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国難打破から、いざ、未来創造へ

【中川氏追悼】産経政治部キャップのブログから

2009年10月05日 | ニュース・報道
阿比留瑠比さん(産経新聞政治部首相官邸キャップ)のブログに、
一般の方からの追悼コメントがたくさん寄せられています。

 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
    「中川昭一さん、心からご冥福をお祈りします」
より一部抜粋


政治家を、「好き嫌い」だけで判断してはいけないと思いますが、私は中川氏という人間が好きでした。真面目で繊細でそれゆえに傷つきやすいところがあって、酔って行き着けの店でくだを巻くのも、その優しさや鋭すぎる感受性と裏返しなのだろうなと感じていました。 そして、何よりいつも真剣に日本のことを考えていました。

個々の政策や考え方への批判、財務相時代の「酩酊会見」などに対する失望や叱責は当然だろうと思いますが、それでも私は、中川氏が次の選挙で復活し、また日本のために働いてくれることを願い、信じていました。
(中略)
マスコミは私も含め、健忘症です。一時はある人物を大きく取り上げても、次の話題が見つかれば、すぐそちらに飛び移り、去りゆく人のことは簡単に忘れます。でも、少なくともこの10年余、教科書、拉致、靖国、朝銀信組、外国人参政権、人権擁護法案…と中川氏がどんな活動をし、党内外にどんな影響を及ぼしてきたか多少なりとも知る私は、決してそれを忘れてはいけないと感じています。

政治は結果責任が問われる場であり、言い換えると一つ大きな失策を犯すとそれ以前の功績が吹き飛び、忘れられ、あるいは無視される場でもあります。逆にいうと、「終わりよければすべてよし」でそれまでの経緯が問われないこともあります。政治の新陳代謝、ダイナミズムのためにはそれも「あり」なのでしょうが、できれば違う視点も持ちたいといま、そんなことを考えています。

もちろん、欠点もたくさん持っている人でしたが、そんなのは人間である以上当たり前なのだろうと思います。日本は大事な人を亡くしたと、本当に、本当にそう感じています。
もはや、ご冥福をお祈りするしかありませんが。
(阿比留瑠比)



――――追悼コメント(抜粋)――――

志なかばでの最期だといえる一方で、政界という修羅場から解き放たれたのかなとも思います。天上ではお好きだった花々に囲まれて、永遠の安らぎを得られんことを祈るばかりです。

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多くのマスコミやコメンテーターは自分たちのしてきた、中川さんに対するいわれの無い批判(まさに虐めとしか言えない卑怯な仕打ち)など無かったもの、過去の存在としてさっさと葬り去りたいというところでしょうね。

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数多く成した善を誉めず、弱い部分をあげつらい、汚名を着せたまま過去へと葬り去る。本物は評価されず偽者が幅を利かせもてはやされる…こんなことがまかり通って良いものなのかっ!と思うと悔し涙が出ます。江戸の田沼意次への仕打ちを思い出してしまいました。いつの世も変わりません。

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最近の為替の動きを見ながら、去年の今頃の中川さんの動きを思い出しては、やっぱり凄い人だったんだなと思っていましたが(各種発言で為替の乱高下をずっと牽制して居ましたね)それだけにショックで残念です。

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挨拶をした事もない。握手をした事もない人の死を受けて、こんなに悲しいと思った事はありません。

心の中で「嗚呼、嗚呼」と繰り返しました。

どんなに心痛を与えても、どんなに心労を与えても、自殺さえしなければ責任はないというのがテレビの論理なのでしょう。
眠れぬほどの苦悩とはどの様なものだったでしょうか。

公人が批判を受ける事は間違った事ではありません。
しかし、批判を超えて誹謗中傷、人格攻撃までやっていい事はありません。

せめて、せめて反論する場を与えてほしかった。
真実を語る場を与えてほしかった。

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政治家が亡くなったことでこんなに喪失感を覚えたのは初めてです。

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中川さんはこれからの日本を担っていくべき政治家でした。
衆議院選挙で落選、そして今回の死去に涙が止まりません。始めて政治家の死で泣きました。
この世には神も仏もいないのでしょうか。国を愛し、国益を第一に考えて行動した政治家を社会的に抹殺、その後、失意の内に病死…こんな仕打ちは酷すぎます。

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安倍氏と共に、一度失敗はしたけれど、
必ず、未来の日本を担ってくれる政治家だと思っていただけに、
残念と言うよりも、喪失感の方が大きいです。

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日本再建のキーマンでした。
なぜ、そのような立場の人が先立たなければならないのか?
あまりにも神の気まぐれが過ぎます。

どうも、ホントに日本の国益を主張する人たちは表面は剛直ですが、内面は繊細で哀情の深い方々がほとんどですね。

表面で「友愛」「平和」「人権」の言葉をもてあそび、愚衆にもてはやされる連中とは正反対です。

合掌・・・。

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最近よく思うのです。今の政治においては「減点」しか存在しないではないかと。ある人物が100の国益に適う事を行っても、マスコミの注目度が低くければ国民のその人物に対する評価は「加点」にはならない。ならぜなら報道されないからです。また、報道されて居ても意識の高い人間以外には届かないでしょう。
 しかし、その人物が1の「失敗」をマスコミが大々的に報じると、それまで政治に興味が無い人にでもその「失敗」は伝わってしまう。よって国民のその人物の評価は「減点」されてしまう。

 たとえば麻生前首相の漢字の読み間違いの問題。
 
 要するに無党派層と言われる中の普段政治に興味を持たない方々は断片的な情報、しかもいたってわかりやすい情報しか耳に入らない(入れない)。だから「麻生さんのどこが駄目だと思うの?」と聞いても「漢字が読めないから駄目。(だけど他に何をしたのかは一切知らない。)」という事になってしまう。

 この情報の偏り。候補者が美人だから、有名人だからと言う理由のみで投票する人々。それに立候補者選びに手段を選ばない各党の選挙責任者。報道テロを行うマスコミ。

 日本の衆愚政治は止まりません。こんなどうしようもない我が国にはまだまだ中川昭一先生の力が必要でした。

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政治家の功績事績って奴は、沁み入る様に効いて来るのが本来の姿だと考えるのですが、それを丁寧に追い続ける報道って本当に少ないですよね。 ましてや昨今の政権交代って奴で継続性を要する政策を敢てぶったぎる事が「善政」なんて風潮が大手マスメディアによって醸し出されている現状では...冷や酒は後で効くもんなんだけどなぁ...

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昼間に子供の運動会に出かけている最中、携帯電話でニュースを知りました。日差しの強さ以上の動揺で目がくらみました。

本当の本物が、私たちが欲した人が喪われた。やっていられない、そんな気分です。今日だけはテレビの電源を入れる気になれない。電波芸者に品性下劣なコメントをされるだけで頬を涙が伝いそうになる。

今夜は5年前に手渡した人権法反対ビラを受け取ったときの氏のあの笑顔を、あの面影を肴にひとり酒宴を設けて氏の霊に哀惜と惜別の想いを傾けたい。合掌、そして号泣。




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1 コメント

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初めまして。 (sun3sin)
2009-10-18 03:01:47
全くおっしゃる通りです!
あんな会見なんかで、政治家の資質の何が
分かるのか、G7で彼はどれほどの成果
を挙げたか・・。
訃報を知った時は、自分もひどくショックを
受けました。
実は‘昭ちゃん’は、一度うちに来た事がある
のですが、その時自分は大学生で、実家には
住んでいませんでした。父と母が会ったよう
ですが、自分も逢っておきたかった・・。
今自分は、実家の商店を手伝っているの
ですが、帯広の方に2件用事があったので、
同じく昭ちゃんファンの父とともに、中川昭一
帯広事務所に献花・記帳をしに行って
きました。
白い花と小さな鏡月を祭壇に供え、受付の女性
に思いのたけを話してきました。
年下ですが親しみを込めて・・昭ちゃん、天国で好きなお酒を思いっきり味わって下さい。
長文失礼しました。
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