休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

橘寺 ~會津八一歌碑~

2020-01-20 07:27:46 | 文学をたどる

 川原寺跡から南に田んぼの中を歩いていくと橘寺の西門にでる。この辺りは、飛鳥でもまだまだ懐かしい田園風景が残っており、秋には田んぼの畔に彼岸花が真っ赤な花を一面に咲かせている。

 ちょうど、橘寺を訪れた時は、彼岸花が咲いている時期であった。橘寺は、聖徳太子こと厩戸皇子が生誕した場所と伝えられ、厩戸皇子の父、用明天皇の離宮橘宮を寺院に改めたとの伝承がある。

 橘寺の創建については、明らかではないが、日本書紀の天武紀に橘寺の火災についての記載があることから、7世紀の中ごろには創建されていたと考えられている。

 橘寺は、聖徳太子の信仰とともに栄えたが、戦国時代、多武峰の衆徒への焼き討ちなどにより、寺勢は衰えたという。現在の堂宇は、江戸時代末期の建築である。その本堂には、聖徳太子像が本尊として祀られている。

 橘寺の境内の南隅、二面石のある場所の少し奥に、會津八一の真新しい歌碑が建てられている。(歌碑は2012年に建立された。)

 歌碑には、次に歌が刻まれている。

 「くろごま の あき の あがき に ふませたる をか の くさね と なづさひ ぞ こし」

 くろごまは聖徳太子の愛馬と伝えられる馬の名前、聖徳太子の愛馬に乗って、その馬に踏ませたのがこの岡の草であるとなつかしく思うという感じかな。

 ちなみに、この碑文の文字については、直接、この歌を書いた會津八一の筆跡がなかったため、いろいろなところに書かれた八一の筆跡を集めて、作ったもので、そのため、會津八一記念館では、會津八一の碑文とは認められていないらしい。

 写真にはないが、橘寺の境内には黒駒の銅像が本堂の脇に建てられている。聖徳太子の愛馬は、甲斐の黒駒と言われ、遠く甲斐の国で産出される名馬であったと伝えられている。「自注鹿鳴集」の注によれば、聖徳太子と黒駒については、古く「日本書紀」や「万葉集」にも出てくるとのこと。

  

 この日は、白い彼岸花(?)が観音堂の隣に、いっぱい咲いていた。白い彼岸花ってあんまり見ない。珍しいものなのだろうか?秋のこの時期は、境内にいろんな花が咲き誇っていて、綺麗なものである。

 

 最後に、奈良の斑鳩には、聖徳太子の愛馬黒駒のお墓と伝えられる古墳がある。

 

 聖徳太子の伝説の幅の広さを感じる遺跡である。 


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