【注】購入するなら、新訳で「ヒマラヤ聖者への道」をお勧めします。翻訳文の読みやすさと字の大きさ
がその理由です。3巻までが11名の調査隊員たちの実録体験記録です。
◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第十三章 野火よりの脱出 P132~134
・・・。この旅は徒歩だったので、翌日の明るい中に目的地に着けるように、翌朝早く起きて出発した。徒歩にしたのは道が峻しくて馬が使えなかったからである。当日は朝の十時に稲妻を伴うひどい嵐がやってきた。大雨になるかと思ったが、結局降らずにすんでくれた。今度通ってきた土地には鬱蒼と茂った森林が多く、地表は厚い乾いた草でビッシリと蔽われている。
この辺の土地は他とは違って、雨のない土地柄のようである、と思っているところへ五、六か所の草に突然落雷し、火が燃えつき、アッと思う間もあらばこそ、わたしたちは何時の間にか火事に取り巻かれてしまった。数分もすると、もう火は猛り狂い、急行列車の速さで三方からわたしたちに迫ってきた。
その上、濠々たる火けむりが下にこもり、わたしたちは全くうろたえ、恐怖の檎となってしまった。エミール師とジャストはと見ると、冷静に落ち着き払っているので、わたしたちもようやくいくらか安心した。
「のがれる道は二つある。一つは次のクリーク(小川)に行き着くこと、そこには水が流れ注いでいる。約五哩先の谿谷に着けば、火が燃え果てるまで安心でいられる。もう一つは、もしあなた方がわたしたちを最後まで信頼できるなら、わたしたちと一緒にこの火を切り抜けることです」
この言葉で忽ち恐怖は消え去った。この二人はどんな緊急な事態においても常に誠実な伴侶であったからである。わたしはいわば完全に彼らの保護に、自分自身を全托して二人の間に進み出た。
こうして三人一緒にどんどん先へ進んで行った。どうやらその方向が一番火の盛んに燃えているところらしかった。しかし見よ、わたしたちの前に一大アーチウェイが開かれたかの如く、わたしたちは煙や熱や足下に散らばる燃え殻に煩わされることなく、火中を真直ぐに進んで行った。
火災区域は少なくとも六哩はあったが、まるで燃えさかる火などないかの如くに平然と歩いて突破し、一条の小川を越えて、ようやくこの平原の火事から抜け出たのである。この火焔の中を通りぬけながら、エミール師はわたしにこう語った。
「神のより高き法則が真に必要となった時、低い次元の法則を神の高次元の法則で置き換え得ることが、どんなにたやすいことであるか、これでお分かりになったでしょう。わたしたちは今、肉体のヴァイブレーションを火事のヴァイブレーションよりも高めているのです。従って火事もわたしたちを害することはできません。もし俗眼でわたしたちを見たとしても、わたしたちが消え失せたとしか見えないでしょう。
しかし実際にはわたしたち自身はいつもと少しも変わっていないのです。わたしたちを見失ったのは肉体の五官だけであって、もし肉体人間が今のわたしたちを見れば、きっとわたしたちが昇天でもしたと思い込むに違いない。事実その通り昇天したのであって、肉体の五官では接触を断たれてしまう意識層に上がったのです。
しかし、これはわたしどもだけにしか出来ないというのではなく、皆に出来ることです。わたしたちは父なる神がわたしたちに使わせるために与え給うた或る法則を使っているのです。この法則を使って自分の肉体をいかなる空間にでも持って行くことができる。これがわたしたちの現れたり消えたりする、皆さんの言葉でいえば、空間を滅尽する際に使う法則です。
困難に遭っても自分の意識をそれ以上に上げて困難を只越えるだけです。又、この方法で人間が肉体意識で自分自身に課した一切の制約を超越すること、即ちその上に昇ることが出来ます」。
わたしたちの足は歩くというよりは、恰も地面から離れた上を行く感じであった。川を越えてようやく火事から抜け出た時、まず感じたことは、深い眠りと夢から目腥めたここちであった。それと共に、この体験の本当の意義に次第に目腥め、やがてその意義がわたしの意識に夜明けのように明け初めて行った。
まもなくわたしたちは河岸に樹蔭を見つけて昼食をしたため、一時間の休憩をとってから目的の部落を目指して進んで行った。