癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★戦後60年 中国人よ未だ大人になれないか?

2005年06月05日 10時21分41秒 | ニュース
戦後60年を経過した今、中国・韓国から日本の歴史の認識の違いと罵声を浴びせられ、小さい島の固執と日本領土内でのエネルギー開発、領海侵犯等など、続けざまに日本国民の心を揺るがす行為に怒りを覚える。
 
終戦当時、闇市と行商で日銭を求めて食いつなぎ、寝ないで家庭を守ろうと一生懸命だった家族、農家であっても、糧飯とサツマイモ等を主食とした時代、浮浪児、乞食と言われる人たちが、食べ物をを求めて右往左往している多くの人たちの姿、教科書と言えば兄弟・親戚等からツテを頼って譲り受けた擦り減ったもの。学校での昼食と言えば、新聞紙で隠しながら食べ、忘れてきたと言っては我慢する者、サツマイモを主食として携行した学校での食事、衣服は、今若者がジーンズを故意にちぎり、ひざ小僧を丸出しにして喜んでいる継ぎ接ぎだらけのぼろ服が主流、冬に足袋が履ける家庭は裕福で素足は当たり前、やっと配給で貰えた長靴も汗で足が滑り裂けてしまう品質。そんな時代でも、他人の事を羨ましくも、恨んだ事なども無く、朝から晩まで泥にまみれ夢中で遊んだ子供の頃の貧困時代が懐かしさを覚えている者も少なくなりつつある時代となつた。
 
終戦当時の中国と日本の生活実態の比較は知る由も無いが、敗戦国となった日本の当時の状況と勝利した中国は少なくても同じ条件・状況でスタート地点に立った筈である。国の大きさに優越感とプライドを捨てきらず、様々の政策をするものの、結果はコトゴトク失敗、敗戦国日本の目覚しい発展に水を空けられた事に妬みを感じていたものが、溜まりに溜まっての爆発が今回の愛国デモと中国政府の対応か。
 終戦後、誰も当時想像出来なかった経済大国となった日本の姿。未だ60年を経過した戦争の傷跡から足を洗えないで「人のものは俺のもの」的考えの中国の言動と認識。

日本の経済支援と企業進出に頼らざる得えないジレンマ、経済成長率が上がれば上がるほど農村部と都市部の貧富の格差が益々増大して行くことへの国民不満、世界からの経済圧力が掛かり始めたこの時期に、日本の侵略問題と靖国参拝に、中国人民と世界の目を向かせ切り抜けようとする子供地味た、国民を怖がった政策と政府。
 
 いかに政治を変えようとしても、共産党が支配する社会主義ではどうにもならないという事か、これから中国がどう変わろうとするかは、3年後のオリンピックを見れば判明する。6億の人口と広大な領土を持つ中国、大国は大国なりの心と寛容さをもって行動せよ。中国人よ大人になれ・・・・と言いたい。
 一国の総理にアポを取りながら、笑って平気でドタキャンする中国副首相は、逆に世界から笑われると言う事すら知らなかつたのだろう。

 幸いに、日本政府の、冷静沈着な対応と、これまでの諸外国支援の実績がやつと認められ、信頼回復基調の気配を感じとられ始めた事に安堵感を覚えるのは私だけだろうか。