釈では集団的自衛権の定義自体が世界で広く認められているものとは異なっていて、集団的自衛権の本質は「密接な関係の存否を問わず、外国に対する武力攻撃を当該被攻撃国の同意のもとで、実力を持って阻止するほか、後方支援などあらゆる形態でその反撃を支援すること」である。定義の違いを論じても神学論争に陥りかねないので、ここでは政府見解による定義に従うとして、政府解釈の結果様々な不都合が生じているのは周知の通りである。とりわけ、今後益々重要性を増す日米同盟にとって有害極まりない。例えば、周辺事態に際しては、我が国の自衛隊は米軍の後方支援(これは集団的自衛権の行使に当たらないと政府解釈は強弁する)に徹し、危険が迫れば当該区域からは事実上撤退することになっている。また、米軍と自衛隊艦船が共同で行動し、米国の艦船がミサイル攻撃を受け、1キロ程度離れた自衛隊艦船もミサイルの射程に入っている場合に、自衛隊が反撃すれば集団的自衛権の行使に当たるとされる。安倍官房長官はこのような場面で我が自衛隊が反撃できない可能性があるといった明らかに不合理なケースから順次検討すべきだという考えのようだ。また、対テロ戦争でも集団的自衛権の行使という場面がありうる。現に、米国によるアフガン攻撃に際しては、NATOは結成以来初めて集団的自衛権に基づいて米国を援護した。また、有志連合の正当化根拠としても使われることのできる可能性を秘めている。新時代における集団的自衛権を考えるには、過去の硬直した概念では使い物にならない。
安倍官房長官の提案は、次期政権担当者として多少現実的路線をとったということなのだろう。論理的に考えると、集団的自衛権の行使そのものを一括して憲法上認めたうえで、行使に関するしばりは、我が国の国益をもって充てるべきである。自衛権に関しては、集団的自衛権と個別的自衛権を峻別するのは不可能であり、意味のないことである。個別的自衛権の行使を認める以上は、集団的自衛権の行使も当然憲法上認められるに決まっている。そうはいっても、安倍氏の提案にも大きな意味が一つあるように思われる。それは、個別具体的に検討することにより、集団的自衛権の定義をあいまいにして結局現行の政府解釈を骨抜きにできる可能性を秘めている点である。私見は、先ほど述べたとおりだが、この点を考えれば安倍氏のやり方にも大いに期待したいところであるし、あるいはしたたかであるといえるのかもしれない。
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現行の政府解釈は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止する、集団的自衛権は、国際法上保有しているが憲法上認められない」というものである。このブログでも何度も取り上げている通り、政府解釈では集団的自衛権の定義自体が世界で広く認められているものとは異なっていて、集団的自衛権の本質は「密接な関係の存否を問わず、外国に対する武力攻撃を当該被攻撃国の同意のもとで、実力を持って阻止するほか、後方支援などあらゆる形態でその反撃を支援すること」である。定義の違いを論じても神学論争に陥りかねないので、ここでは政府見解による定義に従うとして、政府解釈の結果様々な不都合が生じているのは周知の通りである。とりわけ、今後益々重要性を増す日米同盟にとって有害極まりない。例えば、周辺事態に際しては、我が国の自衛隊は米軍の後方支援(これは集団的自衛権の行使に当たらないと政府解釈は強弁する)に徹し、危険が迫れば当該区域からは事実上撤退することになっている。また、米軍と自衛隊艦船が共同で行動し、米国の艦船がミサイル攻撃を受け、1キロ程度離れた自衛隊艦船もミサイルの射程に入っている場合に、自衛隊が反撃すれば集団的自衛権の行使に当たるとされる。安倍官房長官はこのような場面で我が自衛隊が反撃できない可能性があるといった明らかに不合理なケースから順次検討すべきだという考えのようだ。また、対テロ戦争でも集団的自衛権の行使という場面がありうる。現に、米国によるアフガン攻撃に際しては、NATOは結成以来初めて集団的自衛権に基づいて米国を援護した。また、有志連合の正当化根拠としても使われることのできる可能性を秘めている。新時代における集団的自衛権を考えるには、過去の硬直した概念では使い物にならない。
安倍官房長官の提案は、次期政権担当者として多少現実的路線をとったということなのだろう。論理的に考えると、集団的自衛権の行使そのものを一括して憲法上認めたうえで、行使に関するしばりは、我が国の国益をもって充てるべきである。自衛権に関しては、集団的自衛権と個別的自衛権を峻別するのは不可能であり、意味のないことである。個別的自衛権の行使を認める以上は、集団的自衛権の行使も当然憲法上認められるに決まっている。そうはいっても、安倍氏の提案にも大きな意味が一つあるように思われる。それは、個別具体的に検討することにより、集団的自衛権の定義をあいまいにして結局現行の政府解釈を骨抜きにできる可能性を秘めている点である。私見は、先ほど述べたとおりだが、この点を考えれば安倍氏のやり方にも大いに期待したいところであるし、あるいはしたたかであるといえるのかもしれない。
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アメリカでは有志連合による制裁が取り沙汰されていたようですけど、関係あるのでしょうか。
>過去の硬直した概念では使い物にならない。
何にせよ早く手当てしないと同盟国から愛想尽かされちゃいますよね。