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がその理由です。3巻までが11名の調査隊員たちの実録体験記録です。
◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第三章 肉体の自由自在なる出現・消滅 P37~41
その晩、一同が集まっていると、突然ドアーも開けずにエミール師がわたしたちのまん中に現れて、こう言うのである、「皆さんのいわゆる魔法のように、わたしがこの部屋に現われ出たのを、皆さんは今、目撃しました。さて、今度は皆さんに、肉眼でも見える一つの簡単な実験をしてみましょう。皆さんは肉眼で見てから初めて信ずるのですからね。どうぞ、よく見えるように、円く輪をつくって寄って下さい。
さて、此処に皆さんの中の誰かが今しがた、泉から汲んできたばかりの水が一杯あります。見てごらんなさい。水の丁度まん中に、氷の一片が出来かけてきたでしょう。一片々々、だんだん固まってきた氷の部分が増え、とうとうコップ一杯凍ってしまいましたね。一体どうしたのでしょうか。
わたしは水の真ん中の分子(複数)をわたしの想念の力によって「普遍なるもの」(the univer-sal)の中に置き、それが形を取るようにしたのです。言いかえれば、そのヴァイブレーション(波動)を下げていって、遂にそれが氷となり、その外の分子群もその周囲に集まって形をとり、遂に全部が氷に化してしまうというわけです。
この真理を、皆さんは小さいコップだけではなく、桶や池、湖や海、はては地球上の水全体にまで適用できるのです。そうすると一体どうなるのでしょうか。皆凍ることになりはしないでしょうか一体なんの為に?目的なんてないのです。それは一体如何なる権威によってそうするのか、と皆さんはお尋ねになるでしょう。『完全なる法則の使用によって』とわたしはお答えしましょう。
ではこの場合一体何の為か?なんの為でもありません。それは、別に何かの為になることもなかったし、また為になるようにもできません。もしわたしが、この実験を徹底的にやりつづけて行くとすれば、結局どうなるでしょうか。それは反動が来ます。誰に来るか?わたしにです。わたしは法則を知っている。だからわたしの表現するものは忠実にわたしに返ってくるのです。故にわたしは善のみを表現します。従って、善のみがわたしに善として返ってきます。
もしわたしがどんどん凍らせ続けていたら、最後の目的を遂げるずっと前に、冷寒がわたしにはね返ってきて、わたしまで凍ってしまい、わたし自身の冷凍という形でわたしは自分の希望の収穫物を刈り入れることになるでしょう。だからわたしが善を表現すれば、わたしは永遠にわたしの善果を収穫するわけです。
今、この部屋にわたしが現れ出たのも、こういう風に説明が出来ます。あなたがたがわたしを残して出て行った小部屋で、わたしは自分の肉体を『普遍なるもの』の中に置き、肉体の波動を高めることによって『普遍なるもの』に戻した。わたしたちの言い方をすれば、一切の質料(substance)が存在する『普遍』なるものの中に一日奉還したのです。
それからわたしのI AM(神我・実相)、即ちキリスト意識を通して、肉体を心の中に置くとそのヴァイブレーションが下り、遂にこの部屋の此処で具体化し再現して皆さんにも見えるようになる――というわけです。この過程の一体どこに神秘があるのでしょうか。神の『愛(め)ぐし子(こ)』を通じて父なる神がわたしに与え給うた力、別言すれば、法則を使っただけではないでしょうか。
この『神の子』というのが、あなた方であり、わたしであり、人類全体ではないでしょうか。ではどこに神秘がありましょうか。どこにもないのです。芥本種子に象徴された信仰のことを考えてごらんなさい。その信仰は、われわれ人間すべてのなかにすでに生まれている内在のキリストを通して、『普遍』なるものからわたしたちに来るのです。
それは極めて微細なる一点として、『内在のキリスト(実相)』、即ち超越心、即ち、わたしたちの内に在る接受機関を通して入ってきますが、わたしたちの内に在る山嶺、至高所、即ち頭の頂上まで一旦昇って、そこにとどまります。そこから聖霊が下るようにしなければならないのです。そこで次のような訓戒(いましめ)が出て来ます。
『汝、思いを尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、心を尽くして主なる汝の神を愛せよ』。この意味を考えてごらんなさい!どうです、分る様になりましたか?思いといい、魂といい、力といい、ここまで来ると、もうこれら全部を神、即ち聖霊(ホーリー・スピリット)、即ち絶えず働きたまうところのことごとく霊なる神我(ホール・スピリット)、全我霊(ホール・スピリット)に引き渡すより外にどう仕様があるというのですか。
この聖霊はいろいろな方法でやって来られます。とりわけ中へ入れて貰おうとして戸を叩き求める小さき者たちとしてね。わたしたちはこの聖霊を受けてわが内に入れ、光の小点、即ち、知恵の種子と結びつき、それを中心に廻転し、丁度今先、氷の分子が中央の分子に密着したようにみなさんはピタッとくっついていなければなりません。
そうすると丁度氷のように、次々と分子ごとに、或は群ごとに生長して形を取る様になり、遂には困難という山に対しても『汝動きて海に入れ』と命じ得るようになり、命じた通り実現することになるでしょう。このような現象を四次元とか、或はその他、お好きな呼び方をしてもよろしいが、わたしたちは内在のキリストを通じての神の表現、と言っているのです。
さて、キリストの生まれた経緯(いきさつ)はこうでした。先ず偉大なる母マリアが理念を覚知し、それが心に抱き続けられて、魂という土壌の中に孕(はら)まれ、一時そこにとどまり、やがて完全なる長子、神の一人子なるキリストとして生まれました。それから、女性の最良のものを与えられつつ養育と保護とを受け、見守られつつ慈愛の下に少年期を経て、成人に達したのです。
内在のキリスト(実相)がわたしたちすべてに実現する道行もまた同様です。まず最初に神の土壌-すなわち神のまします中枢部-に理念が植えつけられ、完全なる理念として心の中に維持され、やがて遂に完全なる神の子、即ち、キリスト意識として生まれ出てくるのです。・・・