ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

トップは、フレーム・ワークを示せ!

2010-08-30 20:49:29 | 政治
日本では、首相を決めることになる、民主党の代表選挙がまもなく行われますが、誰が代表になり、どんな組閣を行うことになるのでしょうか。直接選挙ではないので、党員・サポーターではない国民は、ただ見守るしかありませんが、ぜひ政権交代へ込めた多くの国民の夢・希望を形にしていってほしいものです。

その点、フランスの大統領は直接選挙によって5年ごとに選ばれますから、国民の声が直接的に反映されやすいですね。同じ大統領の続投を望むのか、あるいは大統領を交代させたいのか・・・最終的には大統領選挙でその声が集約されるわけですが、事前の世論調査も、その時点その時点での大統領に対する国民の評価を表してくれます。この点は、日本の世論調査も同じですね。小沢内閣になった場合、支持率0%とか3%とかからのスタートになる、と予想する人もいて、これはこれで従来にないカタチで、語弊はありますが、面白い。

さて、サルコジ大統領の支持率ですが、就任当時はスタートダッシュよく、かなりの支持率を集めたのですが、息切れが早く、ここしばらくは30%前後とフランス大統領としては低空飛行が続いています。

しかも、もし今大統領選挙が行われたとしたら、あなたは誰に投票しますか、という質問に対しては、サルコジ陣営がさらにショックを受ける結果になっています。大統領選挙をはじめフランスの選挙では、第1回投票で過半数を制した候補者がいない場合、上位2名による決選投票が行われ、その勝者が当選となります。大統領選挙の場合、候補者が多く、票がある程度割れるため、通常は政権与党の候補者と野党第1党の候補者による決選投票になります(例外は、2002年の選挙で、野党第1党の社会党候補・ジョスパン氏が極右・国民戦線のル・ペン氏の後塵を拝し、決選投票に進めませんでした)。

決選投票が現職のサルコジ大統領vs社会党候補になった場合、現状ではどうなるか・・・25日のル・モンド(電子版)が紹介しています。TNS=Sofresによる世論調査によると、その社会党候補が、現在IMF専務理事を務めているストロス=カーン氏(Dominique Strauss-Kahn)の場合は、59%対41%でストロス=カーン氏の圧勝。社会党第一書記のオブリ―女史(Martine Aubry)の場合は、53%対47%でオブリー女史の勝利! 

後者の場合、接戦のように思えますが、投票数ではかなりの差になります。2007年大統領選の結果が、ちょうど53%対47%でした。勝ったサルコジ現大統領と破れた社会党・セゴレーヌ女史の得票数の差は220万票。けっこうな差ですね。現状では、サルコジ大統領に再選の目はない!

もうひとつ別の調査によると・・・Ipsosによる調査ですが、次の大統領選挙に、サルコジ大統領が立候補することを希望するかという質問に対しては、62%の調査対象者が、望まない、と答えています。しかも、もし立候補した場合、勝利するだろうと予測するのはわずか38%で、敗れるだろうと思っているのは57%。この調査でも、勝ち目はない!

こうした調査結果に対し、専門家は、サルコジ大統領にとって足枷となっているのは、その示威的な態度に対する有権者の異常なまでの嫌悪感だ、と述べています。横柄な言葉使い、派手なパフォーマンスが反感を買っているというわけですね。専門家はさらに続けて、他の欧州諸国に比べて、フランスは経済危機にうまく対処しているのだが、今フランスが直面しているのは、モラルの危機だ。そしてこのモラルの危機をもたらしているのが、サルコジ大統領自身だ。たとえば、治安や移民に対する政策、特に国連からヴァチカンまでが激しく非難した、最近のロマの国外追放、そして年金受給開始年齢の引き上げを含む退職制度改革など・・・

もうひとつ別の調査、IFOPの世論調査によると、世論は治安や退職制度に関する現政権の政策に必ずしも反対ではないが、富裕層を優遇する不公平な政策を遂行する現政権とは一線を画したい! 最近では、べタンクール事件がありましたね。富裕層の、富裕層による、富裕層のための政治・・・

弱者、特に移民や高齢者を切り捨てようとしていると現政権を非難する人々。一部金持ち層が自分たちにとって都合のよい政治をしているのはけしからんと怒っている人々。日本にも、同じような思いを抱く国民が多くいるのではないでしょうか。世界同時進行の「気持ち」なのかもしれませんね。「時代」が政治家を生み、育てるのでしょうか。

こうした状況を打破するためにサルコジ大統領がすべきことは・・・専門家曰く、10月に内閣改造を予定しているが、これだけで支持率が回復できるわけではない。もっと大切なことは、任期の切れる2012年春までの、サルコジ政治のロード・マップを示すことだ。ニコラ・サルコジは、難問に直面した際、果敢に挑戦し、解決しようとすることには長けているが、場当たり的で、確かな将来計画を提示できない。これが問題だ。

ロード・マップ、あるいは計画のフレーム・ワークを提示することに長けているのがフランス人だと思っていたのですが、サルコジ大統領は、そこが弱点。長所は、その場その場で目先の難問に果敢に挑戦し、解決していくこと。これでは、まるで、日本人・・・急に、親近感がわいてきてしまいますが、フランス人にとっては、トップにはふさわしくないと思えるのでしょうね。野におけ、ニコラ・サルコジ、なのでしょうか。それでも、花を咲かせるだけ、永田町という別世界でふらふらしている人たちよりは、立派なのかもしれません。

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弱きもの、汝の名はオトコなり。

2010-08-29 18:50:19 | 社会
シェークスピアの代表作のひとつ『ハムレット』、その第1幕第2場にあるセリフ、「弱きもの、汝の名は女なり」。しかし、今日では、「女」を「男」に言い換えるべき場合も多々あるようです。例えば・・・

26日フィガロ紙(電子版)が伝えているのは、家庭内暴力の被害者に男がふえている!

軽犯罪監督局とでも訳するのでしょうか、“l'Observatoire national de la délinquance”(OND)という組織によると、フランス国内で2008年に家庭内暴力(身体的、あるいは精神的)の被害者になった男性は11万人。そのうち27人が死亡しています。この数字は家庭内暴力の被害者となり、死亡した女性157人に比べれば、まだまだ少ないのですが、家庭内暴力の被害者として訴え出る男性が少ないことを考慮すると、無視できる数字ではない、とのことです。

確かに、男が家庭内暴力の被害者なんですと訴え出るには勇気がいるのでしょうね。しかも、警察に相談したところで、二人に一人は、なに、男が家庭内暴力の被害者だって、バカも休み休み言え、とばかりに鼻であしらわれておしまいだそうです。さらに、どうしても裁判に訴えようとしても、4件に3件は受け付けてくれないそうです。従って、加害者である女性が取り調べられたりすることもない・・・警察や検察に見放される、男性被害者たち! 

立場が逆で、女性が訴えれば、加害者とみられる男性はすぐ拘留され、裁判の結果もそれ相当なものになる・・・男女平等を!

家庭内暴力の被害者となっている男性を救おうと、“SOS homes battus”(SOS打擲された男たち)という団体が2008年に創立され、被害者救済の講演会を開いたり、電話相談を行ったりしているそうです。ドイツ、アメリカ、スイスでは、家庭内暴力の被害者になった男性を受け入れる施設(DVシェルター)もすでにあるとか。それだけ被害者の男性が多いということなのか、行政、あるいは社会の反応が早いというべきか。

実は日本でも、DVの男性被害者は多いそうですよ。2005年の調査で、DVの被害を受けたことがあるという女性は33.2%なのに対し、男性でも17.4%がDV被害を経験している。6人に一人です! しかし、男性被害者にはまだ救済の手は差し伸べられていない。DVの女性被害者を受け入れる施設に相談に行こうものなら、女性の敵、男、とばかりに白眼視されておしまいだとか・・・日本男性にも、救いの手を!

再びフィガロ紙の記事ですが、DVの加害者になる女性にはある程度共通する傾向がみられるそうです。子供の頃、気まぐれで、何かほしいものがあると、手に入るまで怒ったり泣き叫んでいた少女。家庭環境としては、父親が暴力を振るっていたり、母親がすべてを差配しているような家庭で育った女性がDVの加害者になることが多いそうです。子は親の背中を見て育つ、なのでしょうか。あるいは、DNAに書き込まれてしまっているのでしょうか。こうした女性が成長するに従い、DVの芽が出始める。特に最初の子供を産んでからは、一機にその傾向が顕著になるそうです。母は強し・・・夫(男性のパートナー)に対してまで、強くなりすぎてしまう!

しかも、年齢とともに、この傾向は強くなっていく。最近では、70歳を超えた男性が、DVで激しい暴力の被害にあったそうです。それは高齢ゆえに女性が気難しくなったのではなく、少なくとも25年以上前から長年にわたってDVの傾向があったと思われるケースが多いそうです。定年後は、「濡れ落ち葉」どころではなく、DVの被害者に・・・男の哀れな末路!

そして、DVの被害者になる男性にも共通項が。自信がなく、いつも受け身で、女性の尻に敷かれている。妻(女性のパートナー)の気まぐれにはすぐに譲歩し、決して対立しようとしない・・・みなさん、大丈夫ですか。こうした男性といると、女性はますますDVの傾向を強める、つまり悪循環にはまっていくそうです。

草食系男子に、肉食系女子・・・近い将来、DV被害に悩む男性が一気にふえてくるかもしれない!? 早めの対策が必要ではないでしょうか。でも、霞が関や永田町はまだまだ男性中心の世界。近頃の男は意気地がない。しっかりしろ、と尻を蹴られておしまいかもしれないですね。
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スーパーへの不満、高まる。

2010-08-28 19:38:15 | 社会
世界で一番うるさい消費者と言われる、日本人。そうした客を相手にしているだけに、日本の流通の客対応はとても丁寧。しかし、世界中どこでも同じだと思うと・・・15年も前ですが、中国に住み始めた頃は、スーパーではお釣りを投げて寄こしました。商品について、何か聞いても、そんなもの知るか! 今ではかなり変わったのでしょうが、当時は、商品を売ってやっている、という対応でした。アメリカは、やはりお国柄でしょうか、やたらとフレンドリーな店員が多い。馴染みの客とは、ハーイ、ジョン、元気? 客と言うよりは、友達。日本では、「お客様は神様」。ちょっと度を超しているのではないか、と思ってしまうこともありますが。

さて、フランスの流通は・・・流通での顧客満足度を調べるために、“Que choisir”(ク・ショワジール:何を選ぶか)という調査が毎月行われているそうです。その9月公表分の概略を24日のフィガロ紙が紹介しています。

ワンストップ・ショッピングで様々な商品が買えて便利だと、1960年代に一気に拡大したスーパーマーケット。しかし、もはやかつての人気は消えうせ、多くの不満が寄せられているとか。

サービス全体の顧客満足度では、新顔の“Grand Frais”が95.6%でトップ。続いて“Hyper U”“Leclerc”“Auchan”。店舗数が大きく、知名度の高い“Carrefour”“Franprix”はそれぞれ76.4%、75%と合格ラインぎりぎり。

項目別では、不満の最も多かったのが、値札。調査対象者10人のうち4人が不満を表明したそうです。“Carrefour”に関しては46%の人が不満足。商品についている値札や棚についている値札の数字が読みにくい、棚の値札と商品が合っていない、あるいは、商品の価格が棚に表示されていない、キロ単位の価格が小さい文字で読みにくい・・・こういった問題は、日本のスーパーでも散見されますね。

次は、プロモーションに関する不満。大きなチェーン店ほどよくプロモーションを行いますが、消費者のほうは、食傷気味。この10年でプロモーションの数は倍増し、プロモーションによる売り上げが店舗全体の売り上げの20%を占めるようになっているそうです。特に精肉部門は35%、シャンプーに至っては65%がプロモーションによる売り上げ。プロモーションをやらないと、売れない! しかし、プロモーションの中には、商品を含め、玉石混交。結果として、消費者の不信感を買ってしまうこともあるとか。

広告に関する不満で多いのは、数量限定の安売りで、その数量があまりに少ない。朝一で行っても、もう売り切れていることがある! 日本でもあることですね。チラシにレタス1個いくら、と書いてあっても、どこかに「数に限りがございます。売り切れの場合はご容赦ください」といった註が小さく書き添えてある。あるいは、先着50名様に感謝価格でご提供、とうたってあっても、実際には半分くらいの数で終わってしまっても消費者には分からない。

ところで、フランス人の広告不信は、かなりのものです。広告は消費者をだまそうとしている、というのが基本的なスタンスではないかと思えるほど。また、特にテレビCMですが、広告が文化をダメにしてしまっている、という批判もよく聞きます。CMがなければ、番組自体の時間がふえ、その分しっかりとした内容の番組になるはずだ。あるいは、広告の表現レベルが低すぎる、目にする人間の美的センスに悪影響がある・・・どうも、広告、流通、不動産といった業種は、フランス人、特にインテリ層からは胡散臭く見られているようです。

次は、ポイント・カード(la carte de fidélité)。店ごとにシステムが違うので、面倒だという意見も多く、50%の人が不満を表明。とくに、“Monoprix”のポイント・カードについては60%、“Spar”に対しては73%が不満に思っているとか。そこで、調査レポートは、消費者側もポイント・カードの目的を理解しておくことが必要だと述べています。その目的とは、どの顧客がどのような商品を買う傾向があるかを情報として店側がつかむためのもので、その情報に基づいて、プロモーションの案内などを効率よくターゲットの伝えることができる、ということだそうですが、やはり基本は、顧客の囲い込みなのではないでしょうか。ポイントを集めれば何らかのメリットがある。それを得るためには、ポイントを集めなければいけない。結果として、同じ店で買い物をする。一見の客ではなく、顧客になっていくわけですね。

陳列についても、不満が出ているそうです。ディスカウント品の展示場所が分かりにくい!ディスカウント品に限らず、店内の案内表示が少ない、あるいは分かりにくいという不満を多くの人が持っているようです。また、動線にも問題あり、という意見も出ています。しかし、動線は客にとっては不便でも、そこが店側の狙い目ですからね。余分に店内を回遊させて、来店目的ではない商品も買ってもらおう! 日本のショッピング・モールやデパートで見かけられるエスカレータの不便さも同じですね。一気には登っていかない。フロアごとに反対側に回らなくてはいけない。これは、反対側に歩いて回る間に、何か目につけば、余分に買ってもらえるのではないか、という店側の魂胆ですね。

品質と価格の関係。コスト・パフォーマンスがいいかどうかですが、この点に関しては、ディスカウント・ショップの評価が高く、逆にコンビニ(supérette)への不満が大きい。これは、業態の差で仕方ないのでしょうね。日本でも、コンビニは高いですよね。その分便利。便利さを買うと思うしかないのでしょうね。

最後は、店員について。ディスカウント・ショップや“Franprix”の店員についての不満が大きいそうです。確かに、社員教育なんかやってないような気がしますね。満足度が高いのは、“Système U”“Auchan”“Cora”だそうです。

流通への不満、日本とはさして違わないですね。そして、お気づきだと思いますが、流通の数の多いこと。“Grand Frais”“Hyper U”“Leclerc”“Auchan”“Carrefour”“Franprix” “Monoprix”“Spar” “Système U”“Cora”・・・今でも多くの市場(マルシェ:marché)が街角に立ちますが、同時に、多くの流通が出店している。スーパー、ハイパー、コンビニ、ディスカウント・ショップ。しかも、古くからの市場と新しい流通がうまく共存している。決してシャッター街になったりしない。新しいものへ全員が殺到、猪突猛進するのではなく、古いものを愛する人もいれば、新旧をうまく使いこなす人もいる。もちろん、新しいものが大好きな人もいる。「個」を尊重する姿勢が、買い物にも表れているのかもしれないですね。
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フランス文学も、新学期だ!

2010-08-27 20:24:59 | 文化
フランスの新学年は、秋に始まります。“la rentrée”と言いますが、ヴァカンスが終わって、教育の現場だけでなく、さまざまな分野で新しい年度、新しいシーズンが始まります。政治も、学校も、サッカーも、そして、出版界も。

日本では、一年中、絶えず新しい本が出版されているような気がしますが、フランスでは、8月中旬から10月にかけて、ほとんどの本が一気に発売されます。今年は、8月12日から10月29日までの間に、701冊の新刊書は店頭に並びます。ここ3年ほどは、経済危機の影響で購買力が落ちていたせいでしょうか、発行部数も減ったそうです。昨年は659冊。今年は回復してきて、700冊超え。そのうちの497冊が文学書だとか。文学書の発行部数も昨年比で13.4%の増加。

活況を取り戻し始めた出版界ですが、今年の新刊、その内容も充実しているそうです。19日のル・モンド(電子版)が小説を中心にラインナップを紹介しています。

まずは、ル・モンドの一押しから・・・

・“La Carte et le territoire” Michel Houellebecq
・“Apocalypse Bébé” Virginie Despentes
・“Ouragan” Laurent Gaudé
・“L’Enquête” Philippe Claudel
・“Imitation” Alain Fleischer
・“L'Isomnie des étoiles” Marc Dugain
・“Demain j'aurai vingt ans” Alain Mabanckou
・“Des éclairs” Jean Echenoz
・“Le Testament d'Olympe” Chantal Thomas
・“L'amour est une île” Claudie Gallay

以上がお薦めトップ・テンなんだそうですが、個人的には、『灰色の魂』のフィリップ・クローデルの新作、多くの自殺者に直面する企業の内部を描いた“L'Enquête”、『スコルタの太陽』のローラン・ゴデの新作“Ouragan”に期待したいと思います。

こうしたお薦め以外にも、レベルの高い作品が多い今年の新作。その中には、いくつかの傾向が見て取れるそうです。

まずは、外国を舞台にした作品が多いこと。その中でも、我らが日本を舞台にした作品が目を引くそうです。
・“Passé sous silence” Alice Ferney
・“Le Coeur régulier” Olivier Adam
・“Nagasaki” Eric Faye
・“Sympathie pour le fantôme” Michaël Ferrier
なんと、4冊も!

先日の「ジャパン・エクスポ」での熱狂でも分かるように、フランス人、特に若い人たちの日本への関心は非常に高い。一般的には、マンガ、アニメ、オタクといった、いわゆるサブカルチャーや、寿司、ラーメンなどを中心とした日本食への関心が強いのですが、それらをきっかけに、日本の経済や社会、政治などについての勉強を始めている学生も多くいます。立場が逆転してしまったようですね。わたしが学生だったころは、日本のフランスに対する片思い。文化と言えば、フランス。文学、哲学、映画、絵画、彫刻、音楽、食・・・フランス語を学ぶ人も多くいましたが、今では中国語、韓国語に圧倒され、店頭に並ぶNHKの語学講座のテキストでも、フランス語ははじめから少ない。今日では、フランスと言えば、ほとんどグルメとファッションだけ。雑誌は、相変わらず、絵に描いたようなパリジェンヌのおしゃれな暮らしを描いていますので、それを信じる一部女性の間には根強いフランス・ファンがいるようですが、その分広がりに欠けてしまっていますね。フランスの日本への片思いになってきつつあるのかもしれません。

日本以外では、チベット、ニューヨーク、エジプト、ハイチを舞台にした作品が見られるそうですが、4冊も同時に登場するのは日本だけです。

そのほかの傾向としては、まず、社会問題にコミットした作品群。お勧めに入っているフィリップ・クローデルの自殺の多発する企業(かつてのフランス・テレコム、現在のオランジュがモデルでしょうか?)の内部を描いた作品や、経済危機によりいっそう進む企業内リストラとそれに翻弄される社員たちを描いた作品、そして社会全体で増える自殺をテーマにした作品。さらには、移民、親の取り決めた相手との強制的な結婚、一夫多妻制など、最近のフランス社会を揺るがす問題も、取り上げられているとか。そして、避けて通れないのが、家族の問題。片親家族、再婚同士の家族・・・さまざまな形の家族が増えています。まさに、時代を映し出す鏡ですね。

次の特徴は、今もトラウマとなっている20世紀の事件について取り上げていることです。スペイン内戦、第二次大戦、アルジェリア戦争、9・11・・・また世代について語っている作品も多く、60~70年代を取り上げた作品や、80年代、90年代にそれぞれスポットを当てた作品も出版されるそうです。

アートや美術史も、フィクションとして登場します。テーマとして取り上げられている芸術家は、ミケランジェロやアンリ・ファンタン=ラトゥール、映画の世界からはマリリン・モンロー、トリュフォー、ヒッチコック。

そして、忘れてはいけないのが、恋愛小説。不倫の苦悩、離別、欲望・・・恋愛の本場だけあって、多くの作品がさまざまな恋愛を描いているそうです。

というわけで、今年もフランス文学は百花繚乱。原書で読むもよし、翻訳が出るのを待って読むもよし。ただ心配なのは、日本でフランス文学の本が売れないと、翻訳される点数も減ってしまう。フランス文学が衰退したのではなく、日本人のフランスへの関心が減少しただけなのですが、いっそう遠い世界になってしまいそうです。せっかく素晴らしい文学の地平が広がっているのですから、少しでも多くのフランス文学作品を、日本語でも味わいたいものですね。「ふらんすへ行きたしと思えど、ふらんすはあまりにとおし」と詠ったのは萩原朔太郎でしたが、21世紀のフランスは日本人にとって、観光を除けば、遠くて遠い国になってしまいそうで、残念です。
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フランス式社内恋愛。

2010-08-26 19:56:50 | 社会
『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著)からの引用を二つ。

●浮気現場にて
会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするのだろうか?
 アメリカ人は、男を射殺した。
 ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
 フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
 日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

●無人島にて
 ある時、大型客船が沈没し、それぞれ男二人と女一人という組合せで、各国に人々が無人島へと流れ着いた。それから、その島ではいったい何が起こっただろうか?
 イタリア人・・男二人が女をめぐって争い続けた。
 ドイツ人・・・女は一人の男と結婚し、もう一人の男が戸籍係を務めた。
 フランス人・・女は男の一人と結婚し、もう一人の男と浮気した。
 アメリカ人・・女は男の一人と結婚して子どもも生まれたが、その後に離婚し、親権を争うためにもう一人の男に弁護士役を頼んだ。
 日本人・・・・男二人は、女をどう扱ったらよいか、トウキョウの本社に携帯電話で聞いた。
 (一部略)

ということで、恋多きフランス人、好色フランス人、好きものフランス人というイメージは、世界各国で共有されているようなのですが、では、職場ではどうなのでしょうか。所構わずなのか、やはり職場はちょっと、なのか・・・

20日のル・モンド(電子版)です。見出しは、“L'amour au travail, exercice de haute voltige”(職場の恋は、綱渡り)。オフィス・ラブはするものの、そこには危険も潜んでいる、ということでしょうか。

フランスには“les lois Auroux de 1982”(1982年のオロー法)という法律があります。1982年に成立した法律で、オローとはこの法律を成立させた、時の労働大臣Jean Aurouxの名。フランスでは提案者、あるいは成立へ向けて中心的役割をした人の名前を法律に冠していますが、責任が後世まではっきりしていて、いいアイディアですね。日本でも導入したらどうでしょうか。いい加減な法律が減るかもしれません。でも、責任を取りたがらない国会議員が多くては、成立しませんね。

さて、この法律の内容ですが、「企業は、雇用者に社内恋愛を禁じることはできない。また社内恋愛を理由に転勤を命じたり、解雇を行うことはできない」・・・社内恋愛を公にはせず、しかも勤務時間外に行うなら、みんなが帰ったオフィスのソファーの上で愛し合おうが、空いている会議室で抱き合おうが、エレベーターの中でキスをしようが、問題にはならない。もし、勤務時間中に仲睦まじくしている現場を管理職に見つけられたとしても、咎められるのは社内恋愛それ自体ではなく、勤務時間中にさぼっていたこと。

ということで、社内恋愛は公認されているようです。企業も、社員同士の出会いの場を提供しようと、パーティ、懇親会、セミナーなどを開催しているそうです・・・これは、意外。そう思いませんか。フランス人は一般的に、個人主義で、公と私の間に明確な線を引いていると思い込んでいましたが、会社が社員のためにこのような福祉を行っているとは!

こうした法律や企業の後押しがあるからでしょうか、フランス人カップルの30%は、職場が出会いの場だったそうです。同じ企業に勤めているわけですから、学歴や趣味など共通するバックグランドも多い。しかも、職場ではみんな自分をよく見せようとしますから、簡単に惹かれ合ってしまう。その分、後でがっかり、ということもあるのでしょうが。

社内恋愛には、カップルにまで発展するケースだけではなく、ほんのひと時のアバンチュールも、もちろんあるそうです。そうしたアバンチュールも含めて有利な立場にあるのが、管理職。いわば、勝者の魅力でしょうか(la théorie du “je réussis donc je séduis)。社員同士の性的関係、その80%は40%の社員によって独占されているとか。管理職や指導的立場であると、その40%に入りやすいそうです。しかし、だからと言って社長である必要まではないそうです。

また、同僚とのアバンチュールを夢想しているサラリーマン(男女)は50%。しかし、上記のように全員が全員実際に享受できるわけではありません。ラッキーな人は7年に一度くらいの割で、いい思いをしているとか・・・これらの数字、はたして、多いのか、少ないのか? どう思われますか。

もちろん、社内恋愛には危険もつきもの。例えば、出張先で、女性の上司と関係を持った。その後、自分だけが昇給した・・・性的関係による、依怙贔屓。昇給の理由が分かったなら、同僚たちの態度がどう変わるか不安だ、と悩むケースもあったそうですが、専門家によると、こうした場合、問題視されるのは上司の方で、部下を平等に扱わなければいけないという原則に反しており、他の部下たちは、同等の昇給か他の待遇改善を求めて労働裁判所に提訴できるそうです。

また、社内恋愛から、めでたくゴールインしたとしても、夫婦間のいざこざや離婚によるトラブルを職場に持ち込んだりすると、職場の労働環境を乱したとして、解雇される場合もあるそうです。しかし、この場合でも、結果はともかく、労働裁判所に訴えることは可能だとか。

ということなのですが、果たしてフランス人はお盛んなのかどうか・・・日本人とあまり変わらないような気もしてしまいます。日本人も、それなりに頑張ってきた。しかし、秘すれば花。こっそり頑張っていた・・・かどうか、しかし、すくなくとも社内恋愛に関しては、大差ないような気がしてしまいます。それ以外では・・・皆さんのご判断にお任せします。
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フィガロの応援。

2010-08-25 20:02:44 | 社会
フィガロと言えば、『フィガロの結婚』。オリジナルは1784年刊、ボーマルシェ(Beaumarchais)の戯曲『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』(La Folle journée, ou le Mariage de Figaro)ですが、一般的には1786年にパリで初演されたモーツァルト作曲のオペラ『フィガロの結婚』(Le nozze di Figaro)として有名ですね。機知縦横のフィガロが貴族をやりこめ、笑いのめす喜劇。そのため、芝居の上演を禁じられたこともあったという作品です。

このフィガロにちなんだ名前の新聞が、“Le Figaro”。1826年創刊だそうです。フィガロに因んだくらいですから、反権力を基本姿勢としていたのかもしれませんが、今日では、中道右派から右派に支持される保守的新聞とみなされています。主要購読者層も、管理職や高齢者。朝はフィガロ紙を読み、夜は夕刊紙のル・モンド紙を読むという姿が、有力企業の管理職や高級官僚たちの間によく見られるとか。

この新聞、発行部数はおよそ30万部。購読者層が限られているから部数も少ない、というわけではなく、フランスの主要新聞の発行部数はどこもこんな程度。日本のように、公称ですが、1,000万部とか800万部という新聞はありません。

では、フランス人は、どうやって情報を入手しているのか・・・テレビやラジオ。何しろ、聴視料(Redevance Audiovosuelle)として毎年116ユーロ払っているのだから、しっかり活用しなくちゃ、という気持ちもあるのでしょう。しかも、フランスでは基本的に宅配がない。キオスクまで買いに行くのも面倒だし・・・さらには、政治・経済に関する論説を中心とした硬派の週刊誌が多く、よく読まれています。週刊誌と言っても、芸能・スポーツ・スキャンダル中心の雑誌が多い日本とは、かなり違いますね。

さて、さて、このフィガロ紙が、日本をちょっと応援してくれているとも読める記事が、16日の電子版に出ていました。『フィガロの結婚』ならぬ、「フィガロの応援」です。そのテーマは、今年第二四半期のGDP、日本は世界第2位の地位を中国に譲った・・・

経済危機が多くの主要国に重大な影響を与えているが、その中にあって中国は驚異的な経済成長を維持している。去年の年間GDP(フランス語では、PIB:Produit Intérieur Brut)は対前年比8.7%の成長で、4兆9,800億ドルに達したが、5兆70億ドルの日本の後塵をわずかに拝した。しかし、この8月、中国の外貨管理局は、中国はすでに世界第2位の経済大国になったと発表。これに対し、日本政府は、今年上半期の名目GDPはわずかだが日本のほうが上回っている、と反論した。日本の名目GDPは2兆5,781億ドル。一方の中国は、2兆5,325億ドル。

だが、高度成長を続ける中国の経済力は、認めざるを得ない。今年の第二四半期(4月~6月)だけを取り上げれば、日本の1兆2,883億ドルに対し、中国は1兆3,369億ドル。ついに中国の経済力が日本を追い抜いた。

成長率があまりに違うので、中国が日本を追い抜くのは時間の問題でしかなかった。第二四半期の成長率を年換算すると、中国は9.5%。日本は・・・0.4%。日本のこの予想を下回る低成長率は、円高により輸出が落ち込んだことがその主な要因だ。

今年、世界第二位の経済大国の地位は中国によって日本から奪われることになるだろうが、GDP per capita(国民一人当たり国内総生産:PIB par habitant)にはまだまだ大きな差がある。1億3,000万弱の人口の日本と、13億を超える人口を抱える中国のGDPがほぼ同じなら、一人あたりでは、中国は日本の10分の1。国民一人一人を見れば、日本人のほうが中国人の10倍金持ということになる・・・こう応援してくれています。下を向くことはない。日本人の暮らしは、まだまだ十分に豊かだ!

フィガロ紙はさらに続けて、日本は1960年代・70年代の驚異的な経済成長の後も、インフラの整備と国民生活の改善に努めてきた。その結果、2009年の人間開発指数は183か国中10位だった。この指数には、平均寿命、識字率、生活レベルなどが反映されている。しかるに、中国は、92位・・・国としての経済力では抜かれても、国民の生活レベルにはまだまだ大きな差がある。日本人の暮らしは、まだまだ捨てたものではない。こんなふうに、勇気づけられそうですね。「メルシー、フィガロ」、ですね。

ところで、別のデータも日本の優位を伝えています。
「2010年8月16日、米誌ニューズウィークが選んだ『世界最高の国』(The World’s Best Countries)ランキングによると、中国は100か国中59位だった。環球時報が伝えた。
 同誌は「教育」「健康」「生活の質」「経済競争力」「政治環境」の5方面を採点し、ランク付けを行った。トップ3はフィンランド、スイス、スウェーデン。アジアの最高は日本の9位で、韓国が15位、中国は59位だった。米国はトップ10を逃し、11位にとどまった。」 (8月19日:Record China)

ところが、アメリカから冷水を掛けられるようなデータが・・・
 「訪問客にとって日本は依然として裕福な国に見えるだろう。しかし、相対的な凋落は著しい。ヘリテージ財団のデレク・シザーズ氏によると、日本の個人所得は今では世界の40位付近だ。日本人の平均所得は(米国で最も貧しい)ミシシッピ州の住民よりも少ない。失われた世代が事態を悪化させている。」 (8月18日:ウォール・ストリート・ジャーナル)

どのようなデータを使うか、社会のどこを見るかで、その国の見え方も異なってくるのでしょうね。例えば年収にしても、2007年、日本の民間企業に勤めるサラリーマンの平均は434万円、上場企業だけに絞れば589万円、国家公務員は662万円、地方公務員に至っては728万円。しかし、派遣やアルバイトで生計を立てている人たちの収入は? 路上生活者や生活保護世帯も増えている・・・

いずれにせよ、さまざまなデータ、意見が出てくることでしょう。肝心なことは、私たち日本国民一人一人が幸せを実感できるようになることですね。政治、経済、社会・・・黙っているだけでは良くならないことだけは確かですよね。
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学生二題。

2010-08-24 20:41:09 | 社会
日本の歌で有名なのは、『学生時代』(いつも古くて、スミマセン)。ペギー葉山さんですね。ここでは、ちょっとなまって、「学生二題」。フランスの学生・学校に関する話題を二つご紹介しましょう。


・大学は、勉強するところ!

日本では、レジャーランドと化したと以前よく言われていた大学。今では就職予備校の様を呈しているようですが、それでも、大学を卒業するには、それなりに勉強はしていますよね。では、その授業期間は? 前後期制の場合、それぞれ4カ月、年間8カ月、といったところが一般的なのではないでしょうか。ネットで見つけたある私大の場合、春学期が4月1日から7月31日、秋学期が9月21日から1月31日(年末年始の休み含む)。ということで、やはり8カ月ですね。もちろん、ゴールデンウィークなどの休日も含まれますから、実質的には7カ月くらいでしょうか。

では、フランスでは? 今までは9カ月だったのですが、この9月の新年度から、10か月になったそうです。9月から6月まで。ただ、もちろん、さまざまな休暇や秋学期と春学期の間の休みなどがありますから、実質的には、30週ちょっとではないでしょうか。およそ8カ月。

その期間、学生はよく勉強します。せざるを得ない、というのが実情かも知れませんが。簡単には進級させてくれない。フランスでは義務教育でも、落第がよくあります。良く分かっていないのに、その先を勉強させても、分かるはずがない。しっかり理解してから進級すればいい。分かったふりしても、かえって時間の無駄だ。急がば回れ。そんなところでしょうか。しかし、いくら個人主義のフランス人とは言っても、やはり子供にとって落第は堪えるようです。

その落第が、大学でもある。結局進級できず、中退する人も多い。階級社会のフランスですから、卒業していないと、上級管理職への道は閉ざされたも同然。だからこそ、学生はよく勉強します。各大学の図書館はもちろんですが、例えばパリの中心街にあるポンピドー・センターやサン・ジュヌヴィエーヴの図書館、そしてセーヌ河畔の国立図書館などでは、入館するのに長蛇の列。一度入館すれば、夜遅くまで。確か、ポンピドーは22時までだったと思いますが、閉館までそれこそ脇目も振らずに勉強しています。

一生勉強だ、とは言うものの、やはり勉強は若いうちに。集中力も違いますし、老眼もない。もし、遊び、友達作り、就職だけがメインテーマでは、ちょっとさびしくないでしょうか。留学の枠が空いているのに、就活を優先させて応募しない学生が多いと、先日もテレビ番組が紹介していました。しかし、こうした今の学生たちも、突然変異なのではなく、私たちの社会が育ててきた若者たち。昔からのレジャーランドに就職難が加わった結果なのでしょうね。日本の大学教育、特に文系の学部、このままでいいのか、考えないといけないのではないでしょうか。


・差別が学校で恒常化している!

個性を大切にするフランスとは言え、違い過ぎては差別の対象になってしまうようです。

小学校や中学校で、さまざまな差別が一般化しているそうです。最も見えやすい犠牲者は、身体的ハンディキャップを背負った子供たち。悪口、罵詈雑言、時には身体的暴力の対象になりやすく、学校へ行くことに恐怖感を覚える生徒までいるとか。

性差に関する差別も頻繁に起きているようです。男女の差、そして同性愛者への差別。特に同性愛者への差別に対して、学校側の対応はにぶく、深刻な結果をもたらすこともよくあるとか。子供たちのみではなく、教師の側にもそうした差別が意識するしないにかかわらず、あるのかもしれないですね。

もちろん、人種差別も。特に、ユダヤ人や外国人に対する差別。人種差別はいけないという意識は子供たちの間に少しずつは浸透しているようですが、コトバの暴力や身体的暴力は、逆に増えているそうです。

悪化しているのは、「同じ社会で一緒に暮らす」という意識なのではないか・・・青年期には、人は自らのアイデンティティを探し求めるものだが、それがうまく機能しない結果、自分と異なる他者への攻撃となってしまうのではないか、と指摘されています。

一緒に暮らす。異なる人同士、同じ一つの社会に暮らす・・・それが基本なのでしょうが、「異なる人同士」が危機に瀕している。人権宣言、連帯の、あのフランスにおいてすら! 他者への寛容の精神が少なくなってきているのかもしれないですね。まして、もともと、異質を排除する社会と言われる、我らが社会。差をつけないように、徒競争のゴールは全員で手をつないで、劇の主人公は全員が演じる、テストの結果には順位をつけない・・・ここまで横並びにしても、成長するに従い、いずれは「差」を認めざるを得ない。それなら、はじめから違いを認め合う方向へ導いた方がいいのではないか、と思えてしまうのですが、大人が違いを認めず、排除する態度なのですから、方向転換は難しいですね。

違いを超えて認め合う・・・見果てぬ夢なのでしょうか。
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コトバが国家を滅ぼす。

2010-08-23 20:03:54 | 社会
今日の話題は、ベルギーです。ベルギーと言えば、小便小僧。世界三大「がっかり」に入ると言われるほど、街角にひっそりと立つ小さな像ですが、それでも毎日多くの観光客がその前で記念撮影を行っています。そして、チョコレート、ビール、ムール貝・・・グルメの国でもありますね。

この「グルメ」、もちろんフランス語ですね。“gourmet”で、食通といった意味ですが、このグルメという単語、ベルギーでも、十分通じます。何しろ、ベルギーの公用語はフランス語、と言いたいところですが、ベルギーの公用語は三つあります。フラマン語、フランス語、ドイツ語。それぞれの共同体があり、人口は北部のフラマン語共同体が58%、南部のフランス語共同体が31%、ドイツ語共同体・その他(移民など)が11%となっています。

地域的には、フラマン語を公用語とするフランデレン地域、フランス語(一部ドイツ語)が公用語のワロン地域、そして首都であり南北の間に位置し2言語を公用語とするブリュッセル首都圏地域という3地域に分かれています。

このベルギーで問題となっているのは、フラマン語共同体とフランス語共同体の対立。政党もそれぞれの地域に立脚し、それぞれの地域を優先する政策を行おうとしています。その結果、内閣が長続きしない。それどころか、組閣すら難しくなってしまっている。ようやく、両地域の対立を和らげながら、政治の舵を取ることに長けた首相が見つかったと思ったら、引き抜かれてしまった。そう、EU大統領(欧州理事会議長)に就任したファン・ロンパウ氏(Herman Van Rompuy)です。

ということで、今も、政治的混乱が続いています。そして、地域・共同体による対立は国民の暮らしにも影響を与えています。その問題をコトバの面から、それも意外なところに現れている影響を、13日のル・モンド(電子版)が伝えています。

影響を受けているのは、サッカー・チーム。コーチの指示は何語でなされるべきか、選手たちは何語で話すべきか・・・

舞台は、ブリュッセル郊外、Grimbergenという町。フラマン語共同体に属している町なのですが、何しろ、ブリュッセルのすぐ隣町。フランス語話者も住んでいますし、ブリュッセル市内在住のフランス語話者が、この町のサッカーチームに加入しているケースも多くあるそうです。従って、チーム内でフランス語が幅を利かせている。この町にはGrimbergenとKFC Strombeekという二つのサッカーチームがあるそうですが、特に後者ではフランス語を話す若い選手が多く、フランス語がチーム内の共通語になっている。

こうした状況に異を唱えたのが、Vlaamse Actieという圧力団体。特にその会長、ティンマーマン氏(Robert Timmermans)は、家の玄関先にフランドルの旗を掲げているほどの熱狂的なフランドル第一主義者。そのティンマーマン氏曰く、Grimbergenへやってくる人は誰でも歓迎するが、ただし条件がある。この町ではフラマン語を話すこと、そしてフランデレン地域の文化・習慣をリスペクトし、受け入れること!

ティンマーマン氏が特に問題視したのが、サッカーチーム。ますますフランス語話者が増えている。けしからん! 特にStrombeekは問題だ! 地域の公用語であるフラマン語をもっと尊重しろ! コーチにはフラマン語話者を採用すべし!

こうした圧力を受けて、キリスト教民主党の国会議員でもある町長(フラマン語とフランス語のバイリンガル)は、クラブと協議を始めました。クラブの規定に、コーチはフラマン語を話すことと明記。しかし、フランス語を話す選手たちには、特にペナルティを科さないことにしました。

Strombeekに登録している250人のうち150人がフランス語話者だそうで、確かにフランデレン地域にあるクラブとは思えませんね。クラブの会長も、手を拱いていたわけではなく、以前から2ヶ国語を話すコーチを探していたそうですが、まだ見つかっていないとか。また会長は、「フランドル地方のクラブという個性は大切にすべきだが、人種差別には陥らないようにすべきだ。ただ、選手たちも習いたがっているので、フラマン語を教えてくれる人がいれば、大歓迎だ」と語っています。しかし、選手たちにフラマン言を教えてくれる人なら、その気になれば、すぐにでも見つけられそうに思えますが・・・

公用語に基づく地域圏の対立で組閣すらおぼつかない政治、クラブの公用言語をいちいち規則化しないといけないサッカーチーム・・・こうした混乱から、ベルギーは分裂してしまうのでしょうか。ヨーロッパ統合の中心、ブリュッセルを首都とするベルギーが解体してしまう恐れありとは、何とも皮肉な状況ですが、今のところは、宗教と国王の存在で何とかまとまっているようです。カトリックが75%、プロテスタントは25%。カトリックを心の拠り所に、アルベール2世のもと、国家としての体裁を辛うじて保っているベルギー。しかし、それもいつまでもつのでしょうか。コトバから崩れていく国家・・・日本語も大切にしなければ。しかし、英語を社内の共通語とする日本企業が増えている・・・
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ロマの代弁者、その名はサルコジ。

2010-08-22 19:08:26 | 政治
「国内を放浪するロマ族や『非定住者』の違法キャンプの撤去や、移民出身の犯罪者に対する『国籍はく奪』などの政策を打ち出したフランスのサルコジ政権に対し、国内外から『外国人や移民の排斥だ』との強い批判が出ている。国連の差別撤廃委員会では『ナチスまがいの政策』との異例の強い意見が出た。」(8月16日:毎日新聞)

ということで、ご存知のように、「治安の安定」を錦の御旗に、特定の少数民族や非定住者の排除を始めたサルコジ政権。不法キャンプ300か所の撤去を開始するとともに、19日には、国外退去の第一弾として、不法滞在のロマの人々93人を故国・ルーマニアへ送還しました。翌日には124人。

以前から移民への強硬措置が目立っていたサルコジ政権ですが、非定住者、特にロマへの対応は今まで以上に強硬ですね。国連や人権団体、各国メディアの批判など、どこ吹く風。「人権宣言」の国とはとても思えない対応です。

2012年の大統領選へ向けての右派取り込みの一環との見方もありますが、フランス国内で大きな反対運動、特にフランスと言えばすぐ思い浮かぶ街頭デモがあまり行われていないということは、右派に限らず、多くのフランス人が外国人、特に不法滞在者への強硬な姿勢を支持しているということなのかもしれないですね。三代遡って、外国人がいないフランス人はほとんどいない、とフランス人自身が認めるほど、移民受け入れに寛容だったフランスが、いつの間にか、外国人嫌いの国に・・・

そのトップの座に君臨するサルコジ大統領にしても、実は移民の家系。

母方の祖先、Mallah(マーラー)家は、スペインに暮らすユダヤ系の一族。しかし、1492年、レコンキスタ(失地回復運動)を成功させたスペインは、国内に住むユダヤ人を国外追放。マーラー家は、ギリシャのサロニカへ。苦難の時代を過ごしましたが、大統領の曽祖父の代になって、宝石職人として大成功。その子どもの一人が医学の勉強にフランスへ。第一次大戦にはフランス軍の軍医として参戦。休暇でパリへ行った際に一人の看護婦と出会い、恋に落ちる。カトリックに改宗し、1917年、彼女とめでたく結婚。二人の間にできた娘の一人(Andrée Mallah:アンドレ・マーラー)は、やがてハンガリーからの亡命貴族(Paul Sarkozy:ポール・サルコジ)と出会い、結婚。その間にできた子どもの一人が、ニコラ・サルコジというわけです。

ということで、父方は貴族の家系とはいえ、ハンガリー移民。そのルーツについて、ちょっと面白い話題が、18日のル・モンド(電子版)に出ていました。“A Vienne, le porte-parole de la communauté rom s’appelle Rudolf Sarközi”(ウィーンにおけるロマ・コミュニティのスポークスマン、その名は、ルドルフ・サルコジ)。

オーストリアでは、かつてハプスブルク家が治めていた領土出身の少数民族を保護する政策が1993年から採用されているそうで、スロベニア人、ハンガリー人、チェコ人などとともにロマもその対象に。その恩恵に浴したのか、このルドルフ・サルコジさん、かつてはごみ収集人をしていたそうですが、今では区議会議員。丸い顔に、白髪交じりの立派なひげを蓄えているそうです。そして、ウィーンでもっともよく知られたロマのスポークスマンでもあります。

ルドルフ・サルコジさんは、1944年、ナチの強制収容所で生まれました。政治には若い頃から関心が高かったそうで、長年の社民党支持者。そのせいか、ロマの人たちを故国のルーマニアやブルガリアへ送還するというフランス政府の対応には、大きな関心を払っているそうです。

もちろん、違法なキャンプは野放しにしておくことはできないし、犯罪や無為を擁護するわけではないが、ロマの人々に人間らしく生きることのできる土地を与えてくれたなら、同化への第一歩になるのではないか。そして、最も大切な点は、大きな努力が必要だが、若者たちの教育だ・・・ルドルフ・サルコジさんは、こう力説しています。

さて、肝心の苗字です。時は封建制時代。大きな領地を所有するBatthyany伯爵は、領土の一部(今日のオーストリアとハンガリーの国境地帯)に住むロマの人々を保護し、一人のロマにその地区の首長の権限を与え、治めさせた。言ってみれば自治ですね。その首長の名は・・・Martin Sarközi。

この首長という肩書を与えられたマーチン・サルコジ、ニコラ・サルコジの父方の祖先とどこかで姻戚関係にあるのでしょうか。なにしろ、ニコラ・サルコジの先祖は、1626年に時のオーストリア国王から貴族に任じられたハンガリーの一族、Sarközy家なのですから(今ではSarkozyとフランス風に表記していますが)。ルドルフ・サルコジさん曰く、それは分からない。しかし「サルコジ」という姓はロマに典型的なものだ。ロマと分かると差別されるので、改姓してしまった家族も多いが・・・

ということは、ニコラ・サルコジにロマの血が流れている可能性が全くないわけではない。それを知ってか知らず、ロマを国外追放。そして、次は? もしかして、ユダヤ人? 選挙第一主義の現実主義者ですから、影響力の大きいユダヤ人に対する反感を煽ることはないでしょう。しかし、そういえば、ヒットラーにユダヤの血が流れていたという噂はどこかにくすぶっていますし。

移民排斥の声が、ヨーロッパで大きくなってきています。その声を代弁する極右政党が各国で議席数を増やしています。わたしたちはまた、いつか来た道を歩み始めているのでしょうか。
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十才にして、立つ。

2010-08-21 17:28:27 | 文化
『論語』では、
  吾十有五而志于学
  三十而立
  四十而不惑
  五十而知天命
  六十而耳順
  七十而従心所欲、不踰矩
ですね。わたしなど、50を超えて、いまだにフラフラ、何をやっているのやら。

さて、今日の話題は、十才にして立った少女の話です。立ったのは、ステージの上。もうご存知ですね、ジャッキー・エバンコ(Jackie Evancho)、フランス語ではジャッキー・エヴァンショと発音しそうですが、アメリカの少女ですから、エバンコ。スーザン・ボイルの再来かと、世界中のメディアが大騒ぎ。フランスも御多分にもれず、14日のル・モンド(電子版)が次のように紹介しています。

見出しは、“Une cantatrice de 10 ans stupéfie les Etats-Unis”(10歳のオペラ歌手がアメリカを驚かせている)。女性歌手なら“chanteuse”(シャントゥーズ)なのですが、ステージの上で歌ったのが、ジャコモ・プッチーニ作のオペラ『ジャンニ・スキッチ』から、アリア『私のお父さん』(O mio Babbino caro)でしたので、“cantatrice”(カンタトリス)、つまり女性オペラ歌手になっています。

余談ですが、カンタトリスと聞いて思い出すが、イヨネスコ(Eugène Ionesco)の『禿の女歌手』(La Cantatrice Chauve)です。1957年以来、セーヌ河畔に近いユシェット座で、延々と上演され続けています。しかも、演出がニコラ・バタイユさん。日本でも演劇に携わり、紀伊国屋演劇賞を受賞されています。またNHKのフランス語講座の講師を務められたこともあります。その講師ぶり、記憶にかすかに残っていますが、残念ながら2008年10月に82歳でお亡くなりになっています。合掌。

さて、10歳のジャッキーですが、話題になっている舞台は、新人の才能を発掘する番組“America's Got Talent”という番組。彼女の歌がNBCで8月10日に放送されるや、称賛の嵐。さらにYouTubeにアップされるや、世界的な騒動に。スーザン・ボイルの再来かと言われるのは、その素晴らしい歌声・歌唱力はもちろん、その登場の場が似ているからです。スーザンの場合は、“Britain's Got Talent”という番組。アメリカとイギリスの差はありますが、同じタイトルで、同じ内容の番組。どちらかが、パクったのでしょうか。それとも、どちらかが著作権を買ったのでしょうか。アメリカの人気番組のパクリ、昔は日本でも随分ありましたが、今では日本の番組のパクリがアジア各国でよく見かけられます。

10歳にしてステージに立ったジャッキー。しかし、幼くしてその歌声で聴衆を魅了したのは、彼女が初めてではないそうです。偉大なアメリカの歌姫、ビバリー・シルス(Beverly Sills)は8歳でデビュー。ジャッキーと同じ10歳のときには、ジャッキーが歌った作品よりも一層難しいアリアを歌いこなしていたとか。また、イギリス人のシャルロット・チャーチ(Charlotte Church)は、11歳のとき“The Big, Big Talent Show”で、その類まれなソプラノを披露したそうです。

若くしてデビューしたほかの二人に比べ、ジャッキーの声は低いのですが、その響きは最も美しい。映像なしで彼女の歌を聴けば、テクニック上の欠点は声量だけ。しかし、その年齢を考えれば、胸郭がまだ十分に発達していないことが理由で、今後改善されていくだろう、ということです。

10歳にして世界を驚愕させたその歌声。今後どのような進歩を見せてくれるのでしょうか。ピッツバーグに現れた、10歳の歌姫。かつては鉄の町と呼ばれていましたが、今では再開発がなされ、研究・学園の町に変貌を遂げているピッツバーグ。20年ほど前、少し滞在したことがありますが、スリー・リバー・スタジアムでは、アメリカン・フットボール(スティーラーズ)と野球(パイレーツ)の試合が行われ、開閉式のドームではアイス・ホッケー(ペンギンズ)の試合が見ることのできる町。そこから、アメリカ全土へ、そして、世界へ。

ビバリー・シルスのような偉大な歌手になれるでしょうか。男の子ほど顕著ではないとはいえ、女の子にもかすかな声変りはあるそうで、それをどのように乗り超えるのか。また、周囲の大人たちが彼女をどう育てていくのか。目の前の現金に目がくらんで、使い捨てにすることはないでしょうか。彼女自身、一躍脚光を浴びた後、舞い上がらずに、地に足をつけて歩んでいけるでしょうか・・・今後の成長と活躍が、楽しみですね。
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