ベルリン便り

ドイツの大学でドキュメンタリー映画を制作しています。

「顔をなくして 私をみつけた」  Lucy Grealy

2013年10月29日 | 
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(2012年末のメモより)


9歳までは何の問題も無かったルーシー。
ドッチボール中の怪我をきっかけに顎に癌が見つかり、悪性腫瘍を摘出。顔の複製手術、それは数十年に渡り数十回。
彼女は学校のクラスメイトを見渡し、自分と同じ試練を持つ事になったら、ここにいるクラスメイトの一体何人が試練を乗り越える事ができるだろうと、当時の心境を綴っている。

彼女の場合、家族に金銭的余裕があるわけでは無かった。両親に教養があるわけでも無かった。家族の絆が特別に強いわけでは無かった、そして、彼女の事をきっかけに、特別に強くなるわけでも無かった。
絶対的に支えてくれる彼や友達がいなかった。適当にいる、だけれど、彼らは絶対的ではなかったのだ。

子供の頃からこのような情況に身をおく事がどういう事か、多くの方に考えてもらいたい。
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2013年10月29日




PTSD発症時の適切な治療、また、惨事の起こった現場やその後運ばれた病院での早期の会話、当事者の言葉の聞き役。
それら以外に、PTSDには生活衛生(仕事、収入、友人、趣味、ストレスレスで生きられる環境)を整える事を求められている。
PTSDに限らずそれは、こどもの頃、事故によってハンディキャップを持った人たちにも言える。

原爆体験者の証言の整理をしている。
原爆により、体に、心に問題を抱えた人たちが話してくれている。

穏やかに生きれた人達の話として気になったのが、

*宗教とのつながりを持った事で救われた。(ただし、支離滅裂な発言が多く、ここによって救われるのは、新興宗教ではなく一定のルールのある、道理をはずさない場所に限る事を改めて意識。また、無知ゆえにここに関わっている人達、教養があるゆえ、作る側にいる人達を考えた時、やはりあり方を疑っている。清めることが身に付いている人たちや、助け合う事が根にある人たちに対して、尊敬している。大切な事だと思う。自分が無宗教でも、それらは自分に必要な事であり、学ぼうといつも思う。)
*(顔はこんな風ーーケロイドで変形ーーーですけどね)仕事に恵まれた、家族に支えられた、友人に恵まれた、友人に心の底から救ってもらった。
*体(体調)を壊さない事。体が少しでも不安定になると、何もかもを憎み始める。

この3パターン。


大学生の頃、バイト先の社長に「乙武君はすばらしい人です。」といわれた。
そうなんです、彼はすばらしい。とは答えなかった。何も言わなかった。
今思えば、自分の意見を言うべきだった。
(意見をその場、その場で本人に伝える事、その大切さに気づけたのは、ドイツ生活のおかげかもしれない。)
大体の事が彼の最初の著書で分かる。
言うならば、彼の両親はすばらしいと、わたしは言葉にする。
もしも彼の両親がルーシーの両親で、その上で今の彼があるのならば、彼から学べることがあるのかもしれない。


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こういうテーマは、書ける時にゆっくり、でも、ずっと続けます。
上手く言えない、本当に上手く言えないけれど。
勉強しながら、続けます。

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文章にするには、自分に冷静さが欲しいテーマ。
どんどん話てみたいテーマなのだけれど、その為には、このテーマを上手にお話する能力がわたしには必要。
話し方次第で伝わり方が変化するから。

今は言葉足らずだけれど、何度も何度も言葉にして、整理して行きたい。






映画『ピナ・バウシュ 夢の教室』

2013年10月28日 | 映画
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ーー2012年12月のメモよりーー


主人公のジョーを演じる事になった女の子が「いつか全てを受け入れたい。」とカメラの前で言葉にした時、彼女に、この言葉を他者に対して話せる環境があることに、私は安堵した。

「話す事」と「表現する事」が共にある事の重要性を改めて感じた。
世界中の、男の子女の子に観てもらいたい映画。

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3013年10月27日


原題は「Tanzträume」
直訳すると「踊夢」。

ジョーを演じる事になった女の子の存在がわたしにとって特別で。
最近わたしは、何故、「話す事」と「表現する事」が共にある事を重要だと思っているのか、それをドイツ語で具体的に説明しようとしている。
日本とドイツで、精神に対する問題へのアプローチはどのように相似し、どのように異なるのか。
考え始めると取り留めなく続く。




「表現する事」に「話す事」が来る、このような機会を持った、この女の子のような情況にある子どもの場合、どのような変化が生まれてくるのか、今はそのことだけ考えたい。


「夢の教室」という日本語の題だけれど、「夢のような(素敵な)教室」なんていう受け止めかたではなく、
「夢を見ている時みたいな、もう一つの世界にいるあなたをみとめてあげて」
ピナが、そんな事を言っているように感じた。

ピナは自身がダンサーであり、カンパニーを設立し、多くの力のある踊り子達を育てた。
ピナと、この映画の制作者、プロデュ-サーや監督にどのような考えがあったのか、資料があれば読んでみたい。




嬉しい

2013年10月22日 | Weblog


10月20日
街中で、ドイツ人にほめて頂きました。
凄く沢山言葉が並んでいたのですが、
「清く正しく美しい、とても誠実だ。」と。
言葉にしてほめてもらう事って、そうないことで
そしてそれらの言葉は、わたしにとって本当に嬉しい言葉でした。
ありがとうございます。
わたしも恥ずかしがらず、いいなあと思った時、素敵なシーンに出会った時、感動した時...
ちゃんと言葉にしたい。
だって、本当に嬉しかったもの。

10月21日
ずっと欲しかったコート。
大学頑張ってきたし、本格的な冬が来る前に買おうと決めてお店へ。
もう一度サイズを確認しておこうと鏡の前で試着をしていたら、近くにいたおばさまが
「あなたにとても似合っている。」
と、笑顔で声をかけて下さいました。
ありがとうございます。
ああ、このコート、買おうと決めて良かった。

こういうの、すごく好き。

もっと言葉にしよう。
言葉にしてもらった事で、わたしが嬉しかったように、
わたしが言葉にした事で、だれかが嬉しいと思ってくれたら、わたしはとても嬉しい。

さあ、明日は大学に提出する書類を整理するよ。
明日も楽しもう!



光の祭典と共に見た、影

2013年10月20日 | ベルリン

友人に誘ってもらい、開催中3度も足を運んだ光の祭典
わたしはテーマを知らなかったので、楽しいというよりも、お祭り、寒くなりはじめ、クリスマスマルクトまで期間があり、観光客に楽しんでもらうお祭り、その印象が強かった。これ、自家発電なのかな、その事が気になった。
それから、ブランデンブルク門で行なわれていた「ハンガーストライキ」が気になった。
少し前は、慰安婦問題、少し前はシリア情勢のデモだった。
わたしは慰安婦問題のデモをみることが無かったのだけれど、海外で、この問題のデモは、韓国側と、そこにマレーシアやフィリピン等で犠牲になった方が加わっている。ベルリンで行なわれたデモでは、犠牲になった人の数を大きくかかげていたよう。ただしこの大きな数には多くの日本人が含まれている。数をあげて何かを訴えるのは、若松監督の映画を観て、(始まりから、表現方法を間違えているなと思い、その上)最後のテロップでとてもむなしくなった気持ちと似ている。人の命は尊い、数じゃないんだよ。あったという事実、傷ついた人達がいる事実、みんなが目を心を向けなければいけないのはこっち。
シリア情勢のデモは、フィーレ トーテ(直訳すると、沢山の死体とか死人、になる)と参加者が声を張り上げていて、その言葉がぐさぐさと体の奥に届いた。
慰安婦問題、シリア情勢、わたしにとってしんどいのは、時に政治利用されているところ。それは原発問題にも言える。
計算の上で政治利用され始めると、利用される市民が現れる、冷静さを失う市民が現れる。
今回のハンガーストライキは、アフリカからの移民が、ベルリンの移民申請に通らず、ハンガーストライキを通し、移民申請が通るように訴えていた。
彼らの側でわたしはハンガーストライキに対して、ハンガーストライキを反対するハンガーストライキをしようかという声を聞いた。
なんとも言えないなあと思った。
移民申請をし許可のおりた人達がその後、移民先の国で犯罪行為を行なうようになる事はヨーロッパで本当によくあることで。簡単に許可出来ない事も分かる。
これ以上治安を悪くしないでよ、そう言いたい気持ち。国内の自国の人だって犯罪者は犯罪者。だけど、他国の人が犯罪を犯していると、分かりやすい。犯罪者かもしれないから近づかない方がよい、肌の色だけで判断したくなったり、出身を聞いて判断したくなったり。
大抵の事が、サイクルだろうと思う。繋がっている。今ココにある問題に関与している人達はけっこういて。そのことに気づいていない人がまた、けっこういて。
私にはロシア人の親友がいる。イギリス人に、「え、武器輸送者?」と言われた。ジョーダンで言っているのは分かる。分かるけれど、良い大人が使う表現ではない。人としてのありかたを疑った。
ドイツ暮らしが長くなって、以前の街でずいぶんもまれ、これくらいのことには、これくらいのことを言い返していいと思うようになった。
だからわたしは、こう言った。「ヨーロッパの薬物愛好家は、武器のオーナーですね。」

本当にいろんな事が繋がっている。自分が毎日向き合っている事でなければ意識しない事、見えない事が沢山あると思う。
誰かが楽しんでいる今の何かで、誰かが泣いている今の何かがある事に、みんなに気づいてもらいたい。




そこから、ここへ

2013年10月15日 | Weblog
(いまあること、メモ)


作品を作っていると、どうしても、ヘルプを求める事になる。
テーマに扱っているPTSDのこと、戦争のこと。
ドイツ語、技術。
PTSDや戦争のことにたいして情報を集めるのは、自分を見る作業を放置すれば、興味深い事だけ残って行く。
ひっかかりはない。話してくれる人たちは、本気の人たちを好意的に見てくれる、ありがたい。
お互いが求めている事が、上手く繋がってくれているように思う。

ドイツ語の事、技術の事、これらに対してヘルプを求めるのが、けっこうしんどいと感じていた。
どっちの事で相談をしても、PTSDの事、戦争の事をわたしの作品から、テキスト(説明文から)手伝ってくれる方に伝わる。
手伝ってくれる方がそれらのテーマに関心が無いと、いろんな意味でしんどい。
言葉を選ぼうとしはじめ、手伝ってくれる方を選ぶ。
なかなか進まず、結局自分一人だけのレベルで乗り越えようとしてみたり。

これをやっていて、気づいた事がある。
日本人にドイツ語、技術でヘルプを頼んだとき、次にまた相談するのがしんどくなる。上手く言えないけれど、複雑な感情が後にある。相手にもそうさせてしまったのかもしれないと、申し訳なくなったりする。申し訳なくなっているこの情況をどう受け入れていいのか分からなくなる、何故この事でわたしはわたしを攻めているのか、ますます分からない。だから、なるべく日本人を頼らないで済むように動いてみようと思い始める。それでいいとは思っていないけれど、そうしたほうがお互いに、悲しい気持ちを残さないで済むから。
ドイツ人にドイツ語、技術でヘルプを頼むと、ふむふむと、これはどういう事か、や、感情の分析。
以外にさっぱりしていて驚いた。相談するまで、どきどきして、お友達なんですが、ヘルプを求めた事ででぎぐしゃくしたらどうしよう、不安でいっぱいだったのだけど、さすがにもう自分一人で書いたテキストでは、教授も作品に対するアドバイスに、熱い心が失われてしまうような気がして、エイッと勇気を出して相談。それで感じた事が、感情論よりも、現実を見てくれていると言う事。現実に対する対処。
国民性の話をするのはあまり好きじゃない。人だと思う事が、わたしを強くしているようにも思う。それでも、安心したのは事実。
結果がどうなるのかはまだ分からないけれど、ドイツ人をもっと頼ってみたい、最近、そう思っています。


2013年10月09日 | 


今年の花もあとわすか。
もうすぐ寒くて厳しい冬が来る。

冬支度、
数日前から今年の編み物を始めた。
ガーター編みやかのこ編み、初心者の編み方だけれど、
オフフォワイトの柔らかいウール、アルパカ、カシミヤ、アンゴラ、シルクなどの毛糸を選ぶと、
ちょっとしたブランドの商品のようなできばえ。
編んでいる最中も、気持ちがいい。

編み物はいつも、家族や親友にあげたくて、大切な人を思って始める。
(手作りのものは、欲しいと言ってくれ、毎年楽しみにしてくれている親友と、家族に限るのだけど。)
いかにも手作りにならなくて、でも、大切に作った事が、上手に伝わってくれたらと思う。
喜んでもらえるといいなと、贈られる人の事を考える気持ちは、わたしの場合、花をプレゼントする時と、編み物などをプレゼントする時。
人によっては、手料理や手作りのお菓子、ワインやチーズかもしれない。

無理をしないで、自分の能力をいかして、誰かに喜んでもらえる何かを知っていたり持っているって、
素敵な事だなあと思った。

明日は始発の電車で大学だ。
目覚まし、時間を早めなきゃ。
シャンプーは朝が好きだけど、今から済ませよう。

日本の皆さん、
素敵な一日を。






2013年10月05日 | Weblog


いとこのKちゃんが、
「花慧ちゃんがうらやましいって、泣いていたのよ。」

一年ぶりの母との会話の始まりは、こうだった。

わたしが泣きたい。

今まで、ブログに助けてもらった事はあるけれど、
誰も救われない言葉は、自分から生み出さないし、人に渡さない。
ずっとそうやって生きてきた。

羨ましいという言葉は、ネガティブな感情を抜きに、お互いの向上の為に使えないかな?
本人と話せる訳ではないから、本質以外の言葉が私からも一人歩きされたらしんどい。
大好きな母だけれど、「生きる」や「教育」「自立」を考えたとき、彼女との間に距離を作る習慣は、小学生の時から。



言い訳は必要な事だとドイツ人に言われた。
わたしの言分を言葉にすれば、レポート用紙10枚くらいにはすぐになる。
経験してきた事を踏まえ今があるのだから、全部言葉にして伝えようと思えば、一冊の本になる。
タレントでもないし、そんなものは用無しで、専門領域に達しないただの暴露であればわたし自身が求めないので、しない。
かっこいいことを言って、自分の味方を作ったとしても、悲しくなる、
自分で自分を見下して、そのうえでも、頑張ったんだよと言う、声を震わせながら、感情を抑えきれなくなりそうだ。
叫びたい気持ちを、か細い声と関心の無いそぶりで、ごまかそうか。

わたしはあなたがうらやましいよ、
お互い人生変わろうか?
わたしが経験してきた事、全部みてみる?


そんな一時的な言葉は、飲み込むのがいい。
わたしは自分で消化出来る。
今までそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きる。

こんなゴミみたいな人生と5歳の時から思って生きてきたけれど、
わたしの人生ゴミじゃないと思える時まで生きてやる。

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「お互い人生変わろうか?」
と書いたあと、母との電話の日からしばらく引きずっていた感情を消化しつつあるのだろうと感じた。
わたしは私の人生を最後までみたい。
多くの人の思う「美」からかけ離れているけれど、
どこかでこの人生をおもしろがっているわたしがいる。




秋晴れ

2013年10月03日 | 音楽
胸がいっぱいになるような、素敵な秋晴れだった。
こんな天気の日、わたしはかならす、ACOのこの歌を口ずさむ。

リクノリトウ




おすすめの、レンタルビデオ屋さん

2013年10月03日 | ベルリン


Filmkunst


フリードリッヒスハインにある、おすすめのレンタルビデオ屋さん。
インディペンデント系に強い。
カフェスペースもあり、気になる映画をゆっくり探せます。

会員になるには、住民登録を済ませた証明書を持参して。

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Gärtnerstr 19 
10245 Berlin

☎030 20078888

営業時間
Mo - Do: 12:00 - 24:00
Fr - Sa: 12:00 - 1:00
So: 13:00 - 24:00



はな

2013年10月01日 | 


のこぎり草(ヤロウ)

姫金魚草(リナリア)


あとのふたつは何だろう。

日本のサイトとドイツのサイトで探してみたけれど、分からなかった。
ひとつは、(今は蕾だけど開花すると)ガクが丸く膨らんで、ひらひらと繊細な花びら。
もうひとつは、マトカリの芯だけのこったような、マリーゴールドのこぶりの花が、上手に咲けなかったような、
こんな表現だと、ざんねんに思ってしまう、どうしよう、、、
星みたい、ボンボンみたい、たぶんこっちがよい。
いや、ウニにも見えてきた、どうしよう、、、

散歩をしていると、空き地の花畑や、道ばたに咲く色とりどりの草花。
すこしだけ、摘み取った。
 
のこぎり草は宿根草、一度植えたら元気な限り、毎年咲く。その上、こぼれ種からの発芽率がとても高い。
コンポストに入れると分解を手伝ってくれると聞き、日本に居る時、積極的に育て、利用をしていた。
ただし、ロースマリーやカモミールを効能のとおりに利用し効果を得た時のような明確さをわたしはのこぎり草に感じるにいたらなかった。
のこぎり草との関わりは、時間をかけての観察や、データーが必要だと思う。
姫金魚草は秋まきの一年草。
冬に強いとされており、苗の場合、秋に植え、初夏まで楽しむ花として、霜の下りる山間部以外で定着しているように思う。
わたしの田舎の冬では、この花は、霜よけと、気温、日当りと、ある程度の世話が必要になるので、春に苗を植える事が定着している。
冬場のビオラやパンジーの世話と同じ事をしていると、確実にだめになる。
と、冬から夏まで、(ビオラの世話の仕方を知っている人が、一年中咲かせ続けてしまうように、この花もそれが可能なんだけど)楽しんでいた姫金魚草。
こちらでは今の季節の花。そして空き地に沢山咲いているだけあり、園芸花として、苗が店頭に並んでいるのを、まだ見た事がない。
日本でも種から沢山育つ元気な花。
西ヨーロッパのイベリア半島が原産。
ポルトガルもスペインも夏は暑いと聞くが、アジアのような湿度を心配する事がない。
冬の心配も、おそらくないだろう。

ドイツ、それから零下になる日本では冬休む事になるから一年草なのかな。ちょっと気になる。
株の広がりは小さい、背丈も10~20センチくらいと小ぶり。
苗の状態で踊るような姿を見せていなければ、単品で群衆しているように植えるのがすき。