月刊「祭」

旧・言葉の装い
同行二人

月刊「祭」2016 目次

2016-12-31 21:46:45 | 各年、目次



誤りの訂正

 本ブログ親ページ祭と民俗の旅播州三木(兵庫県三木市)美坂神社東這田屋台-篠山、淡路、姫路、富山の融合。太鼓台としての屋台-に誤りがありました。水引幕を鳳凰船に乗った神功皇后の三韓征伐としていましたが、誤りでした。東這田屋台関係者の皆さまを始め、間違えた情報の掲載大変失礼いたしました。

はじめに
 本ブログおよび、「祭と民俗の旅」の文章・写真などの引用、参考は自由です。ただし、このブログに提供していただいた写真は、明記しておりますので、それの引用はご遠慮願います。また、引用、参考の際は、月刊「祭」を引用、参考した旨のご明記をお願いいたします。 写真や図とその解説は、画面を最大限に広げた時に一致するように作っていますので、できるだけ広い画面でご覧ください。

 이불럭과 「祭と民俗の旅」의 문장, 사진을 인용,참고하기는 자유입니다.  하지만, 이불럭에 제공주신 사진도 있어서 그런 것을 명기하니까, 인용하기을 삼가 바랍니다. 인용,참고할 때는, 이불럭을 인용,참고헀다기를 명기해 주십시오. 
  
img1.gif  「祭と民俗の旅」-目次  
                     月刊「祭」2011、2012 目次
                     月刊「祭」2013 目次
                     月刊「祭」2014 目次
                     月刊「祭」 2015 目次
                     

■月刊「祭」2016 目次
50.秋夕(チュソク)の訳と盂蘭盆 (月刊「祭」50号.2016.1月)
51.鬼追いと月輪寺 1.2つの月輪寺と八幡宮 2.三木の英雄に捧げる哀悼の意(月刊「祭」2016.2月)
52.法隆寺と道真(月刊「祭」2016.3月)
53.法隆寺五重塔あれこれ(月刊「祭」2016.4月) 
54.退治してもいいの?いいんです!(月刊「祭」2016.5月)
55.神戸市和田神社の名だんじり(月刊「祭」2016.6月)
56.神戸都心部の祭文化私観(月刊「祭」2016.7月)
57.京都祇園祭大船鉾探訪(月刊「祭」2016.8月)
58.韓国京畿道の屋根は天竺への道?(月刊「祭」2016.8月)
59.双子だった宮島の海上鳥居(月刊「祭」2016.10月-2)
60.東九条マダン探訪記 各号補随(月刊「祭」2016.11月)
61.祭のアウトロー(月刊「祭」2016.12月)


韓国語学習記

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61.祭のアウトロー(月刊「祭」2016.12月)

2016-11-12 06:36:35 | 民俗、信仰、文化
祭になると、神社や町によって定められた出し物だけでなく、色々な人が自発的に色々な出し物が出されます。それらは、あるものは恒例の行事になりつつあったり、あるものは単発的なものであったりします。そして、それらの多くが、良くも悪くも、そこに居合わせた人の心に残っていきます。それらの今昔を今回は見ていきましょう。

•現代
珍走団(旧名:暴走族)
三木市では、現在38才の管理人が高校生の頃、大宮八幡宮秋季例大祭終了後に「ボウソウ」といって、屋台の宮出が終わった頃に地元暴走族が爆音で町を走り回っていました。また、同年代たちがそれを見に行くということもあったみたいです。管理人は、青年団に入った年はもちろんのこと、入団前も屋台を担いでヘロヘロの状態で観に行く気にはなれませんでした。ただ、床に着いた時に耳をつんざく爆音が。。。違法行為だし、迷惑な行為ではあるものの、一種の風物詩ともなっていたともいえるでしょう。
また、そのような若い頃の行為を経て、現在は祭のなくてはならない役割を担うようになった人が数多くいる気もします。

同様に姫路市でも10年ほど前に特攻服をまとったお兄さんがまつりで出没しているのをみました。
また、京都の祇園祭のマクドナルドのトイレでそのようなお兄さんと出くわし、ビビってトイレを先に譲ってしまいました。。。

一方、若い人だけでなく、大阪府の某神社の夏祭りでは電動車椅子に布団屋根をつけて練り歩かれる方がいらっしゃいます。これもまた、公式のものではありませんが、祭の名物となっております。

●室町時代
京都祇園祭の現在巡行されている山鉾がほぼ出揃ったのが室町時代とされています。その主な担い手となったのが、力をつけた町衆でした。


ただ民衆のエネルギーは山鉾に向かうだけではありません。无骨(ムコツ)と呼ばれる男は、祇園会のおりにあらゆるところでその軟体を活かした芸をしたそうです。

●平安時代
日本書紀以降の歴史書である「続日本紀」には次のような記事が残っています。( )内は管理人によります。

廿三 辛酉(宝亀十年六月二十三日辛酉の日)。周防ノ國周防ノ郡ノ人外従五位上周防凡直葦原之賤男公自他戸皇子ト称ス。百姓ヲ誑惑ス。伊豆國ニ配ス。

葦原之賤男は他戸皇子に扮したということになります。
他戸皇子は母の井上内親王とともに、父の光仁天皇を呪い殺そうとした罪に問われ、皇籍を剥奪され憤死夭折します。この事件により天皇となった桓武天皇は生涯祟りに悩まされます。百姓を誑惑させたお祭り状態が起きたたいうことで、この記事に入れました。
葦原之賤男は「高貴な方たち」の醜い部分を目の当たりにして、それを風刺していたようにも思えます。今より厳しかった時代にお上を皮肉る気概には感服させられます。

⚫︎編集後記
ほとんど文字だけの12月号です。暴走族、幼い頃はかっこいいとおもっていました。思春期の頃は幼馴染を除けば恐怖の対象でした。今は、見るたびに寒い中ヘルメットを被ったらダメだし、夜遅くまでマナー悪く過ごさないとダメだし、結構大変だなと思います。

平安時代に当時の皇族や貴族を皮肉った葦原之賤男。この気概が現在にも必要なのかもしれません。為政者や社会的地位のある人にとっては、格差拡大固定をしたいのは洋の東西、政治の左右問わない本音です。そして、20年前より階層の固定化と拡大化は進んでいます。階級闘争史観で歴史を見てはダメだとしたり顔で言っている人は、騙されている人か騙している人のどちらかだといえるでしょう。

トランプ大統領になりました。クリントン候補は軍産癒着が取り沙汰されています。トランプ氏は人種差別意識が極めて強い方と言わざるを得ません。「選挙とは、いい人を選ぶのではなく、マシな人を選ぶんやで」。学生時代の友人の言葉が身にしみます。

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60.東九条マダン探訪記 各号補随(月刊「祭」2016.11月)

2016-11-02 21:26:36 | 民俗、信仰、文化
⚫︎東山九条マダン探訪記
京都の在日コリアンの方達が中心となっておこなっております。


プンムルノリ。

テピョンソと呼ばれる、チャルメラ系の管楽器の音に惹かれます。途中田植えを思わせる所作がありました。ここの場合、東九条マダンの文字がノボリにありますが、多くは「農者天下大本」と書かれています。
広島の花田植えにも似ているところがありそうです。


始まって20年ほどたつそうです。


和太鼓との共演もあるそうですが、見ることなく京都を発ちました。

日本の祭を考えるときには、避けて通れない隣の国の祭。



⚫︎各号補随
月刊「祭」も60号を迎えました。一年12回としたらはや、5年続いたことになります。今回は、5年間の記事の中から、付け加えたい内容をここに書いていきます。

✴︎おっさんなんどい 調査報告編
ひょんなことから、大宮八幡宮の神輿を担いだことのある方達にお話を聞く機会がありました。その中で「おみこっさんどい おっさんなんどい」の掛け声をか使ったことがあるという70代の方がいました。
つまり「おっさんなんどい」はドラえもんより長い60年ほどの歴史があることになります。

✴︎嗚呼、わが町の台車事情
明石市魚住の住吉神社の中尾屋台。
巨大な車輪をもつ台車は「だんじり」と呼ばれていました。


⚫︎編集後記
60号を迎えました。
干支でいうと一回りしたことになります。今回はネタ不足の中投稿しようとした日と東九条マダンの日が重なったので、この題材を選びました。
日本の祭を考える上で避けて通れない朝鮮半島の祭。ヘイトスピーチに心血を注ぐ人は、それは自らの祭に唾を吐くようなものだとの自覚を持ってほしいものです。


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59.双子だった宮島の海上鳥居(月刊「祭」2016.10月-2)

2016-09-18 02:25:14 | 民俗、信仰、文化


清盛の日招き伝説などにより、祭人にとっても馴染み深い厳島神社。その特徴は海に張り出した境内地と足元が海水に浸かる海上鳥居です。実は、この鳥居、双子だったようです。











というわけで安芸の国広島の地誌「芸藩通誌」を見てみましょう。

これは陸側の絵図ですが、鳥居の浮かんでいる様子が伺えます。地御崎神社という神社で先ほどの芸藩通志には
「本殿神六座、客神殿五座、祭る神、厳島に同じ (略)厳島社と同年に建、後に平清盛、重修すと、一説には、桜尾城主、藤原親実、厳島の奉祀なりければ、風波の時、渡海をならざるを以、此社を建て礼を行ひしといふ」
とあります。
つまり、厳島の外宮であること、厳島神社と同年の創建と伝うこと、厳島に渡れないときはここで祭をしたと伝わっていたようです。

また、旧暦六月十七日夜の厳島神社の祭礼には神船が来ていたとも書いており、お旅所にもなっていたようです。


⚫︎編集後記
事情により大幅に遅れての10月号発刊となりました。
日本シリーズは惜しかったですが、近鉄ファンの管理人にとっても、広島の優勝は嬉しいものがありました。
今でも市民球団として生きる気概は、昔も今も原爆で打ちひしがれた人たちの希望となっているようです。
一方で核兵器反対の反対に票を投じる我が国首脳やアメリカ。最近一気に風が冷たくなったのは、厳島の弁天様や鯉の深いため息のせいかも知れません。


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58.韓国京畿道の屋根は天竺への道?(月刊「祭」2016.9月)

2016-08-16 20:29:41 | 韓国、外国


京畿道の宮殿や城の屋根を見ると、降棟の上に、動物や人間のご一行が列をなしています。これを雑像・チャプサン・잡상というようですが、なんのことかさっぱりわかりません。なので、文献を探そうかとも思ったのですが、そんな暇もないので、屋根の上の人や動物は何者なのか韓国文化財庁ウェブページをみて調べてみます。
その上に乗っているのは多くが西遊記•ソユギ•서유기の登場人、怪物です。特に先頭3体は外から
1大東法師•テダンポプサ•대기업사(三蔵法師)
2孫行者 •ソンヘンジャ・손행자(孫悟空)
3猪八戒・チョパルケ・저팔계(猪八戒)
が並ぶそうです。
規模が大きい建物だと、その後ろに沙和尚・サファサン・사화상(沙悟浄)などが並ぶそうです。

現存の屋根にある雑像は朝鮮時代以降のものになります。が、この時期は仏教が廃仏棄釈などで廃れた時期。月刊祭説(妄想)によると、この時期の仏教衰退が韓国・朝鮮の山車、神輿文化がほとんど見られない原因となっています。にもかかわらずなぜ、仏教説話とも言える西遊記が宮殿や城にのこってるのでしょうか?

◯江華島出土雑像
江華島・カンファド・강화도では雑像が出土しました。時代は13世紀。13世紀といえば、高麗・コリョ・고려の時代です。高麗の時代は各地に寺院が創建され海印寺・ヘインサ・해인사に見られる大蔵経が編纂、刊行された時期です。この時代だと、天竺よりお経を持ち帰った大東法師・三蔵法師はまさしく英雄といえるでしょう。天に飾りたくなるのも理解できます。
朝鮮時代の雑像は、高麗時代の仏教隆盛期の名残と言えるものかもしれません。







◎編集後記
今年も韓国に行ってきました。
かれこれ通いつめて五年。いくたびにこの国の文化を理解することなく、我々の祭文化を理解するのは不可能であると痛感しています。
この記事には反映されていませんが、今回は図書館ずくめの旅になりました。釜山大学校や延世大学校、水原市の各図書館、京畿道博物館の資料室の方々には突然の訪問にもかかわらず、資料の閲覧やコピーに骨を折ってくださいました。
本当に感謝申し上げます。

올해도 한국에 갔다왔습니다.
이것저것 다닌지 5년. 갈수록 이웃나라(한국) 문화이해없이 우리나라(일본) 축제문화를 이해할 수가 없다고 통감합니다.
이 기사에는 반영하지 않습니다만, 이번여행은 도서관 여행 이었습니다. 부산,연셰 양대학교 도서관, 경기도 박물관 직원들께서 자료열란이나 복사위해 신세 많이 바닸습니다.
진심으로 감사 드립니다.


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57.京都祇園祭大船鉾探訪(月刊「祭」2016.8月)

2016-07-30 10:14:43 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

2014年の大船鉾の復活とともに、祇園祭山鉾巡行も、前の祭、後の祭にわけて行われるという元の形に戻りました。
今年は巡行が日曜日。巡行の土日になるのはおおよそ7年に2度。来年は月曜日の開催なので、このチャンスを逃せば当分見れません。
ということで、所用を済ませた後、ダッシュで京都に向かうこと2度。念願の後の祭を見ることができました。

●7月22日 後の祭宵宵山
今から入ります


下から見上げると


飾り幕やかつての舵などが飾られていました。




これは、飾り物を売るなというお達しでしょうか?


今年は金幣はお休みで、龍頭が船の先頭に取り付けられます。昨年までは龍頭はなく金幣を二年続けて取り付けていました。今年は龍頭が復活したので、再び金幣と龍頭が一年交代で取り付けられることになりました。




上から見るとこんな感じです。


●7月24日 山鉾巡行
北観音山

先頭を切っていく巡行の最後の辻回し
四条新町最後の辻回しが終わった後



南観音山
ギシギシと音を立てるスタート
アーコリャコリャの辻回し1

アーコリャコリャの辻回し2
アーコリャコリャの辻回し3



大船鉾
辻回し1
辻回し2
町会所に戻る




その日のうちに解体します







先祭(7月17日)も船鉾が、しんがりを務めました。


祭の熱
京都という貴族がいたという土地がらからか、おとなしい祭という誤解を招きかねない祇園祭。しかし、その実は、いたるところに祭への熱さを見てとることができます。
あくまで祭は規定日に行われます。そして、昨年、台風による中止が危ぶまれた中で出た結論は、小雨決行大雨強行。。百年をこえて山鉾を復活させる執念。。
この祭への熱さはすでに室町期にみてとれます。そこに記されているのはこの言葉です。
「神事之無共山鉾渡したし」
たとえ祇園社での神事は中止になっても山鉾は動かすぞというその心意気。我々も見習いたいものです。


⚪️編集後記
今年初めて見た後の祭の山鉾巡行。学生の頃、管理人の青春は祇園祭とともにあったと言っても過言ではありません。関係者の方にお世話になりつつ、自分なりにしあげて卒論などにまとめました。今見返すと、memo当てられない文章ですが^_^;
その山鉾巡行が前後ろ分かれてから、先の祭でしんがりを行く船鉾、後の祭りで先頭を行く北観音山を見れたのは一生の思い出になりました。

月刊「祭」は日本の祭とそれに多大な影響を与えた東アジアの各文化と人々に最大限の敬意を払うよう努めています。
ヘイトスピーチやそれに類する行為・発言に強く反対します。


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56.神戸都心部の祭文化私観(月刊「祭」2016.7月)

2016-05-08 22:39:15 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

ここでは神戸市の兵庫区から東灘区のだんじり、太鼓台、神輿文化を少し見て気づいたことを紹介します。なお参考にした祭は、東灘区本住吉神社例大祭(本)、灘の地車祭(灘)、中央区生田神社例大祭(生)、兵庫区和田神社例大祭(和)となります。上記(一文字)を本号でそれぞれの祭礼を表す略称とします。

◯だんじり

外ゴマだんじりと下にもぐる太鼓と鐘、鉦

だんじりの多くが、外ゴマのだんじりになっています。外側に車輪がつくことで、太鼓と打ち手は欄干下部に収めることができます。 楽器は太鼓、鐘、鉦の三点セットが多いようです。

(本)


(和)

逆に言えば、岸和田などにおいて、やり回しの必要性から、車輪を内側につける→太鼓を欄干を貫く形で設置し、欄干にすわって打つという風に変化したとも言えるのかもしれません。

ハタキを持つ屋根上の人
屋根の上にかなり多くの人が上に登り、ハタキを持って踊ります。

(本)
(灘)
欄干と柱
もともとは、欄干より下の泥台と欄干より上の柱は一続きになっていないものが多かったそうです。が、わかりやすい写真をとれなかった^^;




◯衣装
最近は法被とパッチのすがたが増えていますが、浴衣や浴衣風法被を好んで使っていたみたいです。
(本)
(灘) (和)

生田神社はこの映像を参照


◯太鼓台
灘区の新在家では今はだんじりが使われていましたが、江戸時代は太鼓台が使われていたそうです。
この太鼓台は、現在は西宮市大市八幡神社の倉で保存されています。

 

生田神社でも神輿を太鼓が先導します。

(生)トラックの上に太鼓がのっています。お先太鼓??



◯かけ声
 「おして」に似た掛け声は、兵庫区、灘区、東灘区で使われています。 差し上げる時のシャントセイは本住吉神社、灘のだんじりまつり(オシタシャントセイ)、生田神社で確認しました。前回ブログで報告したとおり、和田神社でもオシタ系の掛け声は使われていますが、シャントセイは30分ほどの滞在では確認できませんでした。

謝辞 本年も本住吉神社茶屋だんじり関係者の皆様には多大なご厚意を賜りました。この場を借りてお礼申し上げます。

◯編集後記
 コミュハラという言葉があるそうです。
 「なんかしゃべれよ」など、そこでコミュニケイションをとることを強制するハラスメントだとか。そのようなハラスメントの氾濫にダウンタウンの松本人志氏がハラスメントハラスメントやと警鐘をならしたそうです。が、松本人志氏は巧みなコミュニケイションハラスメント的笑いでのし上がった人物(お笑い芸人としては大好き、文化人としては最低だと管理人は感じています。)ともいえます。なので、コミュハラ=忌むべきものという観念の浸透は、彼の既得権益を犯しかねないと感じたのかもしれません。
 しかし、バラエティ番組的コミュニケイションの強制は、コミュニケイション弱者にとっては、非常につらいものです。そして、コミュニケイション弱者の中二は優れた職人肌の人が多く埋もれているようにも思います。バラエティ番組的コミュニケイションの氾濫は、そのような優れた職人の芽を摘んでいるのかもしれません。

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55.神戸市和田神社の名だんじり(月刊「祭」2016.6月)

2016-05-02 17:13:41 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
神戸市の兵庫区、和田神社にそのだんじりはあります。今回はそこの名だんじりをレポートします。


5月2日、3日が祭の日で、1日は大だんじりのみ、3日は大小のだんじりがうごくそうです。最寄り駅は神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅。神戸まつりのポスターはあるのに和田神社の祭のポスターは駅にありませんでした。。。
祭を知らない人にとっては、どちらかま大切な祭なのかを理解するのは難しいのでしょうか。


こちらは小だんじり。江戸末期のものだとか。

虎退治の虎は、顔が取れた後なのかもしれません。


だんじりがやってきました。
外ゴマで、大工方はハタキを持って踊ります。が、片足をあげる所作はかなり危険。動画もどうぞ



精巧な彫刻。某ウェブサイトによると、大阪から購入しただんじりだとか。
年代を割り出すことは管理人にはできません。が、大ぶりな彫刻は寺社彫刻をそのまま転化したようにも思えます。なので、結構古いとだけは言えそうです。
結構古いて何年前やねんという質問は禁止します。





◯編集後記
実は「まつり」という雑誌があるそうです。おそらく年刊できちっとした論文も掲載されているとか。ただ、ウェブサイトを見る限りでは今の活動は見えてきません。
「国文学解釈と鑑賞」も休刊になりました。
「実学」でない分野の切り捨て。それは、一見合理的に見えます。ですが、物を考えることを拒む先にあるのは西北隣の国の二の舞かもしれません。




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54.退治してもいいの?いいんです!(月刊「祭」2016.5月)

2016-03-23 22:04:10 | 民俗、信仰、文化

播州屋台の高欄がけの主要デザインといってもいいのが退治物です。この高欄がけの退治物は十二支や四神の思想に照らし合わせて東西南北のものを左右前後に配置します。それを
四年ほど前の記事を引用してみましょう。

 高欄掛の退治物でも、朱雀に通じる鷲退治は前、白虎に通じる虎退治などが左、青龍に通じる八俣大蛇退治などは左となります。もしくは、鷲を酉として右、八俣大蛇を巳として南をあらわす前、虎を寅として右というようにしているところもあるかもしれません。





上の文の後、差し上げた時に方角が一致する例をあげたのがリンク先の四年前の記事です。が、実は四年前の記事、立ち止まるべきところで立ち止まっていません。立ち止まるべきところは下の疑問です。そして、その疑問に結論から答えます。

四神なのに退治してもいいの?
いいんです(ジョンカビラ風)!


その理由をみていきます。

◯殺牛など各地の生贄を備える風習。
「日本霊異記」では、牛を殺して漢神に捧げる風習があったことが記されています。「霊異記」では殺された牛が祟って「牛頭人身」の怨霊となってあらわれてきます。その後、殺生をやめて放生をするようになったと「霊異記」では続きます。管理人はこの殺牛風習の代替物として牛の皮を使った太鼓も普及したと考えています。
牛馬を殺して供えるのを禁止されるようになったと「日本書紀」では残されています。一方、猪などは猟師さんたちによって山の神に捧げられていたようです。また、絵馬も生きた馬を殺していたもののかわりに納めるようになったとも言われています(吉野裕子「十二支」人文書院 1994)。
陰陽道の研究などで知られている村山修一氏は年代に隔たりがあることから否定されていますが、牛頭天王は殺牛信仰が転化したもの(吉野前傾著書)とも考えられそうです。そうなると殺されても神聖なものであったり、あるいは神であったりすることがわかります。

◯八岐大蛇
そして、退治物の高欄がけでも扱われている素戔鳴尊の八岐大蛇退治。これもまた、素戔鳴が退治した大蛇の尾からは剣が出てきます。そして、それが即、熱田神宮の御神体にもなっています。

このことからも、退治されるものも、神聖なものとみなされる基本的な考え方を伺えます。

◯アイヌ神謡集の世界
アイヌ神謡集では殺される動物神の様子が一際わかりやすくなります。
Kamuychikap kamuy yaie yukar
フクロウの神が自ら歌った歌として、下のように、神が矢を受け取るという表現になっています。
また、アイヌの間ではイヨマンテ(熊送り)といってキムンカムイ(山の神=熊)を殺してあの世に送り返すという儀式をおこなっていました。

Wenkur hekaci
貧者の子は
oat cikiri otuyma asi oat cikiri ohanke asi
片足を遠くに立て片足を近くに立て
pokna papusi sikoruki yoko wa an ayne
un=kotusura.
下唇をぐっと噛みしめて狙っていて
ひょうと射放した。

Tapan ponay ek sir konna tonnatara.
小さい矢はひゅーっと飛んで美しい光を放った。

Sirki ciki
それを見て
ci=santekehe ci=turpa wa
私は手を伸ばして
nean ponay ci=esikari.
その小さい矢をつかみ取った。

Sikacikaci=as
くるくる回って
rap=as humi
下り降り
ci=ekisarsut
私は風をきって
mawkururu.
舞い下った。



このようにやまと文化圏をはじめとしてをはじめとする東アジア地域では、仏教流入以前は動物の殺害がその聖性を否定するものではなかったといえます。その名残が屋台の高欄がけにもあらわれているといえます。


●編集後記
 今回は、アイヌ神揺集をとりあげました。
 19歳のアイヌの少女知里幸恵が、命を燃やして残してくれた、はじめてのアイヌ伝説をアイヌ語のまま残した書籍です。アイヌのみならず、日本文学史を語る上では、決して欠かすことができない歴史的作品(作品という言葉安っぽい気もしますが)です。にもかかわらず、例えば、公務員試験の参考書の文学史にも出ていることはないし、おそらく教科書に記されていないようです。つまり、現在の公務員試験も教科書も大きな欠陥がある可能性が極めて高いということを裏書しているといえるでしょう。

 言語にしろ、文化にしろ、大きなものに追従する傾向が顕著になってきているように感じてなりません。
 大きなものに盲目的に追従し、独自性を失うとき、それは、祭の活力が失われるときかもしれません。

 知里幸恵は序文でこのようなことばを残しています。
「けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、滅びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しいことでございます。

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53.法隆寺五重塔あれこれ(月刊「祭」2016.4月)

2016-02-23 22:31:07 | 民俗、信仰、文化
⚫︎釈迦、イエス、太子
世界最古の木造建築法隆寺の五重塔。

塔の中は、お釈迦様の一生の彫刻がなされています。そして、人々は太子の偉業をお釈迦様のお姿に重ねられたことでしょう。王族でありながら、皇位につかなかったという点でも一致します。
太子はもう一人の王族でありながら皇位につかなかった偉人にも日本書紀においては重ねられています。それはなんとイエス様。というのは、太子の別名は厩戸(うまやどの)で生まれたと言われており、その伝説がイエス様と一致します。太子もまた、王族でありながら皇位につかず新しい宗教をもたらしました。だからこそ、お釈迦様、イエス様、三人とも新しい宗教をもたらしたという面でも一致しています。

参考文献
梅原猛『塔』(集英社)1982

⚫︎法隆寺五重塔の鎌
五重塔の上部に目をやると、鎌が屋根の上に取り付けられているのがわかります。


これは何を意味するのでしょうか。
このヒントは法隆寺の西南・裏鬼門の守護神社といわれる龍田神社にあります。龍田神社の祭神である龍田大明神は龍田大社から呼び寄せたと伝わります。


龍田大社では風鎮大祭と呼ばれる、風の神様を慰撫する祭が行われます。
吉野裕子氏によると、このような風をおさめる祭では、陰陽五行の木気にあたる風をおさめるために、木を切りたおせる金気の鎌や白い(金気の色)紙を用いられるといいます。龍田大社でも風鎮大祭時には、真剣での舞が奉納されます。これも金気・金属の気によって木気の風を駆逐するためなのかもしれません。
それを表すかのように、龍田神社、龍田大社の神紋は「木」気の「風」で「楓」となります。


また、龍田の龍も十二支の辰や四神の青龍も東側の木気に位置します。

そんな龍田に守られた法隆寺。そこの五重塔の塔の鎌は、風がよく当たる屋根の上で外に向けられています。それは、木気の風を切り倒壊から守る風切り鎌と言えるのではないでしょうか。

参考文献 吉野裕子「陰陽五行思想と日本の祭」(人文書院)1977

⚫︎編集後記
法隆寺やその周辺を思いのままに自転車で駆け巡り、若い頃に戻れた気がしました。我々おっさん世代にもそれぞれ若い頃がありました。
そして、今もかけがえのない時間を過ごしている若い祭当事者や祭オタクがいます。未来のある彼ら(彼女ら)と同じ時間を過ごすのは楽しくもあり、羨ましいとも思ってしまいます。そして、自分が二度とあの頃には戻れないことも痛感します。
間違えたことがあれば、彼らを注意して導くのは年長者のつとめです。ですが、羨望からなのか、それを大義名分にして、その芽を摘み取ろうとする行為や発言が、自分の身の回りで目につきます。そして、同じようなことを自分もしているのかもしれません。それは分かりませんが、一つだけわかることがあります。

若い彼らを踏みつけこき下ろしたところで、彼らが下げられた分自分が高いところに行ったように見えるだけだということです。踏みつけた勢いによって、自分の身をさらに下に持っていくことでしょう。

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