どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

疲れました

2017-03-24 01:04:28 | 日記

 

今日は隣の大学が卒業式で、なかなかに華やかでした。私といえば昨日の水泳の影響で、体がダルダルでどうしようもない感じで、仕事をしておりました。まあ手ぶれは思ったより少なかったな。

午後は疲れがどっと出て、さらにグダグダになった。ただ仕事よりやっぱり昨日の水泳の方がダメージが大きい。

 

 

ロンドンでまた自動車を使ったテロがあった。ニースとベルリンのChristmasマルクトの事件ではトラックだった。アメリカのオハイオでもあったが車両は不明だ。ロンドンではいきなりヒュンダイi40と小型になった。ロンドンの事件はまだイスラム過激派との関連は言われていないが前の3件は、関連もしくは影響が認められている。

 

 

すごく瑣末なことから入ったのだが、この事件でまたしても日本の秋葉原通り魔事件が参照されたのだと思うので、なんともいえない。

イスラム過激派の方々、なんで日本のムチャクチャなところを参照してくださるのよ。大昔テレビ討論番組でエジプトの若者が日本のカミカゼ特攻隊の話を「素晴らしい」といっているのを、日本の会場ではドン引。「あれだけはやめてくれ」という意見が多数だった。

そうパレスチナ等での自爆テロは確かに参照した。それでもまだ反逆の意思表示という意味合いもある。だが過激派の聖戦思想の下では、神の国にゆくという約束の元なのだ。それがなあ、えらく嫌なのだ。

ン〜、なんといえばいいのかな。一つは一神教と多神教の違いで、たとえ国家を作るなり守るなりで自爆攻撃をしたとしても、一神教は神の加護にあるわけだ。多神教ではちょっと個人の考えも残る。それを記載した文章が多数残っており、国家なり組織が個人に死を命ずる理不尽さを感じるわけだ。その上、体制が全く変わってしまったので、多神教下では存在がボケてしまう。そうなった問題は大きい。

二つ目は、そこまでやってしまって、戦に負けたことだ。もうこれは取り返しのつかないことをしてしまったのだ。

3つ目は多分これが大きい。彼らの陶酔感が憎たらしいのだ。神に身を捧げたとしても成功するかどうかは全くわからないのに、彼らは成功すると陶酔しているのだ。

 

 

籠池さんが国会に出たな。個人的な印象として、彼の話を信じるか信じないかで世界が変わる。私は全く信じていない。ただ、これで財務省に大穴が開いたと思っている。

日本会議が切り離しに動いているというが、まあそうだろう。だがそれでも関西支部のお偉いさんだったのだろう?自称としたら、それを放置した責任はあるだろう。

 

 

トランプ・ジュニアが話題を提供している。

ドナルド・トランプ米大統領の長男であるジュニアは、テロ発生の約2時間後、ツイッターにこんな投稿をした。「冗談だよな?! テロ攻撃は大都市の生活の一部と、ロンドン市長のサディク・カーンは言った」

サディク・カーンの正しい表現は、「グローバルな大都市の生活の本質的部分は、この種の出来事に備えなくてはいけないということ、用心深くあらねばならないということ、そして懸命な働きをしてくれる警察や治安当局を支えなくてはいけないということだ」

親父を守ろうとするのもいい加減にした方がいい。



キンクロももうそろそろいなくなるんだよな。



池の水面にコイが出るようになると、彼らは苦手なようで岸に寄らなくなります。そして群れを明快に作るようになってきました。飛んでってしまうんですね。



残される方は寂しいな。