癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■沖縄のうねり・・・・歴史の真実を知っているのだろうか?

2007年10月15日 16時55分14秒 | 経  済
    沖縄11万人集会の写真集発刊

教科書検定で沖縄戦の集団自決に軍の強制があったとする記述が削除された問題で、琉球新報社は15日までに、検定意見の撤回を求めて11万人(主催者発表)が参加した県民集会の写真集「沖縄のうねり」を発刊した 【時事通信社】

何故沖縄県民が「検定意見」に拘るのか解からな無い

本当に集団自決は、軍隊主導で行われたのか、歪曲され騒いでいるような気がしてならない。

以下、「集団自決」称されるに到った経緯を拾ってみた。

第二次世界大戦中の昭和19年9月、梅澤裕氏は少佐として沖縄慶良間列島の座間味(ざまみ)島守備隊長に着任した。

「沖縄に到着し、軍司令官の牛島満中将に挨拶し、座間味島に向かいました。敵が泊地にするのに適った地形の島で、私は山の側面に穴を掘り、壕の中に船、爆雷、兵器、食糧を隠させました。島の人たちは純真そのもので、若い兵隊たちを大事にしてくれました」と氏。

戦局は激しくなり、米軍の日本攻撃は熾烈さを増す。沖縄への艦砲射撃も同様だ。梅澤隊長は彼我の圧倒的な戦力の差を実感、「ベテランの軍人」として日本の敗北を悟った。

いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。

助役の宮里盛秀氏が言った。
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」

梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。

だが、宮里助役は続けた

「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。

だが、宮里助役は続けた。

「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

「そんなことは出来ない」と梅澤氏

「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」

梅澤氏は諭して、5人に言った。

「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ

翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。


 汚名を着せられた人生

寝耳に水の報道が梅澤氏を襲ったのは、戦後暫く経ってからだった。

「昭和33年の『週刊朝日』を読んで、私も家内も仰天しました。座間味島の住民は梅澤隊長の命令で自決させられたとの記事が、無残な写真と共に報じられていました。
家内は精神的にどん底に落ち、私は同期生や軍人の団体にも連絡して、報道が事実無根であることを訴えました。しかし、時代は全て、軍が悪い、軍人が悪いという見方に塗り潰されていましたから、私の反論は誰もとりあげてくれませんでした」

“梅澤隊長命による住民の集団自決”は、家永三郎氏の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉両氏の『沖縄問題二十年』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって喧伝され、「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。ノーベル平和賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は1970年の出版以来、49版を重ねている。

この間、氏の家族は、濡れ衣に苦しんだ。梅澤氏は幾度か職場を変え、夫人は息をひそめて暮らし、子息は都会に住むのを嫌い、人と会わなくて済む地方に移り住んだ。

だが、転機はやってきた。戦後40年目の昭和60年7月30日、「神戸新聞」が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」と報じたのだ。大江氏ら“権威”が植えつけた悪しき軍人のイメージが全面否定されたわけではなかったが、それでもこのどんでん返しが梅澤氏にとってどれほど嬉しかったか。それにしてもなぜ、真実は語られ始めたか。梅澤氏が驚くべき経緯を語った。

戦後、全ての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は烈しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請したとき、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍によって自決命令が下されたという理由づけだった。

生きるために事実無根の話が創られ、梅澤氏への根拠なき非難が一人歩きを始めたのだ。それを調査せずに喧伝したのが大江氏らである。

歴史の真実を語った女性

一方、梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。

「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」

梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。

「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」

彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。そして梅澤氏は「一番気の毒なのは故里が戦場になった沖縄県民」だと語る。

その後梅澤氏は、大江氏らの著作の出版・販売・頒布の禁止を求める訴えをおこしたが、大江氏はまだ一度も出廷していないそうだ。

日本人は戦後、戦争を反省する余り、軍に関するもの全てを悪と見做してきた。その偏った心理のなかで、梅澤氏の悲劇が生まれた。

この歪んだ戦後体制からの脱却を目指すというのが安倍晋三首相である。真に戦後体制から脱却し、新しい日本を創るために、より多くの真実を探り出し、虚心坦懐、歴史の真実と向き合いたい。そして一日も早く、高齢の梅澤氏の訴えに正しい判決が出てほしいと願うものだ。
『週刊新潮』 '07年1月4日・11日号日本ルネッサンス 第246回引用
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何故いま、「集団自決」が軍隊主導で行われたといって沖縄県民の一部が騒いでいるのだろうか。

上の記事を探して読む限り、ある週刊誌の記事により歴史が改ざんされて一人歩きしてきた結果が「教科書検定」という形で騒いでいるような気がしてならない。

梅澤裕氏は少佐として沖縄慶良間列島の座間味(ざまみ)島守備隊長は否定し、自決命令は宮里助役が下したと判明したと有る。

これが本当の事実とすれば、「教科書検定協会」は、明確に説明し納得させる責任があり決して歴史を曲げる事の無いようにしてもらいたくないと思いながら・・・・・・・。
教科書に掲載するかしないかは検定協会の判断事項と思うが・・・・。


2 コメント

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歪曲 (風来遊人)
2007-10-17 13:43:40
沖縄は地上戦が行なわれた事と
米軍の駐留もあり
他県とは全く違った感覚を持っている様です
記載された様にねつ造された自決もある様ですし
実際 自決させられたと証言もあります
戦後レジームとは言いますが
沖縄をタブー視してきた弊害ですね
年月を重ねて今どうかと言っても
当時の事を知る人が減ってます
歴史の闇に葬られた事項
憎悪が増幅し今現れているんでしょう
でも
時の政府が検定に介入してるのは
これまでの流れを見れば間違いないでしょうね
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Unknown (Unknown)
2007-10-17 16:51:37
確かに (こつこつ)

2007-10-17 14:25:37

風来遊人様
特殊な沖縄という事も有りますが、自決・切腹という事は昔話ぐらいなって欲しいものですね。今になって問題を大きくしようとしていることに裏があるような気がしてなりません。

検定に関しては風来さんの云うとおり、政府が必ずしも介入してないとは限りませんね・・・

現文部大臣が軍が介入したと思う・・・と言明し謝っていますが、根拠もなくこんな言葉を発する事に疑問
を感じますね・・・介入があったという事でしょうね
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