創世記15章1~6節
現実から信仰へ
聖書を読むときには、当時としては、そのように表現するしかなかったり、価値あるものとして当然のように言われていた時代状況があったということを踏えておかねばなりません。と同時に、こうした旧約聖書を学ぶときには、それに加えて、新約聖書ではそのことはどのように訂正されたかとか、変更になっているかまでを考えねばなりません。
例えば、旧約聖書には、食物 . . . 本文を読む
創世記12章1~9節
主の言葉に従って旅立つ
アブラム(アブラハム)が登場する前の創世記のいくつかの物語は、どれをとっても興味深いものばかりです。そして、それらの物語に共通していることは何かというと、神様から愛されているということを信じられなかった、神様を信頼できなかった者たちのお話になっているのではないかということなのです。
アダムとエバは、エバがヘビの誘惑によって、神様がそれを食 . . . 本文を読む
マルコ福音書15章33~41節
イエス様の絶叫により
イエス様が十字架につけられている場面です。イエス様は、私たちに模範を示されました。死に方においても、ある意味ではそうだったのではないでしょうか。日本には、古来武士道というものがあります。いかに死ぬか、武士道とは、死ぬことと見つけたり、そのような言葉もあります。忠義を尽くし、或いは、名誉のために、死ぬことさえ辞さない。これこそ、武士に . . . 本文を読む
マルコ14章3~9節
優先すべきこと
イエス様は、ベタニヤ村のシモンの家で食事をされていました。わざわざ、重い皮膚病の人シモン、という説明をしております。シモンというのは、弟子のペトロのもともとの名前もシモンですから、同じ名前の人々が、当時はたくさんいたということはわかります。その違いを示すために、だれだれの子の、だれだれの息子の、そして、ちょっと有名になればどこそこ出身の、ですから . . . 本文を読む
マルコ福音書1章1~11節
ホサナ -私たちに救いを-
イエス様一行は、いよいよエルサレムへ入っていきます。エルサレムは、神殿があり、ヘロデ王の宮殿があり、ローマ総督ピラトの官邸のある場所で、いわゆる都でありました。そして、そこにはイエス様の十字架が立てられることになるゴルゴタの丘もありました。エルサレムは、権力と繁栄の象徴のようなところでした。そして、イエス様にとっては、苦難が待ち受 . . . 本文を読む