安曇野ひつじ屋 裏のブログ

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「ニャア」と答えつつ屋根の上をうろうろ

2017年12月03日 | ネコの写真

何でもあれは秋の半ば時分であったが、或る日、ようよう夜が明けたばかりの頃、
眠っていた庄造は「ニャア」「ニャア」と云う耳馴れた啼き声に眼を覚ました。
その時分は独身者の庄造が二階に寝、母親が階下に寝ていたが、
朝が早いのでまだ雨戸が締まっているのに、つい近いところで「ニャア」「ニャア」と猫が啼いているのを、
夢うつつのうちに聞いていると、どうもリリーの声のように思えて仕方がない。
一と月も前に尼ヶ崎へ遣ってしまったものが、まさか今頃こんな所にいる筈はないが、聞けば聞くほどよく似ている。
バリバリと裏のトタン屋根を踏む音がして、直ぐ窓の外に来ているので、
兎に角正体を突き止めようと急いで跳ね起きて、窓の雨戸を開けてみると、
つい鼻の先の屋根の上を往ったり来たりしているのが、
たいそうやつれてはいるけれどもリリーに違いないのであった。庄造はわが眼を疑う如く、
「リリー」
と呼んだ。するとリリーは
「ニャア」
と答えて、あの大きな眼を、さも嬉しげに一杯に開いて見上げながら、彼が立っている肘掛窓の真下まで寄って来たが、
手を伸ばして抱き上げようとすると、体をかわしてすうッと二三尺向うへ逃げた。しかし決して遠くへは行かないで、
「リリー」
と呼ばれると、
「ニャア」
と云いながら寄ってくる。そこを掴まえようとすると、又するすると手の中を脱けて行ってしまう。
庄造は猫のこう云う性質がたまらなく好きなのであった。
わざわざ戻って来るくらいだから、余程恋しかったのであろうに、
そのなつかしい家に着いて、久しぶりで主人の顔を見たのでありながら、抱こうとすれば逃げてしまう。
それは愛情に甘えるしぐさのようでもあるし、暫く会わなかったのがキマリが悪くて、はにかんでいるようでもある。
リリーはそう云う風にして、呼ばれる度に「ニャア」と答えつつ屋根の上をうろうろした。



















谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』より