兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

『朝日新聞』3月1日朝刊「アートか「児童ポルノ」か挑発的な美術展」

2013-03-17 04:42:01 | アニメ・コミック・ゲーム

 以下はニコニコチャンネルのブロマガ、兵頭新児の女災対策的随想において既にアップされた記事です。文中に「本日」とありますがこれは当然、そこにアップされた3月1日を指しています。

 目下、兵頭新児は活動の軸足をそっちに移そうかと考えているのですが、或いはアカウントを持っていてそちらを見られない方もいらっしゃるかもと思い、こちらにもアップしてみることにしました。

 こちらを完全に廃墟にしてしまうのも何だか寂しいので。

 文章自体は変わらないので、一度お読みになった方は、再読される必要はありません。

 それともう一つ。

 拙著『ぼくたちの女災社会』が復刊ドットコムの「復刊リクエスト」にエントリされています。どうぞ、ご協力をお願いします!

     *     *     *     *

 

 本日付の『朝日新聞』朝刊に載った記事です。
 森美術館で開催中の「会田誠展 天才でごめんなさい」に市民団体が

子どもへの性暴力や障害者差別を助長

 するものとして抗議をしたという、例の件についてです。
 これについて美術館の南條史生館長が

日本では少女を題材にした性的表現のマンガが溢れている。

 

社会が見ないふりをしている問題のフタを開け、議論が生まれることに展示の意味がある


 と語ったのですが、ツイッター界隈ではこれについて「何だかエロ漫画にケツを持っていこうとしているようだ」「芸術側がポップカルチャーをパクっておいて、問題が起きたら責任は丸投げかよ」といった感想が囁かれました(田亀源五郎氏もそうした主旨のことをおっしゃっていました)。
 ぼくもそれに賛成です。「何だ、このアートとやらは日本にエロ漫画が溢れていることをテーマとしているのか?」「それをもし否定的に表現していると称するなら残念ながらそのような表現には見えないし、肯定的に表現しているとするなら、それって単なる『模写』じゃねーの? 表現かそれ」と思えます。だってそれってリンゴの絵を描いて「日本にリンゴが溢れていることを肯定的に表現してみました。」と言っているようなもので、「バカじゃねー?」以上の感想が湧いてきません。
 が、恐らくこの館長も特に深く考えず、テンプレ文を脊髄反射で口にしただけでしょう。そもそもアートとやらがオタク文化の残飯漁りで食う業界となって久しいのですから(それはちょうど文学界がそうであるように)何を今更、という感じがしないでもありません。

 

 簡単にこの問題に関するぼくの立場を表明しておけば、「一応、ゾーニングがなされているからいいじゃん、しかし反社会的な作品を発表する以上、文句を言われるのは当たり前だし、また美術館という場で発表することに問題があるというのはわからないでもないな」というものです。
 本件にフェミニズム団体がクレームをつけたと聞いた時、ぼくは『ポルノ・ウォッチング』という本を思い出しました。もう二十年以上前でしょうか、フェミニストによる反ポルノ運動が盛んであった頃、そうした中でも大きな勢力であった「行動する女たちの会」が編んだ本です。
 ポルノを見れるのかとドキドキワクワクしながら読んでみたのですが、期待に反して取り扱われているのは主にスポーツ紙、電車の中刷り広告など。また、新聞四コマ(『フジ三太郎』などサラリーマン漫画で「セクハラ云々っていうけど、『ただしイケメンはおk』だろ」とぼやくような他愛のないもの)なども確か、採り上げられていたように記憶します。
 完全にタイトル詐欺です。
 この時の期待を裏切られたことに対する深い深い怒りが、ぼくのフェミニズム批判の原動力になっていることは言うまでもありません
 むろん、「ポルノ=女性差別=なくすべき」といった単線思考は、全く賛成できないものです。上にあるように会田誠展に対する彼女らの言い分には「障害者差別」とありますが、これこそ障害者を「弱者兵器」として運動のダシにする行為としか言いようがないでしょう。
 とは言え、「私の目の届くところでムカつく表現をするな」という単純さには、ある種の真実が含まれてもいます。
 通勤中のオッサンの広げるスポーツ紙がウザい、ということが女性の社会進出の盛んになったこの時期に言われ出したのは象徴的で、「勝手に男の陣地に入ってきた挙げ句それかよ」といった感情も湧きはしますが、マナーの問題としてわからないではありません。
 この本と時期を同じくして起こった有害コミック騒動も「一流出版社の大きな雑誌で」エロ漫画が描かれたことこそがきっかけでありました(ちなみにこれはマイナーなオタク業界がやっていたことを大手出版社がパクって小銭を稼ぐという、現状のラノベブームと近しい構造を持っているように思います)。
 何にせよエロは、(ことに今回のようなエロでも萌えでも何でもないグロは)裏モノである、との感覚は重要であるし、そうした感覚の欠如が本件の発端であるとも言えます。フェミニスト側の主張が「美術館という公共性の高い場でこの表現はいかがなものか」というものであるとするならば、その意見はわからないでもないと思うわけです。
(ただし、彼女らはそもそもポルノは根絶すべしとの思想の主ですし、「一貫したポリシーからゾーニングがなされていないものを批判している」というよりは「目についたものを当たるを幸い叩いている」と考えた方が事実には恐らく、近いのですが)
 記事によれば、展示会場では会田センセイの声による「こそこそ見てください」との音声ガイドが流れているとのことですが、「じゃあんなもん、グロ専門のエロ漫画誌で描けよ」と言いたくもなってきます。むろんこの解説自体、確信犯の挑発でしょうし、彼のそうした紅白でのDJ OZMA的な、ダチョウの「押すなよ」的な振る舞いが、オタク文化をパクった上でなされていることへの不快感が、上に挙げたツイッター上での反発の本質であったように思います。
 ただ、更に言うと美術館というメディアに公共性があるのか。
「今時よっぽどの物好きしか行かないじゃん、そんなところ、そもそも今時はエロ漫画のパクリで食ってんだぜ、こいつら」と言ってしまうと、公共性が高い低い、裏モノか表モノか、もうそうした二元論が機能しにくいところまで社会がカオス化してしまったところにこそ問題があるよなあ、とも思います。

 

 最後に。
 今回、本件にクレームをつけたフェミニストの中には、澁谷知美師匠が名を連ねていました。彼女は『平成オトコ塾』という本の中で男性の包茎手術に異様とも言える興味を示し、知人男性が包茎手術の失敗でペニスに非道い傷ができたことを
大いに笑いものにしています。残酷な表現を捨て置けず、会田センセイに文句をつけるフェミニストの方の人権感覚はやはり、ひと味違うなあと深い感慨を憶えたのでありました。

 

 

 

 

 

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