小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

読響×マリー・ジャコ

2024-03-14 14:23:29 | クラシック音楽
初来日の新鋭マリー・ジャコをゲストに迎えた読響の定期演奏会(3/12 サントリーホール)を聴く。1990年生まれのジャコは23年からウィーン響の首席客演指揮者、24年からデンマーク王立劇場の首席指揮者、26年からケルン放送響の首席指揮者に就任する注目の女性指揮者で、ほっそりとした身体と小さな顔がバレエダンサーのような風貌だ。プロコフィエフ『歌劇《3つのオレンジへの恋》組曲』から洗練された素晴らしい響き。モダンで軽快で、氷のような透明感があり、ユーモアとわくわくする躍動感に溢れている。サントリーホールでこういう響きを聴くことも初めてのような気がした。プロコフィエフのひねくれた感じのメロディが活き活きと踊り出し、拍節感がヴィヴィッドで、細部までくっきりとした旋律線が浮かび上がる。カンブルラン時代に磨き抜かれたフレンチ・センス(?)が読響にはあるからか、ジャコとオケの相性の良さはこの曲から抜群だった。エキセントリックでファンタジックな楽想が、完璧に指揮者の手中に収まっていると思わせるのは、読響の管セクションが本当に見事だからだ。120%の真剣さと集中力が指揮者によって引き出されていた。指揮台から遠い管楽器が「近い」と感じるのは、音量ではなく精巧さからくる感覚である。

ラヴェル『ピアノ協奏曲』では小曽根真さんが登場。始まってすぐにジャジーなジャブがいくつも入ってきて、過去にもラフマニノフのコンチェルトで「やってくれた」快挙を思い出す。ラヴェルのほうがラフマニノフよりジャズに近いし、面白いことになるのは予想できたが、1楽章ではカデンツァ風の長いソロも入ったり「譜面通り」が好みのタイプの聴衆には賛否両論なのではと少し心配になった。ジャコも、初来日のコンチェルトがこんなに型破りで、度肝を抜かれたのではないかと思う。リハーサルでは、彼女はこのヴァージョンを気に入っていたのかそうでなかったのか…アダージョ楽章では冒頭から小曽根さんの純度の高い世界が打ち出され、「本編のラヴェル」がなかなか始まらない。3楽章はほとんど原曲通りだったが、そのときに1.2楽章で行われていた「粋」が、まったく的外れではないことがわかった。ラヴェルが書いたかも知れない旋律を小曽根さんは弾き、ラヴェルと同じ夢の中にいて、ラストまで勢いよく駆け抜けていった。もしかしたら、本番までジャコは納得していなかったのかも知れない。「もう終わりました」とピアノの蓋を閉じる小曽根さんに、アンコールを促すかのように打楽器席から喝采を送るマエストロ。そこからいきなりコントラバス奏者を呼んで、「A列車で行こう」が始まった。弾き終わった後、小曽根さんがジャコに「どう? 俺に惚れた?」といった感じのいい表情を向けていたのが見ていて楽しすぎた。

後半のプーランク『組曲《典型的動物》』は個人的に大好きな曲で、ラジオのパーソナリティをやっていた頃に二回ほどかけたことがあるが、生演奏で聴くのは初めて。フランス的な諧謔精神と詩情に溢れた、大げさで、「わざと書いている」ようなオーケストレーションがプーランクらしい。いたずら心と哀切が陰陽のようにゆらめき、結果的に情動をひどく揺さぶられる。読響の各セクションの明晰な演奏からは、演劇的でオーガニックな要素も感じられ、曲の進行とともにサウンドがどんどんパワフルになっていく。ジャコは現代音楽も素晴らしく振るだろうし、オペラならプッチーニだって得意だろう。彼女と読響でプーランクの『カルメル会修道女の対話』を聴きたいと思った。

ヴァイルの『交響曲第2番』からは、作曲家のシリアスで正統派な顔が見えた。その前の日に、新橋のシャンソニエ『蛙たち』で、俳優の篠井英介さんが歌うエログロな替え歌『お定のモリタート』を聴いたばかりだったので、作曲家というのは見えない短剣を心にしまっておくものなのだなと思った。思えば、プロコフィエフもラヴェルもプーランクも、一筋縄ではいかない人たちばかりで、このプログラム自体が「こじれた紳士たちのダンディズムの宴」のような世界観だった。
マリー・ジャコという人に底知れぬ興味が湧いた演奏会。まだ凄く若いけれど、色々な事を考えている。天才的霊感と「指揮の醍醐味」を感じさせてくれたジャコは、将来METやロイヤルオペラを制する人になるのではないかと確信した。読響ともまだまだ共演してほしい。16.17日にはベートーヴェン/ブラームスという正統派プロを振る予定。







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