小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル

2017-10-17 21:49:20 | クラシック音楽
晩秋のような冷たい雨が降り出した10月のある夜に、メナヘム・プレスラーのピアノリサイタルを聴きに出かけた。サントリーホールはオケ側のR席とL席、P席もみっしり埋まっていて、多くの人たちが93歳のプレスラーから何かを教わりたいと集まってきたことが嬉しかった。金髪でハイヒールを履いた背の高い女性に支えられて、ステージ下手から小柄なプレスラーが現れる。専用のパイプ椅子にちょこんと座った瞬間、ピアニストと彼を囲む客席が素晴らしい一枚の絵になった。
「これはなんと美しい絵か…」自分もその完璧な絵の一部になれたことが嬉しかった。

ヘンデルの「シャコンヌト長調」はエレガントに始まり、プレスラーのタッチは何かに微かに触れているように軽やかで、ホールの空気の粒子が一瞬で変化した。ふるふるしたトリル音がバロックの貴婦人のドレスの裾のようで、厳かな歩みで気持ちのいい景色の中を逍遥しているといった雰囲気だ。朗らかな変奏曲は万華鏡のように次々と新しい模様を見せ、鍵盤の上でぴちぴちとはねるプレスラーの稚魚のような手が可愛らしかった。
モーツァルトの幻想曲は、古い記憶の箱をゆっくり開けるように始まり、そこから夥しい可愛くて綺麗なものたちが姿をあらわした。プレスラーは要所要所で印象的なアクセントをつけ、鍵盤に吸い付いた指は息をするようにクレシェンドした。誰もがそう思っていたかも知れないが「心で弾いている」感じで、指から正しい音がこぼれていっても、ピアニストのイメージしている和声感が正確なので、音楽として瑕はつかない。ひとしきりおしゃべりに物語を語った後、再び宝箱を封じるようにこの曲は終わった。

椅子に座ったままなので、どこで拍手をしたらいいのか悩んでしまったが、モーツァルトは次の『ピアノ・ソナタ第14番』と続けて演奏された(同じハ短調)。「しん」という集中した客席の視線を感じる。とても暖かく親密な空気感だった。サントリーホールでは、ここだけでしか起こらない奇跡の瞬間があり、それは舞台と客席、客席と客席の特別な和解が起こるときである。ピアノソナタは快活さの裏色に静寂をしのばせ、達観していると同時に遊んでいるようにも聴こえた。
打鍵が思わしくなくても、決して音楽は止まらないのがすごい。プレスラーの中で鳴っている音楽は不滅のもので、現実に鳴っている音とともに彼の中の不変のモーツァルトが同時に届いてくる心地がした。アダージョ楽章は永遠のゆりかごのように心地よく、ホール全体がひとつの色彩に包み込まれるようだった。前半が終わったのは何時だったろう。時計を見ていなかったが、結構時間が経っていたと思う。金髪の女性に再び支えられて、子供のような笑顔で客席からの喝采を受けてプレスラーは幕に隠れた。

1923年生まれのプレスラーの若い頃の演奏を私は知らない。1955年から2008年まで続けたボザール・トリオの演奏も一度もライヴで聴いたことがないので、プレスラーといえば2014年に庄司沙矢香さんと共演した可愛いお爺ちゃんのイメージしかないのだ。それでも、年を重ねて純粋さだけを表現に残し、温かい微笑みを絶やさないプレスラーには芸術家としての巨大なインパクトを感じる。ステージに出てくるだけであれだけ大変な思いをしているのに、聴衆のために音楽を奏でてくれるのは何故なのか。
ドイツのマクデブルクに生まれ、ナチスの迫害を逃れて15歳で家族とともにイスラエルに移住したプレスラー。この芸術家の音楽の優しさや寛大さは、破壊行為や残虐行為は何ももたらさず、ただ美だけがそれに打ち克つものだという信念からくるのかも知れない。

後半のドビュッシー『前奏曲集第1集』からの4曲はどれもユニークで、「デルフィの舞姫」ののっそりとしたアルカイックな歩みがユーモラスだった。プレスラーはなぜか「デルフィ…」の最初の数音にまったくペダルをつけない。ダンパーペダルを踏むと、音は水に溶かした絵具のように空間に広がりだす。「沈める寺」は池に映った金閣寺がさざ波によって揺れているようで、プレスラーの描き出す幻想的なイメージと一体化せずにはいられなかった。そのまま「レントより遅く」「夢」へと続いていく。なぜかルドンの描いた油彩画の花を思い出した。パステルカラーなのだが妖しく、凝縮された想念の力を感じる。
後半も前半に負けないボリュームで、このあとショパンのマズルカ3曲のあとに、バラードの3番が続いた。若者が弾いても体力が大変なプログラムだ。あの難しいバラード3番を臆せず完成させたプレスラーには感謝しかなく、曲が終わった瞬間に拍手をした。

その瞬間、隣に座っていらしたご婦人が「あなた! 拍手をしてくれたよかった」「この演奏に拍手をしたあなたには、仕事で辛いことがあっても絶対にいいことがある!」と話しかけてくださったので驚いた。拍手の間にプレスラーがインディアナから時間をかけて乗り継いで東京までやってきたこと、庄司沙矢香さんをとても評価していること、とても優しい紳士であることを教えてくださった。私たちは二人の少女のようにはしゃいでアンコールを聴いた。「月の光」が終わると、そのご婦人は私の肩に触れて「お元気でね!」と席を立たれたのだ。
サントリーホールでは本当にこういうことが起こる…。美しき隣人の美しい心に触れ、多くの人がスタンディングでピア二ストに喝采を送っている景色は、天国のようだった。
美の追究者であるプレスラーは、このコンサートでおこる美のすべてを分かっていたのかも知れない。イメージは現実となり、美は永遠の記憶になる…今からでも彼の生徒になりたいと思ってしまった。




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