一心寺にはよく行くのですが、その通り道に茶臼山があることをこの前知りました。
寄ってみることにしました。
小さな丘のようなところです。
お庭もきれいでした。
時代の移り変わりを感じました。しばし戦国時代の思いに浸っていました。
いい公園です。ゆっくりできました。
一心寺にはよく行くのですが、その通り道に茶臼山があることをこの前知りました。
寄ってみることにしました。
とても雄大でした。悠久なる大河を行ってきました。
四万十川です。
メインは蛍を見るためでもありましたが、四万十川の懐の深さに圧倒されました。
いろいろ行きましたが、バスで行くツアーでは大阪からは一番時間がかかると感じました。
疲れを吹き飛ばすように蛍は舞っていました。船頭さんは5月の24、25位が一番良かったと言われ、蛍の少なさを申し訳なさそうでしたが、都会に住む私達にとっては、しょぼいどころかたくさんの蛍でした。
写真のフラッシュが禁止なので写真はありませんが、船から眺める蛍はとても情緒があり思い出に残るものとなりました。四万十川です。
夜やかた船で食べたお弁当です。
山菜がはいっていて素朴でしたが、美味しいお弁当でした。
船で食べるというのも風情がありました。
私の田舎の空知川を思い出しました。
こちらは夜の時間待ちに連れて行かれた水車です。
16基ありました。
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くや国って尾張にあったのか? 近つ飛鳥で、卑弥呼にあらがった国のクヤ国を尾張の国にあったのではとして展覧会があった。 尾張は古い時代に前方後円墳などがあったようです。
黒田、三宅町を歩いたとき、巻向の屯倉がこのあたりであり、三河からの移住者がいたということを聞いたことがありましたが あの時代におおがかりに移住したのは、戦いとかかわりがあるのかな? 意外に日本は弥生と古墳時代の間に高度な文化があったような気がします。 韓式土器の展示などもあり、渡来人の影響も尾張地域にはあったようです。 どこに行っても日本中、渡来人の影響を受けないところは少ないようですが・・・ 当時は高句麗や新羅、百済の力関係など馬韓、弁韓、辰韓など小国の受ける影響など、日本に向かう人たちも多かったでしょう。