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三滝寺

2014年01月05日 | 平和日誌
広島市中心部から北西方向に
三滝寺(みたきでら)があります。

三滝寺は
標高356メートルの三滝山中腹に位置する
高野山真言宗の古寺です。
三滝の呼び名は
「駒ヶ滝」「梵音の滝」「幽明の滝」の
三滝に由来します。
広島市の中心部にありながら
木々におおわれた参道は静寂で
磨崖仏、石像、石塔、句碑が
約六百あるといわれます。



寺伝によれば大同4年(809年)
空海(弘法大師)による創建です。
三滝山に切れ込む谷の底に位置しており
それが幸いして
昭和20年(1945年)の広島市への
原子爆弾投下(爆心地から約3.18km)
の際にもほとんど無傷だったため
当寺が臨時救護所になりました。
三滝寺の水は平和記念式典の
献水にも使われています。

三滝寺は春は桜
秋は紅葉の名所でもあります。
昨年秋の境内の様子です。





境内の奥まった場所には
四聖人「弘法大師」「日蓮聖人」
「道元禅師」「親鸞聖人」の
銅像があります。




本堂でのお参りを済ませて
参道を下っていくと
少し気になる場所に
慰霊碑がありました。




碑文はほとんどが擦れていて
読み取ることができません。
ネットで検索してみると
賀屋興宣(かやおきのり)氏が建立した
ことが分かりました。
この方は明治22年広島市中区本川町出身
昭和23年の極東軍事裁判において
A級戦犯となりましたが
昭和33年に赦免され
同じ年に自民党議員として
初当選されています。

碑文は大まかですが
以下のような内容です。
↓↓↓
戦勝国によって一方的に
報復手段により裁かれた
私たちの兄弟や夫や子供
最后まで世界の平和と
国の安泰を念じつつ
散っていった霊を慰め
史上に再び悲惨な戦争と戦犯という
矛盾とを繰り返さぬよう
大慈悲の観音菩薩の法灯を
人類の一人ひとりの心に念じながら
悪夢を転じて幸いに導くという
夢たがえ観音を十三塔内に納め
永劫の平和を祈念いたしたく
御結縁をお願いする次第であります

また
賀屋興宣氏について
ウィキペディアには
以下のような記述があります。
↓↓↓
1941年(昭和16年)の
太平洋戦争開戦時の
東条内閣で再び大蔵大臣を務めて
戦時経済を担当したが、
東郷茂徳外務大臣と共に
米英に対する開戦には終始反対だった。
戦時下には戦時公債を濫発し、
増税による軍事費中心の予算を組み、
戦時体制を支えた。
その予算編成は、
華北における資源開発や
大東亜共栄圏を中心とした
ブロック経済を想定したものであり、
A級戦犯に指名された理由も
この予算編成の責任者だったことに
起因したものと考えられている。

碑文や経歴をみると
“戦犯って何だろう???”
と考えさせられてしまいます。
戦勝国からみれば明らかに
戦犯に値する人々かもしれませんが
家族や国を想い行った行為が
すべて“悪”であったとは
言い切れないのではないでしょうか。

昨今、日本の
「右傾化」が叫ばれています。
右傾化でも
左傾化でもない
バランスのよいタチイチ
ってないのだろうかと思います。
そもそもこの
“右左”って何なんでしょうか?

実は
この「右左」「善悪」という
二元論的発想そのものが
平和な世界を望む人類の
大きな壁になっていると
最近とくに感じます。
あわせて
二元論に落ち着いてしまうことによる
思考停止が起きているのではないか。
そんなことを感じながら
日本国憲法前文を
改めて読み直してみると
その素晴らしさに感嘆します。

日本国憲法前文(抜粋)
↓↓↓
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する
崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の
公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を
保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から
永遠に除去しようと
努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
↓↓↓
日本国憲法全文


三滝寺の碑文から
いろいろと考えさせられました。
先の画像にある
「戦犯慰霊十三塔」は
広島出身の56名の戦犯を祀っています。
犯した罪の詳細は不明ですが
こころをこめて
祈りを捧げました。
すると
何かを訴えるような
不思議な光が注いできました。



愛と平和で満たされた
地球になりますように。

広島市夕景












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