緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

御田祭前日

2007年06月30日 16時12分11秒 | 民俗芸能
6月30日(土)

石碑に詠める歌「父の子の百姓よかえらなむ 垂り穂の秋代ここのふる郷」、小野葉桜の美郷町西郷区田代の総合体育館前にある歌碑
小野葉桜は若山牧水と同時代の田代が生んだ歌人で、世に知られたのは昭和四四年に県内新聞で紹介されたのがきっかけです


県内で最後の田植えが始まる御神田、祭り前日心ときめく現場の雰囲気、これで今年も一歳の年齢を重ねて良しと心定めます

朝の自動車道・広域農道・国道経由で自宅から田代まで距離にして一四二キロ、時間で二時間四五分、途中は県内農地視察の感あり
めざすは御田祭(オンダサイ)会場となる田代神社の御神田、明一日が御田祭の本番、本日は前夜祭で花火大会や音楽祭が開催されます


田植えを終えた集落の風景、どれほど安堵の心が広がったであろうかと、往時の人を偲ぶ心が湧いてきます。我が日本は農耕民の邦

現地では多くの人出を見込んで、集落一丸となり祭り準備に大わらわ、音楽祭の会場となる施設には舞台から音響設備が万端滞りなし
田代神社の創建が平安時代長元五年(一〇三二年)とありますから、この地区の稲作起源、移住集団の定着と見るを自説とします


蛇の逃げ足の早さ、立ち止まり、じっと観察、少しの動きにも素早く対応、さすが蛇!豊かな自然とは小さな幼子にすら生きる術を教える場

豊かな自然と安定した農業、地域社会がひっそりとながらも心豊かに暮らす条件の一つか、田んぼにはオタマジャクシや蛇まで泳いでます

雲晴れて

2007年06月29日 20時31分47秒 | 健康
6月29日(金)

ひとたび、雲が晴れて、日中の日が照り返ると、うだる暑さが襲ってきます
まさに夏本番、朝から仕事で釘付けされて、室内から日の照り返る庭を眺めています
この暑さ、汗を流して一夏を過ごすか、朝の散歩も足がやや重い、夏とは爽やかさと体力保持が同一状態になりません


こうして眺めますと、空の光景は天下一品、刻々と変わるさま、何ものにも代え難し、海抜四七二米から眺めた西空、これも梅雨の空

午後のひととき、水平線ならぬ地平線を求めて金御岳(かねみたけ)へ車で一走り、気分を変え山頂に登り盆地をひとながめ
広域林道・広域農道、結構な山地まで道路状況は良く、車がすいすい、求めれば心晴れる風景は手の届くところにあります


空には空の世界があり、そこで活躍する鳥たち、さすが大空を飛ぶだけあって、雄飛そのもの、天空わが庭、羽も体もしっかりしています

サシバだろうか、トビだろうか、一羽西風に乗り、上空を通り過ぎる鷹、天の風に乗るのはいつの日か?未だ生ある身には地上の車ぞ我が翼
友にメールで写真を送り、彼の判定を待ちます、さて、鳥名は何か?クマタカか?


田植えを終えて一息か、水田に光る集落の風景も、離れて眺めると、心は天を泳ぎ、ひとつかみの平安、いつしか地上の煩悩も消えています

写真でみる朝鮮半島の農法と農民

2007年06月28日 14時28分50秒 | 健康
6月28日(木)

大概の書籍には、日本の稲作は中国大陸発朝鮮半島経由で北九州に伝播したとあります
南九州の稲作起源は南方の島嶼伝いなのか、中国大陸から渡海して直接伝播なのか、三つのルートのどれが主流でどれが支流なのか?
これから沖縄・台湾・東南アジア諸国・韓国朝鮮・中国と旅行した折、見学先でのチェックポイントの一つです



数日前にインターネットで目にした記事に書籍案内があり、その一冊に関心を引き、早速、書籍注文しました
書名:写真でみる朝鮮半島の農法と農民(元朝鮮農試・高橋昇写真集)
著者:徳永光俊・高光敏・高橋甲四郎(編)
出版社:未来社・定価:2890円

戦前に高橋昇氏が調査された資料を基に本書は構成されており、時代の隔たりはあれど、農業に関心あれば興味ある写真集です
(資料・朝鮮半島の農業地帯区分)では、朝鮮半島の稲作は韓国南部と西岸部分、北朝鮮は日本海・黄海側とも海岸線で営まれています
戦後の韓国・北朝鮮を理解する上でも貴重な写真集とみます

尚、高橋昇氏の紹介は本書で「朝鮮総督府の農業技師でありながら、朝鮮農家から学ぶ研究態度で、北は国境の火田民地帯から南は済州島
まで、二六年間にわたり朝鮮全土を調査した、二度と得難い資料」とあります。
当時、農業で生きる農民姿、日本も半島もさほど変わらず、隣国の同じ東アジア地域、農民の認識を深めます

石に刻む思い

2007年06月27日 18時08分01秒 | 健康
6月27日(水)


中山間地域総合整備事業活性化施設・弥五郎どんの館・イベント展示施設、料理教室、特産品売場など地域の集会場でもあります

奈良時代の和銅年間が頭に引っかかってしまい、都城市山之口町の南方神社と的野正八幡宮(的野神社)に出向くことにしました
記憶にあったとおり、南方神社の創建は和銅二年(七〇九年)、的野正八幡宮の創建は和銅三年(七一〇年)とあります
あまり弥五郎ドンが有名でない頃は円野神社と称された的野神社、いつから的野正八幡宮に改名か、神社でさえ名称も様々に変化します


ふと気づいて、寄進者は何かを石仏に託そうとした!その思いがこの石仏二体に伝わり後世に残す結果となった。少し神懸かりか

日本国が形を整えだして、律令国家の姿を現し始めた頃、大和の先遣隊は日向・薩摩に神社創建から始めたのかと認識を新たにします
残念ながら、歴史を語るほど文献読破もせず、系統だった学問の流れにも触れず、その場限りの思いつきでは、如何せん、先が見えます


神仏混淆や廃仏毀釈など、日本人の心も神仏の前で、大きく左右にゆれた時代があり、石仏の頭までは切り取らなかったと信じたい!

歴史の証人か、古人の遊び心か、南方神社に古びた仁王石像が鳥居左右に二体あり、仏教の守り仏が神社にあるも、心豊かな古人の表現
的野正八幡宮では境内の石階段を登りきった両脇に石灯籠あり、正面に祠官内藤利英と刻銘あり、残り三面はハングル文字が刻まれてます


祠官内藤利英はハングル文字に何を託そうとしたのか、まず、このハングルは既に翻訳すみ、その気になれば調査できるはず!次へどうぞ

時が隔たり、場所も鄙となった神社境内に、寄進者の胸に去来する、石に刻むほどの我が心の思いとは何であったのでしょう?
石仏にしろ、ハングル文字にしろ、何か新しい流れを、この地域に伝える心意気が、寄進者にあるのだと想像します

移民集団

2007年06月26日 16時36分04秒 | 健康
6月26日(火)

朝の散歩、途中から土砂降りとなり、木陰に雨宿りする人、走る人、濡れた犬を引き連れて帰る人、傘をさしびしょぬれの靴で緑の道を歩きます
散歩道が、瞬時に小川の如きに変わる様、まさに見事、これも梅雨の光景、雨水は低きへ合流を創ります
雨の中、訪問した先の事務所、窓を全開、まだ冷房には至らない、この程度の蒸し暑さ、地方都市に不景気の風吹けば、なおさらナンノナンノ


地元の記録いわれを調査、推理を働かせると、南九州を舞台に小説の一つ二つ書けるやも!この先に大山祇(おおやまつみ)神社もあります

曽於市の日光神社が創建(西暦710年)されたころ、奈良時代に日本の推定人口六百万人と書籍にあります
と言うことは、都城市+曽於市=人口約二〇万人とみれば、奈良時代に、この地域人口は約一万人、盆地部分の人口がすっぽり抜けた状態
下加茂神社神主の子息とあるは、京都より南九州への移民集団と理解しますと、当時の状況が理解できる窓口を見つけた気分になります
山之口町円野神社の創建も確か西暦七一〇年くらいか、そうしますと、山沿いに移住した理由は、盆地部分は湖が湿地帯が広がっていたと!
奈良時代は南九州への人口移動が何らかの理由であり、それが神道を伴い現地に神社を創建して一族郎党の拠り所としました
高台か山の麓、人の住むところ変わらず、先住民の居住空間と重なる部分があったりして、それ故、火祭り跡やヤゴロウドンが脇役となり、
祭りをにぎわし、今も尚、縄文や弥生の薫りが醸し出しています

残った井戸ポンプ

2007年06月25日 17時18分22秒 | 健康
6月25日(月)


手押しポンプから電動ポンプとなり、山間の地下水が生活用水として永年使われてきました。赤さびたポンプに人の歴史を見る思いです

通りすがりの整地された山間の住居跡に古い鋳鉄製手押し井戸ポンプが取り残されています
廃屋を整理して、家屋は産業廃棄物として区別されてゴミとなり、鋳物のポンプだけが住居跡を示す証としてぽつんと取り残されています
年代物、新しくても六〇年は昔のポンプ、親が山林労働者であったのだでしょうか、狭い山地の田畑を耕す小農家であったのでしょうか


全山これシラス、霧島の火山灰が山を形成しており、建築用材・シラスオパール・その他と、将来展望は豊かと見ます

かって、家族が生活を営んでいて、子供が大きくなり、街へでたまま実家へは帰らず、やがて片親が亡くなり、次に残された親も他界しました
残された家は住む人なく、次第に荒れて、親たちの思いも家の周囲から薄れ、子供の家への未練も消えていきます
家屋が撤去された跡にはシラスがまかれて、清浄感がただよい、子供の居宅跡へ最後の思いが込められています


過疎の波は確かにありますが、季節が巡れば田に水が張られて、一ヶ月足らずで青々として、山間の風景を変えていきます

近くにシラズ(火山灰土壌)の採取場があり、全山がシラスで覆われ、ダンプカーの出入りが頻繁、山の高低差は五〇メートル超か?
上旬に眺めた田の苗も順調に生育しており、山間の集落でも、故里に止まる人、故里を離れる人、過疎の波はあるも、人さまざまです

屋根付き橋の上棟式

2007年06月24日 15時53分04秒 | 健康
6月24日(日)


なかなか堂々とした正面、運河を街を愛する人々の意見が数多く取り入れられて、この姿が世に出てきたのでしょう

屋根付きの橋、映画のタイトルになったのは「マジソン郡の橋」でしたっけ!その宮崎県版が日南市に誕生するとニュースは報じます
日南市油津の堀川運河に木造の屋根付き橋が架かるという、それ行け、日曜日の朝、車を走らせて油津堀川運河まで一時間の距離


街の風景は長い年月の中で築かれて行くもの、古いものを大切にして次世代へ引き継ぐは世の習い、都城市も真似して欲しいな

竣工式と思っていたのは上棟式の勘違いで、八月二六日に宮崎県知事出席のもと、竣工式が執り行われると、今日はその前祝い
橋の周囲にはテントが張られ、餅つきや紙芝居、屋根上は棟梁の采配で大工が締め括りの仕事、屋根の下には祭壇あり禰宜も待機


上棟式の中には祝唄や細かい儀式があり、大工の祝唄を聴いていますと、ホロリと気持がはまり込み、しみじみ喜びが湧いてきます

現地で見る屋根付き橋は意外にも長く、橋と言うより長い建物、運河に掛かる部分より公園部分に設置された方が長い
屋根は銅板葺き、橋梁部分は釘一本使わず、木材は飫肥杉べんこう材、石材は地元産飫肥石を使用したなかなか風格ある堀川運河の新名所


街造りとは気を長くして、良いものを認識して、それからどうするか?時間の中、人々の活躍が歴史を創る事をどう伝えるか!

地方都市の観光施設とは、なかなか探すに苦労します。しかし、市民の住環境を絵画になる風景にしましょう、と言う意識の芽生え
日南市は県内でも他の都市より一歩先駆けていると感じます。運河や建物や橋など古いものを今に伝え活用しています


上棟式のメインイベント紅白餅のばらまき、ボランティアの手で餅つきが行われています。たっぷりと突いて喜びを広く皆様へ

私たちは反省しています。
儲けのためばかりに杉を植林してきました。
戦後に植えた杉が伐採期を迎えています。
けれども、儲からないから、とほったらかしです。
あまりにも身勝手でした。

杉は美しい樹です。
杉とともに生きてきた美しい暮らしがありました。
やわらかでたくましい杉を、もう一度
現代の暮らしにとりいれる工夫をしたいのです。
五十年後、一〇〇年後の山の風景や、私たちの未来を、
美しくするヒントがそこにあるからです。(展示資料より)

定点観測点

2007年06月24日 08時29分09秒 | 健康
6月23日(土)

人生の定点観測点とはどの様な条件を満たすべきか?


汐留のビル街、昼間と夜間では滞留人口は如何ほどか?今をスタート時点と見れば、これから様変わりする街の変化を何で計測すべきか?

最初に東京へ出向いたのは昭和35年(1960年)11月竹芝桟橋が上陸地点であったと記憶しています。あれから47年経過
当時、海は汚れていたなあ、敗戦後の生活の立て直しと所得倍増の前夜で河川や港湾や大気汚染にまで気配りが届かない時代でした
岸壁と言う構造物は年月に良く耐えるものであり、人の集いも変わらぬものです。連結して往時の浜松町駅が浮かんできます

さて、汐留は地方から羽田空港経由で出向いてくるには何かと便利、使い慣れると地下鉄の便も宜しいし、催し会場にも恵まれています
大規模な会議や催しはいざ知らず、NPO法人程度だと東京フォーラムもあるし、丸の内の会議場も様々にあり、東京駅界隈はアクセスが宜しい
丸の内へは汐留から徒歩で三〇分の距離、途中、目に入る街の光景も百へんげ、さりげなく観察対象になります
日々を活き生きと生活していくためには、布石のごとき、人生の定点観測点が必要、設置場所はそれぞれの記憶の中にあり
日々の生活から落ちこぼれないように、まずは家族の皆さんへ、人生の定点観測点の設置をおすすめをします

緑は権威の象徴

2007年06月23日 09時48分07秒 | 健康
6月22日(金)


日本は今なお官僚をバックに中央集権国家、皇居はそのシンボル、しかし、これから百年は地方分権国家として活力を復活して欲しい

日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の第6回通常総会が二時間余りで終えました
感想としては知恵の有るところに人が集まり、人が集まれば会費も集まり、日本FP協会も当初は任意団体、今年は設立二〇周年
当然、NPO法人になり会員が十五万人超になりますと、年間予算額も三二億円を超え、団運営上の欠点が様々な形で噴出します
理事の学歴詐称、同じく業者からのバックマージンによる刑事訴訟、国会議員による国家資格への働きかけに対するパーティ券購入
金が集まるところには必ず不祥事も発生、協会会員それぞれが注意して総会等の場で真相究明の努力が肝心
それと、残念ながら本協会ですら、中央指向型、地方切り捨ての傾向が理事役員の心底にあり、性善説を唱えられるほどお人好しはいない
日本人の永年の組織運営方式が小さなNPO法人にも乗り移っていると言う感想を改めて抱き直しました。ここまでは序文

さて本文は
総会を終えて、交流会となり席を移動、会場の東京商工会議所八階から眺める西側光景は夕陽の差す皇居の緑が目に入ります
まず感じました事は、さすが歴史を有する天皇家、緑の大切さをわきまえておられる、何はともあれ人間生活の風景には緑が必要
都会の過密な人口状態は緑を求める余裕を捨て勝ちです。身近な危険、隣人による犯罪、都会では常に意識すべき項目か
地方から大都市東京へ出向きますと、緑は富の象徴、人間は精神安定こそ人生で求める大切なものの一つ、都市迷路の一つに緑のない生活
そろそろ、皇居も国民憩いの場に開放する検討は時期到来か!国の権威は別な形でも表現出来るでしょう

ブレスレットありがとう

2007年06月22日 07時57分17秒 | 健康
6月21日(木)


Tomochan,ブレスレットのタイ旅行プレゼントありがとう!数少ない装飾品、大切に身につけましょう。郵便物も届かぬ事があるのですね

夕方の退社後に娘達と逢うは最高の楽しみ、出逢う場所は有楽町の宮崎地鶏のレストラン、様々な料理になって現れる地鶏っこ
世の中、年齢一つ重ねるごとに未知の世界があり、どうするこうするは本人の考え次第、病や孤独に攻められないよう願います
東京に出てきますと、人の多さ、ここに日常生活の原点があり、玉石混合、身近な危険が絶えず存在している事を娘から教えて貰います

第6回通常社員総会

2007年06月21日 17時20分30秒 | photo日記
6月21日(木)

特定非営利活動法人・日本ファイナンシャル・プランナーズ協会・理事長 加藤寛
                   第6回通常社員総会


会員数:15万5135名(平成18年度末)・平成19年度事業活動収入予算額3,281,280,000円

1.日 時:
平成19年6月21日(木)午後1時~3時30分
2.場 所:
東京都千代田区丸の内3-2-2
東京商工会議所東商ホール
3.
会議の目的事項:
決議事項
第1号議案 平成18年度事業報告及び収支決算報告承認の件
第2号議案 定款変更の件
報告事項
(1)平成19年度事業計画及び収支予算
(2)学生割引制導入について

団塊世代のバンド演奏

2007年06月20日 17時26分06秒 | 健康
6月20日(水)


予想外の大盛況!遅れてきた人、テーブル探すに大わらわ、久しく生バンドに飢えていたなあ、もっと身近にもっと音楽と踊りを!

団塊の世代の人のためのコンサート、彼らもそろそろ停年・還暦の年頃、どうぞ生演奏会に来て!とハガキが舞い込んできました
SG21会メンバーの案内状、百名満員の室内ビアホール「ビアホール昭和屋」で座今一歩(ザ・イマイッポ)による日曜日の演奏会
生ビールとバイキング料理片手の演奏会、ベンチャーズを想い出す曲目の数々、割れんばかりの室内演奏、確かに聴いた数々の古曲名曲

人間、生きていく限り音楽と踊りは生活必需品、どう足掻いても音楽と踊りが無ければ、人間は鬱になるか躁になるか、病の元
お~い、まともな楽団が故里にも有ったのだ!存続させてきた団長&団員の心意気に乾杯、耳も張り裂けんばかりの演奏もなんのなんの
そう言えば、これ庶民の音楽、気楽に歌って踊って、笑って飲み明かす、若者の音楽、客席も舞台もみんな三〇年前の人々か!

田中の高級車

2007年06月19日 16時40分40秒 | 健康
6月19日(火)


手前のトラクターがヤンマー製で室内エアコン付・45馬力・価格五百万円、奥がクボタ製で25馬力・価格二八〇万円、まさに田んぼの高級車!

この季節、盆地は水田だらけ、田植えの真っ盛り、農業後継者の心配どこ吹く風か、米が人々を動かしている!
干ばつや戦乱や人口増など、人々は移動に伴い籾を携え、中国大陸を船出して海を越え、九州の海岸線にたどり着き奥地へと入りこみます
この風景に出逢うと、人々の稲作と言う生きる術が、この地域を長い年月かけて開墾していき、文化面も先導役を果たしてきたと感じます


雨も駆け足

2007年06月18日 17時33分21秒 | 健康
6月18日(月)


川の水かさも増えて、流れもにごり濁流と化している、まだまだ水の欲しい田植え時期、稲作は良く地域の気候を利用した伝統農業!

朝の散歩時には青空がマダラ模様で西の空にあり、天気予報当たるかなあ、田植えも進みササゴイも川辺に見かけるようになりました
かって、図書館やお寺の大木に営巣していたけど、人に嫌われたり、卵をカラスにねらわれたりして、用心深くなり営巣場所はもっか不明
そんな朝の光景から午後には、外出の矢先にスコール、見事な雨、人格形成にも影響及ぼす雨、田植え雨、ものの三十分もすれば止みます!
雨の止む早さ、ものの見事に当たり、一時間後に用事を済ませた帰り道、南の空に大きな入道雲、天気の移り変わり早い一日でした

どろ湯

2007年06月17日 16時45分16秒 | 健康
6月17日(日)


石壁に風格を感じるは効能大か、この湯治場は約二八〇年の歴史があり、往時は栗野岳山腹(海抜七百米)まで結構な道のりであったか!

未明に遠雷がとどろき、雨音もにぎやかになり、こんな日は温泉日和、心は朝から霧島山にあり
どろ湯は体に効くと、山越えた熊本県湯治客の言葉が耳に残り、めざすは栗野岳温泉、自動車道経由で霧島山を半周、時間で一時間五分
湯温は日により変化して、今朝は硫黄湯は熱め、明磐緑磐湯(ドロ湯)は微温湯、蒸し風呂は熱め、温泉にも気分があると人の言う