水曜日の話 "Love Over Gold" 三枚の写真

2017年06月28日 | 水曜日の話

 

 

 "Love Over Gold"   - Dire Straits -

You walk out on the high wire
You're a dancer on thin ice
You pay no heed to the danger
And less to advice
Your footsteps are forbidden
But with a knowledge of your sin
You throw your love to all the strangers
And caution to the wind
 
   目もくらむ 綱渡り
   薄氷を踏むように
   命も顧みず 
   足音も立てずに 
   危険は 百も承知
   観衆に 愛想をふりまき
   風に心を研ぎ澄ます


And you go dancing through doorways
Just to see what you will find
Leaving nothing to interfere
With the crazy balance of your mind
And when you finally reappear
At the place where you came in
You've thrown your love to all the strangers
And caution to the wind
 
   踊り続ける はるか彼方まで
   そこで 見るにちがいない 何かを
   邪魔するものは 何もない
   研ぎ澄まされた 感覚は
   再び蘇る
   もと来た場所で
   観衆に 愛想をふりまき
   風に心を研ぎ澄ます
  


It takes love over gold
And mind over matter
To do what you do that you must
When the things that you hold
Can fall and be shattered
Or run through your fingers like dust
 
   大切なことは 愛だよ 欲じゃない
   大切なことは 心だよ 物じゃない
   気の赴くままに やることだ
   抱いた 望みや夢が
   砕け散ってしまう前に
   指の間から こぼれ落ちてしまう前に


translated by T. Arima

 

 最初の写真は、自転車の後ろ斜め上から見た後輪。パナレーサーのグラベラキングの700-23C だった。砂利道でも走れる優れもののタイヤだ。車輪の半分くらいをクローズアップしているので、タイヤの横の文字がはっきりと見える。
 二枚目は、向こうからこちらに向かって走ってくる車。50メートルほど離れていただろうか。車線を分ける白いセンターラインに沿ってぐんぐんと近づいてくる。何色の車だろう。黒色か灰色か、車の速度が気になりよくわからない。アスファルトの道を横断しているアリの眼から見たような風景は確かにモノクロトーンだった。
 三枚目の写真は、道路の南側に隣接する誰もいない野球場の空。青い空にぽっかりと輝く太陽は白っぽくギラギラしていて、まともに見ることができない。強烈な光線から少し左のほうへ顔をそらし、しばらく空を見ているしかなかった。

 落車した。落車とは早い話が、自転車でこけることだ。小学校の何年生のころか忘れてしまったが、運動会の駆けっこで転んだことがある。運動場に白く引かれたトラックを半周、背の順に並んだ7~8人が走る。前を走る一人を追い抜いた瞬間、足よりも先に身体が前のめりになって、両手を差し出す間もなく左顔面からすべるようにこけた。抜き際に後ろから左肩をトンと突かれバランスを崩したのだ。運動会が終わって数日間は、左顔面が腫れて火照っていた。
 大人になるにしたがってこける事はめったになくなったが、50歳を過ぎたある夏、プールへ行く道と運動場の30センチほどの段差を踏み外し、転倒した。プールの更衣室の前で、水中眼鏡を忘れたと泣く児童の手を握り、教室に引き返す途中だった。手をつないだまま二人とも運動場に倒れ込み、左半身を強打してしばらく立てなかった。

 2台連なって自転車で走っていた。向こうのほうにある交差点を左折するために、道を横切ろうとしていた。前を走っていた自転車は、センターライン付近で減速し始める。なぜ道の真ん中で止まるんだと不思議に思い、相手と同じ視線の先を見ると、左後方から車がこちらに向かって走ってくる。状況を納得して、前方を見た途端にぶつかっていた。
「あッ、大丈夫ですか、怪我はありませんか!」「う~、たいしたことないけど・・・。それよりも、自転車大丈夫?」ハンドルを握ったまま、左膝をくの字に曲げて転倒したので、自転車用のウェアの膝小僧は丸く破れ、そこから血が滲んでいた。歩道の横にある野球場のそばの青桐の木に自転車を立てかけ、木陰のベンチに二人並んで座り、互いの怪我の状況を確認した。さいわい、相手は転倒しなかったので身体も自転車も無事だった。

 「友達が、自転車でこけたとき、スローモーションのようだったと言ってました。でも、私がいつかこけた時は、スローモーションとかじゃなかったですよ。そのまま、リアルにどすんとこけました」。膝の血を拭くようにとウエストポーチからティッシュペーパーを取り出しながら、自分が自転車でこけた時の状況を話してくれた。
 
「ありがとう。そうか!・・・今の落車はスローモーションでも、リアルタイムでもなかったかな」。「どんな感じでした?」危ないと思った瞬間から、落車までは5秒くらいだったと思う。今思い出すと運動会でこけた時も、子どもと二人で転んだ時も、もう痛みの感覚はなく、ただ映像だけが頭に残っている。

 駆けっこの転倒は8mmフィルムを映写した動画で、子どもと二人で転んだときはノート隅に描かれたパタパタ動画のようだった。同じ5秒ほどの記憶の映像でも、昔と今とでは、その記憶の質は違っている。なめらかな動画だった記憶が、カタカタと動くコマ送りの記憶になり、気がつけばアルバムに貼られたただの写真になっていた。

 年齢を重ねるたびに、頭の中の記憶容量が少なくなって、劣化が進んでいく。日常の生活は、昨日と今日とでは何の変化もない。ただ、極限の状態で反応しなければならい時に、身体と頭にそれは突然現れる。「三枚の写真を見ているような感じ。ひょとすると、次に落車するときは二枚になり、その次は一枚だけになるんじゃないかな。そんな気がする」。「じゃあ、その先は未知の世界ですね」。「う~ん、どうだろうね。残り一枚の先はゼロ枚だよ。たぶん、もうその先は何もないと思う」。

 その先は、未知の世界なのか無の世界なのかわからない。たぶん、すべてが透明になってしまった世界を、ありとあらゆる無数の記憶だけが、ふわふわと風に吹かれて漂っているかもしれない。「何もないです、か。・・・でも、受身、上手でしたよ」。ティッシュペーパーの袋をポーチにしまい、ベンチから立ち上がると、白いヘルメットをかぶりながら、彼女はフフっと笑った。


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