丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

約 束  「新選組!」番外編

2005年08月09日 | 作り話
 明治28年・夏
 その年の大坂の夏は格別暑かった。清との戦争に勝った去年からの浮き足だった雰囲気はまだ巷に漂っており、町は活気に溢れていた。人々の活気が夏の暑さをあおっていたのかもしれない。
 賑わう大通りから一筋二筋と奥まった通りは、表通りとは少し違う。文明開化とも、景気の良い裕福な大店とも縁の無い、古ぼけた貧しい界隈になる。そこは幕末からの動乱の時代を経た今に至っても、当時とあまり変わらない庶民の生活の場であった。
 路地を足早に通り抜けていく若い女の姿があった。名をたかという。近くの古い長屋に伯母と二人で暮らしていた。表通りの呉服屋に仕上がった着物を納めに行った帰りだ。洋裁の勉強をしたいと憧れる娘である。
「おたかちゃん、今帰り?」
 たかは声に立ち止まった。隣の棟梁の嫁だった。
「暑いなぁ、おすずさんの具合はどない?」
おすずとはたかと共に暮らす伯母である。梅雨時に風邪をこじらせ、寝たり起きたりの生活をしていた。
「あんまり変わらへんねん。・・・良うないと思うわ。」
 たかは小声で答えた。おすずは暑くなるごとに食も細っていた。
「そうか・・・。おすずさんの声が聞こえんと寂しいわ・・・。」
棟梁の嫁も眉をひそめた。
「そや、西瓜、もろて。おすずさんに食べさしたって。」
井戸の傍に小ぶりの西瓜が転がっていた。
「うちのが出先で三つももうてきてな、そんな仰山食べられへんさかい。」
たかは思わず笑顔になった。
「おおきに、ほな、遠慮のうもろて帰るわ。」
たかは西瓜を抱えた。

 建付けの悪い戸を開け、たかは家に入った。
「ただいま。」
 炊事場のある土間の奥には小さな部屋が二つあり、奥の部屋でおすずが臥せっていた。襖の向こうから「おかえり」という小さな声が聞こえた。
「マサさんから西瓜もろたから、切るわ。美味しそうやで。」
襖がゆっくりと開いて寝巻き姿のおすずが現れた。
「初物やな。」
そういって微笑んで見せたが、力ない表情だった。
「寝とったら?しんどそうや。」
「今日はだいぶマシや。」
おすずは襖を大きく開けると部屋に戻り、一番奥にある障子を開けた。小さな縁側と申し訳程度の木々と塀が見えた。部屋の空気がゆっくりと入れ替わっていく。
 おすずは縁側に腰をかけた。
 蝉がうるさく鳴いていた。おすずはそのへんに転がしてあった団扇を取るとゆっくりと仰いだ。
 たかが小鉢に食べやすく切った西瓜を入れておすずの横に座った。
「美味しそうやなぁ。おおきに。」
おすずはたかから西瓜を受け取ると指でつまんで口に運んだ。
甘い果汁が口に広がり、おすずは目を細めた。
「甘いな、この西瓜。」
たかも口に放り込んでにっこりした。

 西瓜を食べ終わり、たかが手ぬぐいで口をふいていると
「なぁ、たか。お願いがあるんやけど。」
「なに?」
「うちが死んだらな、京の光縁寺ゆうところにな、お骨を納めてほしいんや。」
たかは仰天した。
「なに言うてんの!縁起でもない。・・・どないしたんよ、急に。」
「光縁寺の和尚さんには、もう、随分前からお願いしてあるんや。うちが毎年、春先に京に行くのは知ってるやろ?ずっとそこのお寺さんに行っとったんよ。」
 たしかに、おすずは二月になると必ず京に上っていた。たかは、京にいるおすずの弟に会いに行っているとばかり思っていた。
「なんで、そんな話・・・。」
たかは止めさせようとしたが、おすずはそれを遮った。
「この調子じゃ、この夏はよう越さん・・・。どうしても光縁寺でないとあかんのや。」
 団扇で扇ぎながらおすずはたかから視線を外し、遠い目をした。
「あんたには言わんかったけどな、うちは遊女しとった頃があるんよ・・・。」


 おすずは丹波の貧しい農村の生まれだ。娘時代の記憶と言えば、飢えと泣き顔の妹と弟の顔、いつも疲れていた両親・・・そんなものばかりだ。
 ある年、村は致命的な飢饉に襲われた。数年前から不作続きだった事も重なり、村の中では飢えで亡くなるものも珍しくなかった。
 おすずは二十歳をいくつも超えていたが、身を売る決意をした。そうでもしなければならないほど、一家は追い詰められていた。
 迎えに来た女衒の言葉をおすずは今でも忘れられない。
「こんなトウのたった女、客がつくかどうかわからんで。器量もぱっとせえへんし。お荷物にならん程度には稼げよ。」
 吐き捨てるような言葉だった。頭に来たおすずは京につくなり、仕返しに汁粉屋で汁粉を七杯も食べてやった・・・。
 その汁粉屋で一人の侍と出遭った。運命的な出逢いだった。
 その若い侍は七杯分もの代金を払い、おすずが見世に出ることを知るとさっそく客として訪れてくれた。そして、おすずに明里という源氏名までつけてくれた。
 山南敬助という。後に、彼が新選組の総長を務めていた事を知った。当時の新選組といえば、「壬生狼」と京の人々から陰口を叩かれていた集団だ。時代の流れなどさっぱり興味のないおすずでも、名前くらいは知っていた。
 山南は新選組の隊士とは思いもよらぬほど、穏やかで礼儀正しく、学のある人物だった。おすずは生まれてこのかた、山南のような男との関わりは全く無かった。彼女の周りにいたのは無学で荒くたい、百姓の男ばかりだ。山南の存在はとても新鮮で、共に過ごす時間はこれまでのどんな瞬間よりも楽しかった。
 遊女と客という立場も、男女の駆け引きも忘れて、山南に憧れ、敬い、愛した。そして山南もおすずを大切に扱ってくれた。
 遊郭での生活は思っていたよりはずっとマシで、それほど嫌なものでもなかった。毎日ちゃんとご飯を食べる事が出来、着る物も、寝る場所も丹波の生活よりも格段に良かった。そしてなにより山南がいた・・・。幸か不幸か、女衒の予言どおり、他の客は滅多につくことがなく、我慢して相手をする機会も思ったより少なかった。結構自分はついているのかもしれない・・・そんな風にまで感じることすらあった。そういう前向きさというか、楽天的な性格が山南の心を挽きつけ、癒していたことに、本人は気付いていなかった。
 しかし、そんな生活も長くは続かなかった。
まもなく、山南はこの世を去った。信念を貫き筋を通すために自ら腹を切った。その直前におすずを身請けし、「いつか必ず丹波に迎えに行くから。」という約束を残して・・・。

 山南の遺言に従って丹波に戻ったものの、そこでの生活は甘くはなかった。一家の生活は一応の危機からは脱していたが、苦しい事に変わりはなく、おすずが帰ったことが嬉しい反面、食い扶持が増えたという意味では迷惑でもあった。その上、遊女をしていたという噂があっという間に広まり、後ろ指を指されるようになった。
 いたたまれなくなり、おすずは丹波を再び出た。
 本当は山南の眠る京に戻りたかったが、短い間とはいえ遊女あがりである。いつ知った顔と出会うかもしれない。丹波での苦い思いを考えるとそれもぞっとしない話だ。よくよく考えた末、大坂に出た・・・。

 「あとはあんたも知ってるやろ。一生懸命働いた。何でもしたで。でも体を売る気はなかった。だって、うちは山南先生のモンやから・・・。
 大坂での生活が落ち着いてきた頃、あんたのお母ちゃんが亡くなったんや。幼いあんたがたらい回しにされて、挙句に女郎屋に売り飛ばされると聞いて、我慢でけへんかった。・・・女郎なんかするもんやないで。やめてからもホンマに嫌な思いするだけや・・・。それであんたを引き取ったんよ。」
 おすずは黙り込んだ。ゆっくりと体の向きを変え、布団の上に横たわった。疲れた・・・とため息まじりにつぶやく。たかは団扇を受け取り、黙っておすずに風を送った。
「あの人のお墓、光縁寺にあるんや。同じ墓なんて贅沢は言わへん。でも、せめて寺くらいは、なぁ・・・。」
 おすずは独り言のようにつぶやくと、目を閉じた。
たかはなんと答えたら良いのかわからなかった。不意に涙がでそうになり、おすずから目をそらした。
 蝉の声が一段と高まった・・・。



 幾日かが過ぎ、日中はまだまだ真夏だが日が暮れるとわずかながら秋の風が感じられるようになった。夜風に混じって気の早い蟋蟀の声が時々聞こえる。
 おすずは介添えなしに床から起き上がれないほど衰弱していた。ここしばらくは、重湯と白湯程度しか喉を通らなかった。起きているのか眠っているのか、自分でもよくわからない。時間の流れは澱んだ川のようにゆっくりだった。
 その夜は満月だった。障子の隙間から月の白い光が差し込んでいた。おすずは目を覚まし、たかを呼んだ。
「障子、開けて・・・。」
 たかは言われた通り、障子を大きく開けた。おすずがつぶやく。
「綺麗な月や・・・。」
「ほんまに・・・。」
 たかの影が畳の上に黒々と落ちていた。
「襖は閉めとくわ。その方がよう見えるやろ。」
 たかは隣の部屋とを仕切っている襖を閉めた。
 部屋の中はおすず一人。静寂が心地よかった。かすかに蟋蟀の鳴き声が聞こえる。
 ふと思い出したように、おすずは胸元に手をいれ、古いお守り袋を引っ張り出した。力の入らない手で袋の口を開ける。指を差し込み、中身をそっと出した。
 小さく折りたたんだ紙を丁寧に広げていく。黄ばんでところどころに滲みがあるその紙には、大きくしかし行儀の良い筆跡で「明里」と書いてあった。
 山南が唯一残した形見。初めて明里と呼ばれたあの日、字を知らない彼女のために書いてくれた・・・。山南の戸惑うようなぎこちない腕に、初めて抱かれた遠い日の記憶が鮮やかに蘇る。
 おすずはその紙を胸に抱きしめ、目を閉じた。そしてとろとろとまた夢の中に引き込まれていった。

 誰かに呼ばれた気がした。ゆっくりと目を開ける。部屋は月の光で満たされていた。
 障子の前に人影があった。ゆったりと腕を組みながら正座している。
 視界はぼやけていて顔はわからないが、ほっそりした体の線には見覚えがあった。よく知っている影だった。
「・・・先生?」
 おすずは目を凝らした。ゆっくりと焦点が合い、ようやく顔が見えた。
「山南・・・先生・・・。」
 おすずはゆっくりと手を伸ばした。その手を山南の両手が包み込む。いつも微笑んでいるような山南の懐かしい顔・・・。静かに山南が口を開く。
「随分遅くなった。」
 心地よい響きだった。万感の想いが込み上げ、胸が切なく締め付けられる。
おすずは微笑んだ。
「ほんまや・・・。どれだけ待ったか・・・。お陰でえらいおばあちゃんになってしもうたわ。」
 そう言って、体を起こした。山南の手が肩を支え、優しく抱き寄せた。懐かしい、夢にまで見た感触。
 おすずはすがりつくように山南の首に手を回した。
「離さんといて。・・今度こそ離さんといて・・・。」
 唄うようにつぶやきながら、山南を思い切り抱きしめる。山南も優しくおすずを包み込む。
 二つの影が一つになり、おすずの時間は止まった。

 
 軒下の風鈴がささやかな音色で鳴った。
 たかは着物を繕っていた手をふと止めた。襖の方を見る。着物を置くと手を伸ばし、少し襖を開け覗き込んだ。
「おばちゃん?」
 小さく呼びかけてみる。おすずは眠っているようだった。縁側から風がそよそよと吹いてくる。病身には冷たすぎるかもしれない。そう思い、たかは立ち上がり、足音を忍ばせながら中に入った。縁側の障子に手をかける。
 ふと振り返り、おすずを見る。月明かりに照らされたおすずは穏やかな表情で眠っていた。微笑んでいるようだった。なんの夢を見ているのか・・・。
 たかは静かに戸を閉めた・・・。
                               ~終~ 

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11 コメント

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はじめましてです。 (おかめ)
2005-08-11 03:21:42
ちえぞーさん、初めまして。

ある掲示板で、こちらのブログにて、山南さんのお話が読めると伺い、やってきました。



ちえぞーさんは、もしかして時代劇がお好きなのでしょうか、藤沢周平さんや司馬遼太郎さん、などの時代小説もよく読まれて、それでかつ、ちえぞーさんのオリジナリティを感じさせられる作品に仕上がってますね!



昨年の、あの運命の日までのカウントダウンな日々を思い出しました。でも、

読ませていただいて有り難うございました。

これからも、また素敵な作品を書いていってくださいね。

では、また寄らせていただきます。{/hiyo_en2/}
ありがとうございます。 (ちえぞー)
2005-08-11 10:57:12
おかめさま。

 ありがとうございます。ブログに載せるには、長ったらしくて(笑)読みにくいかと思っているのですが、コメントまで残していただいて、とても嬉しいです。

 お察しの通り、私時代劇ファンでございます。もし、時代小説の影響を受けているとしたら恐らく、池波正太郎の影響を一番受けていると思います。(特に食べ物の描写が・・・。)

 また遊びに来てくださいね!
私も某掲示板から (レッド)
2005-08-11 16:58:26
参りました(笑)。

こんにちは、はじめまして。



33話で、果たせないと承知で二人が交わした約束の、ちえぞーさんなりの決着なんですね、これは。

少し違うけれど、『雨月物語』の「菊花の契り」を思い出しました。

33で死んだ山南さんは若くてきれいなままなのに、彼の死後、30年以上を生きたおすずのほうは年老いて病み窶れている、というのは切ないです。



個人的に岡本綺堂などの幽霊話が好きで、

「幽霊でもいいから山南さん、続編に出てきてくれないものかなあ……」

と無理な事を考えておりますので、幽霊で山南さん出してくれて嬉しかったです(笑)。
いらっしゃいませ~。 (ちえぞー)
2005-08-12 09:09:22
レッドさま、よく来てくださいました。

 中国の怪談にも似たようなモノがありまして、老婆と美少年という強烈な組み合わせです(笑)。

 おすず、やっぱりオバアチャンな印象が強いでしょうか?(一応五十代半ばの設定なんですが。)

 まぁ、犬が飼い主の容姿を問わないように、幽霊も相手の容姿は気にしないということで、お許しください(笑)。

 また、お越しくださいね!!

 
短編小説だぁ!凄い! (アクア)
2005-08-13 01:08:20
ちえぞーさんこんばんわ。



>大きくしかし行儀の良い筆跡で・・

このフレーズ,如何にも山南さんの人柄がにじみ出ていてとても気に入りました。



明里さんのその後が余りにリアルすぎて(爆)

オチどうなるんやろうと思っていましたが,私もおすずの様にこの短編小説を読んだ後胸が切なく締め付けられました。去年の今頃,あの二人の小さな恋模様と別れ際に涙したことを

思い出しました。見た目は病み,老いさらばえても心は乙女・生涯現役でありたいものです

長々と失礼しました~。

生涯乙女 (ちえぞー)
2005-08-13 05:09:03
アクアさま、ありがとうございました!



 やっぱり老いさらばえて・・・って、感じですか(爆)?なんか、どうも枯れ木のようなイメージが強いようですねぇ。私の中ではもう少し骨太な「老い」なんですが・・・。これが伝わらないのが素人の表現力の無さ!ですね(笑)。修行します。



 貴女なら生涯現役の乙女も可能ですわ!私の場合、生涯を通じて浪花のおばちゃん!だわね~、きっと。

おほほ。
樫の木 (アクア)
2005-08-14 00:18:38
老いさらばえる・・という表現が余りふさわしくないですね,ごめんなさい。



あの気丈な別れをしたおすずの最後は桜の花が舞い散るというより樫の木が静に朽ちるという感じがしました。うまく感想が書けなくてさるまた失敬です。

でもおすずって気丈なんだけど、肩に力は入っていない。むむむ。

そして乙女な気持だけで生きている訳でもない。色々考えさせられまする。



今頃ですが。 (カノン)
2005-08-15 16:24:06
「約束」読ませていただきました。

33話でとぼとぼと歩いていった明里のその後・・きっと明るく強く健気に生きていったのだろう、と私的には想像していました。

ちえぞーさんの「約束」にその想像を具体的にしていただいたような気がしています。

「光縁寺」に死んだらお骨を・・・山南の最後の書「明里」ぐっと胸がつまりました。

ちえぞーさんの才能がうらやましいです。また次回のちえぞーさんの作られた物語を楽しみにしていますね。ありがとうございました。
ありがとうございます。 (ちえぞー)
2005-08-15 16:44:48
カノンさま

 よくお越しくださいました。その上、過分なお褒めのお言葉・・・。お尻がこそばいです~。



 次回作・・・いつになるやら、当方もさっぱり予想がつきませんが、機会があれば(笑)。堺雅人という俳優さんを頭の中で使って書いてみたいとは思ってます。その時はまた、読んでやってくださいね。
こんにちはー (絵夢)
2009-02-08 18:50:46
初めまして。

最近初めて『新選組!』を観る機会があり、全49話プラス『新選組!!土方歳三 最期の一日』を一週間かけずに一度に観てしまいました。こんなに面白い大河ドラマは久しぶりでした。と言うか、海外に住んでいるのでほとんど日本のドラマ・邦画とは無縁なんです。

山南さんの切腹の第33話では泣かされました。
いろいろNet で検索していたらちえぞーさんのこのブログに当たり、明里のその後を読ませていただき、胸がキュンとしています。
とっても素敵でした。
ありがとうございます。

他の作品もおいおい読ませてくださいね。

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