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大宰府へ続く道


先月でしたか、「筑紫野市で官道の跡が発見確認された。」
と云うニュースがありました。

官道とは、
奈良時代(8世紀)、朝廷の役人が都の朝廷への貢物を運搬するとき等に利用されるもので、一般の人は全く利用できませんでした。

その後、街道になり国道となったものが数多くあるようですが、
消え去ったものも少なくはありません。

八幡にその官道の跡が今でも保存されています。
八幡東区と西区の境、花尾中学の裏側、八幡西区東川頭町2付近です。(右側の小さな道が官道跡です。)



 この官道は、
当時わが国の政治・外交・国防の上で最も重要な地点だった
筑紫大宰府と、社崎(みさき)=門司とを結ぶ「大宰府官道」の
一部です。

 この辺りは明治年間に、
八幡製鉄所の工業用水を遠賀川から導水する為の
水道管が埋設されたそうで、
昔は(西)水道町と呼ばれていました。
今でも埋蔵されているのか、定かではない。




筑紫野市で発掘された官道は
幅12mの広い道路だったと言うことですが、
ここでは、どの位あったのだろうか?
現在は2メートルも満たない狭い道だが、
当時は寂しい山道であっただろう。
そんなに広くはなかったのでは?

古の役人専用道路、
菅原道真公もここを歩いて大宰府へ向かったのだろうか?
そう云えば、黒崎に菅原町がありますね。

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