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書評ー「電通とリクルート」

2011-05-21 19:29:08 | 本ー広告・メディア
電通とリクルート (新潮新書)
クリエーター情報なし
新潮社



言わずと知れた超メガエージェンシー電通。
方や広告情報を「人生の、生活の、インフラ情報」という切り口で編集し、
一大情報提供企業となったリクルート。

この両社が広告市場の牽引役として果たした役割を振り返りながら、
その結果、昨今のソーシャルメディアの台頭による広告市場の激変化までを
言及する。

◎戦後~現在までの広告展開の変遷
 1950年から80年頃までの広告会社の担った役割は、
 企業の「発散と全体化」。
 平たく言えば、テレビ・新聞等のマスメディアを媒介とした
 広告展開で、企業の商品・サービスの存在を知らしめる。
 この「発散志向広告」を電通が担った。
 一方リクルートは、電通をはじめとする大手広告代理店の手により、
 発散された膨大な広告をいかに消費に繋げるかに着目し事業化。
 広告主と生活者の間に立ち、情報を「検索連動型広告」に加工し、
 次々と自社媒体を開発し、君臨していく。
 この展開が本格稼働したのが1980年代。
 以後30年経過し、それがインターネットに引き継がれていく。
 この間の広告を一言で括ると「収束と個別化」であり、
 広告の特徴は「収束志向広告」と捉えることができる。


◎1950年から80年頃までの広告表現
 高度成長期における広告は「発散志向広告」が主流ゆえ、
 「拡声&伝達」機能が求められた。
 具体的には人々の「心の中の辞書を書き換える作業」を行うことで、
 消費の換気を起こした。ワインを「金曜日に買うもの」としたり、
 時計を「着替えるもの」にすることで、一定の消費拡大を狙った。
 これを更に突き詰めれば「広告だけでどうにかする」ということに
 突き当たっていく。
 このような広告による「意味の書き換え」のひとつの頂点が、
 JR東海の「クリスマス・エキスプレス」である。
 新幹線自体は毎日東京・大阪を行き来している。
 それが一夜にして「恋人たちを結ぶ列車」となった。
 この一連の「意味の書き換え」作業は80年代にピークを迎える。
 それ以降「広告でどうにかする」=「発散志向広告」の効果は、
 人々の欲求が変化したことと、バブル崩壊後の長引く景気の低迷で、
 「意味の書き換え」に賛同した消費が断絶していく。


◎リクルートが台頭していく時代背景
 80年代の広告というのは、広告が大きな顔をしてノシノシと闊歩していた時代。
 「拡声&伝達」から「意味の書き換え」に軸足を移し、
 それが大きな効果を生み、その副産物というか、時代の胎児がコピーライターである。
 世の空気を巧みにすくい取ったクリエイターが、時代の寵児としてもてはやされ、
 空前のコピーライターブームを呼んだ。
 そういう広告トレンドー垂れ流された感のある広告情報ーを総覧し、
 情報の「元栓」の役割を発見したのがリクルート。
 就職希望者には「リクルートブック」、不動産購入希望者には「住宅情報」。
 それらをまず読まないことには、どうにもならない、代りがなかった。
 まさに人生の基盤に関わるテーマをリクルートは比較 ・検討しやすいよう編集し、
 紙媒体に掲載し、圧倒的なシェアを占めた。
 発散広告から収束広告への移り変わりの背景には、
 「おカネ」という先立つものの不安が生んだとも言えるのではないか。
 不景気で所得が上がらないためにモノが「買えない」という切実な問題と、
 一定の所得があってもモノを「買わない」という現実問題。
 おカネをめぐる2大問題が共存していた時代だったから定着したとも言える。


◎そして、インターネットへ
 すべてのメディアが「消費に役立つ情報」をこうも親切に流すようになった時代に、
 コピーが活躍できる余地は少なくなった。
 換言すれば、意味の書き換えが通用した時代とはコピーが大手を振ってた時代。
 今やTVCMの最後に、「検索」の文字が出るのが当たり前。
 これはマス広告が「情報の一部」であることを自ら告白してしまったことを意味する。
 マスVSネットという局面が終わったことの証であると同時に、
 「発散」と「収束」が融合を模索する時代になったということ。
 当然のことながら広告代理店とマスメディアとの関係も変化している。
 永きに亘った蜜月時代終焉を告げ、各々が新たなビジネスモデルを考えていかねばならず、
 広告代理店はマス広告の仲介業務の比率を減らし、
 新たなマーケティング・コミュニケーションの方法を開発しようと躍起である。
 例えて言うなら広告代理店とマスメディアは、ゆるやかな「熟年離婚」のような状況にある。
 CMに促されるまでもなく、人々はより良い情報を求めて検索を行なう。
 そうして熱心に情報を検索した人は、ようやく何かを選択する。
 そして結果を、またネット上で報告する。
 「検索」 と「選択」と「報告」をブログで、口コミサイトで、Twitterで、頻繁に行う。
 自分の体験を述べるというより、事前の期待値との「答え合わせ」をしている表現がとても多い。
 1回の消費に際して、出来る限り損をしないようにと念入りに下調べを行う。
 その結果、実際に体験する前に期待度が膨張している。
 そして、こうした評価をまた別の人が見て行動し、さらに情報は増えていく。
 自分の行動を常に答え合わせしないではいられない。
 消費自体によって喜びを得るのではなく、情報との合一性によって安堵を見出す。


昨今、ますます情報を得る水路が多岐に及び、その本流がネットとなり、
マスが傍流となりつつある時代に、広告会社は自らが担う役割が何であるかを
真剣に考え模索し、世に貢献できる「水路」を生み出していかねば、
生き残っていけないところに来ている。
この現実を眼前に突きつけてくれた警鐘の書である。






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4 コメント

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赤ぺん (あいちゃん)
2011-05-21 21:44:11
 いつも楽しく読ませてもろてます。社長はん!こんなに文才がおありやとは・・・。失礼。でもあえて、赤ペンさせていただきますわ。

「戦後~現代までの広告展開の変遷」 の7行目、「発散された膨大の~」は「発散された膨大な~」の方が・・・。

「そしてインターネットへ」 の4行目、
「検索の文字を~」 は「検索の文字が~」
の方がいいですね。確認後、本コメントを削除願います。
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今回も、(ポリポリ・・・) (キンヤ)
2011-05-21 22:06:52
赤ペン先生
お世話になりました。ご指摘、寸分の間違いもございません。愚の音も出ません。なんで、削除なんて。雑巾掛けからやり直ししたい心境です。
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さすが (あいちゃん)
2011-05-23 00:21:54
 その謙虚さがやはり人を引っ張る原動力ですね。人間が大きいです。私こそすみません、えらそうに。
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Unknown (赤ペン先生改メ気配り先生)
2011-05-23 15:36:51
今後も忌憚の無いご指摘、
よろしくお願いします。
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