わたしのバイリンガルライフ

ADHD/LD/PDDの息子とバイリンガル生活
Do you wanna see my eventful life?

アメリカと日本に挟まれる

2005-03-31 14:09:53 | Moral Harassmentモラハラ

この間からモラDaddyに言われ続けていることがある

私が息子の新学期の準備をしているのをみては、

「どうせ日本の学校はダメだよ。」
「日本の教育のシステムは悪い」
「クローン人間のようになる」
「息子はいじめられるんだ」

とネガティブワードばかり私に言ってくる。いい加減うんざりだ

「いい加減にしてよね!!!!!!選択の余地はないのよ!!」

と私は声を張り上げた。息子だって新しい環境に慣れようと頑張って
るのに! 障害をもつ子が新しい環境に適応するのにどれだけ
時間がかかるのか親ならわかるだろが!!

もし息子がうまく環境になじめないと

「それみたことか!Bonita,お前がいけないんだ!」
と言いたくてしょうがないのだ。

「何言ってんだよ!お前達がオレと一緒にアメリカに来れば
すむことじゃないか!!」といとも簡単に言う。

ふざけるなよぉ~!!!!

アンタがもとはと言えば、

「オレのママの面倒をみたいからリタイアして、アメリカ帰る」

って言ったんじゃないの!!

実を言うと、Daddyの母親はリンパ腺にしこりができて、今日その
摘出手術をした。もしそれが悪性の腫瘍だったら迷わずすぐに
アメリカに帰るつもりなのだ。乳がんにかかり両乳房ならびに
リンパ腺も取り除き、再発しなければ大丈夫といわれてきたけど
Daddyは心配で眠れない。

もし悪い結果なら11月ではなく来月にでも帰ってしまうだろう。
そうなったら、まだ何も息子の医療関係のことに関してや私のIDの
手続きも済んでないのに「さよなら~」と行ってしまうつもりなのか??

病気の母親抱えて、住む家もないのに、私と息子に一緒についてきて
なんてバカじゃないのか?
私に母親の面倒でも看させたいのか?そしていずれは彼の面倒も?

どこまでこの男はいい加減なんだろう。さすがモラだ。
パートナーとしても父親としてもサイテーな男。
あまりにも身勝手すぎる。

一度として、息子のアメリカンスクールの学校の行事に参加した事
もないし、学校関係の書類や手続きに目を通したこともない。

「お前が全部やっておけ!」

のひとことだけだ。これでも父親か?

学校のコンサートやアート展で息子がどういう風に歌ったり、どういう
作品を作ったかなんて全く興味がない。
船に乗ってたり、長期出張が多い父親なら話しはわかるけど、来ようと
思えば、どんなに忙しくても1回くらいは来れるだろう。。。
この5年間、一回も来ないなんておかしいよ。

父親抜きで私と息子、2人で出かけることがほとんどだが、
息子が親子連れを見るたびに羨ましそうな表情を浮かべる。
父親と母親と子供達がマックで楽しそうに食べてる姿をじ~っと
みつめる。
私達、3人でマックに行ったのって今までで2回くらいしかない。

「Daddyと一緒におでかけしたい?」と息子に以前聞いたことがある。

「Daddyはいつも僕達と出かけないよ。いいよ別に。。。」と
ぼそっと言った。

先日、息子が、「またアメリカンスクールに戻れる?」
と聞いてきたので、
「。。。。それは。。。わからない。でも新しい学校でいっぱい
友達作ろう!」
と私は笑ってごまかした。
「え~!もう二度と戻れないの?」とショックのようだ。

「ねぇ、Daddyとアメリカ行きたかったら、行ってもいいんだよ。
あんたはアメリカ国籍もってるし住めるんだよ。自分らしく生きていける
にはアメリカの環境の方が合ってるかもしれない。
でもMommyは一緒に行かれないけどね。。。」

私の言ってることが理解できてるかどうかわからないけど息子に
言ってみた。私は息子の本当の気持ちが知りたかった。

「Mommyが来ないなら、僕はアメリカにはいかない。。。
僕には選択権はないよ。」

と私の目をまっすぐ見て言った。











私のビタミン剤

2005-03-30 08:39:34 | Eventful life波乱万丈生活
昨日、友人から電話があり、久しぶりに会った

一昨日、日本に戻ってきてその日、私の携帯に「帰ってきたよ」
と午後3時頃メッセージを入れてくれた。

Daddyがいるときは携帯を切ったままにしてるし、かかってくるときは
たいていモデル事務所からなので普段は午後過ぎたら携帯を切って
る事が多い。それに迷惑メールが最近多くて悩んでる。

そんな友人からのメッセージは知らなくて、区役所に行く準備をして
いたら、携帯が鳴った。友人からだ。

「昨日の午後、帰ってきてすぐに電話したのに携帯きれてんだもん。」
「ごめん。いつも携帯切っておくから。。。。」
「え?なんで?」
「だって私友達いないから。。。。誰からもかかってこないし。」
ウケを狙って言ったわけではないが、電話の向こうでは、大爆笑!

「ゲラゲラゲラ。。。。。」
「ちょっと笑いすぎだよ。」
「ほんと、君おもしろいよね。ところで今日あいてる?」
「これから区役所に行かなきゃ行けないし、その後学校にも寄るから
ムリだね。それに風邪ひいてて体調よくないし、ブサイクよ。」

私の優先順位は息子が一番なので誰が何を言おうと子供の事に関しては
後回しにすることはない。(うちのモラとは違うので)

「じゃぁ、とりあえず用事が済んだら電話ちょうだい。」と言われて
「わかった」と言って、電話を切った。

予定より早く用事が終わったので、電話して会う事にした。

久しぶりに会うな。。。化粧のノリも悪く、鼻声状態で、ジーパン
姿の私をみて彼は笑顔だった。

「うわぁ~!髪の毛伸びたね、もうすぐお尻までいきそうだね」
「それより痩せたんじゃない?」
と会った瞬間から機関銃のように話してくる。

髪はこれでも切ったんだよね、お尻までとはオーバーな。
それとちっとも痩せてない。。。むしろ太った方だ。
昨日は朝、昼と何も食べてなかったけど胸がいっぱいでお腹も空か
なかった。 そ。れ。よ。り。も。

なんか全然イケてない自分に腹が立ち、
以前はもっとおしゃれに気をつかっていたのに、今はどうでもよく
なってしまった自分が嫌になった。

実をいうと私は軽い「ひきこもり」になっていて、よっぽど
でもない限りほとんど一歩も外へ出られない状態だった。

洋服も外に出ないかぎり着替えなかったり、食料品を仕方なく
買いに行くときも必要最低限の格好で、上下スウェットにノーメイク
でサングラスかけて私だとバレないようにカムフラージュするくらい。

このことをアメリカにいる友達に自分の誕生日の日に電話で話し
たら
「ヤバイよ。。。。そんなのBonitaちゃんじゃない。。。」
と言われ、「パソコンに依存して引きこもってる場合じゃないよ!」
と怒られてしまった。
メイクなしで外にでるなんて「私らしく」ない。。。。
マニキュアも6ヶ月ほど塗ってない。
どんなにモラハラされても
自分の服や化粧を罵倒されようが、何がなんでも自分のスタイルを
崩したことはなかった。言われれば言われるほど反抗して
「服に依存」したり、「ジュエリーに依存」してなんとか「自分」を
保っていた。いつも綺麗でいることが「Bonita」だったし、まわりもそう
思っていた。それが今では「自分らしく生きる」ことが出来なくなって
いる自分に気がついてから段々と自分を追い詰めていった。
心の中では「これではいけない」「目を覚ませ!」と言い聞かしているが、
行動が伴わない。
挙句に軽い「ひきこもり」でパジャマ姿で1日を過ごすことが多い。

話はそれてしまったが、ぎくしゃくしながらも彼と今までの
近況報告ができてよかった。
話す会話といえば、「お互いの子供」のことがほとんどで、
彼も私に劣らずかなりの「親バカ」なのだ。

長期の船旅から帰ってくるといつも子供達の成長に驚いてはその過程
をいつも見られない歯がゆさがあると言っていた。

「僕の長女はさぁ、こんなに背が高くなって、次女は絵を描くのが
上手くなっててびっくりしたよ。」
と子供達のことを言う時の彼の顔が一番好き。
なんともいえない、すごいやさしい顔をする。

いいお父さんだなぁ~といつも思う。
だから私は彼の事が好きなんだなぁ。
少しうちのモラに見習わせたい。

それからず~っと子供の自慢話し大会になってしまった。
あ~私達って親バカ。。。。

「学校に娘を迎えに行かなきゃ!娘と約束したんだ。。。」と言って彼は
足早に帰って行った。

彼の優先順位も私と一緒で「子供」なのだ。だからちょっとしか会えなく
てもお互い怒ることもない。

でも彼に会ったことで少し元気になった。どんなに明るく振舞ってて
も、彼は私の異変にすぐ気がつく。

「何かあっただろ、隠さず言って。」と約5年間、
何百回きかれたことだろう。

その度に相談に乗ってもらったり、励ましてもらったり、叱られたり
してきた。何度となく泣かされたりしたこともあったけど、私に
とって「自分」をさらけ出せるひとだった。

彼がアメリカに帰ってしまったら再び会うこともないだろう。
なんかこれでよかったんだ、と思うようになった。
いつも愚痴をこぼしたり、鬱になったりする自分にいっぱい
元気をもらった事もあった。私には欠かせない「ビタミン剤」のような
人だった。
そして昨日、久しぶりの再会に笑顔の「栄養剤」をもらい、今朝は
珍しく、スカートをはいて、きちんと化粧して外に出た。

天気も良かったしなんかとっても気分がよかった。

















学校側がパニック!

2005-03-29 15:22:39 | Eventful life波乱万丈生活

今日、息子の通う学校の手続きをしに区役所へ行った。

そこでひたすら待たされ、入学通知書をもらい、その足で編入先の日本
の小学校へと向かった。

事前に副校長と校長に電話してあったので、スムーズに事が運ぶのかと
思えばそうでもなかった。

区役所に行ってからすぐ学校に来てくださいと言っていたのにも
かかわらず、状況が把握できずに学校側はちょとパニックになった。

「子供さん、日本国籍ですよね?」
「日本語どのくらい喋れます?読める?書ける?」

この2つをかなり聞かれて、「日本語は日常会話くらいです。」
と答えたんだけど、日常会話でもどのくらい?授業についてける範囲
か?とかこと細かく聞かれ、
「授業についてけるほど理解力はないです。」
と答えた。
なんでこんなにパニックになってんの????
状況説明を事前にしてあるので、こんなに学校側があたふたすると
おもわなかった。その場にいた私は初めてきた「外国人」のような
気分だった。

教師達と校長と副校長があちこち問い合わせの電話をし始め、

「こういう場合の手続きはどうすればいいんですか?」
「帰国子女扱いという事で」
「じゃぁ、もう1回区役所に行ってもらって。。。」

などと約30分くらい電話しまくっていた。
なに?この学校、なんてオーガナイズできないんだろう。。。

「あのぉ。。。もう役所から入学通知書もらったんでまた役所に行く事
はないとおもうんですけど。。。」と私は言った。

誰も聞いちゃいない。。。
感じのよさそうな、女の先生がいろいろと必要書類に関すること
を教えてくれたりして、
「大丈夫よ。」と私を励ましてくれた。

校長が日本語教師を派遣してくれると言ってくれて、週2回、日本語の
クラスに通うことが決まった。よかった、よかった。
私の日本語じゃ、息子は甘えてしまって、気がついたらお互い英語で
喋ってしまう。

うちの子のようなケースは珍しく、たしかに外国からの子供は年に
2~3人(中国人とか)いるらしいけど、今まで、アメリカンスクール
に通っていてそれからこの学校にくるというのは異例らしい。

「今日息子さん。連れてこなかったの?」と聞かれ、
「あ~まだ学校行ってるんんですよ。。。やっぱり連れてきたほう
がいいですか?」
「う~ん、どのくらい日本語の読解力があるかみたいから。。。」
と言われ、
「じゃぁ、明日学校終わったら連れてきます。」
と言って話しは終わった。
とにかくこんなにあたふたとパニックになるなんて思っても
みなかったし、担任もまだ決まってもいなくて、結局のところ
学校が始まってみないことには、息子のことのいろんな相談や
話しができない。
派遣されてる日本語の教師の女性が、いろいろと親身に話しを
きいてくれて少し救われた。
そして、私の住まいの住所をみて「あ~すごく学校から近いね。」
その後息子の名前をみて、「え?男の子だったの?」とまた
びっくりする。明日息子を連れてきた日にはまたびっくりするだろう。
なんせよく女の子に間違われる。

アメリカの税関では「お嬢ちゃんこっちに連れてきて!」と言われたり、
電車に乗ってれば、ヒソヒソと「女の子よ、」「いや、男の子か?」
「どっちですか?」なんて聞かれる。あ~モラDaddyが帰ってきたので
このへんで。。。。

まだ風邪が治らなくてつらいよ~

息子に支えられてる私達 ~鬱<息子の言葉

2005-03-28 09:02:06 | Eventful life波乱万丈生活


金曜の給料日の後はいつもうちのモラは機嫌が悪い。

だが昨日の日曜は最悪。今までにない脱力感と鬱でソファに横に
なったまま、起き上がれない。さすがにプロザックの薬がその日は
効きが悪いようだ。

「なんでこんなにだるいんだろう。。。」
「何も食べたくない」
「あ~誰もオレのことを分かってくれない。」
「Bonita,お前の風邪がうつった、お前が悪い」

などと自分の言いたいように言っていた。

日曜は食料の買出しの日なのだが、「友達の車を借りなきゃ買い物
に行けない。」などとプライドが高くて友達に1時間ほど車を貸して
ほしいと言えないのだ。結局、「今日は行きたくない。」のひとこと。
あんな2人しか乗れない使えないコルベットなんか売ってしまえば
いいのにといつも私は心の中で叫ぶ。

給料明細をみせられ
「こんなに稼いでるのになんでいつもお金ないんだよ!」

と叫ぶ。それはアメリカ政府で働いていて独身だからだよ。

月に2回の給料のたびに税金10万は払う。だから毎月20万は
給料から引かれてるんだな。これって大きすぎるよ~

そして彼の残業時間はとうに300時間は越えている。働きすぎだ。
お金に換算すると100万円位になるらしい。でももし、リタイア時
に支払われる事になっても「税金」かかって半分くらいにしかならない
のだろう。

残業したくないと言いつつ、土日になると、仕事の電話がかかってくる。
ひどい時は、夜中から朝の2時や3時にワシントンD.C.からかかって
くるから、私も起こされてしまう。2度寝ができない私はその日1日
は時差ボケのように頭がおもい。

昨日はまた「お金」の事とそして「息子」の事でもめた。

「オレがなんでこんなに落ち込んでるかお前に分かるか?」

お前には到底わからないだろうという口ぶりで言う。

「オレはなぁ、あの子(息子)が可哀そうでしかたないんだ。」

可哀そう?

「日本語もろくにわからないのに、日本の学校にいれるなんて。。。
あの子が不憫でしょうがない。。。。」

不憫?
何をいまさら言ってるんだ?この男。。。。もとはと言えば全て自分
から言い出したことだろ!

「可哀そうなんて言わないでよ!大丈夫だ、何とかやってけるよって
言ったの誰よ?」 私は怒りがこみ上げてきた。

「何でお前はパニックにならないの?いつも何も問題ないように
振る舞ってるじゃないか!11月まであっという間だぞ!!!」

「何言ってんの?私がパニックになって不安になっていたら子供は
もっともっと不安になるんだよ!これ以上ナーバスに
させていいの?」

何でわかんないのかね?

可哀そうなんて言うな~!!!!

少し間があき、
「。。。。まぁ、後は様子みるしかないよな。始まってみなきゃ
わかんないしな。。。」

私はイライラを鎮めようと、余計に多動になってる息子を呼んで、
お風呂にいれさせた。
お風呂の後、パソコンしている息子に私は

「ごめんね。あんたのせいじゃないからね。MommyとDaddyが話し合い
すると落ち着かなくなるんででしょ?」と聞いた。息子は

「。。。。。違うよ。ただ僕自身コントロール出来ないだけだから。。。」
とボソッと言った。

そして、機嫌と気分が悪い父親に
「ソファで休んでいいよ。寝てもいいよ。僕、邪魔しないから」と気遣う。
ほんとにやさしい息子だ。

今日も元気に息子は学校へ行った。












イースター

2005-03-26 11:56:38 | Eventful life波乱万丈生活
イースターなんてすっかり忘れていた

そういえば、息子がまだ4歳くらいの時は米軍基地のイースターハント
に参加してイースターエッグ集めをしたことを思いだした。
ぶきっちょな息子は上手く卵を拾い集められなくて、見ていて歯がゆく
イライラしながら私はみていた。

「ほら!そこよ!!そこにあるじゃないの!」
「あ~あの子にとられちゃう!早く!」

などと言い、息子のサポートにまわり、勝手に卵拾いの手伝いをして
しまった。はっきりいって反則。。。
仕切っているアメリカ人男性に

「お母さん!手伝っちゃダメですよ」と注意された。親バカ丸出しな私。

プラスチックで出来ている卵の中には小さなおもちゃやキャンディ類が
入ってた気がする。

子供たちが無邪気に卵集めをしている姿をみて自分も参加したい気分に
なってしまった。(なんか童心に帰る)

大きなバニーのきぐるみを着た人と写真を撮ったりしたよなぁ。

今年9歳になる息子はもうそんな事に興味などない。
だけど、アメリカンスクールではハロウィーンやクリスマスパーティー
など、他にもいろいろと、こじつけてはクラスパーティーをやっていた
から、これからそういった事もなくなるのは寂しいと、この間私に
洩らした。
日本の小学校ではあまりそういう事はないからねぇ。
そのかわり、日本の行事があるじゃないか!それもいいじゃないの?

「今度行く、僕の学校はハロウィーンパーティーあるかな?」

「いやぁ~、ないけど。いいじゃん、Mommyがベースのハロウィーンに
連れて行ってあげるから。」

あと一週間でアメリカンスクールともさよならだ。心の準備はできてる
けど、息子はやっぱり寂しいのだろう。

でも大半のクラスメートは転勤族の親のため、アメリカへと帰ってしまう。
Pre-Kから一緒の子はフィリピン人の男の子ひとりしかいない。
だから、ぽつぽつとクラスメートがいなくなっても別にどってことない
んだよね。みんなそれが当たり前だと思っているから。。。。

お世話になった先生達にも何か贈らなければいけないかしら?と
悩むとこだけど、何を贈っていいかわからない。

一週間前から、船に乗っている友人から「君の息子は大丈夫か?」と
心配してメールをくれた。もうすぐ日本に帰ってくるらしいけど、
彼も家族ともうすぐアメリカへ転勤なんだよね。
あ~、私の友達ほとんど、今年の夏、アメリカへ帰ってしまうから
寂しいな。転勤族の旦那さん持ってるとこればっかりはしょがないと
私の友達はボヤいていたけど。
「いつかまた日本に戻ってくるから」と言って、戻ってきた
友達はいない。。。。。。

夕べ、友達に「うちの息子、お宅の子供さん達と同じ小学校に編入
する事になったから、宜しくね!」とメールを送った。

彼女の子供達がうちの息子が来る事、喜んでたよ。って返事が
きた。その事を息子に言ったら、半信半疑だったけど、
「大丈夫!あなたを知らない子達はこの辺にはいないからね。友達
いっぱい作ろう!」と励ました。

































産婦人科医、女医さんて。。。

2005-03-25 10:21:03 | Health&Beauty  健康・美容・ファッション


私の大人ニキビがいっこうに治らず、
ある皮膚科の医師に「子宮筋腫とかあると肌にもでてくるよ、婦人科
へ行ってみたら?」と助言された。

婦人科の敷居が高くて、なかなか行けない私はどうしようかとしばらく
悩んでいた。ちょうど、同じ頃、私の友人とも婦人科はどこがいいか
と話して、彼女は
「やっぱり、婦人科は女医さんがいいよねぇ。」と言う。

私は今まで女医さんに診てもらった事がない。やっぱり女医さんの
方がリラックスできるのだろうか???

そして、ある総合病院の内科で検査してもらった時に婦人科がその
病院にあったので受付の人にきいてみたら、婦人科の医師が
「女医」さんであることがわかった。

「ちょうどいい!ついでに子宮ガン検診もしよう!」

ガン検診も不妊専門の病院で検診してもらった以来で、長いことやって
ないからなぁ。とりあえず婦人科へ訪れた。
流産の克服~18禁な話参照

そして、いつも嫌なのは、問診表にこと細かく書かなければいけ
ないこと。未婚、既婚の欄でいつも手が止まってしまう。
未婚だが子供を産んでるし、流産2回もしてる。
一体どんな生活を送ってるのか、つっこまれたらどうしようなどと
勝手にビビってしまった。

そして私の順番がきて、
「hirobonitaさ~ん、中にお入りくださ~い」とやさしそうな声。

そこには見た感じ若そうな先生だった。

私の問診表を見ながら、

「え~っと。。。ガン検診希望ね。それと。。。。出産経験ありで、
流産2回。。。。自律神経失調症でソラナックとドグマチール
服用。。。」
と淡々と言う。

なぜか私は心臓がバクバクいって汗がでてきた。

女医さんは無表情で2~3、私に質問しながら、

「じゃぁ、下着脱いで、台にあがって!」

私はものすごく緊張しながら下着を脱いで台の上に上がった。
女医さんなのよ。別に恥かしくないじゃない。。。と自分に言い聞かせ
てはいるもの、心臓が破れそうなくらい痛くなってきた。

女医さんは触診したり、器具を入れたりしながら、

「みたカンジおりものもフツーだけど、とりあえず性病検査もしとくから」

と念入りにチェックする。

「あの~、ガン検査は?」と私は恐る恐るきいた。

「あ、忘れてた。問題ないようだけど、ちょっと細胞とるからね。」
と淡々と言う。

うっ!!!痛い

なんか今までで一番緊張する婦人科医だ。

「来週、検査結果がわかるから、来週の同じ曜日にきて!
それと帰る前に隣で血液検査して帰って。」と淡々口調。

「あのぉ~。。。。にきびが治りづらくて、ホルモンのバランスが
崩れてるんでしょうか?ホルモン検査もしたいんですが。。。」

と言ったら、

「生理中の時しかそういったホルモン検査ができないのよ。
毎月生理がきてるんでしょ。だったら、ホルモン検査なんて。。。

必要ないわよ

と突き放した言い方をする。ちょと~その言い方、冷たすぎるような気
がするのは私だけ?

原因がわからないから、いろんな検査をお願いしてるのに。

検査結果は異常なしだったが、彼女の対応にちょっと附に
落ちなかった。

2回目から、明らかに、他の患者さんの名前と私の名前を呼ぶ声に
差があった。被害妄想だと言われればそれまでかもしれないけど、
また自己否定なコンプレックス癖が沸いてきた。

「女医さんがいい」とこだわる人もいるかもしれないが、必ずしもいいとは
限らない。私はたまたま自分とは合わない医者だったけど、なかには
患者を思いやるステキな女医さんもいる。

私がよくお邪魔する産婦人科の女医さんのブログがある。
とてもカンジの良い女医さんなので、銀座にある彼女のクリニック
に行ってみようかなとおもいました。
ピルの知識があまりなかった私は、身体にあまりよくないとずっと
思ってきていたので、目からうろこでした。
詳しいことは彼女のブログに載ってます。
半熟卵のつぶやき~産婦人科医の日記

風邪ひいてつらかったので、昨日家の近くの病院にいって風邪薬を
もらったついでに低容量ピルももらいました。
(避妊目的ではないですが)試しに来月から飲んでみようと
おもっています。
少しでも私のPMSとにきびが良くなるといいんですけどね。。。

☆モラDaddyが初めて、今朝、ごみ出ししてくれました。





自分を見つめ直す日

2005-03-24 14:16:53 | Eventful life波乱万丈生活
昨日の誕生日に風邪引いて

気分はよくなかった。だけど、息子が学校で私の為にバースデーカード
を作って、プレゼントしてくれてた。

誕生日の2~3日前から

「Mommy、プレゼント何欲しい?」と聞いてきて、

「何でもいいよ。プレゼントなんて気にしなくていいんだから。」と言った。

息子のその気持ちだけで十分嬉しい。

「僕、指輪を買ってあげたいんだけど、高いし、僕の貯めてる
お金(サイフ)から買えるどうかわからない。。。。」

指輪か。。。よく私をわかっている息子だ。。。

「いいんだよ。何もいらないから。。。ありがとう、気持ちだけもらって
おくよ。」

息子の手作りカードとDaddyから珍しく、バースデーカードを
もらった。それも皮肉たっぷりのアメリカン
ジョークのカード。(モラらしい)

それと、エス○ティ ○ーダーの基礎化粧品。これもまた曲者で、
大人にきびのひどい私は プロ○アクティ○の基礎化粧品しか使えない
の知ってて、また私が使えなさそうな商品を買ってくる。
もう10年一緒に住んでて何を私が使ってるかどうかわからないのか?
ただ「For Oily Skin(脂性肌用)」と書いてあったからこれなら
いいだろうと、それだけの理由で買ったらしい。

今年は怒るのもばかばかしくて「Thank you」とだけ言って終わった。

それともっと珍しく、Daddyは文句もあまり言わず、私の事を
ほっといていてくれた。これが一番ありがたい。

予想もしてなかった義姉から「Bonita,○○回目の誕生日おめでとう。
今後とも宜しくね」というメールがきた。
モラ母からすぐにメールがくると思ったら来ず、メールがきたのは
夕方だった。その後、知り合いのイタリア人からもお祝いメールがきた。

風邪ひいてつらかったが、息子が「タコス」を食べたいと言ったので今年も
外食せずに、家で作って夕飯を食べた。

夜中にアメリカにいる親友のMちゃんから国際電話で「誕生日おめでとう」
電話をもらった。積もる話がいっぱいあってなんだかんだ、2時間以上も
話をしてしまった。(電話代かかってごめんね!)
でも彼女は毎年、私の誕生日に電話くれるんだよね。嬉しかったよ。

ここ最近いろんな事考えてて眠れず、精神安定剤を昨日から飲み始め
ました。実は少し、軽い「引きこもり」状態になっていて、これは
モラハラ生活とは関係ないとおもうんだ、自分の「殻」に閉じこもって
しまっている。

今朝も、Daddyは会社に行かず、今後のことでまた、私達は話しあい
をした。
Daddyが日本脱出する日がもしかしたら、あともう2ヶ月延びるかも
しれないということを言われた。

うそ~!

と絶句してしまった。それと

「オレがいなくなったあと、1年位は自分の人生見つめなおして、一体
お前は何がやりたいのか考える良い機会だ。
もし、アメリカに将来きたければ、オレがスポンサーになってもいいよ。
息子のことで自分を犠牲にしなきゃいけなくなる事だってあるだろ。」

と淡々と言った。

反論したいことがあったが、何も言わず彼の話しをきいてた。

「お前が他に男(アメリカ人)ができて、そいつと結婚すれば、
永住権の心配はないだろうけどな。」と皮肉っぽく言われた。

「息子を受け入れてくれないような人だったら私は誰とも結婚なんて
しないよ。そんな簡単に息子の障害を受け入れてくれるような人なんて
いると思う?そんな簡単じゃないよ。」

と反論した。

昨日、今日といろいろと考えて、自分をみつめ直すいい機会だった。

☆まっち~さん見習って、自分の似顔絵作ってみました☆


Happy Birthday To Me! ~誕生日

2005-03-23 00:02:34 | Eventful life波乱万丈生活
今日、3月23日は私の誕生日でぇ~す!

誕生日って良い思い出がないんだよね。小さい頃、誕生日会なんて開いて
もらった事もないし、どういうわけか、誕生日になると風邪をひいたり
して調子が悪くなるんだよね。今日も喉が痛いです。

カナダのバンクーバー留学中、私のモラ母が誕生日プレゼントを送って
きたことがある。生まれて初めてモラ母から誕生日プレゼントを
もらった。
それは私の誕生石のアクアマリンのピアスだった。

誕生日プレゼントなんてもらったことなかったから正直いってかなり
驚いた記憶がある。私はピアス マニアなので、かなりの数もっていた
が、しばらくモラ母からもらったピアスしかつけなかった。
実はすごい嬉しかったの。

今ではそのピアスは二度と日の目をみることなく、眠っているけどね。

☆誕生日プレゼントで驚いた話。。。。。眠っているプレゼントたち

2年前、知り合いの男友達に、
「渡したいものがあるからちょっとだけ時間あけて」
と呼び出された。

会ったら、いきなりプレゼントの山!香水やボディーローションの
セットにバスグッズにバースデー風船を持ったテディベア。。。。
そして
「これは後でトイレでみてみてね」と別の小さな薄い紙袋を私に渡した。

雰囲気として、中身が何なのか察しはついていた。
別にトイレでみることもないじゃない。その場でラッピングの袋
を開けた。たぶんハンカチかなんかでしょ。。。と思いきや

セクシー下着だった。

それも黒の高級フランスレースの超セクシーTバックだった。
それもスケスケで、丸見えではないか。。。。

な。。。何で?

はっきり言ってこんなプレゼントもらう理由がない。彼氏でも何でもない

「あ、あのさ。。。嬉しいんだけど、なんで下着なの?こういうの困る」

「でも君に似合うと思って選んだんだよ。レディでセクシーな君には
この位高級なものが似合うんだよ。」と平然と言う。

下着なんて、ハワイにいる元彼君からもらった以来だ。
彼氏でも何でもない人から下着をもらうのはちょっと困った。

「何か私に期待しても無駄ですから。」ときっぱり言った。

その下着をつけた私を想像してるに違いない。。。。うわぁ~

「君さえよければ、僕は君と一線を越えたいんだけど。」
と平気な顔でさらりと言う。

「冗談じゃない。二度とそんな事言わないで。友達でいいじゃん。」
と怒って言った。
もうこんなんじゃ、友達もムリだ。会うのはもうやめよう。

「君の気が変わったらいつでも言って、僕は常にスタンバイだから」と
言って無理やりプレゼントを押し付けられた。

それ以来、私はその友達と一方的に連絡も絶って会っていない。

好きなひとからや女友達からの下着のプレゼントは嬉しいが、
それ目当てでくれるヨコシマな考えの男からのプレゼントなんて
ガッカリだ。

そのセクシーTバックの下着はタンスに眠っている。

去年の誕生日、その日はすごく寒い日で、風邪もひいていて
体調が悪かった。しかし、息子の愛知万博のイベントのモデルの仕事
があった為、学校休んで、東京に行った。
仕事を済ませ、その足で息子が通うスイミングに行った。
忙しい1日で気分は最悪で、ベッドに横になりたかった。

スイミングが終わり、体調悪い私は1分1秒でもはやく家に帰りたく
て息子をせかしながらビルの外に出たら、

Daddyが花束を抱えて、立っていた。

私の第一声、
「アンタ、何やってんの?」 気分悪くて、ものすごいしかめっ面で言った

「スイミング終わる頃だと思って待ってたんだよ。」

は? 道路の真ん中で花束持って?

「Happy Birthday!」と言って巨大花束を私にくれた。
「あ、どうもありがとう。。。。」と言ったものの全然感動はない。

だって気分悪いんだもん。。。すぐに車に乗り込み、
「早く家に連れて行ってください。。。」と頼んだ。

そして「この花束いくらすると思う?結構高かったんだよ。」

と私に贈った花束の値段をいちいち言ってくる。
こっちはそんな値段なんて聞きたくないよ!!
人にプレゼントする時、値段なんて普通いうか?
それでも我慢しながら「ありがとう、高いお花を。。。」と言った。

「その袋の中身をみてよ。プレゼントだから。」
ラッピングもされてない、袋の中には小さな箱が入っていた。

箱の中身は8mm珠のパールのピアスだった。見ると、
真珠珠の形が揃っていない。怒りは頂点にきた。

「本当は特大の大粒のパールにしたかったんだけど、金なかったから。。」
とペラペラまたお金のことを言ってくる。

「何?これ?珠が揃ってないじゃん!よくこんなの私にくれるわね」
とキレた。

私がジュエリーにうるさいの知ってんでしょ!!!

知ってるくせに、なんでよく見て買ってこないんだよ!

車の中で怒鳴りちらした。
「店に行って、変えてきてよ!こんなのつけれない」

「変えてくるのめんどくさいし、レシートないよ。嫌なら別にいい!
オレはお前にあげたんだ。その後捨てようがどうしようが関係ない」

そして、いくらしたんだとまたプレゼントの値段を言う。。。。

だって。。。いくらなんでもさぁ、プレゼント買うとき、よく見て
買うでしょ? シロウトでも良い商品か悪い商品かわかるよ!

せっかくもらったら、身につけたいじゃない。
これはいくらなんでも身につけたくないし、人にもあげれない。

宝石店のジュエリーアドバイザーもしていた私にこんな粗悪品贈る
こと事態間違っている。

ハンパでない怒りとイライラを誰にもぶつけられなくて、不眠に
悩まされ、次の週に病院に行き、自律神経失調症と言われ、精神安定剤
を飲む日が続いた。

そしてもらったパールのピアスはタンスに眠ってる。

何が嫌って、値段をいちいち言うのに腹が立つ。だから、もう何も
Daddyからもらいたくない。

「何もいりませんから!」 今年も嫌な気分になりたくない。。。。。







ADHDとわがままの境界線 ~息子の食事に悩む

2005-03-22 09:57:50 | PDD/ADHD/LD&etc.軽度発達性障害


実は、最近息子の調子が良くない。。。。

外にも遊びに行けず、家に閉じこもってばかりいる。ゲームをしてるか、
絵を描いてるか、パソコンしてるかのどれかだ。
友達のいない息子は結局、学校が休みの時でも誰かと遊ぶことはない。
週1回のスイミングの時に同じ学校の子と喋るくらいで、学校以外で
子どもたちと交流することはほとんどない。
どこに行くにもいつも私と一緒に出かけるから、

「いっつも2人で歩いてるわよね。仲がよくていいわね」

と知り合いの人達に言われる。

私は仲の良い親子という意味で解釈してたが、私のモラ母に言わせると、

「何言ってんの?マザコンだと思われてんのよ。8歳の男の子なんて
もう母親となんて一緒に歩かないわよ。嫌味を言われたのわかんない
お前はバカだね。」
といつもの調子で言われた。マザコンじゃないよ!

私と息子は仲が良い。親子というより友達もしくは大きいお姉ちゃん(?)
ちょっとムリがあるか。。。。

しかし最近、息子の喋りがぎこちなくて、幼くなっている。もともと
言語が上手く、使えなくて説明するにもジェスチャーなしでは喋れない。
息子のジュエスチャーはすごくて、ジェスチャーなしで喋る事はまず
ないだろう。
この間も息子が何言ってるのか分からなくて、「????」状態だった
私はDaddyに「何のことを説明してるの?」と聞いてみた。

「お前、わかんないの?Mommyそっくりの形をしたチョコレート作って
みたいって言ってんだよ。」
と日本語で説明された。あ、そうなんだ。

実は動物好きの息子がバレンタインに「ゴリラ」の
チョコレートを私にプレゼントしてくれたんだけど、ゴリラのチョコ
が売ってるなら、私の形をしたチョコレートが作れるはずだと言う。

「Mommyのチョコレート、Mommyのチョコレート」と言われて、
分かるはずがない。息子との会話は時として「連想ゲーム」のようだ。
それとも私の英語のヒアリング力が弱ってきているのか?
Daddyは息子との会話に全く支障はないと言う。

「オレはあの子の言ってることわかるよ。説明するの上手くなったじゃん」


精神科医に聞きたい事もあるし、すぐにでも診せたいくらいなんだけど、
なかなか予約がとれないのと、Daddyが忙しくて時間がさけない。

昨晩の夕食時のこと、いつものように息子は

「Mommy~今日の夕飯何?」
「今日はチキンにするから。。。」

そしてテーブルにガーリックハーブのチキン料理を置いた途端、息子は

「こんなの食べたくない!!!!!!」

と号泣し始めた。毎日、毎日こんなこと言われ続ける私もさすがに
忍耐力が切れそうになる。

「世の中には食べたくとも食べれない子ども達は
いっぱいいるんだよ!」

「食べれるだけありがたい事なんだよ。感謝しなきゃ。。。」

と毎回言ってるけど、昨晩も同じセリフを言った。

私がもしこんな事、モラ母に吐いたら、
「嫌なら食うな!!!出て行け」と言われたし、怖くて何が何でも
食べなければいけなかった。残すと1週間食事抜きなんてことにも
なりかねないから。

一瞬モラ母の言葉がよぎった、「いいよ、嫌なら。。。」と言おうとしたら、


「嫌なら食うな!向こういってろ!空腹になってろ!」

とDaddyの怒鳴り声が飛んだ。

息子は泣きながら玄関に行った。そこは息子のTime Outの場所なのだ。
久しぶりのTime Outだ。

「Bonita、いいな、可哀そうなんて思うなよ!オレだって疲れて帰って
きてんのに、毎晩、あの子の食事の文句聞きたくねぇよ!」

「。。。。わかってるよ。」と私はつぶやきながら、息子の様子を
伺いたかった。

「前にも言ったが、ADHDとわがままの境界線があるんだよ。
今のはあの子の”わがまま”だ。」

そして5分後、「文句言わず、食べる意思があるなら戻ってこいと言え」
と私に命令した。私は玄関に行き、息子に

「泣かないで夕飯食べるなら戻ってきな。」と言った。

息子は反省した様子で、食卓に着き、嫌だと言っていたチキンを
食べ始めた。そして、
「Daddy、ごめんなさい。。。Mommyごめんなさい」とぽろぽろと涙を
流した。

わたしとDaddy 「もういいから涙拭きなさい。」

それから文句ひとつ言わず、全部残さず食べた。

「あの子のプライドは傷ついたもしれないけど、躾は躾だ。なめられて
どうする?お前は甘いからあの子に試されるんだよ。」
とDaddyに説教された。

そんな事言ったって。。。。「自尊心」を傷つけないように叱るのって
難しいんだよ。

「Mommy~本当にさっきはごめんなさい。。。。」とまた息子にうるうるした
目で言われて、
「もう、わかったから、文句言わないで食べようね」とHugした。

今朝、息子の朝食にトーストに私のモラ母お手製のイチゴジャムを
塗っていたら、

「こんなジャム嫌だ!!毒が入ってるもん」

と文句言い始めた。
昨晩の件、覚えてないのか?????
文句言うなって言ったじゃん!!

毒は吐くけど、モラ母のジャムには毒は入ってないよ!!

Goes around, Comes around ~神様はみている

2005-03-21 10:33:32 | Eventful life波乱万丈生活

お彼岸という事もあり昨日は義父の墓参りに行った。

昨年は何かと私は精神的に病んでいたので、去年は1回も墓参りに行く事
ができなかった。
「長いことこれなくてすみませんでした。私も息子もなんとかやってます」
と報告した。
もちろん、私のモラ母と義姉妹とその子どもたちと一緒にきたが、
モラ母の毒舌モラワールドにキレそうになるのを抑えていた。
息子がちょっとナーバス(お墓に来るといろんな気を受けやすい)
になりうろうろと歩き始めた。それをみていて気に入らないモラ母は
息子に
「いい加減座んなさいよ、イライラする!」と怒鳴る。
ここのお寺でお茶菓子を頂いていて座って聞いていた私はイスから立ち
上がり、息子にやさしく
「ここに座りな」と言った。どうしてこんな簡単な事やさしく言えない
のだろう。
モラ母が席をたってトイレに行ってる間、私の怒りは収まらなかった。
その私のイライラを見ていた義妹が
「お母さんのあの性格は今始まった事じゃないじゃん。自己中なんだから」
「あんたはお母さんの言葉に敏感すぎるのよ。」と言う。

そりゃ、あんた達は似たもの同士だから、共感できるでしょうけどね。

義妹の娘が義姉の小さな子たちにいじめられ泣きがはいった。
明らかに、義姉の子ども達が悪いのに「あやまる」事を知らない。

親がそうだから子どもたちもそうなんだけど、泣いてる、義妹の娘の
Aちゃんをみて笑っている。
「モラになんてならないで!」と心の中で私は
叫んでいた。人の痛みなんてわからないモラ姉妹に育てられた子どもたち
だ、これからどうなるんだろう。。。彼らはますます親に似てきている。

そんな義姪のAちゃんの泣いてるところを見ていたら、自分がモラ義姉妹
やクラスメートにイジメを受けて、よく泣いていた自分と
オーバーラップしてしまった。

小学校2年生の時、モラ母の再婚により東京から神奈川に移ってきて
小学校6年生まで、ある女の子「Yちゃん」に執拗なイジメを受けていた。

それは当時としてはとても陰険で、私の机の落書きや仲間はずれは
序の口で、教室の壁に掛けておいた体操着を水で濡らされたり、
必ずといっていいほど、私の靴は隠され、最終的には外に置いてある
ごみ箱に捨てられた。担任に言ったが聞いてはくれず、
靴を焼却炉に捨てられた時から、モラ母に「イジメを受けてる」事を
告白した。
PTA役員をやっていたモラ母(私の小、中、高とPTA役員をやる)は学校
に乗り出し、例の口調で担任をメッタ斬りして、イジメグループの
張本人である「Y」ちゃんの親の家まで怒鳴りこんで行ったのだ。

そのYちゃんの父親は警察官だったけど、「うちの娘は悪くない」ようなこと
を抜かしたからモラ母は
「アンタは子どもにどういう教育をしてんのよ!」
と激怒した。
それから担任が仲に入り、イジメグループが私に謝ってきたが、
一時的なことで、彼女達が心から反省などしていない。
「アンタの立っている格好が気にいらない」などと挑発してくる
こともざらだった。
根暗で、垢抜けなくて、目立たないと義姉妹やイジメグループに散々
言われた。
教師にも「Bonitaはいるか、いないかわからないような存在だな」
と言われてばかりで傷ついたこともあった。

過酷な小学校生活乗り切り、中学でもイジメにあってきたが、
あの「Yちゃん」だけは忘れることは出来なかった。

成人してある会社に新卒として就職して海外輸出の営業の仕事をして
1年以上たった頃だろう。
専務と秘書が何やら話している。
中途採用で新しい子を入れるという話だった。

「いつもお金の心配して、私達、社員に危機的状況だと言ってるのに
新しい子なんて入れるわけ?」
なんて思いながら、専務室に書類を届けに行こうとおもったら、部屋の
前でつっ立ってた人にぶつかりそうになった。
「あ、失礼。。。」と相手の顔をみた瞬間、私の頭の上で雷が落ちた、

「Y。。。Yちゃん。。。」 そう、まさしく、地獄のイジメに私を陥れた張本人。

こんなとこで会うとは。。。。。

「??????」 Yちゃんは変身した私が誰だかわからない。

私はあのダサイBonitaじゃないのよ!!

「Bonitaよ。。。お久しぶり、こんな所で会うとはね。」

「ボ、Bonitaちゃん?????」 彼女は驚愕して硬直してしまった。

分からないのには無理もないだろう。私はあのダサイくて垢抜けない
女ではなくなっていたから。

めぐりめぐって彼女が私の働いてる会社に就職してくるなんて

神様!!!!これって、
この子に復讐しろって意味ですかねぇ?!


と心の中で叫んだ。まるでドラマのような再会だ。
ここでエンディングがながれ、つづく。。。とはならないが、

私は悶々とした中で、「10年目にしてやっと報われるのか、イジメ
返してあの子をこの会社から追い出してやる!」と密かに思っていた。

しかし、Yちゃんの働きぶりはヒドイ。仕事中、よく寝てるし、遅刻
も多い。
「ほんとに仕事ができない子だわ!」
と年配秘書が私達に愚痴をこぼしていた。

そんなある日、私は珍しく仕事がはやく片付き、定時に帰れる日が
あった。
会社の玄関でYちゃんと鉢合わせた。彼女は残業せず、とっとと帰る
から帰り際に会うことはない。
「Bonitaちゃん、私、車で来てるから家まで送っていくよ」
と言ってきた。
え? と思ったが、彼女と家も近いし、どうせ通り道だから
送ってもらうくらいなんでもないだろうとおもって、彼女の車に
乗せてもらった。
彼女はいきなり自分の彼氏の話をし始めて、ひとりで盛り上がっていた。

私をイジメた事なんてもうとっくに忘れてるんだろう。。。。

復讐だ、復讐だ、復讐してやる!!と思っているのに、

「そこまっすぐいって、レンガ作りの家、ほら、煙突みえるでしょ。
そこが私の家」と彼女にナビゲートしながら、

「よかったらうちに寄って、お茶でも飲んでいかない?」なんて
私は彼女に言っていた。(バカ、何言ってるの?私)

そう言って、彼女をうちにあげ、コーヒーを入れてあげた。

私は一体何をやってるんだ?イジメの復讐はどうしたんだ?
イジメっ子になんでコーヒーなんかをいれてる?

感情と動作がまるっきり反対なのだ。

「今日、車で送ってくれてありがとう。助かったわ」なんて言っている
自分がよくわからなくなった。

あんなに仕返ししたいと思っていた相手なのに。あの子の為にどれだけ
泣いて、何回も自殺しようかと考えた日があったんだ。

それなのに。。。。。その夜は眠れなかった。

翌朝、なんともいえない気分で会社に行った。
専務室でもめている。Yちゃんが泣きながら専務室からでてきた。

一体何があったんだろう。。。

年配秘書が、Yちゃんの仕事ぶりにケチをつけ、専務と話会い、彼女を
辞めさせてしまった。彼女の姿は次の日から消えた。

なんとも複雑な気分だった。仕返ししてやろう、とか復讐してやろう
とか思っていた私だったが、そんなことしなくて本当に良かったと
思った。とういうか私には出来なかった。
イジメられたからってイジメ返すなんて、彼女と同じ人間になることは
ない。イジメられた者は「痛みがわかる」から。

Yちゃんは私の痛みがわかってはいないだろう。だけど少なくとも、
年配秘書にチクチクと嫌味を言われたり、辞めさせられたあの日は
「痛い」という感情はあったとおもう。

神様っているんだな。 どうしてYちゃんと私を再びめぐりあわせたんで
すかね。。。。












白人、ハーフ、日本人 ~カテゴリー別

2005-03-19 12:58:12 | ハーフ(ダブル)?な生活

こういうカテゴリー別って好きじゃないけど。。。。

私達は外国人専門のモデル事務所に登録してるが、登録や更新する際に、
必ずといっていいほど、プロフィール作成の紙に「国籍」欄がある。
息子は国籍2つあるので、「Japan」と「U.S.A」と書いてモデル
事務所の人に渡した時、「あ、ハーフね」と言って、ハーフのカテゴリーの
箱にいれる。
そこには純白人とハーフのカテゴリー別されている箱があった。

とりあえず、子どもの顔と親の顔とプロフィールに記されてる国籍を
チェックして、区別してるようだ。

だけど中には「この子は純白人だろう。」とおもったら、ハーフだったり、
「この子はどうみてもハーフだな」と思ったら、両親白人の純白人だったり
する。こういう場合どうやってカテゴリー別するんだろう?

見た目で判断するのか、国籍で判断するのかよくわからないけど、
スポンサー側は、「ハーフの子を使いたい」 「純白人の子を使いたい」
とモデル事務所にオファーしてくるのに、見た目は純白人だが、母親が
日本人だから、「ハーフ」ということで、「白人のみ」というスポンサーの
仕事から外れることになるのかな。

ハーフ前世紀の頃があって、ハーフの子どもを主にモデルとして使って
いた時期があった。でも今では、日本人の子を使うことが増えてきた。
その理由として、最近の子は小顔で、可愛くて、手足も長い。
ハーフ、白人より安く使えるし、礼儀正しい。

そういうわけでハーフを使う意味があまりなくなったと言われたことが
ある。
白人の子はどこにいってもちやほやされて、モデルの仕事はいっぱい
あるし、たとえヘマをやってもあまり怒られない。日本人は白人に
弱いんだという場面を嫌と言うほど見てきた。

例えば、英語ビデオの撮影の時、ハーフの子はうちの息子ともうひとり
くらいしかいなくて、あとの7人は白人の子たちだった。

だけどもうひとりのハーフの子の母親はアメリカ人で、日本人親は
私だけだった。そして現場は英語が飛び交う。
そんな中、うちの息子ともうひとりのハーフの女の子の衣装が揃って
いなかった。スタイリストはハーフの女の子のアメリカ人ママに
平謝りでぺこぺこして、私には「あ、服が足りないからこれ着て」
の一言だった。

なんなんだ、この違いは!!!!

同じ日本人同士、謝る必要なんてないと思ってるのか?ちょっと頭にきた

ある仕事で、一切日本語喋らないで、日本語わからないフリをした。
実際そうやっている日本人ママがいるんだよね。その人を見習って
試してみた。そうするとスタッフにバカにされないんだ。

でもふてぶてしい態度ができない私は結局、腰を低くして、
「おはようございま~す、宜しくお願いしま~す」なんて気がついたら
言ってるんだよね。。。。。

Daddyが撮影の時はまわりのスタッフの腰が低いこと。外国人でも
特にフランス人は一番ケチつけてうるさい。撮影でだされるお弁当
が日本食だったら、「こんなの食べれない」とか言って、違うもの
をスタッフが買いに走るんだな。

フランス人と仕事する時、決まってパン食が多い。クロワッサン系や
フレンチスタイルのデリからのランチ。

息子  「え~、僕おにぎりが良かったな、こんなフランスパン
     食べれないよ」

うちの息子は日本食が好きだから、パンは嫌いなんだよね(笑)



「ハーフと日本人の子」もしくは「ハーフと純白人の子」のみ使うという場合
もある。
だからハーフってどっちにも属せるんだな。

だから土壇場で、「日本人の子だけに決まりました」とか
「純白人の子だけに決まりました。」てなるパターンが多い。
オーディションでハーフの子達が呼ばれる場合、一種のセーブ
みたいなカンジがした。

ハーフのモデルの親達に聞いても、やっぱり納得いかない対応や
差別を感じる時があるともらしていたこともある。

Daddyはアメリカ人で日本語ぺらぺらだけど、

「オレは日本に長くいるけど偏見や差別をいつも感じる」と文句を言う。

タクシーの運転手に「ガイジンがどうのこうの。。。」とDaddyに
文句言ったら、Daddyはキレて、
運転手のタクシーのキーを引っこ抜き、遠くに投げ捨てお金を
払わずに帰ってきたと言う。

ちょっと。。。それもすごいけど、それでも警察沙汰には一回も
ならないんだよね。不思議。。。。












流産の克服 ~18禁な話

2005-03-18 13:02:23 | Eventful life波乱万丈生活

春になると余計に思い出すことがある。

生きていたら、今頃は、6歳と4歳の子どもがいたはず。息子が
1歳3ヶ月の時、Daddyの実家のアメリカに初めて行ったとき、流産して
しまった。

基本的にDaddyは避妊しないタイプ。だから息子を出産した後、
IUD(避妊具)をすぐに産婦人科医にいれてもらった。

「お前が避妊しないら、オレはお前とセックスなんてしないから」
と言われたから。


体重は出産前より10kg太ったが、息子が4145gと超巨大児
だったので、産むのに3日3晩かかった。
私は出産のフルコースを受けることになった。息子が脊椎にひっかかって
なかなか降りてこない。(でかすぎた為)
医者に頼んで、硬膜外麻酔を頼んだ。でなければ、私自身耐えられなかった。
でもなかなか出てこず、吸引とかんしを使って、無理やり息子を出した。
帝王切開されるかとおもいきや、されなかった。
医者も「あ~もう手が疲れた。ケンショウ炎になりそうだ」と言っていた。

出産後、翌日には元の体重に戻っていて、お腹もしわしわにならず、
以前よりスレンダーになっていた。

IUDを入れたことのある人はわかると思うんだけど、私の場合生理のとき
に出血量がものすごく増え、生理痛がハンパでなく痛かった。だが、
Daddyに避妊しろと言われていたので、我慢していた。そんなある晩、
セックス最中に「痛い」と悲鳴をあげられた。理由を聞くと、子宮口に
入っているIUDの細いプラスチックのような紐が当たり、
とてもじゃないけど、痛くて、できないと言う。
仕方なく、産婦人科で外すことになった。私は生理の不快がなくなり
喜んでいたが、母乳を与えていた私は避妊経口ピルは飲みたくなかった。

避妊をしない彼は、注意していたが、私は妊娠した。

「オレは注意してたぞ。オレの子じゃないかもな。」と言われ、ショック
を受け、しばらく泣いた。だが、女の子を欲しかったから、
「女の子がいいな」と言っていた。

しかし、妊娠が分かる前、アメリカの実家に行く為に私達は
航空チケットも買ってしまっっていた。
医者からは「まだ、流産する危険がある危ない時期だから、安定期に
旅行に行った方がいい」と忠告されたが、Daddyは予定は変えられない
から何がなんでも行くぞと有無を言わせなかった。
モラ母は心配して、「アンタと息子だけいくのやめなさい」と私に言って
くれたが、Daddyは「お前らも一緒にいくんだ!」と言ってきかなかった。
(なんせモラですから。)

お腹の子のこと心配で不安にかられながら、アメリカへ行った。
1歳の息子を私が抱っこしながら、大きなスーツケースを私が引っ張って
もっていく。Daddyは知らん顔で手伝いもせず、乗り換え地点のダラスで
急いで喫煙場所で煙草を吸いにいき、搭乗ぎりぎりまで戻ってこない。
荷物と息子は私に「頼むな」のひとことだけだった。

ぐずる息子と13時間以上のフライトで私はくたくただった。
目的地のニューオリンズに到着後、ガンで死んだDaddyの弟夫婦が空港
まで迎えにきてくれた。Daddyは私が妊娠してることを誰にも言いたく
ないと言ってたので、息子を抱っこしながら、スーツケースを引っ張る
私に誰も手伝おうとさえしなかった。それでも苦しそうにしていた
私をみかねて、Daddyの弟がスーツケースを持ってくれた。

もうこの時点で日本に引き返したかった。

初めて、Daddyの母親と会い、頑張って笑顔を作り、いまにもすぐに
ベッドに横になりたいのを我慢し、日本から持ってきたお土産を
渡しながら、なんとなか、Daddyの前妻と私は違うタイプの日本人です
というのを一生懸命アピールした。彼女は前妻を嫌っていたから気に
入ってもらって認めてもらいたいと純粋に思っていたから。

翌朝、時差ボケやいろんなことの緊張のあまり気分悪かったが、

「Bonita!いつまで寝てんだ?Lazyなやつだ!」

とDaddyに言われ、意地でも起き上がり、朝食の準備や掃除までやらされ、
息子にも手がかり、座る暇さえなかった。
しまいに寒い1月に庭の落ち葉拾いもやらされ、私の疲労はピークに
達していた。妊娠している私の身体の心配はしてくれないの?
だけど、私にはあそこでは何も言えなかった。

夕方まで庭掃除をさせられ、段々お腹が痛くなり、嫌の予感がした。

急いで家に入り、使わしてもらってる寝室で自分の下着をみたら出血していた。

まさか。。。。そんな。。。。


気が動転してしながら、Daddyを呼んだ。
「出血してるの。お願い!!すぐに私を病院に連れていって!!」
と頼んだ。

そこで初めて、彼は自分の母親に私が妊娠してることを告げた。激怒した
のはいうまでもない。
ここはすごい田舎だが、あちこち探し回って救急病院にDaddyは私を車で
連れて行き、すぐに処置室に寝かされた。

お願い。。。私の赤ちゃん助けて!!!と願いながら涙が溢れて仕方
なかった。

しかし、病院側は、「彼女(私のこと)は外国人だし、グリーンカード
ももってないから、入院させる事はできないわ。ある程度出血が止まった
ら、家に帰ってもらうわ。」と言われた。

「金はキャッシュで払うから。診察してくれ!今晩泊めてくれよ!」
とDaddyが頼んだが、病院側は「No」としか言わず、キャッシュだろうと
なんだろうと出来ないの一点ばりだった。

私は処置室で寝かされ、何科の医者か分からないが、2~3質問され、
ここでは今、医者もいないし、看ることできないと告げられた。

「出血はどうだ?少しは止まったか?」とDaddyに聞かれ、
「流産止めの点滴すらしてくれないの?」と号泣した。

結婚してればこんな思いしなくて済んだのか?
こんなとこ来なければよかった。
お願い、私の赤ちゃん、流れないで。。。。と必死に祈りながら
家に帰るしかなかった。

ベッドに入っても腹痛は治まらず、部屋の外ではDaddyと母親が口論してる
のが聞こえてきた。
「なんであの子、妊娠しるのよ!」
「。。。落ち着いて」
「あんた、自分の歳考えなさいよ!あんた達が同じベッドで寝てるのさえ
わたしは許せないのに。(結婚してないのに同じベッドで寝たり
子どもがいること自体許せないクリスチャン)」

お願い!!!聞きたくない。。。誰も私のお腹の子なんてどうでも
いいとおもってるんだ。。。声を押し殺しながら泣き続けた。

翌朝、母親がスープを作ってもってきてくれたが、食べれる状態では
なかった。はやく、病院連れていってと願うばかりで、違う病院に連れて
いってもらったのは出血から2日経った後だった。
すぐに緊急入院。出血は止まらず、1ガロンもアイスティーを飲まされ
超音波で確認したが、のう胞はあるが私の赤ちゃんは見当たらなかった。

すでに流れてしまっていたようだ。私の悲しみと絶望はハンパではなかった。
アメリカに来て、なんでこんな思いしなきゃいけないのか。

一晩入院しながら、「ごめんね。ごめんね。ママが不注意でバカだった
からアナタをお腹に留めておけなくて本当にごめんね」と流れてしまった
私の子どもに泣きながら謝った。

翌朝、Daddyの母親が、教会の神父を連れて、病室にやってきた。
天国に行った子どもに祈りをささげる為にやってきたのだ。

涙が止まらず、天国に行った子どもの為に祈り続けた。

退院後、Daddyの母親が、「出血止めの薬と一緒に避妊ピルを今日から
飲みなさいよ!」とキツク言われた。

そういう気にも起きない私になんでそんな言葉吐けるのか?
Daddyも子どもが流れてしまってよかったとおもってるに違いないと
思った。

それから入院費(たった1日)$1000のことでもめた。

「オレ、余分な金ないから、お前のママに頼んで送金してもらってくれ」
と言われた。
「あなたのママからお金借りて、払ってもらうことできない?」
と聞いたが、わたしの為に$1000も出せないと言う。

後で返すのに、$1000も貸してくれないわけ?
なんて人なんだろう。

私のモラ母に事情を説明して送金してほしいと頼んだら、激怒して

「アンタが流産して大変だったのに、$1000も
払えないなんて抜かすのか?!なんてヤツらだ。」


それから延々と国際電話で、忠告をきいて、アメリカなんていかなきゃ
よかったんだと罵倒された。
「送金してあげるのは簡単だけど、あいつらにバカにされてるようで
嫌だから、Daddyに払ってもらいな。」と言われた。

結局、ぎりぎり私達は$1000払うことができたからDaddyの母親に
ぶつぶつ言われずに済んだ。
「あ~$1000損した気分だ」とDaddyに言われ、日本に帰ったら
「かえせばいいんでしょ。」と怒鳴った。腹が立ってしょうがなかった。

たかが$1000ごときでもめなきゃいけないなんて。

それからというもの妊婦をみては涙が止まらず、どうしようもない
憎しみの感情に襲われた。妊婦の友達の顔も見れず、心から
祝福できない自分に嫌気がさし、ますます子どもがほしくて
たまらなかった。生まれてくるはずだった子どもと同じ月の妊婦の
友達をみては思い出し、その子が1歳と成長していくに
連れて、胸が苦しくて仕方なかった。

息子が3歳の時、また妊娠した。今度こそぜったい産むぞと決めていた。
もうどこにも旅行なんていかない。家に閉じこもっていようと
思っていた。
ある日、医者に子どもの心拍の確認がとれないと言われ、ショックを
受けた。まさか、また?そんな?
もうちょっと様子みましょうと言われたその日に、出血し、Daddyと一緒に
すぐに病院へ駆け込んだ。不安は的中した。
「早朝に、掻爬手術します。」と言われ、また谷底に突き落とされた
気分だった。
手術後、誰も迎えにきてくれなかったので、タクシーで家に帰り、
朝、昼と食べれなかったので、モラ母が夕飯を作ってくれて息子の面倒も
みてくれた。私もショックだったが、モラ母も落胆していた。
息子にきょうだいを作ってあげたかったのを彼女はよくわかって
いたから。私自身ひとりっこし、血のつながったきょうだいが欲しい
とずっとおもってきたから。

ますます私の気分はブルーになった。まわりは2人目、3人目と産んで
いく。そして「流産したから」と言ってもまわりは「まだ産まないの?」
と聞いてくる。医者はまたトライしなよと言ってくれたが習慣流産
で、また流産したらと恐怖になっていた。

ある「不妊雑誌」で不妊専門の病院が載っていて、ある専門の病院で
習慣流産を調べたくて、私とDaddyは検査に行った。もちろん私は
高い金払って(保険きかないから)、無理やりDaddyを検査に連れて
いった。
私の子どもへの「執着」はハンパではなかった。

検査結果、妊娠しても私の身体がDaddyの抗体を異物だと感知して胎児が
育たないといわれた。それを阻止するにはリンパ球輸血しかないと
言われた。妊娠する前に間を置いて、何ヶ月間、Daddyのリンパ球のみ
私の身体に注射するんだと言う。
それを聞いて、やめようとおもった。そのためにDaddyが病院に通って
そこまでしてくれると思わないから。それにお金の問題もある。

「息子さんが生まれたこと事態、奇跡だね。」と言われた。

そっかぁ、息子はミラクル ボーイなんだ。

Daddyと私はもとから相性が悪かったんだ。生まれて来れなかった子ども達
も私のせいではなかったんだ、と思えるようになった。
Daddy意外の人との間だったら、お腹の中で子どもはきちんと育って
いた確率は高いらしい。
でもあの子たちが私達親を選らばなかったんだと思うようにした。

そして、子どもを持つことはあきらめた。

まわりからは「Bonita、2人目作らないの?」コールに傷つきながら
笑って、「そのうちね」なんて言ってごまかしてた。

もともと淡白な人なんだけど、流産後、ますますDaddyは
私に見向きもしなくなった。

私はひたすらDaddyに振り向いてもらおうと必死に努力して、下着を
セクシー系に変えたり、ムードを出したり、ありとあらゆる演出を
試みたが、私に背をむけて寝る日が多かった。

子どもを産んだら「女」とはみてもらえないないか?と悩み続け、泣いた
日が続いた。今、彼がモラだということが分かったから納得できるけど、
淡白な上、下着しか脱がない。そして普通のセックスでは全然イケず、
「オーラルしてくれ、それでないとイケない」と毎回言われた。
モラは自分さえよければいいのだ。

ある晩、その最中、いびきが聞こえた。「え?まさか。。。」
とおもったら、いびきをかいて寝てるではないか。
普通、オーラルセックス最中に寝れるか??????

こんな屈辱を生まれて初めて味わった。

ふざけるな!!!

それ以来、二度と一緒に寝ることはなくなった。







わたしはナニ人? 日本人のはず。。。。

2005-03-17 10:56:44 | 言語/Internationalな話
息子が通う小学校に電話した時のこと

4月から日本の小学校に編入する為に学校の副校長と電話で会話したとき、

わたし  「うちの息子、日本語があまりできないんですが。。。。」
副校長  「言ってることくらいはわかりますか?」
わたし  「一応言ってることは理解できるんですが、難しい話は理解
      できません。」
副校長  「あの。。。お母さん(私のこと)、あなたは。。。」     

日本語話せますか?

と聞く。

ちょと待って!約15分、母国語である日本語で喋ってるじゃない。
いくらなんでもこの質問おかしい~よ! それとも私の日本語「変」なの?

わたし  「は?当たり前じゃない。日本語喋れますよ!
      今喋ってるじゃない」

副校長  「それならいいんです。日本語喋れるんですよね。」

なんで念を押すの?訛りはないぞ。日本語コンプレックスに
陥りそうだよ~。

義姉妹に小さいころから、「なんかBonitaの日本語変だよね」と言われ
続け、アメリカ人であるDaddyにさえ、「お前、日本語下手だな。」
と言われる。アンタに言われたくない!
モラ達の言うことなんて信じないと思ってたのに、副校長に言われて
正直ショックだった。

いや、待てよ、もしかしたら、母親が日本人なら息子が日本語
喋れるのは当然だとおもってるのか?

言語にまつまる話で前こんなことあった。

会社の同僚の女友達と飲んでいたときのこと。私達もちろん「日本語」
で会話してました。(当たり前のことなんだけど)

すると、20代の日本人サラリーマン男性2人がナンパしてきたんです。
それも「英語」で。私にむかって

「ハ~イ、君どっからきたの?名前は?一杯おごらせてよ」

うっっ!なんて寒い日本人英語だ。この男からかってるのか?
酔っ払ってるようにはみえなかったが、べらべらと英語で喋ってくる。
完全に私が「外国人」だと思ってる。
あの~、私、日本人なんですけど~って言おうと思ったが、面白いので、
英語で喋ってあげた。
(基本的に英語で話かけられたら、英語で話す。みかけで判断しない。)

「。。私の名前?マリアよ(高級ナイトクラブで使っていた私の源氏名)」

「マリアか、いい名前だ。」 と私をみつめる。うえっ~!笑いをこらえる
のに私は必死だった。

「あなたも英語が上手ね。」なんて言ったら連れのサラリーマン
に「おい、オレって英語、上手いって言われたぞ!」と大喜び。

この男たちまだわかんないのかな?

「ねぇ、マリア、君は日本語話せる?」ときいてきたので、
「う~ん、ちょっとだけなら。。。え~と、アナタ、トシ イクツ?」
と外国人のように英語訛りで聞いた。

「君、日本語上手じゃん。」とまたまた感激する。
いいかげんに笑いが止まらなくなり、からかって遊んでるのに疲れた
私達は、「それじゃ、もう帰るから(日本語)」とあっさり席を立った。
サラリーマン2人はあっけにとられてた。
不可解な顔で「あの子、外国人だよな?」とつぶやいたが背後から聞こえた。

日本人だよ。いいかげんに気づいてくれよ!!!

あるモデルの撮影の仕事の時、キャスティングコーディネーターの
女の人に「あなたって。。。日本人じゃないでしょ。ブラジル人でしょ。」
といきなり言われた。ちょっと失礼じゃない?それも国名指定して。

「違います。。。日本人です。」と言ってるにもかかわらず、
「い~や、あなたブラジル人よ。日本人に見えないもの。」と撮影終わるまで
延々と彼女は言っていた。

どこをどうみたらブラジル人だと指定できるんだ?日系ブラジル人もいる
けどさぁ。
ちなみに私はサンバ踊るようなボン、キュッ、ボンな体型はしてません。

モラDaddyはサイフにいれてある私と息子の写真をあちこちで会う人、
会う人、いろんな人にみせます。決まって、
「彼女(私のこと)ってナニ人?」とか「マレーシア人?」とか「ブラジル人」
とか「ラテン系」とか言われるそうです。マレーとブラジリアン
とではだいぶかけ離れてると思うんだけど。

ある日、モラ母に「私ってどっか日本以外の血と混じってるのかな?」
と聞いてみた。
「さぁ~ね~。。。」のひとことだった。

ナニ人でも別にいいけどさぁ、「地球人」にはかわりないし。
なんかハーフ(ダブル)の息子より、「ナニジン?」って言われてる気が
する。
そう言えば、「平井 堅」も外国人に間違われるっていってたな。
彼は彫りの深い顔だもんね。私は彫りの深い顔ではないんだけど、やっぱ
雰囲気なんでしょうかね。


























息子のためにアメリカへ行け!Part2

2005-03-16 18:53:18 | Eventful life波乱万丈生活


昨日、ばったりMr.Dに会った。

息子のスイミングの帰り、昨日の日記にもちょっと名前の出た、ブラザー
のMr.Dと偶然ばったり出会った。彼はモラと正反対で癒し系。

どいうわけか、私の心が不安定な時とか、悩みを抱えてる時とか、Tony
の事を思い出す時に、必ず出会う相手だ。

不思議というか、縁があるのかわからないが。

彼は私が通っていた語学学校で直接私のクラスを受けもったことないが、
生徒に好かれてた先生のひとりだ。バツ3くらい経験してるて、日本にも
長いが、彼は私が17歳の時から私の事を知っている。そして私の事情や
息子のADHDもだいたい知っている。

「Bonita!ハ~イ、元気?」と言って、Hugしてほっぺにチュー
「うん。まぁまぁね。。。」頑張って笑顔を作った。

「この間より元気そうじゃないか。」

前回ばったり会ったときは、鬱と自律神経失調症を繰り返し、病院通い
していたときだ。それに比べれば、元気そうにみえるだろう。

「そうかな?そうだね。前はひどかったからね。
そうそう。。。Daddyは11月アメリカ帰るんだ。」
と話たら、
「一緒に帰るんでしょ?」
「。。。。ごめんね。ずっとウソついてたんだけど、私、結婚してないの」
と言葉を濁した。

「え、え~!!!!うそ~?!」

と驚愕してた。「い、一回も、結婚してないの?」

「してない。シングルマザーだもん。いろいろと話すと長いから。。。。」
「なんで彼は君と結婚したくないの?」 う~ん、みんな同じ質問だ。
「前の結婚で懲りたから。。。。」

Mr.Dは苦悩な表情を浮かべながら、「養育費とかもらえる?」
「養育費の保証はない。。。」
「。。。。。サイテーな男。。。」と深いため息をついた。

それでも彼は息子の為にDaddyとアメリカへ行けと意見した。どうして
みんな同じ意見なの?とりあえず今までの経過を早口でまくし立てながら
彼に話した。

「あのさぁ。モラルハラスメントって知っている?」と彼にきいてみた。
「モラルハラスメント?知ってるよ。」

「Daddyにモラハラされてもう嫌なの。だから一緒にアメリカなんて
とんでもない。」
「。。。。。。」
彼はしばらく考えて、
「Bonita。。。奥が深すぎる。今日は時間ないから、ゆっくり話せない
けど、時間作るから。。。今後のことについて相談に乗るよ。
連絡してね。」
と言いながら、バス停まで行き、彼と同じバスではない
のだが、「これに途中まで一緒に乗ろう。」と息子のバス代まで払って
くれた。
彼は男性的というより、物腰がやわらかでソフトな男性。
ぜったいFワードなんて使わないんだろうな。
息子にもいつもやさしく話かけてくれて、こういう人が息子の
ソーシャルワーカーだったらいいのになぁっていつも会う度に思う。

彼がバス降りるときに、
「息子の為にはアメリカの教育と病院がいいよ。良い精神科医も
いっぱいいるしさ。」と言われた。

そんな事、わたしだってわかってるんですよ~!

お願いだから、簡単にそんなこと言わないで~。

「私が息子連れていけるビザあるの?ないでしょ!!」あ~もうヤダ。
「そんなビザないよ。だから、Daddyと籍入れるのが一番いいんだよ。」

私は段々イライラしてきた。
「じゃぁ、誰かアメリカ人の男性探して一緒になるよ!」

「そんなの、簡単にいかないよ。」と彼は苦笑い。

わたしだってそんな簡単じゃない事わかってるんだよ~!




ラテン男との出会い(後編)~再会、メキシコ旅行、破局、また再会

2005-03-15 10:38:45 | Eventful life波乱万丈生活
昨日の話のつづき。。。。

新しく社会人になり、忙しい日々を過ごしていた。新しい出会いが会った
りして。。。。なんて淡い期待をしていたが、職場はオッサンばかり。

それから早3ヶ月が過ぎ、とある駅でばったり「Tony」と再会(偶然です)

「ト、トニー?」とパニックになる私。
「Bonita?やぁ、元気だった?」
なんて変わらぬ、セクシースマイルにスィートボイスなの。。。癒し系だわ

私達は同じ電車に乗り、いままでの近況報告をした。
彼は相変わらず学校の方が忙しいが、この夏バケーションをとって
メキシコのカンクンに行くという。

「え?カンクン?ウソ~、私もこの夏メキシコ旅行考えてたのよ。」
なんて口からデマカセ、ウソ八百。メキシコに行きたいな~位にしか
考えていなかったが、Tonyのこの一言で私はメキシコ行き願望が強く
なった。
「え?そうなの?それじゃ、僕とカンクンにいかない?」
なんていともあっさりいってくれるわ。。。
「。。。そうねぇ。。。いいわよ、別に。。。」と気をもたせながら
言ってみた。心の中はガッツポーズ、Yes!!!

「じゃ、詳しい予定はまた今度。」といって電車を降りた。

電車の中でニヤニヤしながらひとりで空想にふけっていた。
きっと電車に乗ってた乗客はさぞ気持ち悪かっただろう。

トントン拍子で旅行の計画が立ち、毎日がルンルン気分だった。

私とTonyの関係って一体なんだろう?恋人?でもないし、友達?
だとしても一緒に旅行いくかな?

Tonyは一足先に故郷のL.Aに寄ってからカンクン入りした。
私はメキシコ シティに一泊してからカンクンに入る事にした。
だから、カンクンでTonyが先に行って待っててくれるということだ。

アメリカのダラス経由でメキシコ シティに入った。着いたときは
もう夜。タクシーの運ちゃんたちが必死に客を呼びとめ、値段交渉。

私もメキシカンの運ちゃんたちを物色しながら、大丈夫そうな人のタクシー
を選んだ。夜という事もあり、私は何かあっては怖いから用心にした。
なんたって、ここじゃ私、外国人だもんね。
タクシーの運ちゃんとは英語が通じず、(予想どおり)私の下手な
スペイン語炸裂。
「オテル マリオ、ポルファボ~(ホテル マリオにお願い)」
「Si、(了解)」

タクシー運ちゃん 「ところでアンタどっからきたの?」
わたし      「。。。(ハポン=日本)とういと割り増しされると
          嫌だからアメリカからよ。」

わたし      「あのさぁ、英語ちょっとくらい喋れない?」
タクシー運ちゃん 「だめ、喋れない。。。」

スペイン語、全然自身ないよ~。変なとこ連れていかれたらどうしよう!
そんな私の心情なんておかまいなしで、喋り捲ってくる。半分くらい
何言ってんのかわからない。。。が、適当に相槌をいれ会話は成立する。

そうこうしてホテルへ到着。
「ほら、着いたよ。ここだよ。観光するなら、明日オレ、迎えにくるよ。」
と運ちゃんは言ったが、「まだ、考えてないから。」

やっぱ女ひとりでメキシコシティーに泊まるのは怖いので、割とランク
の高いホテルにした。ホテル内では英語が通じたし、その夜は疲れて巨大
ベッドに大の字になって寝た。
しかし、時差ボケとTonyと会えることに興奮し、あまり眠れなかった。
カンクン行きの便は明日の朝しかでない。時間はあまりないが観光
にでもいこうとおもって外にでた。見覚えある顔。。。
夕べのタクシー運ちゃんが外で待っていた。

「待ってたよ~、観光だろ!乗って、乗って」と私をいいカモだと思ってる。
美術館と博物館に行こうとおもってた私は距離があるのでどうしようかと
おもってた矢先だった。
ぼったくられるの嫌だな。値段交渉開始。
「アンタのタクシーに乗ってあげてもいいけど、1日お抱え運転手
としていくら?」
「アメリカドルで$50だな。」と顔がニヤつく。
「冗談でしょ。$20だね。それ以上出さない。」と私は譲らない。
「。。。。わかったよ。」としぶしぶ交渉成立。

「とりあえず博物館へいって!」とタクシー博物館へ。
みんなにジロジロみられながら、しばしの観光。旅行にいったら美術館
に必ず立ち寄る私。「やっぱ、落ち着くわ~」

「次、ショッピングにいくから!」とタクシーはショッピングモールへ。

あるレストランで食事をオーダーしたら、山盛りタコチップがサービスで
ついてくる。これは 嬉しい。ビールがすすんだ。

本当は遺跡なんかもみに行きたかったが、時間がなくて断念。

そして翌朝、大丈夫か?っていうくらい小型飛行機でリゾート地
カンクンへ飛んだ。
空港ではTonyが迎えにきてくれてた。「やっと会えた~」とHug、Hug。

お互い別々のルートできて目的地で落ち会うって結構いいわね。
そして、私達のホテルでちょっと一休みしてからプールで泳いだ。

「お願い、時よ止まって~」って叫びたいくらいのロマンチックな時間
を彼と2人で過ごした。このころカンクンってそんなに知られない
リゾート地で日本人は1人しかみかけなかった。
夜はクラブで飲んで、踊りまくり、ショーを観たり、日中はビーチで遊び、
写真集でも出すのかといわんばかりにお互いの写真をとりまくった。

が、彼は買い物にはいつも独りで行っていた。買い物の時は別行動。
「つまんな~い」と思いながら、買い物は結構ひとりのほうが楽なんだよね。
でも私に見られたくない買い物もあるのかもしれない。詮索はしなかった。

カンクンから船で30分のとこにある小さな島にも行き、バイクで島を
一周し、スキューバーもどきで海を散策した。あ~海がキレイだった。

もっと滞在したかったが、もう10日も会社を休んできてるのでこれ以上
はムリだった。Tonyはまだカンクンで過ごすと言って、その後L.A経由
で帰る予定だった。なんか友達以上、恋人未満の関係に不完全燃焼な
気分でひとり寂しくカンクンを発った。
でもひとりより連れがいて楽しい休暇をおくれたんだ、良しとしよう。

そして、帰りもダラス経由で帰ろうと思ったら税関で捕まった。。。。

「ちょっと、アンタこっちきて!」と税関の人に呼ばれる。
え?何?私、なんか怪しい? もうひとりの女税関が
「この女、偽造パスポートよ、ぜったいそうよ!」と他の税関職員と何やら
ヒソヒソ。。。。
「私、日本人です。日本のパスポートもってるのよ!」と声を大にした。
「アンタ、どっからアメリカへ入ってきたの?」
「メ。。。メキシコから」怖いよ~
「アンタ、日本人じゃないでしょ!メキシカンでしょ!!」と疑いの目
で私を睨む。いくらなんでもそれはないでしょ~確かに浅黒いけどね。

そして私のスーツケースを開け、下着から化粧品のクリームからすべて
チェックし、
「ブツ(麻薬)は入ってないわね。」と一言。

え???麻薬もってるとおもってたわけ?ショック~
このぐちゃぐちゃにしてくれたスーツケースの中身どうしてくれんのよ~
スーツケースがなかなか閉まらなくて、30分格闘した。

それからダラスの税関は大嫌いになった。
でもよく考えたら、女ひとりメキシコに行くこと事態、疑われても仕方
ないのかしら。今思い出すと、とても今じゃ考えられないような格好して
たから、メキシカンに間違われてもおかしくないかも。。。

それからしばらく経ち、Tonyとの「不完全燃焼」な関係に気の毒に思った
同僚(のちに私の親友となる)が「ダブルデート」作戦しようと言ってくれた。
彼女Mちゃんの彼はブラザーで同棲していて、彼らの家に私はよくお邪魔
させてもらっていた。Tonyは私とふたりになるとぎこちなくなるから
彼女達と一緒にクラブにいったりして、私とTonyの関係を保ってもらって
いた。
ある晩、「メキシカンナイト」と称して、MちゃんカップルとTonyの
マンションの部屋でメキシカンディナーをする事になった。料理は全て
Tonyが作ってくれておいしかった。料理のできる男はいいな~

サルサ音楽で4人でサルサダンスレッスンをし、飲んで、踊って騒いだが、
なんかTonyの様子が変。すぐわかっちゃうんだよね。写真好きのTony
が私とのツーショットを拒んだ。笑って許したが、なんか変。
Mちゃんカップルは終電がなくなるからと言って、「Bonita帰ろう!」
と言われたが、その夜はどうしても帰りたくなかった。
「泊まっててもいい?」
「い。。。いいけど。。。。」とあまりいい返事ではない。
「今日なんか変よ、どうしたの?」
「あまり調子よくないんだ。。。」と元気ない。でもなんか変。
「スウェット貸してあげるからそれ着なよ。」といって奥から

ピンクのスウェットをもってきた
なんでピンクなの?男がピンク着ちゃいけない決まりはないが、
どうみても男ものではない。女いるんだ。。。

「これどうみても女物だよね?」
「。。。。。!!!」一瞬あせったTony。。。
「。。。。Bonita、実は長くつきあっている女性がいるんだ」と切り出した。
「(あ~やっぱり)それで、その人のこと好きなのね、いつから?」
「君と出会うずっと前から。それに彼女結婚してるんだ。」
え~!!!!!不倫ですか?
さすがに私もあまりのショックに耐えられない。。。。
その不倫相手の女性は、彼が日本にきてからの仲で、スペイン語ペラペラの
日本人で旦那さんも日本人で子供なし。マンション借りる時も面倒みて
もらったり、相談ごとは全て彼女にしてたらしい。
私は一体なんだったんだろう。カナダ人彼と私が公園で破局をむかえるときも
Tonyとその彼女は車の中で私達の様子を伺ってたらしい。
今更こんな告白あるか?!もっと早く言ってもらいたかった。
その彼女のこと愛してるらしいが、彼女が「セックス拒否症」でその行為事態
ダメらしい。だから肉体関係になれないんだとか。一緒になりたいが旦那
と離婚できないとか言っている。
段々私も「みのもんた」状態で聞き入ってしまった。
「そう、それで?で、おたくはこれからどうしたいの?」

彼女との関係は続けたいが、どうしていいかわからないと言う。

もう完璧私達は終わったな。(彼の中ではとっくに終わってるんだよね)
もうこの部屋に来るのもこれが最後だ。
いつか彼と結婚したい、彼の子供がほしいと思ったこともあったな。

翌朝、私は彼のマンションから去っていった。「さようなら」

その一週間後、あることがきっかけでTonyに中国人の彼女がいること
が発覚した。まだ隠してることがあるのか!!!
その中国人彼女はバージンで化粧の仕方も知らない垢抜けない子だという。
そういう子を自分がいちから教えてあげたいといって彼女を選んだ
らしい。なんなんだ。てっきり派手な人が好きなんだとおもったら意外と
地味な人が好きなんだ。不倫の年上彼女も地味なカンジのひとだったし。

風の便りでその中国人の彼女のすぐに結婚したらしい。意外と気の強い
女だとその2人を知る友人が言ってた。

私はTonyと別れてから忘れるまで、4年かかった。その間、つきあった人
もいたが、まともな恋愛ができなかった。

そして、息子を産み、育児に忙しくなってTonyの存在も忘れた。
ある日、電話が鳴った。それは語学学校の友達のひとりだった。
「Bonita? 実はね○○ちゃん亡くなったのよ。」
え?まさか彼女が?うそ~!!!!!
彼女はTonyの事でもカナダにいるHerveのこともいつも相談に乗って
もらってて、一緒にカナダにも行った良い友達だった。
彼女は進行性のガンだったようだ。気がついた時は手遅れで手術するのを
拒んだらしい。それから3ヶ月後には逝ってしまった。
私と同じ27歳で、死ぬには若すぎるよ。私はお通夜に行き、
彼女の安らかな顔をみてたらアメリカ人の旦那さんは「苦しまなかった」
と言ってた。
おいおいおと泣いて帰ろうとした時にTonyと再び、6年ぶりに再会した。

まさかこんなとこで再会するとは。。。。。
「あなたも知らせをうけて?」と私は言葉を切り出した。
「うん。まさか君とここで会うとは思わなかった」

仕事が終わってすぐに駆けつけてきたのだろう。私が贈ったネクタイを
絞めてた。まだ持ってたのね。一番のお気に入りだったから。

息子が生まれて2歳になった話もし、子供はいないが彼も幸せに奥さんと
暮らしてる。

また風の便りで、というか友達のMr.Dとつい最近ばったり会ったとき、
「Tonyさ、また学校に戻って、講師やってんだよ。それとあいつパパ
になってさ。娘がすっごいかわいいんだ。
Bonitaの息子の名前なんだっけ?」
「○○だよ。」 そっかぁ~パパになったのね。
「え~!!!Tonyの娘と同じ名前だよ。」 

うそ~!そんな偶然あるの~?

ちなみに息子の名前は男でも女でも両方いける名前。

「すんごい子煩悩だよ。遅くできた子だし、女の子だからなおさらだろ」

「もしTonyに会ったらBonitaが宜しくって伝えておいてよ。」

Mr.Dは渋い顔して、

「それはやめておくよ。君の名前出さないよ。。。。」と言った。
彼は私とTonyがまた復活したら困るとでもおもってるのか?
そんな事はぜったいないけど

「そうだね。私の名前ださなくていいよ」

もう向こうは私のこと忘れてるとおもうが、ある時期にくると彼のこと
思い出すんだよね。