蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

メーデー! メーデー!!

2008-05-01 22:22:49 | 舞台のこと

今日はなんともいえない怒りがふつふつと沸いてきて、家にいてもくさくさする。
仕方がないので、彼女に定期便打って、自転車で天神。

 


その前にぽんプラザのオフィスに寄って演劇評N.T.Rの最新号をぱらぱらと。
前号が「演り手」側から見た「福岡演劇の黎明期」だったのに対して、
今回は「見手」側から見た「福岡演劇の黎明期」という趣。
言葉は悪いが、高度経済成長前夜の「文化未開の地」福岡に
「演劇」という芸術活動の中でもより高度な知性、品性、精神性を必要とする
ジャンルを根付かせようとする過酷に過酷を重ねて力尽きた歴史の記録。
・・・多分ね、こういった「高度なもの」を国民が持つと国家はコントロールできなくなる
  から時の政府は「入場税」なんていうある種の「贅沢税」を使って
  高度なものを必要とするジャンルを潰しに掛かってたのでしょう、
  で、国家のコントロールをいろいろな意味で強化したのが
  高度経済成長以後の世界で、そうなると同時に「入場税」を廃止して
  ある程度に「自由」を認めた、しかしコントロールはきつくなってる。 
その結果、何が起こったか?
日本人の根底をなしている高度な知性、品性、精神性が破壊された。

 

で、昭和の終わりごろにいろいろ反体制運動が起こって、
表向きには鎮火したけれど、今も埋め火となって燃え続けている。
こないだ見学した第七インターチェンジ/転回社の「インターチェンジ」という演目
にも、その空気が伝わっているのかなぁ、という感じがした。
「どうして、どこにでもいる普通の彼女たちは革命という特殊なせかいに
身を投じたのだろう」
そう感じさせるほど、革命と生活というものがマーブル模様になって
搾取だ、何だといっても、おなかはすくし、お金も何とかしないといけない。
雨露だってしのがなくちゃいけないし、当然死ぬのも惜しい。
それでも、何かを変えたくて、彼女たちは行動を起こしたのだろう。
最後はすごく切なく、哀しいことになったけれど。

 

モールス信号での非常事態用語は「SOS」というのは良く知られたことだが、
今の救難無線での非常事態用語は「メーデー、メーデー」らしい。
モールス信号が使われなくなったと同時に若者たちが5月1日の
「メーデー」という日を使って、「コントロールされきった社会の現状」に
「メーデー、メーデー」と警鐘を鳴らし始めたのは何かの偶然だろうか?

 

                 



最新の画像もっと見る