週刊☆彡星野村

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星乃浪漫 その1

2017年07月03日 | ほしふることふみ~星降事記

突然現れた台風が九州を直撃しそうでちょっと心配ですね。
台風対策は万端ですか? ron です。

さて突然ですが、問題です。
星野村はいつから「星野」だったでしょう?

1.第2次世界大戦後

2.明治維新後

3.それ以前



早速ですが答えは3.です。このことは星野村に遊びに来られる方からよく聞かれます。そして、ずっと前から星野だったんですよ、と答えると意外に思われる方が少なくありません。

例えば星の名がつく町村名で有名な「美星町」ですが(※現在は井原市)、この名称になったのは昭和29年。戦後です。近隣の4村が合併しこの名になったとのこと。確かに古い日本の地名で「星」の字が使われることはあまり多くないようです。

さて、星野村の名称について資料を探しました。私のバイブル、「星野村史」を見てみると1226(嘉禄2)年に「星野」の地名が初めて史料に現れる、とあります。日本史で見れば源頼朝が幕府を開き、栄西が喫茶養生記を書いてお茶の効能を説き初めた頃です。そこにはこの年に星野氏の祖星野中務太輔胤実が本星野に館を構えたことが記されています。少なくとも「星野」の地名はおよそ800年前、鎌倉時代までは遡ってもよさそうです。

また角川書店発行の「日本地名大辞典」40福岡県に星野村の地名の由来がありました。そこには、「【太宰管内志(だざいかんないし)】に【星に縁があったから】と書いてある」、とあります。太宰管内志とは江戸時代の福岡の学者、伊藤常足(いとうつねたり)が記した九州全域の歴史、地理についての書物です。この本は近くの図書館を探してもなかなか見つからなかったのですが、ネットで国立国会図書館のサイトに行ったら、デジタルコレクションというページでこの本のスキャンデータを見ることができたので、ちょっとのぞいてみました。そうしたら確かに

星野はホシノと読んで、その意味は星に縁があったからそう名付けられた
(原文:星野は保之乃と訓べし、名義は星に縁ありて負せたるべし)

と書いてあります。そこでふと気になりました。「星に縁ありて」?? 

江戸時代と言えばより正確な暦を作るため、日本の天文学が発展した時期。そういう時期なので知識人にとっての「星」とは、最先端の学問の天文学と古事記に始まる日本神話の両方につながる興味深い言葉です。この著者もかなり「星野」は気になる土地だったんじゃないかなと思います。それを裏付けるように一地域の地名にも関わらず、この本では「星野」については異例の6ページを費やして解説しています。ただ残念ながら「星の縁」については先程の一文のみで、それ以上のことは全く書かれていません。結局その「星の縁」については分からずじまいでしたが、その一文でも想像をかき立てるには十分です。

・・・話が長くなったので今日はこれくらいに。続きはまた後日です。

これから台風対策 皆さんもお気をつけて!

ron でした


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