癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★「タメ一割」?

2005年04月20日 10時43分54秒 | 癒  し
ラジオで付き合いには「タメ一割」でと言うような話していた。意味が分らず、聞くともなしに聞いてた。
 他人の心配ごと、世話ごとなどしてやっても、相手は「1割ぐらいしか聞いていないし、1割ぐらいしか心配して貰ったとしか思わない。」ものである。会社ののタメ・誰々のタメ「・・の為=タメ」には1割程度と考えてよいと言うように聞き取れた。善意も入り過ぎると最後は「余計なことをするな」としっこがられる場合がある。何事も程度問題である。災害時等ののボランティア活動も、参加時期、引き上げの時期のタイミングにより支援を受けた人の感情が相違する。「家族・孫には1割返し・1割の世話」が十分であると言う意味のようである。上手い事を言う。
 「団塊の世代の定年後の生活への対応と社会はどう変わるか」の議論が毎日のように報道されているが、今まで溜め込んだ財産は我が身の定年後の為につぎ込み、楽しく優雅に過ごす。
 後生に残すのは有価財産は必要なく、家族の絆と信頼等の「心の財産」を残す事が最良策ではと考えるのは無い者の僻みか。「若い者の夢・希望を絶やしているのは使い切れない親の財産」が自立心を喪失させている。親の責任に思える事も頷けるるような気がする。
 若者の定職も持たず暇に任せ、親の金で遊興三昧・詫びる事の無い凶悪犯罪が増加している要因となっている事にも影響を与えているようにさえ思える。
 我が家の皆は、残せる財産は無い事を良く知っている。帰り際ソット灰皿の下に札を挟んで帰っていく息子。財産の無い僻みでは無いが、感謝は素直に、返礼は「タメ1割」で質素に生活する。
 自分の定年後の平和な生活に消費できる楽しみを残す預金だけで良く、余生を後悔なく過ごす工夫だけを頭に置くこと。
 長生きするると言う事も大変な世の中になつたものだとツクヅク思うのは私だけだろうか。
早くから、多くの趣味娯楽を工夫・準備して置けば良かったと後悔している。しかし、今からでは遅すぎる・・・その日だけの生活だけに明け暮れ、将来を考える余裕を失っていた付けか゛今か・・・・