幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

自衛隊へ送られた手紙

2012年02月13日 | ニュース・報道
「これ、読んでください……」
石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。

〈じえいたいさんへ。
 げん気ですか。
 つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。
 でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。
 日本をたすけてください。
 いつもおうえんしています。
 じえいたいさんありがとう。
  うみより〉

石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。
「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」

その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。

井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」
少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。

東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。

その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を捜し続けていたのである。


ニュースソースはこちら

朝日新聞の偏向報道をただす!あさまも有楽町街宣 矢内筆勝

2011年10月24日 | ニュース・報道
朝日新聞の偏向報道をただす!あさまも有楽町街宣 矢内筆勝


朝日新聞の偏向報道を正す! あさまも朝日新聞社前にて抗議活動




平成23年10月22日(土)、あさまもメンバーで初めての街宣活動を行ってきました。

築地4丁目→朝日新聞東京本社前→有楽町駅前

当日は矢内代表以下、約15名のメンバーが参加してくださいました。


※あさまもブログ http://asamamo.blog.fc2.com/


「あさまも」は、戦後日本を代表するマスコミである「朝日新聞」を中心に、日本の左翼的なマスコミの偏向報道姿勢を正し、日本の子供たちの未来を守るために、言論活動やシ­ンポジウムの開催など、様々な活動を展開して参ります。

 メンバーは日本の未来を憂える心ある国民、市民の方々です。

 私たちの活動やブログの記事へのご意見、または朝日や他のマスコミ(新聞・テレビなど)の偏向報道を見つけた方は、ぜひ「あさまも」にご一報ください!

 メールはこちら→ asamamomail@yahoo.co.jp


光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」 専門家ら驚き「検証を」

2011年09月24日 | ニュース・報道
これは世紀の大発見では!?



産経新聞 9月24日(土)0時35分配信

 名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。

 ■概念変わる?

 「現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる」と東大の村山斉・数物連携宇宙研究機構長は驚きを隠さない。

 アインシュタインの特殊相対性理論によると、質量のある物体の速度が光の速度に近づくと、その物体の時間の進み方は遅くなり、光速に達すると時間は止まってしまう。

 光速で動く物体が時間が止まった状態だとすると、それよりも速いニュートリノは時間をさかのぼっているのかもしれない。すると、過去へのタイムトラベルも現実味を帯び、時間の概念すら変更を余儀なくされる可能性もある。

 それだけに、村山氏は「結果が正しいかどうか、別の検証実験が不可欠だ。実験は遠く離れた2地点の間でニュートリノを飛ばし、所要時間を計るというシンプルなアイデア。正確さを確保するには双方の時計をきちんと合わせる必要があるが、これはそれほど簡単ではない」と語る。

 ■新たな一歩に

 スーパーカミオカンデ実験を率いる東大の鈴木洋一郎教授も「別の機関による検証実験で、結果の正しさを確かめることが大事だ」と慎重な姿勢だ。

 鈴木氏は、昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」と語る。

 実験に参加した名古屋大の小松雅宏准教授は「実験に間違いがないかと検証を繰り返したが、否定できない結果になった。公表することで他の研究者による検証や追試が進み、物理学の新たな一歩につながれば」と話している。



--------------
<物理>光より速いニュートリノ? 相対性理論覆す発見か

毎日新聞 9月23日(金)21時32分配信


【ジュネーブ伊藤智永】欧州合同原子核研究所(CERN、ジュネーブ)は23日、素粒子ニュートリノを光速より速く移動させる実験に成功したと発表した。事実なら、「光より速い物質は存在しない」としたアインシュタインの特殊相対性理論(1905年)を覆す物理学上の「大発見」となる可能性があるという。

 発表によると、日本の名古屋大、神戸大や欧州などの研究者約160人が参加する「国際研究実験OPERA」のチームが、CERNで人工的に作ったニュートリノ1万6000個を、約730キロ離れたイタリアのグランサッソ国立研究所に飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到着し、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いことが計測された。

 1万5000回も同じ実験を繰り返し、誤差を計算に入れても同じ結果が得られたという。チームも「説明がつかない」と首をかしげており、実験データを公表して、世界中の研究者に意見と検証を求めたいとしている。

 ニュートリノは、物質の最小単位である素粒子の一種。1930年に存在が予言され、56年に確認された。あらゆる物質をすり抜けてしまうため観測が難しく、解明のための研究が進んでいる。

 CERNは世界最大の加速器を備え、宇宙誕生の瞬間を人工的に作り出すことを通じて、物質と出合うと消滅する「反物質」の観測、物質の重さや真空などの原理的解明を目指す国際的な研究機関。

地球寒冷化の兆し?太陽北極域で異例の磁場反転

2011年09月01日 | ニュース・報道
読売新聞 9月1日(木)21時12分配信

 宇宙航空研究開発機構の太陽観測衛星「ひので」が、太陽の北極域で磁場が反転し始めた様子を観測することに成功した。

 太陽の北極、南極の磁場は約11年周期で反転することが知られているが、今回は予想時期より2年も早いうえ、南極域では反転が見られないなど異例の様相を呈している。地球の環境変動につながる恐れもあるという。

 ひのでは7月31日、マイナス磁場(S極)だった太陽の北極域で、プラス磁場(N極)が増えていることを発見した。数か月で反転が完了する。磁場の反転は太陽表面の爆発など活動が活発になる極大期の2年後に予想されていた。

 磁場の反転と、太陽の黒点数増減の周期は、通常約11年で一致していたが、2009年初頭まで続いた黒点の周期は12・6年に延びた。活動周期が延びる時期は、地球が寒冷化することが知られている。研究チームの常田佐久(つねたさく)・国立天文台教授は「観測されたことのない事態だ。地球環境との関係を調べるため、太陽活動を継続的に監視していく必要がある」と話す。

「『脱原発』と日本経済」アンケート

2011年08月18日 | ニュース・報道
産経新聞が「『脱原発』と日本経済」というアンケートを行っています。

2011.8.18 18:36 産経新聞より転載

 福島第1原発事故で放出された放射性物質への不安が広がる中、菅直人首相が打ち出した「脱原発」には、電力の安定供給やコスト面から不安視する声も出ています。

そこで

(1)「脱原発」は日本経済に深刻な打撃を与えると思いますか

(2)「脱原発」で電力料金が上がった場合、容認しますか

(3)菅首相の「脱原発」政策を支持しますか

について、あなたの意見をお聞かせください。意見は23日午前11時までにお願いします。

アンケートページはこちら

そもそも「原発の安全神話」ってなんですか?

2011年05月18日 | ニュース・報道
「世直し太郎」の政局斜め読み より転載

これに関して一度まとめて言いたかったので考察します。

よくマスメディアの人や反原発主義者の方々が多用する「原発の安全神話」と言う用語ですが、どうしてもこの意味がよくわかりません。

「原発の安全神話が信じられてきた」とか「原発の安全神話が崩壊した」とか言いますが、あまりにも情緒的、文学的、宗教的な表現で、高度な科学技術の集積である原発を表現するには似つかわしくないですね。

いつ原発が信仰の対象になったのでしょうか?やはり、現代文明を象徴する存在であり、信仰の対象にしたいのでしょうか。

(まあ、古くは映画『猿の惑星』では核ミサイルが信仰の対象にはなっていましたが・・・)

どうしても気になるのは、文字通り、原発には安全神話があったかのような既成事実化がされていますが、いったいいつから原発の安全神話が登場したのでしょうか。

もう30年以上も前から、用語だけが独り歩きしていますが、いったい原発の何が「安全神話」だったのでしょうか。

誰か公に原子力発電所行政を推進する責任者が「原発には安全神話があります。」と言及したのでしょうか。寡聞にして私はその事実を知りません。

どちらかというと原発を批判的に扱う場合に多用されますので、「原発の安全過信」がせいぜい事実としては近いところで、いきなり神話化させてしまうのは、どうも文学力に優れたジャーナリストが創った造語のように思えてなりません。

原発はその発想段階から、そもそも「安全に制御できる仕組みができる」と言った人はいたでしょうが、実際に「安全に制御できる」かどうかは、人為的ミスが介在する以上、100%安全に制御できるかどうかはやってみなければわからなかったはずです。

少なくとも
「設計段階(強度不足・設計ミス)」
→「建設段階(施工ミス・素材選定ミス)」
→「運転段階(操作ミス)」
→「点検整備ミス(操作ミス・部品交換ミス)」
→「補修段階(同前)」
→「廃棄・廃炉段階」とあり、

甚大な事故につながる原因はそれぞれの段階にあり、チェルノブイリ事故はそもそも原子炉の設計ミスからスタートしているし、スリーマイル島事故なら、運転操作ミスでしょう。

また、今回の福島第一原発ように「止める」「冷やす」「封じ込める」という緊急事態収束に向けた被災後の電源供給が出来ない事による緊急停止段階の操作ミスもあるでしょう。

これだけ多くのプロセスを全部100%クリアすることなどほぼ不可能でしょう。

もしも誰かが「いや100%安全です」と言い切ったなら、その段階で「安全過信」があったと判定する事が出来るでしょう。

事故が起きる以上、それには原因があり、起きてしまえば徹底的な責任追及が始まるのは別に原発に始まった事ではありません。

ただし、取り扱っているのが核物質であり、巨大なエネルギー量を抽出できる代わりに、いったん制御不能に陥れば、核反応の連鎖の引き起こす災害の恐怖と闘わなければいけないという点が他と違うと言う事でしょう。

でもこんな指摘はもう10年、20年とやってきたので何ら目新しさはないかもしれません。

あまり長くなってもいけないので、結論を急ぎますが、「無条件で安全」「無限に安全」と誰かが言って、その通りにならなければ神話化などするわけがなく、現実には原発誕生以来、試行錯誤の「文明実験」の中にあることは事実だと言うこと事です。

「100%安全に制御することを目指す」努力目標は存在しても、100%安全だと実証できた事実は、今回の福島第一原発被災後の対応を見る限り、結果として人為的な対応ミスが介在する以上、それは確認されていないということです。

だから、現実に存在してもいない「原発の安全神話」という言葉を使って、さも原発推進者が、原発の安全性を神話化しているかのような印象を与えるのであれば、フェアではないと思います。

原発と言う現代文明の高度な科学技術の集積した装置に、「原発の安全神話」というような優れて文学的な表現を使うのは好ましくないので、もうそろそろ止めませんかと言いたいと思います。

誰も「原発の安全神話」を創るために原発を稼働させている人はいないと思います。

「天国も死後の世界もない」車いすの物理学者ホーキング氏が断言

2011年05月17日 | ニュース・報道
2011.5.17 22:18 産経新聞


「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。カナダで昨年6月撮影(ロイター)

 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。

 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

 博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。

 また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。

 1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。(ロイター)

神からの「贈り物」の危機

2011年04月16日 | ニュース・報道
2011.4.16 産経新聞

 ◆「レベル7」の情報発信力

 「テクネー」というギリシャ語は「つくる」という意味をもち、「技術(テクニック)」の語源とされる。派生語として、たんに「つくる」だけでなく、創造性が求められる「芸術(アート)」が生まれた。

 技術は芸術とは異なり、絶えざる「進歩」が求められる。「IT革命」のさい、ドッグ・イヤーというコトバが生まれたように、1年間で4年間ほどのペースで、技術が進歩した。

 進歩は技術にとって、いわば「無意識の過程」に属している。無意識の過程とは、無前提的かつ不可逆的に前に進んでいく、といったほどの意味である。

 東日本大震災の福島原発事故をめぐって、原発に対する畏怖と忌避の動きが日本だけでなく、ドイツなど欧米各地に広がっている。たしかに事故を直視したら、「こんな、恐ろしいモノを近くに造られたらたまらない」という反対の声も当然である。

 原発は水力や火力を経て、生まれたエネルギー源である。日本ではすでに電力供給の3割を占め、さらに促進させる計画だった。世界でも四十数カ国で稼働、建設、計画中とされる。

 米国やフランスなどの「原発大国」は、いち早く原発建設計画の継続を打ち出した。現在の技術のレベルでは、原発に代わるエネルギー源はないからだ。

 それだけに、東電や政府の情報発信や事故処理をめぐっては、世界各国から不審の目を投げかけられている。すみやかな情報発信は、いたずらな危機意識を抑制するためには欠かせないのに、その発信力は当初から「レベル7」に陥っていた。

 ◆代替エネルギーはない

 だが事故の処理は、純然たる技術の問題である。技術がもたらした瑕疵(かし)は、あらたな技術によって解決するしかない。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故をめぐり、菅直人首相と同じ東京工業大学出身で、技術者の経験もあった思想家、吉本隆明氏は、世界的に巻き起こった反原発の運動に対し、こう発言している。

 「ただ原則は、原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない」

 吉本氏は、原発もまた科学技術の進歩によって将来的には消滅し、有効で安全なエネルギー源にとって代わられると指摘した。10年くらいのうちに、その可能性を持つとも述べた。

 これは甘かった。有効で安全なエネルギー源とは、人類が使っている全エネルギーの1万倍を放っているといわれる太陽エネルギーを指すのであろう。だが太陽を含めた自然エネルギーが、原子力の代替エネルギーとなるには、まだ数十年はかかるらしい。10年後でも、電力供給の2%ほどにしかならないという。

 ギリシャ神話に出てくるプロメーテウスは、天界にあった火を人類にもたらした神として知られる。だが主神ゼウスの怒りを買い、山に縛りつけられ、ワシに毎日、肝臓をついばまれるという責め苦を強いられた。不死のプロメーテウスの肝臓は夜中に再生し、拷問に耐え抜いた。

 原発が最初にできたとき、この神話にちなみ、「プロメーテウスの第二の火」と呼ばれた。温室効果ガスも出さず、山や谷を切り崩してコンクリートでかためたダムをつくる必要もない。「クリーンエネルギー」だと、もてはやされもした。

 ◆「巧みなわざ」に期待

 古代ギリシャの劇作家、アイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』(呉茂一訳)では、ゼウスの伝令役であるヘルメースの脅しを受けたプロメーテウスは、こう叫んで反論する。

 「大地をさえも根底から、根ぐるみ颱風(はやて)にゆるがし立てろ、海原の波は逆まく怒濤(どとう)に吹き上げさせ、天頂にある星々の行き交う路に注(そそ)ぎかけろ--」

 東日本大震災でも、太平洋からの「逆まく怒濤」が、東北の沿岸部の村落や都市を襲った。自然の暴虐は、時として神の仕業のようにも思えてしまう。関東大震災や阪神大震災、さらに今回の大震災でも、一部の知識人から「天譴(てんけん)論」が出たゆえんである。

 プロメーテウスは盗んだ火について、「あらゆる技術」を人間に教える贈り物だとも語った。呉訳では、この「技術」について、「たくみ」と「わざ」という2種類のルビを振っている。

 事故の処理で、創造力をも駆使した「巧みなわざ」を喫緊に発揮しないと、日本のエネルギー政策は危機的な状況に陥る。プロメーテウスの怒りも「レベル7」に達しているはずだ。(論説委員・福島敏雄)

日本でジャスミン革命は起こせるか

2011年04月02日 | ニュース・報道
マスコミが報道しない米軍支援の状況を、リアルタイムで一番正確に把握できる
のは、在日米海軍司令部と、ルース大使のTwitterではないかと思います。
どちらも日本語です。

・ルース駐日大使: http://twitter.com/AmbassadorRoos

・在日米海軍司令部 (CNFJ) on Twitter:
 http://twitter.com/#!/CNFJ

在日米軍や米軍は、今回の支援活動内容や写真を、相当量、ネットで公開しています。兵士の氏名や顔もわかるようなレポートで、どのような支援をしているかが非常によくわかりますが、海外のニュースサイトでしか報道されていません。
肝心の日本では、報道されていないようです。

米軍の活動は、こちら(↓)がよくまとまっていて、わかりやすい。
これを見ると、いかに日本のメディアが情報を止めているかが、わかりますね。

■写真・動画レポート 『トモダチ作戦 Operation Tomodachi』
http://connectusa.jp/report/2011/0311_000391.html

今回の震災で、ネット上では米軍や自衛隊に対する感謝の声が相当上がっています。

※参考…自衛隊、米軍、NEXCO東日本の活躍に感動(2011.03.23 R25)

Twitterやフェースブックで、
米軍や米国大使館が直接発信している情報が、自然に入ってくるためだと思います。
直接自分が米軍をフォローしていなくても、
自分と興味関心を一にするフォロアーのつぶやきや転送で、すぐ情報が入ります。
この辺のシステムは霊界にそっくり。


ネトウヨなどと揶揄する方もありますが、
米軍支援に関しては、ネットを情報源にしている人間のほうが、
明かに正確な情報をつかみ、彼らに感謝や尊敬の念を抱いています。

Twitter、フェースブック、ユーストリームを駆使している日本人と、
それ以外の日本人との情報格差はかなりのものですね。
残念なことに、日本の世論を形成しているのは、
新聞・テレビから情報を得ている層ですから、
新聞とテレビが変わらない限り、世論も変わらない。

ある臨界点を超えると、もうまもなく、
TwitterやFacebookが新聞を駆逐し、ユーストリームがテレビを超えて
一気に引っ繰り返る瞬間がくると思うのですが。あと少し。

40代以上の中高齢層が、標準でスマートフォンを手にするようになってくると、
大マスコミは情報を隠し通せなくなり、偏向報道がバレ始めます。

新聞は、情報量とスピードでは、もうインターネットに敗北していますから、
これまでのような情報統制や隠ぺい、コントロールは無理だということに気づき、
いかに早く方針転換するかが、今後の社の命運を分けるでしょうね。

新聞とテレビは独自の強みを生かし、本来のジャーナリズムの原点に戻って
Twitterでは不可能な、記者による直接の取材活動、
深い分析と提言に特化していってほしいと期待します。

アエラに野田秀樹氏が抗議 アエラ誌面上で

2011年03月29日 | ニュース・報道
<ひつまぶし>野田秀樹
──突然ですが、最終回です。──


(AERA 2011.4.4号)

突然ですが、最終回です。
先週号のアエラの表紙を見て私は愕然とした。
「放射能がくる」という大きな赤い文字が、防毒マスクのようなものを被った男
性の大写しの顔の上で躍っている。

たった一言でも重いコトバがある、と私は信じる。
15万部という発行部数の雑誌が、そのコトバの重みを知らないはずはない。

アエラの編集部に伺いたい。
「放射能がくる」には、どんな願いが込められていたのですか?
これから大量の放射能が来て欲しいのですか?
来た時に「ほらね、俺の言った通りだろう」と言いたいのでしょうか?
もしもそうではない、というのであれば、ただでさえ放射能のことでドキドキし
ている何も知らない人々が、ただただ煽られるコトバのように聞こえます。
これは、私との語感の違いなのでしょうか?
この表紙を見た人が一体どういうメッセージを受け取ればいいのですか?

まず、どこに放射能が来るのか、表紙をめくった目次にはっきりと「東京に放射
能がくる」と書かれている。そして「最悪なら『チェルノブイリ』」という脅し
文句が続く。

つまり、「東京から逃げ出せ!」というメッセージなのか?
ガソリンを買いだめして脱出する準備をせよ、という風に受け取ったとしても仕
方ない。アエラは、それほどの事態だと大きな赤文字で私たちに呼びかけたわけ
だから。

 エラがフィクション雑誌なのならばいい。こんな時に「放射能がくる」という
恐怖を煽る小説を掲載しても。だが、アエラは小説雑誌ではない。事実を元にし
て記事が書かれているものだと信じる。信じていた。

だから、その誌面に、私はだらしないエッセイを書いてきた。
事実を読むというのは疲労するものだから、その箸休めになればと「ひつまぶし」
で暇をつぶしてもらおうと思っていた。

だが先週号の記事は立場が逆転している。私のほうが事実を述べようとしている。
私は「東京はまだ放射能がきたというレベルではない。冷静になって、罹災地で
ある東北を、福島を支援すべきだ」という趣旨のことを書いた。だがアエラ本体
が、「東京に放射能がくる」という。しかも最悪の事態はチェルノブイリなのだ
と断言までして。

だが、本文をどこからどう読んでも、その根拠がよくわからない、数字でも示さ
れていない、一体どんな根拠で、あの表紙が物語っているほどのレベルの放射能
が、現時点で東京にくるのか、そそいて、最悪の事態がチェルノブイリ──なの
か、教えて欲しい。

おそらく私は、この原発事故をアエラほどに軽く考えていない。
今、起こっていることは、ふだんマスメディアが、面白半分で人々を煽るような
次元のこととは違うと思っている。

これからの日本の経済、文化、社会すべての将来に関わる大事だと思っている。
だからこそ、まずは福島の現地が問題なのである。放射能がこのまま少しでもお
さまり、福島や茨城への被害が最小限におさまっていくことを祈るべきだし、そ
の方向にむかって、東京も最大限の支援をするべきだ。

東京に危険がないとは思っていない。でも、今は東京がじたばたする時ではない。
危機にある時、その危機を煽っても、その危険はなくならない。危険を出来るだ
け正確な情報でそのまま伝えること。これがまっとうなマスメディアのやることだ。
その意味で、まっとうなマスメディアが近頃減ってきたことは、重々承知してい
たはずだった。だが自分が毎週連載をさせてもらっているアエラが、まさか、よ
り刺激的なコピーを表紙に使い、人々を煽る雑誌だったとは気がつかないでいた。

誰に謝ればいいのかわからないが、申し訳ない。
故に、この回をもって、この「ひつまぶし」を終了させていただくことにした。
長らく、この「ひつまぶし」を御愛読してくださった読者には、心から感謝をし
ています。身勝手なモノカキのわがままではありますが、先週号の表紙を見て、
直感的に覚えた、このアエラの「現実」に対する姿勢への不安が消えません。

アエラという雑誌は何を目指しているのですか?
フィクションですか?
それともノンフィクションですか?

AERAと週刊ポスト

2011年03月23日 | ニュース・報道
J-CASTより一部抜粋

表紙に批判「原発恐怖心を煽る」 アエラ編集長がサイトでお詫び


朝日新聞の週刊誌「アエラ」が、防毒マスクの写真付きで「放射能がくる」と表紙でうたったことに対し、批判が相次いでいる。同誌は、編集長がサイト上で「恐怖心を煽る意図はない」と釈明する事態になっている。
2011年3月19日発売号のアエラで、首都圏の地下鉄などの車内中吊り広告にも、こうしたデザインが使われている。

(中略)

 ネガティブな「アエラ」に対し、週刊ポストの3月21日発売号がポジティブな内容だと、ネット上で話題になっている。表紙の見出しでは、「日本を信じよう」とうたい、自衛隊員が救出された赤ちゃんを手にほほえむ写真が載っている。そして、記事では、放射能漏れの危機にある原発が「制御困難」と紹介しながらも、別の見出しでは「私たちは必ず力強く蘇る」としているのだ。

対照的な2誌



頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道

2011年03月18日 | ニュース・報道
2011.03.18(Fri)  JB-PRESS烏賀陽 弘道

3月17日午前0時40分。今、この原稿を東京の自宅で書いている。3月11日金曜日午後2時46分(東日本大震災発生)以来、この国がもう後戻りのできない別の時代に入ってしまったことを刻一刻感じている。

 マグニチュード9.0の巨大地震。大津波。原子力発電所事故。どれ1つとっても「国難」級のクライシスが3つ、束になってやって来たのだ。これ以上深刻な危機は「戦争」か「大規模テロ」ぐらいしか思い浮かばない。

 今後の日本の歴史は「3.11以前」と「3.11以降」に分類されるだろう。そういう意味で「2011年」は、「1868年」(明治維新)「1945年」(敗戦)に続く日本の現代史の分岐点になるだろう。

(中略)

新聞報道では、まるで「チェルノブイリ並み」

 率直に言おう。私は日本の新聞やテレビ、ネット報道をいくら見ても、東京から退避した方がいいのかどうか、分からない。「検出放射線量は○△シーベルトでした」とか「半径10キロで待避指示が出ました」とか、いつもの調子で発表数字をそのまま電話帳のように書き写して記事にしてもらっても、困るのだ。

 一例。朝日新聞3月13日日曜日朝刊は、同原発の爆発の第一報で「広域避難はチェルノブイリを思い起こさせる。しかし、この事故と直接比較できない」(1面。竹内敬二編集委員)と遠回しな表現だが「チェブノブイリのような核物質が放出されてまき散らされるような事態にはならない」と言っている。「最悪の事態回避へ懸命」という応援団的な見出しからも「安心してね」というメッセージを送っている。

ところが、2日後の同15日火曜日夕刊1面で、同じ竹内編集委員が突然豹変する。「最悪の事態に備えを」という見出しで「極めて深刻な放射能放出が始まった」と切り出し、「すでに福島第一原発の敷地周辺では非常に高い放射線量が検出されている。今後、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と比較して語られることになる」と、それまでの論調を一変させ、「これはチェルノブイリ並みの事故だ」と言い出し始めたのだ。

 その夕刊はご丁寧にも、1面の反対面である12面を全部つぶして「放射線から身を守るには」という大見出しで「窓閉め換気扇停止」「服をポリ袋へ」「ぬれマスクを」「風は南東から北西へ 東京、今夜一時雨か」と、これはもう「放射能が降り注ぐ」ことを前提にした「防災広報」である。

 「40万人が疎開 被曝死推計4000人」と「チェルノブイリ事故」の記事が「放射能汚染マップ」つきでデカデカと並んでいる。この新聞を読むと「福島第一原発事故はチェルノブイリ並みの放射能汚染がまき散らされる」と理解しない方が不思議だ。

 この「夕刊4版」が、首都圏に配布されるバージョンであることを、私は新聞社勤務の経験で知っている。つまり、朝日の紙面を作った人間は、福島県や茨城県の読者だけでなく、東京の人間も「放射能から身を守るには」という情報を知るべきだ、と考えて印刷、配布しているのだ。

 首都圏の人間が「放射線から身を守るには」という紙面を読まされた時、どう思うだろう。当然「福島第一原発の放射能物質は、東京にも降り注ぐのだな」と理解するに決まっているではないか。

 私は仰天し、焦った。周囲に電話(それもつながりにくい!)やメールで聞いても、15日の夕刊配達以降、誰もが「もうヤバい」「最悪の事態だそうだ」「会社が休みになったら東京を出る」と浮き足立っているのが分かった。私は京都の母親に「そっちに行ってもいいか」と言うべきかどうか、携帯電話の登録番号を何度も呼び出してはやめた。

フェイスブックで入手したアメリカ海軍からの情報

 しかし、何かが矛盾している、何かヘンだという感覚がどこかに引っかかった。というのは、原発の地元・福島県に出した政府の避難指示が「原発から半径20キロメートル以内」(後に30キロメートル以内に拡大)だったからだ。

  原発から東京都心までは200~250キロメートルである。もし、朝日が言うように東京に放射能物質が降り注ぐなら(「東京は雨」とまで、ご丁寧に天気予報まで掲載してくれているのだ!)、政府はもっと避難指示の範囲を拡大するはずではないのか? 政府は事故の被害を少なめにしか公表していないのではないか? それとも朝日が重大なミスリードを犯したのか?

 ここで読者は混乱する。どこまで信用できて、どこからは信用できないのか、さっぱり分からない。これがまさに、疑心暗鬼の始まりなのだ。

 この猜疑は、他の報道も含め「東京電力の不手際」「政府の危機管理の甘さ」といった批判によって増幅される。つまり、「政府・東電は何か深刻なことを隠しているのではないか」という疑いが膨らみに膨らむのだ。

 さらに「米軍空母ロナルド・レーガンが基準以上の放射線を検知し移動した」などと「状況は悪化している」と示唆する報道だけはどんどん届いてくる。

 結局、私は日本の報道を信頼することをあきらめた。どれも似ているので、多様性がないから判断材料がないのだ(この問題はまた次回以降検証する)。

 そして、思い詰めたあげく、アメリカ海軍に勤務する友人がフェイスブックで連絡が取れることを思い出し、「ロナルド・レーガンに何が起きたのか、情報がないか」と聞いてみた。

 すると、そのスレッドに、別のフレンドが「心配しないでください。状況は大丈夫です。アメリカの報道はどれも誇張しすぎです。ウォールストリート・ジャーナルのこの記事は信用できます」とリンクを教えてくれた。

 この人はフレンドのフレンド、面識はない。かつてフレンドリクエストが来て、よく確かめずに承認したスノーボーダーの兄ちゃんである。だが、よくプロフィールを見たら「アメリカ海軍情報部」とあるではないか!

 続いて同じスレッドに海軍勤務のアメリカ人が続々と投稿し始め、そこからアメリカはじめ、英語のリンクを回った結果「今のところ東京は心配しなくていい」という感触ができてきた。

各国政府の見解から危機の程度を判断すると

 16日になって、東京にいるアメリカ人の音楽仲間がフェイスブックに投稿したポストに「東京のイギリス大使館が発表した首都圏への放射線の影響」という英語のリンクを偶然見つけた。

 結論は、「チェルノブイリ級の事故になることはまずない。なっても汚染物質が降るのは半径30キロメートル程度」とあるではないか。あまつさえ「首都圏のブリティッシュスクールは休校すべきか」という問いに「地震や津波を別として、被曝の心配なら、その必要はない」とまで言い切っている。「今回の事故をチェルノブイリに例えるのは、完全に間違っている、と強調した」(イギリス政府主席科学顧問のジョン・ベディントン氏)。

 (日本語の要旨はこちら。イギリス大使館のサイトはこちら

 ここから、芋づる式に東京の被曝の恐れについて、アメリカ政府の見解、オーストラリア政府の見解がネットで見つかった。

 見解はどれもほぼ同じ。「チェルノブイリみたいな事故にはならない。なっても首都圏は安全だろう」という話だ。しかも、よく見ると「チェルノブイリ事故でも、人間が住めなくなるような危険レベルに達したのは半径30キロ以内」とあるではないか。朝日の記事は一体何だったのだろう。

 私はこの情報を日本語でツイッターに書いておいた。すると、みなさんよほどこの種の正確な情報に飢えていたのだろう、たちまち200以上リツイートされて「ありがとう」メッセージが洪水のように押し寄せた。「英語原文」を投稿したら、これまたボランティアで翻訳してくれる人が次々に現れ、あっという間に日本語版が流れ始めた。

 こうして、フェイスブック~ツイッター~英語ニュースサイトと渡り歩くうちに「まだ東京脱出の必要はなさそうだ」という感触だけは掴めた。やれやれである。

危険の程度を正確に評価せず、取材もしない日本メディア

 しかし、大迷惑なのは「チェルノブイリに備えよ」みたいな朝日の報道だ(他の新聞やテレビも不正確という意味では大同小異)。こうなると「読まないでもいい」などという苦笑ものの失敗談ではない。「読むだけパニックが起きるので有害」ではないか。

 要は、竹内編集委員はじめ、朝日にいる社員記者の人材のレベルでは、今回の事故が首都圏ではどの程度の危険を想定すべきなのか、正確に評価することができないのだ(朝日新聞の編集委員だと言われても、この人物の記事がどの程度信頼できるのか、まったく読者には分からないという事実が、また分かりにくさに拍車をかける)。

 私をはじめ市民は「最悪の事態に備えよ」と書かれた時点で「チェルノブイリ」を思い浮かべる(「あるいはそれよりもっと悪いのかもしれない」という「最悪の到達点」さえ見えないのでもっと不安だ)。

 もし、チェルノブイリを指標にしたいのなら(イギリス政府はそれも「完全に間違い」と完全否定している)「チェルノブイリと同じだ、同じだ」と叫び回るだけではなく「チェルノブイリとは何が違うのか」を取材して併記すればよいのだ。それを同じ紙面に載せて「ここは同じ」「ここは違う」と書いて読者に判断してもらえばいいではないか。

 ちなみに、東京のイギリス大使館は皇居のそば、半蔵門にある。どの新聞社も、取材に行くのにクルマで30分かからない。ご覧のとおり、私でも自宅でデスクに座ってネットをたどるだけで、3つの政府の公式見解を取材できた。「チェルノブイリとはここが違う」という対論を取材するのは、ばかばかしいほど簡単なのだ。つまり、これは「発想」と「意志」の問題なのだ。

 たとえみっともない誤解でも、朝日が「福島第一=チェルノブイリ」と信じるのは勝手と百歩譲っても「両論併記」は報道の鉄則ではないのか。

 ここに、日本の記者クラブ系メディアが抱える宿痾の腐臭がまた漂ってくる。彼らはあまりに「日本政府発の情報偏重」であり「国内情報偏重」である。外国の「政府公式情報」ですら「チェルノブイリはありえない」と断定しているのに、視界から落ちてしまう。

 日本政府や東電の発表を押しのけて、外国政府の見解が1面トップでもいいではないか。自分で判断できず、公式情報に頼る手法でも、それくらいはできる。なぜそれほど日本政府情報を世界の公式情報の中でも偏重するのか。

 この生死がかかったクライシスに、何という劣悪な報道だろう。平時なら「ミスリードでしたね」とへらへら笑って許しているかもしれないが、これは戦争並みのクライシスなのだ。生死がかかっているのだ。この愚劣な報道は有害ですらある。

 もう一度言う。クライシスに市民のために役立たない報道など、何の存在価値があるのだ。