2012.9月 第6号 「韓国と日本、信仰に見る相互敬意の歴史」では、韓国から東・日本を見る信仰について書きました。今回は、日本が韓国などの異国をどう見ていたのかについて、書いていきたいと思います。
■多分?日本で一番浸透している念仏と異国浄土■
日本で、念仏を唱えてくださいといったら、多くの人がこういうのではないでしょうか。
「ナンマンダブ(南無阿弥陀仏)」。これは、阿弥陀仏への信仰を表す言葉です。日本で宗派を問わず深く信仰されている阿弥陀仏は、西方の極楽浄土にいる仏とされています。西方には、韓国、中国といった文明の先進国があり、それが西方浄土の信仰をさらに深めたようです。
顕著なのは、海岸がそのまま西の異国にむいている丹後の国です。丹後の国では10世紀ころ、阿弥陀仏の来迎を演じる迎講というものが行われていました。その一方で、丹後の国では、秦の除福が永遠の命を求めて日本にたどり着いたという伝説や、浦島伝説が残ります。いずれも、海の向こうの異界や異国と関わる伝説であり、西の国を浄土や神聖なものとしてみる信仰が土台になってできた伝説ともいえるでしょう。
かつて迎講が行われていたといわれる丹後半島の大谷寺 当麻寺の迎講
←↑ 徐福が来たとされる丹後の新井崎神社とその周辺
↑浦島太郎を祭る 丹後半島の宇良神社とその祭
■新羅の国よりやってきた皇祖■
そして、記紀神話に書かれた天皇家につながる神々たちもそのルーツを韓国にもつものがたくさん登場します。代表的なのは、日本を代表する神の一人である、応神天皇(八幡神)やその母の神功皇后の直接の祖となる新羅の国の皇子=アメノヒボコです。アメノヒボコは、「 」したとあり、新羅の国からやってきたことがわかります。
また、太陽の神・天照大神と月の神・月読尊の弟であるすさのおの神も「新羅の国のソシモリの山に天降りした」とあります。このスサノオは漢字からも剣や鉾の神とうけとることができますが、スサノオの持っていた剣を天照が粉々に砕いて息をふきかけ、宗像の三女神が生まれたとあります。
宗像三神のうちの 中津宮(左)と辺津宮(右・宗像大社)
この三女神は九州の宗像大社から、大島、沖の島と一直線にならび、その延長線上は、釜山や金海にたどりつきます。つまりは、宗像大社を拝むということは、遠くの異国の国の都も拝むことになり、日本人が、異国にきわめて強い敬意を持っていたことが伺えます。
■最後に■
今、隣国同士で利害が衝突し、政治的には不穏な空気が流れています。しかし、いかに政治的な問題があろうとも、その現地の国の方々は本当に優しく私に接してくださいました。そして、両国間の歴史には似たようなことが昔からあったのではないかと思うのです。お互いに敬意をもち、人間同士が親切にしあうことを積み重ねていけば、政治的な対立も話合いですり合わせていくことができるのではないかと感じました。
そのように感じるきっかけをくださった、2011年、2012年の夏の韓国旅行で出会った方々に感謝して、本稿の締めとさせていただきます。
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