休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

乙訓古墳群を歩く③ ~物集女車塚古墳と淳和天皇火葬塚~

2018-03-22 22:11:30 | 史跡を歩く
 阪急電車を降りて、西へ向かって高級住宅街を抜けていくと、物集女街道に出る。物集女街道を北へ辿っていくと、急に目の前に物集女車塚古墳が現れる。古墳に沿って少し住宅街の中に入っていくと、古墳の一部が擁壁になっている所に、にゅっと突き出した石組みがある。

 

 これが、古墳の石室の排水溝であるとのこと。そばにある説明板によると、現在もこの排水溝は生きているらしい。古代人の技術は凄いものである。

 物集女車塚古墳は古墳公園となって保存されており、この日は、春と秋に行われる物集女車塚古墳の横穴式石室の一般公開の日であった。

 

 ネットとかで見ると予約制と書かれている場合が多いのだが、訪れる人も少なくなってきたのか、特に予約は取っていない様子であった。実際、僕が見学に参加した時、一緒だったのは、おばちゃんの2人組だけだった。内部には向日市の埋蔵文化財センターの職員の方が説明をしてくれた。

 物集女車塚古墳は、6世紀の中ごろに築造されたと考えられる全長45mほどの二段築造の前方後円墳である。

 

 古墳の内部構造としては、片袖式の横穴式石室を持ち、玄室には、組合式家型石棺が残っている。

 

 通常、石室の入り口には鉄扉にカギがかけられて厳重に管理されており、中に入ることはできない。職員の方の案内で、羨道を通って玄室へと入っていく。

 

 羨道の大きさは、羨道長5.8m、幅1.5m、高さ2mとなっており、入り口では少し身をかがめて入らないといけないが、羨道の中は普通に立って歩くことができる。羨道から玄室まで辿っていけて、しかもちゃんと石棺残っているという横穴式石室の醍醐味を十分に味わえる古墳である。 

 玄室は、幅2.8m、高さ3m、玄室長5.1mとなっており、上の方が小さくなる持ち送りの構造になっている。

 

 玄室の中に入ってから、羨道を方を振り返ると、入り口が左側によっていて片袖式であることがよくわかる。

 

 天井には、3つの大きな石が並んでいる。

 

 しかし、考えると石を積み上げていく技術というのは大したものではあるなあとつくづく思う。

 

 床面は、小さい石で敷石となっており、この下を最初に見た排水溝が活躍しているらしい。

 この日は、埋蔵文化財センターの職員の方が石室の内部構造など説明をしてくれたのだが、一緒に入ったおばさま方が突っ込みまくっていて、その印象が強かったため、あまり解説を覚えていない。こういう事もあるんだなあ。

 この物集女車塚古墳は、江戸時代には、平安時代初期の天皇淳和天皇の陵とされたことのあったそうだ。淳和天皇の霊柩車を埋めた場所なので車塚というという話もあったようだ。(ちょっと後付けっぽい。)

 

 ただ、この古墳が6世紀の中ごろに築かれたということ、副葬品等が非常に福井や近江の方の古墳と類似が感じられることから継体天皇の擁立にかかわった人物が埋葬されたのではないかと考えられている。
 この古墳自体は本当にきれいに整備されているし、大事に保存をされている。味わい深い古墳である。

 物集女車塚古墳から少し北に向かうと淳和天皇の火葬塚がある。

 

 淳和天皇は崩御後、この地で火葬され京都の大原野の西山にある小塩山に散骨されたと言われている。その火葬塚であるとされ、現在、宮内庁が管理をしている。
 淳和天皇が歴代天皇で唯一、完璧に墓所を設けなかった天皇であるらしい。「天皇のお葬式」という本によると、どうも、墓所を設けることで、自身が怨霊かすることを防いだのではないかという事である。ただ、火葬をしたあと、その跡地に、方形の壇を設け、周囲に濠を巡らせて火葬塚を作るというのは、淳和天皇の三代後の清和天皇に始まるという話もある。

 

 ちなみに向日市の埋蔵文化財センターの遺跡一覧では、丸塚山古墳と名付けられており、古墳時代の古墳と認識されているようである。

 

 火葬塚の様子は、方形の段に周濠をめぐらしており、火葬塚の形式っぽいが、古墳と言われればそんな気もする。何とも言えないというところではある。ただ、この周辺は、淳和天皇の父、桓武天皇関係の皇妃の墓もいくつかあり、もしかしたら、長岡京が造られたときに、桓武天皇の一族の奥つ城として考えられていたのかもしれない。

 物集女車塚古墳を見学した時に、職員の方がもし、この後どこか行くのだったら天王山の方へ登らはったらいいですよというおすすめの言葉をいただいたので、淳和天皇火葬塚を後にして、そこに行ってみることにした。それはこの後のお話ということで。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 飛鳥寺西方遺跡 平成29年度... | トップ | 大山崎山荘美術館と「漱石と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

史跡を歩く」カテゴリの最新記事