【注】購入するなら、新訳で「ヒマラヤ聖者への道」をお勧めします。翻訳文の読みやすさと字の大きさ
がその理由です。3巻までが11名の調査隊員たちの実録体験記録です。
◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第二十四章 大晦日の儀式と奇跡の原理 P228~231
かくして時は移り過ぎ、やがて十二月の三十一日となり、一年は正に終わろうとしていた。これよりさき、わたしたちは事実上、大師方だけ参加する或る儀式があって、それに若干の人達が集まって来るのに気づいていた。毎日わたしたちはこの外来の人達に紹介されたが、皆が英語を話した。わたしたちは、自分自身が、もうこの村の生活の一部になったような感じがしてきた。
或る日、この行事が大晦日の晩に行われると知らされ、わたしたちも出席を勧められた。この行事は外部の人々の為ではないが、といって、秘密のものでもない、もともとこの方々の集会には、個人的な性質のものというのはないという。この「聖なる道」に真剣な気持ちで入り、相当なところまで進んでいて、この道を生き抜く熱願者達、高級の得度を受け、そのために自分の生活がどうなって行くかということも既に覚悟している人々の為に、この集会は催されるそうである。
この行事を「過ぎ越しの祭り」という人もいた。この祭りは普通、この時期に一定の場所で行われるもので、今年はこの場所が選ばれたのである。行事予定日は、朝からの上天気であった。それでも水銀寒暖計は、零度を相当下廻っている。わたしたちは、この調査旅行で多くの興味ある体験をして来たが、今晩は又新しい興味ある体験をさせて貰うかと思うと、胸がワクワクするのであった。
さて、いよいよ儀式が始まった。室内の照明は、前に話した時と同じ生き方で非常に美しかった。前に一度、わたしたちのホステスをしたことのあるあの美しく若い婦人が司会するそうである。わたしたちが着席して数分すると、彼女が入室してきた。その若さ、美しさ、今更ながら驚嘆するばかりである。美しい純白のガウンを着けているが、そこには衒う気配はみじんもない。さて、彼女は小さい踏み壇に静かに歩みを運び、やがて、話を始めた。
「わたしたちは低い意識から高い意識に移ることの意義を、もっとよく理解したいという望みをもって今晩こうして参集した次第です。ここにその準備を全うされた方々を歓迎するものであります。初めあなた方がわたしたちのすることを畏れと驚きとを以て眺め、不思議に思い、興味からわたくしたちに従って来たことでした。
しかし今や、あなた方はこれらのことを、実は神がわたくしたち全てに望み給う当たり前の日常生活における、茶飯事と見なすべきことを学び取ったのです。わたくしたちが摩訶不思議なことをやって来たわけではないことが、ようやくあなた方にも納得出来たのであります。あなた方は、今ではもう自分達のしていることの本当の霊的意義を悟っておられます。本当の霊的面から働く心は、常に一切の物を観ずるに、その奥にある完全なる実相を以てするのであります。
その時、偉大なる奥深き意義が啓示されるのであって、何も特別な神秘というものはなく、従って摩訶不思議も奇蹟もないのであります。この低い意識から高い意識に移っていくということは、不調和のみが支配している物質的なるものを排除し、すべてが只美しく調和且つ完全であるキリスト意識になることを意味するのであります。これこそが自然の生き方、神が見給う生き方であり、且つ又、イエスがこの地上においてあのようにも美しく範を垂れ給うた道なのであります。
その他のものはすべて不自然であり、利己的な道であり、困難な道であります。そうと分かれば、キリストの道を生きることが非常にたやすく、非常に自然になるのです。その時わたしたちはキリスト意識の中に入るのであります。さて只今こうして料理が並んでいますが、これはわたくしたちが会して寿(ことほ)ぐ唯一の行事です。これは俗な心の人達が考えるようなものではなく、実は悟りと成道の祝典なのです。
従ってそれは、低俗な心からキリスト意識への移行を象徴しているのであります。にも拘わらずそれは現在世界到る処で甚だしく誤解されています。わたくしたちはすべての神の子がこの意味を本当に悟って、このような祝宴に何時かは来り参ずるであろうことを信じています。肉体が完成されて肉体のままで天界に入り、そこで最高の教えを受けておられる方々の中、数名の方が今晩ここにお見えになります。
その方々は皆ここである期間は肉眼にも映ずる形で生きて来られ、それから現界を去って、肉体のままで俗な人々の目には見えない、意識の中の或る場所に移って行かれたのです。こういう方々と話を交える為には、わたくしたちは自分の意識をキリスト意識にまで高めなければなりません。一方又、自分の肉体を完全に浄化して天界にそのまま行ける方々は、わたくしたちの所へ戻ってくるのもわたしたちの処より去るのも意のままであります。
その方々はこの現界にやって来られて御自分達の教えに感応する人々に教えを垂れ、自由自在に姿を現したり消したり出来るのであります。わたしたちがみ教えを受ける心構えが出来た時に、或はわたくしたちの直観を通して、時にはまた個人的に直接接することによって、わたくしたちを教えに来られるのはこの方々です。
その中の五名の方々が、今晩わたしたちと御一緒にパンを裂き与えて下さいます。五名の方々の内、お一人は特にわたくしたちの愛する方です。と申すのは、その方は今ここに御列席になっておられる方のお母様で、私達と共にこの現界にお住みになったことがあるからです。(この方というのがエミール師の母上であることは後で分かった。)さあ、テーブルを囲むことにいたしましょう」(→52につづく)