英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

受難の大学生    バイトに追われ勉強できず

2016年05月07日 11時33分39秒 | 時事問題
  朝日新聞のインターネットサイトを見ていると、貞国聖子記者の「大学生、奨学金よりバイト頼み 『卒業後の返済大変』」が目に留まった。
 貞国記者が全国大学生活協同組合連合会などの調査を紹介、大学生の苦しい大学生活を記している。
「アルバイトで生活費を工面し、奨学金はやや敬遠――」。同連合会が昨秋に調査し、30大学9741人の回答を分析した。貞国記者の記事を引用する。


  下宿生の1カ月の生活費を見ると、平均収入は12万2580円。内訳は、仕送り7万1440円、アルバイト2万5320円、奨学金2万3270円などだった。
 2010年に比べると、収入総額はほぼ同じだったが、アルバイト収入は3420円増加。アルバイトをしている学生は7割に上り、調査を始めた08年以降で最も高い割合となった。一方で、奨学金は3470円減った。受給率は緩やかに減少傾向が続いている。
 平均支出は11万8200円。書籍費や交通費、勉学費がそれぞれ前年より30~230円減った。 「貯金・繰り越し」は1万2500円と4年連続で増加し、この項目を調査し始めた1979年以降、最高額となった。貯金の目的が「生活費」「授業料」「奨学金返済」の学生も1割いた。
 奨学金受給者の平均金額は前年から平均で960円減り、5万8340円(自宅生5万3260円、下宿生6万1060円)だった。
 収入を増やす対策として「アルバイトを増やす」が47・1%(自宅生47・8%、下宿生46・5%)で最も多く、前年から2・1ポイント増加した。
 「暮らし向きが楽」と答えた割合は、全体の約半数。一方で、奨学金受給者は36・7%で、受給していない人の61・5%に対し、24・8ポイント低かった。
 

  大学生にとり受難の時代だ。日本社会が格差社会になっている証拠だろう。筆者は45年前、大学生だった。現在の学生のように、どれくらいの数の学生が生活のためにアルバイトをしていたのかはわからないが、少なくとも現在よりずいぶん少なかったにちがいない。私の周りに奨学金を得ている友人はいたが、生活のためにアルバイトをしていた友人はいなかった。
 アルバイトは夏休みや春休みにし、遊ぶ金を稼ぐのが目的だった。国立大学の授業料も年間3万円だったと記憶している。私立大学の立命館や中央大学の年間授業料は14~15万円。もちろん現在と貨幣価値が違うが、それにしても安かった。
 一番大きなことは日本経済が右肩上がりの時代だった。毎年、ホワイトカラーやブルーカラーの賃金は上がり、たとえ奨学金をもらっても、大卒の労働者の賃金は毎年上昇するため、就職して数年で返せた。返済は容易だった。
 歴史は変化すると言うが、現在の大学生はかわいそうだ。これではアルバイトをするために大学に行くようなもの。亡くなった父親が、勉強嫌いで大学に行く意味を感じなかった筆者に「大学の4年間は、たとえ勉強しないとしても、友人との語らいを持ち、余裕の時間を過ごすことで、人間の思考の幅が広がるのだ。それが将来、人の上に立つとき、役に立つ」と言ったのを思い出す。
 父親は戦前の帝国大学の学生だった。彼の時代は、地主や実業家、高級官僚らの恵まれた子弟しか大学で学べなかった。世間からも「学士様」と尊敬され、現在のように、誰でもが大学に行く風潮はなかった。
 われわれ団塊の時代は高校生の約40%が大学に進学した。当時、英国では、高校生の7~8%しか大学に進学しなかった。それを聞いて、日本の大学進学率は高いと驚いたのを記憶している。現在は80%以上の高校生が大学に進学しているのではないのか?
 現在はほとんどすべての高校生が大学へ行く。経済的な余裕がなくても大学に行く。そうしなければ世の中に出る前から後れをとるからだ。企業は大卒の学生をとる。それも有名大学の卒業生だ。日本の戦前のように、職人やそれなりに特殊技能をもった人々が尊重され、それなりの給料を稼いでいた時代は過ぎ去った。欧州ではまだこの名残がある。
 第2次世界大戦の英国指導者ウィンストン・チャーチルが「大衆社会の到来が独立心を抱いて、自分の道を進む人々を減少させ、他人と肩を並べたいという願望だけが強まった」と述べた。時は変化したのだろう。
 そうであれば、「奨学金に利子をつけて返せ」というのは、半世紀前と違って、現在の成熟した停滞経済社会に生きる学生には「酷」である。そして、商売における銀行借入金と違って、学生の勉学をサポートするお金だ。「無利子」で貸すのが当然ではないのか。
 さらに一歩進めて、「月10万円を稼がないと生活できない学生もいる。給付型の奨学金を新設し、学生の負担を減らすことが必要だ」と訴えている日本私立大学教職員組合連合の見解を実現するため、政府が財政的な支援すべきだ。
 日本の国家赤字は1000兆円を超えているが、学生ら若者に投資してこそ、国家主義者の安倍晋三首相の評価も上がるだろう。若者に投資することこそ、国民と国家の未来を明るく照らす政策だ。大学生に勉強と思考の余暇を与えることが、政府の責務ではないのか。
 チャーチルは1934年4月号の雑誌「アンサーズ」で余暇の大切さを説き「趣味を持ちなさい」と若者や読者に勧めている。父親の話と一脈通じている。「暇」は若者の特権だ。「余暇」を持つため、若者は勉強し、読書する。そこから発想力が育まれ、独創性と思考力がつく。今の大学生はチャーチルのアドバイスに耳を傾け、それに従おうと思っても、財政がそれを許さない。
 安倍首相が「日本のため、美しい日本を守る」と主張するのなら、未来を担う若者に投資すべきである。それでこそ国家主義者の安倍首相は国民から見直されるのでないのか。右派の人々も「中国」「安全保障法」「緊急事態法」などにばかり目を向けずに、国家の礎になる若者に温かい手を差し伸べてはどうか。それが国家主義者の責務ではないのか。